休日の昼間の街に溢れかえる若い女性達。
すれ違うたび、いい匂いがする。
女性の匂いを堪能するのもいいが、俺は酸素になりたい。
そうすれば、女性の鼻と口から体内に入り、じっくり体内を冒険してから、女性の二酸化炭素となって外へ出れる。
想像するだけて頬が緩み、今にもよだれが出そうだ。
「ママー、あの人一人でわらってるよー」
「しっ!変な人に指ささないの!」
幼女と人妻にボロクソ言われているが、対象外なのでなに言われてもノーダメージ。
「……」
黒髪ロングの清楚な女性に、変な目で見られている。
ゾクゾクして、なにかに目覚めそうだ。
世の女性から冷たい目で見られても、俺は生きている。同じ空気を吸って!
「すぅーーー!」
「なんかこっち向いて息吸ってる!?」
「やだ!キモい!」
罵声を浴びながら、俺は思いっきり女性達の匂い付きの空気を吸ってやった。
この後、不審者として警察官から職質を受けたのは言うまでもない。
……やっぱり俺は、人目につかない酸素になりたい。
空は夜のように暗く、先が見えない海。
この海の中から探さないといけないのか……。
意を決して海に潜って探すが、全然見つからない。
いったいどこに沈んでしまったのだろう?
「まだ思い出せないの?」
海の外から、彼女の声が聞こえてきた。
「も、もう少し待ってくれ!すぐに思い出すから!」
俺は慌てて彼女に返事をする。
彼女はもう待ってくれそうにない。早く探さなければ。
いったいどこにあるんだよ……彼女と付き合い始めた日の記憶は!
この記憶の海の中にあるはずなのに、見つからない。
海から出て、待ちくたびれている彼女に結果を報告する。
「ごめん。思い出せなかった。いつだったっけ?」
「今日よ!バカ!付き合い始めて今日で一年なのに忘れるなんて、信じられない!」
女って、どうしてこんなに記念日とか気にするんだろう?
忘れてた俺も悪いけど、そこまで怒るかね……。
「俺が悪かったよ。ごめん。埋め合わせはきちんとする。なにかしてほしいことがあれば言ってくれ。なんでもするから」
俺は頭を深く下げ、彼女に謝った。
「分かった。今回は許してあげる。でも、ちゃんと覚えててね?」
「もう絶対に忘れないさ」
今度はすぐ思い出せるよう、記憶に目印をつけておこう。
「なにしてもらおうかなぁ」
彼女はあごに手を当てて、俺になにをしてもらおうか考えている。
「じゃあ、私の大好物をご馳走してくれる?」
「お安いご用さ。えっと……」
彼女の大好物って……なんだっけ?
俺は思い出すべく、再び記憶の海に潜った。
電気がついていなくて、時計の秒針が動く音しかしない家の中。
俺のことを分かってくれるのは、ただ君だけ。
そう……思っていた。
「あなたとはもう一緒に居たくない。離婚して」
時間を掛けて愛を育んで一緒になったのに、別れる時は一瞬。
暗い家の中を見ていると、寂しさと恋しさが襲ってくる。
「パパー」
娘に呼ばれて、我に返る。
どうやら俺はボーッとしていたらしい。
妻と別れてから、娘の幼稚園の送り向かいは俺がしている。
娘には色々苦労かけて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「だいじょうぶだよパパ。わたしがついてるから。ずっといっしょだよ」
娘は花が咲いたようにニコニコ笑う。
見ているだけで、心が温かくなっていく。
「……ありがとう」
娘の頭を撫でると、娘は「えへへ」と喜ぶ。
娘に心配かけないよう、もっとしっかりしないとな。
俺は娘と手を繋ぎ、照明スイッチを押して、家の中の明るくした。
地元の港にやってきた大きな白い船。
名前は、未来丸というらしい。
俺を含む数人の男女は、更正させれるために港へ連れてこられた。
全員、ひきこもりのニートなのだ。
ここから離れた島に更正施設があるらしく、今日から一年間そこで過ごすことになる。
正直、行きたくない。
だが、将来のことを考えて、親に迷惑をかけたくないので、頑張ろうと思う。
船から、強面のムキムキ男が降りてきた。
筋肉を見せつけたいのか、服装は半袖半ズボン。
この人が更正施設の教官なのだろうか?
俺達は男に厳しい目を向けられる。
「あなた達、いい目をしているわね。大丈夫、心配しないで。あなた達ならきっと更正出来るわよ。さっ、船に乗って」
男はおネエ言葉で俺達を激励した。
この人が教官か……少し、不安だ。色んな意味で。
俺達は船に乗り込む。
船は波でゆらゆら揺れて、少し怖い。
「全員乗ったわね!未来丸船長の私が、あなた達の未来を変える第一歩として、無事に島まで送り届けるわ!未来丸、出港よ!」
だからこの船は未来丸って名前なのか。
船はエンジン音を響かせながら、動き始める。
いや、それにしても……。
このムキムキおネエ男は教官ではなく、船長だったとは。
外の世界は不思議で溢れてるんだなと、実感した。
鳥の鳴き声と、風で葉が擦れる音しか聞こえない静かな森。
空は緑でさえぎられていて見えない。
地面にはコケのじゅうたんが、どこまでも広がっている。
ここは、静かでいい。都会はうるさすぎる。
うるさい音を聞きすぎて、俺は疲れてしまった。
誰かに手招きされるように、森の奥へ進んでいく。
木が多くなったのか、さっきより暗くなったような気がする。
不気味さが増していくのに、それが逆に心地良くて、もっと欲してしまう。
よし、もっと奥へ進んで……。
「待ちなさい」
背後から男の声が聞こえ、進んでいた足が止まる。
振り返ると、チョッキを着た男性が立っていた。
「お兄さん、どこへ行くんだい?」
「ちょっと奥の方へ……森に癒されようと思って」
「ここは森じゃなくて、樹海だ」
「……」
「この辺は立入禁止区域。途中に立入禁止の看板が立っていたはずだぞ?」
「看板?さぁ……覚えてないな」
何か注意書きした物が立っていたような気もするが、見る気もしなかった。
「それにお兄さん、ここはスーツで来る所じゃない。げっそりしてるし、何かあったのか?」
男性は心配そうな表情をしながら、俺を見ている。
「なにも、ないです」
俺がそう返答すると、男性は真剣な表情になり、厳しい目を向けられる。
「ともかく、この奧は危険だ。さっ、私と一緒に戻ろう」
「……はい」
男性は背を向け、歩き始めた。
俺は胸ポケットに手を入れ、早歩きで男性との距離を縮める。
「私は樹海を監視していてね。お兄さんみたいな人を見かけたら声をかけて──ガッ!」
包丁で肉を刺す時と同じような感覚。
俺は胸ポケットに入れていた折り畳みナイフで、男性の背中を刺した。
「な、なにを──ガハッ!?」
男性を地面に押し倒し、ナイフで何度も何度も何度も刺した。
やがて男性は喋らなくなり、再び静寂が訪れる。
「折角静かだったのに邪魔しやがって。どいつもこいつもうるせぇな」
真っ赤になった折り畳みナイフを、胸ポケットにしまう。
スーツに色が付いてしまったが、まあいい。
俺は再び森の奥へ向かって歩き始める。
静かな場所で、静かに眠るために。