僕の左目は契約の証。
一握りの魔法の引き替えに、僕の片方の視界を大切なあなたに。
そうして交換した左目は、その人が僕の前からいなくなってから光を映すこともなければ、魔法の気配もすっかりなくなってしまった。
それでも僕にとっては命より大事なもので、いなくなってしまったその人の存在証明で、ただ、今はもうそれだけだと思っていた、けれど。
そうではないのだ、と彼は言う。
「あんたのその目が、今もなお色づいているってことは――」
まだ、僕の大切なひとは、本当の意味でいなくなったわけではない。魔法はまだここにある。魔法の使い手もまた然り。
ここからどれだけ手を延ばしても届かない、遥か遠くのことであったとしても、それは「無い」ということを意味しない。
その人はどこかにいるのだ。今も、この無数の世界のどこかに。
彼はきっと正しくて、だから、僕は前を向くことに決めた。
いくつもの世界を渡り、今の僕に与えられた「役割」を果たしながら、
あの日の温もりを、追いかけている。
20250228 「あの日の温もり」
かわいい服だな、よく似合ってる、自分で選んだのか?
とりあえず片っ端から言葉を並べてみるが、そいつは不満げな顔を隠しもしない。
俺は何も脳内当てゲームがしたいわけじゃないんだ、思わず出かけた舌打ちを飲み込んで、「ふくれっ面だな」と言うと、そいつが言葉通りに頬を膨らませて言う。
「お父さんはわかってません」
「何が?」
「あたしを褒めてほしいんです」
……なるほど?
そりゃあ「女心がわかってない」と、こいつの母親――つまり俺の元嫁に散々こき下ろしてくるだけはある。
だが、きちんと自分の言葉で聞きたい言葉を言ってくれるだけ、こいつの方がまだマシか。
「君は服よりもかわいいよ」
「とってつけたお世辞はいらないです」
「君がかわいいのは当然のことすぎて、思い至らなかっただけだ」
と、言えば、そいつは顔を真っ赤にして俺を見上げてくる。
けど、まあ、これはほんとに世辞じゃなくて、本心だ。あまりにも当たり前のことは、まず、言葉にしようなんて思わないだろ?
20250227 「cute!」
すり切れたノートの表紙を指でなぞる。
彼がここを去ってからも、彼の記録は残り続ける。異界潜航サンプルとして、数多の異界を渡り歩き、その目と耳で捉えた『異界』の記録は我々のデータベースにあますとこなく収められている。
ただ、「彼自身を表す記録」は驚くほど少ない。
それこそ『潜航』の中で漏らした彼自身の声だとか、彼が起こした行動の結果だとか、そういう形で残されるものはあっても、それは全体の記録の中でもごくわずか、何なら『異界』の情報としてはノイズともいえる。
それでも――。
ノートの表紙をめくる。少しだけ傾いた、角のはっきりとした文字。それは我々が「X」と呼んでいた彼の手による、彼自身の記録。
異界研究の記録としては別段必要とはいえない、しかし、日々私の中では薄れゆく、けれどそこに確かに存在していた彼の気配を確かめるように。
私は、ひとつひとつ、彼の文字を追う。
20250226 「記録」
「さぁ、」
と、差し出された手を握ったことは覚えている。
夕焼けがきれいな丘だった。思い返してみれば、曇り空の記憶がない。休みの日にそこを訪れた記憶もない。
学校が終わって、でも家には帰りたくなくて、チャイムが鳴るまでのほんの少しだけの時間を過ごす、秘密基地じみた夕焼けの丘。
最初は俺一人で、ただただぼんやりと夕焼け空を見上げていたけれど、いつしかそこに、知らない顔を見るようになった。
最初は遠巻きにしていた。気づかれたくないと思った。俺だけの場所に、邪魔者が現れたのだと思った。だけど、そいつが、手を差し伸べてきたのだ。
――一緒に遊ぼう、と。
多分、本当は、そう言ってもらいたかったのだと思う。俺がその言葉を想像もできなかっただけで。
そうして、一人が二人になって、それでもいつかは必ず帰らなければいけなくて。
いつか、どうしても帰りたくない日、そいつはもう一度、俺に手を差し伸べた。
「冒険に出かけない? どこか、もっと遠い場所に」
まあ、手を取ったところで、結局は子供二人の逃避行だ。別に遠い場所にも行けないまま、夜の帳が降りる頃には家に帰らされて。
……けれど、その小さな「冒険」が俺の命運を分けたのだと知るのは、それからずっと先のこと。
あの日から三十年を過ごした俺が、今になって「子供の俺の死体」を見せられてからの話になる。
20250225 「さぁ冒険だ」
こいつを、花のようだ、と言うやつがいる。一人じゃなく複数の評価な辺り、まあまあ共通認識足りうるらしい。
わからなくはない。誰もが振り向くような、とは言わないまでも、それなりに目を引く美貌。それも、派手というより素朴で清楚な印象の美人なものだから、冬の終わり、春の始まりにそっと顔を出す一輪の白い花のようだ、という評価も理解はできる。
だが、そういう評価を下すやつは、大概重要なことを見落としている。
冬の終わりに真っ先に顔を出す花なんて、やたら生命力に満ち、力強く根を張っているに決まっているんだ。
「ごめんなさい、少し遅れてしまったわね」
かくして、こいつは今日もいけしゃあしゃあと言い放つ。俺が散々かけてモーニングコールの回数も、なんならこいつの妹さんにまで連絡を入れて、言葉通りに叩き起こしてもらったということも、おくびにも出そうとはしない。
だが、その図太さがあるからこそ、俺たちの「リーダー」足りうるともいえよう。
大地にぶっとい根を張り、仮に手折られかけてもただでは終わらせないだろう我らがリーダーは、俺たちの顔を見渡して、花のような笑みを浮かべる。
「さあ、今日の潜航を始めましょう」
20250224 「一輪の花」