お題《言葉はいらない、ただ…》
青い月の夜には不思議なことが起きる。
夜風が心地いい。
少女は大きなあくびをし、それから本を閉じる。とある先輩にあたる青年から「読んでおけ。明日、本当に覚えてるか確認する」の一言だけを言い残して、どこかへ消えてしまったが。
「今日暑いな―。せっかくだからあそこへ行っちゃおう」
部屋を抜け出し、夜の森へ繰り出す。ランプなどなくても、瞳に魔法をかけているから問題はない。
森の奥深くへたどり着く――その前に羽織っていた外套をすでに脱ぎ捨てて、泉で水浴びしようと飛び出したのはいい、しかしそこにいたのは例の青年だった。
「――お前」
青年は肌を露出した、薄手の衣一枚の少女を見、ため息をつく。
「なんでため息!?」
「いや、男として見られてないんだなって思って」
黒銀の髪が月灯りで輝くその様は、幻想的で綺麗だ。まだ濡れている髪からしたたる雫に、心が大きく音をたてる。
いつもと変わらない口調。それにむっとして、思わず言い返す。
「ヨルなんてぜーんぜん、男に見えないよ!」
「……」
その瞳が燃えていように、見えたのは気のせい――?
でもそれは気のせいじゃなかった。青い泉に引きずり込まれ、二人一緒にずぶ濡れになってしまう。少女が何かを言おうとするより先に、そのまま唇をふさがれてしまった。
青年から香る月華晶の花に酔ってしまいそうになる。ふわふわして、心地よい浮遊に。
青い月の夜の出来事だった。
お題《突然の君の訪問。》
再生をくりかえす、君。
その度俺は君に挨拶をする。
「はじめまして。私はクオリア――あなたの、騎士です」
君に公式の場で、そう挨拶をする。
――もし君が。
「犠牲になりたくない」と言ってくれたのなら、また違った未来があっただろうか。
でもそれは――“君”を否定すること。
だから、君の想いを俺は。
俺だけは、絶対否定したりしない。
夜の帳がおり、星屑が夜空を飾る。文机で書き物をしていたら控えめに扉を叩く音がした。不思議に思いながらも開けてみる。
そこに立っていたのは、紛れもなく君だった。淡い白雪色の長い髪に、寝間着のワンピース。胸には月色の魚のぬいぐるみを抱いている。
「――どうかなされましたか」
「あの、ね。クーアと一緒にねたい」
「……今、なんて?」
思わず素に戻ってしまった瞬間である。――まあ公式の場じゃないからいいか。そう自分に言い聞かせる。こんな発言、“君”からされたら……。
そんな想いなど露知らず、君はもう一度強く、言った。
「クーアとねるの!!」
「――本当に、困る」
君の訪問は俺をかきみだす。
お題《雨に佇む》
雨隠し。
雨に埋もれた町。
雨に包まれた町。
視界が游ぐ。だって、目覚めたら雨の中に佇んでいたのだから。
煌々と落ちてくる雨粒は美しく宝石のよう。空を游ぐ魚たちは、一体どこから来たのだろうか。好奇心で溢れ出してしまいそうな心を押し込めて歩いていると、すうっと誰かが近づいてきて、顔を覗き込まれる。
「――ねぇお兄さん、もしかしてニホンから来たの?」
――足が魚のヒレ……? この子、もしかしなくても人魚姫――。
少女はオレの視線に気づき、楽しそうに言った。
「正真正銘、私はこの雨の町に住む人魚、ゆめかだよ! あのね今日はじめて外に出てきたの――神楽がやっと許してくれたんだ」
「……神楽?」
神楽、と聞いた瞬間――水の音がよみがえる。
深海にさしこむ月灯り。
揺れる。
揺れる。
この記憶は、一体誰の、もの――――?
お題《私の日記帳》
朝カーテンを開けて。
ベランダの植物に水をやって。
それからキッチンに降りて、紅茶を淹れて、パイを焼く。
グラスと皿を磨いてから、愛猫のサーラにごはん。
焼けるまでの間――文庫本を読みながら、熱々の紅茶で、頭を目覚めさせる。
今焼いているのはシュガーバターのアップルパイ。
オーブンから香る匂いに胸をときめかせながら、私は彼を待つ。
もうすぐ帰ってくるのだ、王立天文台から。
今日はゆっくり、朝を過ごそう。
彼の好きなものをいっぱい作って、今日は朝からりんご祭りだ。カゴいっぱいのりんごを見つめながら、夢想する。
――パイが焼けたことを知らせる音。読みかけの文庫本を片手に、私は慌てて席を立つ。
開かれたハーブ色の手帳には、彼の好きな料理レシピをたくさんしたためて。
お題《向かい合わせ》
もう二度と逢うこともない。
呼び出された中央の広場。
花売り、レモネード屋さん、飴屋さん、アイスクリーム屋さん、本屋さん。たくさん並んでいる露店から男は――レモネード、飴、アイスクリームを買って戻ってきた。
「……誰がそんなに食べるの」
「オレとお前に決まってるだろ?」
男の反応に思わず吹き出してしまう。それから広場のベンチに座り無言のまま二人で、アイスクリームを食べる。蒼天のサイダー味と月蜜のバニラ味。食べ慣れた味に、思い出す夢。
――お兄ちゃんのお目々、このアイスみたいだねぇ。
――ほんとだな。じゃあお前はこれだな、月蜜のバニラ。やわらかい感じがそっくりだ。
その日食べたアイスクリームは、今までで一番美味しかった。
淡々とレモネードを飲む。
――このレモネード、青いよ?!
――そういうハーブを使ってんだよ。母さんが確か育てたから、見にくるか?
ハーブ畑を見せてくれた。ハーブで作ったという料理をたくさん、食べたなあ。
それから立ち上がって――お互い向かい合う。
すっと手渡されたのは、色とりどりの飴。
「これやる。――じゃあな、祈ってるよお前の幸せを」
…………ぜんぶ。ぜんぶ、おれの好きな味なんだね。
本当は追いかけたい。
――でも。それはもう、おれの役目じゃないんだ。
口の中、深く溶けていくレモネード味。