お題《神様だけが知っている》
忘れた名。
忘れられた名。
星降る夜歌が流れる。
泡沫に消えゆく命を繋ぎ止める、星祝(せいしゅく)の歌。それは星神様が授けた者しか歌えない、命の歌だと代々この星明(せいめい)の地ではそう伝えられている。
「……目覚められましたか?」
美しい言の葉が舞い降りた。淡くウェーブがかった金と銀が混じり合ったような髪――青い石を纏った白くやわらかな巫女の装いをした少女が、木の椅子に腰掛けこちらを覗き込んでいる。
「……アンタは……」
「エクレシアと申します。お祈りしにいく途中、倒れているところをお連れしました」
「そうか。すまない――」
名乗ろうとした時、言葉となってそれは口に出てこなかった。
忘れた名。
忘れられた名。
「大丈夫です。わたしも――真実の名ではないのですから」
静かに少女の言の葉が溶けていく。
「真実の名、じゃない……?」
夜色の少年が繰り返す、心の水面が波紋を描く。
「星神様はただ力を授けるわけじゃありません。真名、過去も未来も永遠に失う――その代償の証が虚名」
星降る夜歌が流れる。
忘れた名。
忘れられた名。
共鳴する、ふたつの魂。
お題《この道の先に》
微睡む先にある世界が。
どうか、貴女の望む先でありますように。
「……それどうするんですか」
初夏の午後のこと。
山のような雑務を片付け、キッチンに出向いた先でふわりと少女が笑う。
「月雨さんおはようございます! あの食べますか?」
なんだか会話が噛み合ってない気がするのだが、少女はまったく気にした風もない。――おそらく。クッキーらしきものを焼いていて、作りすぎてしまったのだろう。
クッキーらしきものと表現したのは、クッキーと言い切るには少々無理があるっていう、個人の見解ってだけであるが。
「――いただきますよ。それよりソレ片付けてくださいよ?」
「はい! 好きなだけ食べてくださいね」
やれやれと思いながら、自ら調合した茶葉でお茶を淹れる。香り立つ湯気、窓から差し込むやわらかい光、少女の歌――月雨はクッキーらしきものを口に入れ、思わず笑みがこぼれてしまう。
自然にこぼれてしまうのだ、あまりにも幸せで。
皿洗いをしていたはずの少女は、たまたまその瞬間を見たらしくなぜか頬まで染めている。
「月雨さんのそんな顔、はじめてみました……」
「忘れてください」
「いやです。忘れません」
「じゃあ――」
椅子から立ち上がり、貴女の傍までいき――すっと顔を近づける。吐息がかかるほど近く。
「貴女の笑顔と交換です。満足するまで、その色彩を焼きつけさせてください」
――可愛いくて、憎い貴女。
それでも溺れてしまった方が負け。
お題《日差し》
水辺に差し込む日差し。生命の煌めきがあふれた水に触れ、手をゆっくりひたす。
血に濡れた手が清められただけでなく、身体に残る疲労さえも綺麗さっぱり跡形もなく消え去る。少年は驚いたように手をまじまじと見つめ、呟いた。
「あの風の噂は本当だったのか。日輪の泉――あの天に輝く光玉から流れた雫から、生まれた治癒の力を宿したっていう」
烏みたいな格好をした少年は影の任務により血に濡れていくうちに、道中倒れ込んでしまった。
――もうこのままずっと目覚めなければいいと思った。大切な女性を戦で亡くし、“瞳が気に入った”と拾われ夜に沈んでゆく生き方は、いつの間にか心を殺し。
きっと誰も許してくれない。
どんな悲劇も、最後に選択するのは自分なのだから。被害者面なんかしていい理由にはならない――。
でも日輪の声と光に導かれて、ここへたどり着いた。さわさわ揺れる葉擦れの音が心地いい。誰がここへ呼んだのかわからないが、少年は。
「……もう少しだけ生きてみるよ。あともう少しだけ待ってて、僕の大切な君」
藤の君。
もしかして、君がくれた光なのかもしれないから。
だったら生きてみるしかないだろう。
これは、覚悟だ――。
お題《窓越しに見えるのは》
季節のない国で。
死神様がつくってくれたもの。
ゆったりとした深い森色の外套を風に揺らしながら、死神様は色彩の見えない口調で、とあるものを指さす。
そこにあったのは三日月の窓。
「これは月灯りの欠片を集めてつくった魔法の鏡だ。月のあるひとときだけ、どんな風景でも窓に映せる」
「……どうして私に? 私には、死神様に差し出せるものがなにもありません」
「娘よ。お前はオレに、水をくれた。誰もがオレを恐れ避けてゆくのに――価値のあるものを、お前はくれた」
色彩は相変わらず見えないが、それでも少女には見えたような気がした。微かに。
「はい、ありがとうございます。大切にします」
花の咲いたような笑顔を浮かべると、死神様はふわりと頭を撫でた。
その次の夜。
白銀の三日月が世界に淡い光を落とす夜、少女は三日月の窓をつかった。
そこに映し出されたのは、冬に咲くという希望の花。
はじめて死神様が少女にくれた花。
風に揺れる可憐な白い花弁をつけた花の海に、死神様もいたような気がした。――今度はどんな花をくれるのだろう、それだけで少女はどんなに世界が残酷でも生きていけるような、そんな気がするのだ。
季節のない国で。
私は死神様と出逢えた、あなたという大切な季節に。
お題《赤い糸》
想いを丁寧に丁寧に織って結んで――縁に繋げてあげる。
《赤糸(あかし)の織姫》
それが私の持つ異名。部屋を張り巡らせているのは緋色、臙脂、焔などの糸と、眠るように片隅にいる機織り機だ。かれこれ数千年も使っており、今ではすっかり老いてしまった。
それでも、美しい縁を織り上げてくれるから、それで十分なのである。
陽光さす窓にある棚には植物が並んでいる。お礼にと、私宛てに送られてくる物の一部だ。他にも綺麗で美味しそうな菓子や珍しい酒やお茶などもある。
ひとりきりでは食べきれないから、よくあいつを呼ぶ。
「おい、来てやったぞ」
部屋に訪れたのは鮮やかな緋色の髪の男だった。見た目からして強面なのだが、実はこう見えて猫と甘いものに対してはとても可愛いから好きなのだ。
――なんて口がさけても言わないが。
「今回は蜂蜜たっぷりのシロップ漬けのパウンドケーキが届いたのだ。今夜光珈琲を淹れるから、待っててくれ」
「ああサンキュ。そうだこれ」
「? なんだ?」
「お前に似合うと思ってな」
朱く艷やかな椿の髪飾り。
「……お前ってやつは」
自分の縁はままならないけど、私は幸せだ。