結城斗永

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12/3/2025, 3:09:09 AM

※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は実在のものとは一切関係ありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タイトル『サンタさんへのプレゼント』

 十二月も半ばにさしかかった頃、夕食の支度をする私の耳に、いつものお絵かきの音が聞こえてくる。画用紙がクシャッとシワを寄せる音、色鉛筆が紙をこする音。
 案の定、リビングの隅で六歳の息子リクが画用紙を広げて絵を描いていた。その背中がいつもよりも楽しそうで、私はリクに近づいて思わず声をかける。

「リク、何描いてるの?」
 私の声に、リクはびくっと肩を揺らし、全身で画用紙を覆い隠した。
「な、ないしょ!」
 必死すぎて笑ってしまいそうになる。けれど、六歳の小さな体からチラチラと絵の断片が見え隠れするのが、また可愛くてしょうがない。
『サンタさんへ』
 画用紙の端に力強い文字が躍る。そして腕の隙間からは、ちらりと赤い三角帽子らしき絵が見えた。
 ――へぇ、サンタさんへのプレゼントか。

 胸がふわりと温かくなった。
 サンタへのお返しなんて子どもらしい発想だな、と息子の優しさが誇らしくなる。
 でも、気づいちゃったことは黙っておこう。秘密は秘密のままにしておくのが、魔法を長持ちさせるコツだ。
「そっか。じゃあ完成したら教えてね」
「ダメ、教えないったら教えない!」
 リクは小さな背中をまるめ、さらに画用紙に覆いかぶさった。
 そんな姿を見ながら、私は夕飯の支度を続けた。
 ほんの少し前まで何をするにも私に『見て!』とせがんできていたリクが、こうして自分だけの秘密をこしらえるようになったのだと思うと、嬉しいような、寂しいような、不思議な気持ちになる。

 その夜、布団に入るとリクがぽつりと聞いてきた。
「お母さんはサンタさんにプレゼントお願いした?」
「お母さんは大人だからもらえないよ」
 そう答えると、彼はむぅっと唇を尖らせた。
「えぇ、そうなの? でも、もしもらえたら何がほしい?」
 思いもしなかった質問に、しばし思いを巡らせる。
 すこし前までは自分へのご褒美にと時々欲しいものを買ったりもしてたけど、最近は仕事と家事に追われ、そんな事も考える余裕もなかった気がする。
「そうだなぁ」私は少し考えて「お母さんはリクといっぱいお話できる時間がほしいかな――」
「それはプレゼントじゃないよ!」
 リクが無邪気に笑う。確かにサンタにお願いすることではないかな。 

 そして迎えたクリスマスイブ。
 昼間に全力で遊び倒したリクは、布団に入った途端にすやすやと眠った。
「よし……そろそろかな」
 私は用意していたプレゼントを取り出し、そっとリクの枕元へと近づく。するとリクの頭のすぐ近くに、小さなお菓子の空き箱がひとつ置かれていた。見慣れた不器用な文字で『サンタさんへ』と書かれている。
 ――あの時のプレゼントだ。
 私は思わず微笑んで、箱をそっと持ち上げる。箱を軽く振ると、中でカタカタと音が鳴る。
 箱を開けて中で折りたたまれていた画用紙を開く。色鉛筆で描かれた『サンタさんへ』の文字と、サンタクロースの絵。そして――。
 笑顔で並ぶ親子の絵が描かれていた。
 思わず胸が熱くなる。
『らいねんは おかあさんにも
 プレゼントを あげてください』
 すぐ下に書かれた震えるような文字に、息が止まりそうになった。こんな優しいお願いがあるだろうか。
 自分のプレゼントより、私のことを気にしてくれたのだと思うと、一気に視界がにじんだ。
 ふとお菓子箱の隅に黄色く光るものを見つける。折り紙の星。中心に小さな文字で――
『おかあさんのほし』
 思わず声が出そうになって、慌ててプレゼントを枕元に置くと、画用紙とお菓子箱を持って部屋を後にした。
 その夜はリビングでリクの絵を眺めながら、温かい涙が優しく流れていた。腫らした目を擦って筆を執った時には、すでに空が明るくなり始めていた。

 翌朝。リクは目を覚ますなりサンタからのプレゼントを抱えて跳ね回り、すぐに箱が空になっていることにも気づいたらしい。
「サンタさん、ぼくの描いた絵、ちゃんと見てくれた!」
「よかったね」
 私はリクの笑顔を見ながら、エプロンのポケットを探る。昨日受け取った折り紙の星の感触を確かめながら、リクに宛てた手紙を取り出す。
「リク、サンタさんからお手紙が来てたわよ」
 手紙を受け取ったリクの目がキラキラと輝く。
『リクくんへ
 とてもやさしいプレゼントをありがとう
 このほしはきっとおかあさんがよろこぶから
 おかあさんにプレゼントするね
 これからもたのしいことやうれしいことを
 おかあさんにたくさんはなしてあげるんだよ
             サンタより』
 手紙を読んだリクがピョンピョンと飛び跳ねながら嬉しそうにしているのを見て、またぐっと胸が熱くなる。

 澄みきった冬の朝に、シャンシャンと鈴の音が響いた気がした。まるでどこかで本物のサンタクロースが、私たちを優しく見守ってくれているかのように。

#贈り物の中身

12/2/2025, 9:38:07 AM

※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は実在のものとは一切関係ありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タイトル『オリオンの背中』

あの空で輝くこいぬ座は、オリオンの背中を見ながら何を思っていたんだろう。そして、おおいぬ座はどちらを見ているんだろうか。
雪山にあるコテージの軒先で、俺は吹雪にかき消されていく夜空の大三角を見上げながら物思いに耽っていた。

コテージの中に戻ると、後輩の小野(おの)が机に向かい訓練レポートをまとめていた。
「成瀬(なるせ)先輩、お疲れ様です!」
「今夜いっぱい吹雪きそうだな……」
ぼそりと呟いた俺の声を、小野が拾う。
「明日の訓練、どうなりますかね」
山岳救助訓練合宿の二日目。俺には小野の焦りが手に取るように分かった。小野の視線の先にはいつも折田(おりた)先輩の姿がある。
「先輩、どうしたら折田先輩みたいになれますか」
あまりに無邪気で悪意のない質問に、俺は行き場のない憤りをぐっと押し殺す。
「お前、いきなり高い山に登ろうとしてるな――」
口から出た言葉の冷たさに自分でもハッとする。
「無謀……ですかね」
小野が頭を掻きながら笑う。
折田先輩は多くの隊員から尊敬を集めていた。俺も先輩の背中を追い続けて五年が経つが、未だに小野と同じ場所から抜け出せないでいる。
「俺たちがすべきは後方支援だ――」
その言葉に少しの皮肉もなかったと言えば嘘になる。

「成瀬、小野。救護要請だ。まずは状況を整理するぞ」
覇気のある声がコテージに響いた。先輩が奥の部屋から現れ、机の上に地図を広げる。
「山頂付近のロッヂで登山者が立ち往生してるらしい。俺と成瀬は先行隊として、救護班が来るまでの間、彼らの保護にあたる。小野はここに待機して救護班からの連絡に備えてくれ」
経験値の浅い小野を現場に連れて行くのはリスクが高い。賢明な判断だった。
「……はい。分かりました」
短く答える小野の顔にしゅんと影が落ちた。

小野をコテージに残し、俺と先輩はロッヂに向けて歩き出した。雪山を進むほどに、吹雪はより一段と勢いを増す。
先輩の橙色の救護服が、白に覆われた世界で唯一の道標だった。その先に間違いはないという安心感と、見失った時の恐怖が交互に頭をよぎる。
「急ぐぞ。風が強まってきた」
先輩の声にも緊張が交じる。積もる雪に足を取られながら一歩ずつ確実に、向かい風の中を突き進む。

吹雪く夜空に星は見られなかった。見る余裕などないというのが正しいのかもしれない。
吹雪の前、夜空に光る冬の大三角の中で、俺はおおいぬ座の星に自分自身を重ねていた。
川を越えられない仔犬を置き去りにしたオリオンの気持ちもよく分かる。そして、オリオンの背中を見つめる仔犬の気もちも――。
――俺自身はどちらを向いていけばいいんだろうか。

「成瀬、小屋が見えてきたぞ」
先輩の声で我に返る。吹き荒ぶ雪の向こうに薄灰色のロッヂがぼんやりと浮かぶ。
俺はコテージで待機している小野に無線を入れた。
「避難小屋に到着した。そちらの状況は?」
『救護班、三十分で到着するそうです』
淡々としたやり取りの中で、小野の口調に戸惑いは見えなかった。

避難小屋にたどり着くと、中では二人の登山者が縮こまり、ほとんど動けない様子だった。
「俺は周辺の状況を確認する。成瀬は二人の救護に当たってくれ」
先輩の指示で、風を避けられる位置へ二人を寄せ、毛布で暖を確保する。
救護班の到着を待つ間、俺は登山者のそばに寄り添い、二人の意識状態を観察しながら、時折声を掛ける。
小屋の薄暗がりの中で、登山者の呼吸音が浅く響く。
程なくしてやってきた救護隊に状態を引き継ぎ、俺たちは小屋へ戻る道を歩き始めた。吹雪は少し弱まり、空には澄んだ星空が戻りかけていた。

「先輩、お疲れ様です!」
コテージに戻った俺たちを小野は大げさな敬礼で迎えた。
「いまコーヒー淹れますね」
俺たちが返事をする前に、小野はそそくさとキッチンに消えた。
「どうしたんだ、あいつ?」
先輩が俺に尋ねるが、当然心当たりはなく、「さぁ」と首を傾げるしかなかった。
その後、先輩は休んでくると言い残して、奥の部屋へと消えた。

しばらくして小野が先輩の部屋にコーヒーを届けたあとで俺の方へとやってくる。
「先輩、どうぞ」
差し出されたコーヒーカップを受け取る。
「やけに気が利くな……」
敢えて冗談っぽく言葉をかけると、小野はふっと笑みを見せた。
「後方支援、ですから――。先輩が言ったんですよ」
そういう小野は仔犬のように純真な目をしていた。
「俺、まずは成瀬先輩を目指します」
「まずってなんだよ……」
思わず突っ込んだが、自分の口角が上がってるのが分かって少し恥ずかしくなる。

コテージの外に出ると、吹雪はすっかり収まっていた。
夜空にはオリオンと二匹の犬が大きな三角形を描いていた。互いに近からず遠からず、あるべき場所に留まりながら、強く深く結びついていた。

#凍てつく星空

12/1/2025, 4:39:08 AM

書き始めたら、とても長いストーリーになってしまったので、前後編に分けて一挙に投稿します。
かなり長いですが、よかったら最後までどうぞ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タイトル【風織人のタクト(前編)】

 風は多くを語らない。風はそれぞれに『なりたい形』をもっているが、自然に身を任せることしかできない彼らは、風織人の力を必要としていた。

 風織人の少年タクトは、街の入口で近づいてくる小さな竜巻に手を伸ばした。
 竜巻がほどけて糸になっていく様を思い浮かべる。くっきりとしたイメージが頭の中に描かれていく。
 それなのに、近づいてくる風は全くその姿を変えず、タクトの横をただぐるぐると回っている。
「糸になって、お願い!」
 タクトは両手を広げ、竜巻を食い止めようとするが、風はざわめき、指先の間で暴れるばかり。
 竜巻はタクトの形を拒み、辺りの空気を裂くように街に向かって突進した。
「待って!行かないで……!」
 そのとき、タクトの背後から父の静かな声が響いた。
「タクト、下がっていろ」
 父は竜巻に手をかざし、ひらりと腕を翻す。
「いま止めてやるからな――」
 父が告げると、竜巻は父の指の動きに合わせ、筋をほどかれるように、なめらかに広がっていく。そして薄い布のようにふわりと地面に落ちて静かに流れていった。
 その様子はまるで、風の絨毯のようだった。

 タクトはただただその光景に息をのむしかなかった。
 父は優しくも鋭い目でタクトを見る。
「タクト。お前にはまだ風の『なりたい形』が見えていない。風は決して人間を傷つけたいわけではないのだ。風の形を見定められるようになりなさい」
 タクトには去っていく父親の背中がとても大きく見えた。

 街の外れにある解体予定の廃駅で、タクトはひとり膝を抱えでうなだれていた。父親の言葉を頭の中で何度繰り返しても、一向にはっきりした形を結んでくれない。
「ねぇ……教えてよ。君たちは、本当はどんな形になりたいの……?」
 思わず漏れた声はどこに届くでもなく、虚空に消えていく。

 ――助けて……。

 ふと、風の泣き声が、タクトの耳元を小刻みに震えながら通り過ぎていく。風があんなふうに震えるのを、タクトは初めて感じた。

 泣き声の出どころはホームの下にある通気穴だった。線路に降り、壁にある小さな穴を覗き込む。
 真っ暗な穴の奥に、小さな石ころが挟まっているようだ。風の泣き声は石ころの向こうから聞こえてくる。
「通れないの?」
 声をかけると、風の声はまた小さく震え、小石の隙間から冷たい風が細い音を立てる。タクトはなんとなく、この風が怯えているのを悟った。

「大丈夫。僕は傷つけないよ」
 タクトはそっと通気穴を塞ぐ小石を取り除いた。
 石が外れた瞬間、小さな風はふわりと流れ出て、タクトの前でぼんやりと人の形をまとった。
「……ありがとう。ボクは……ソラ。君は本当に人間なの?」
 ソラは怯えた様子でタクトを見上げる。
「パパが人間は怖いって。人間は風の通り道を塞ぐから……」
 ソラが小さな手を伸ばし、ホームの片隅に置かれた『地下埋め立て工事』の看板を指し示す。
「パパを……助けて」
「うん、分かった!」タクトは迷わず言った。「その代わり、君の『なりたい形』を僕に教えて」
 ソラは少し考えて、小さく揺れた。
「ボクに……ついてきて」

 廃駅の階段を降りていくと、辺りの空気は淀み、さらにずんと重たくなった。ソラは人の形を保てず、その輪郭は道を進むほどに綿のように丸くなっていく。
「ボク、……ここにくると、力が抜けちゃうんだ……」
 開けた場所に出ると、ソラはとうとう動かなくなってしまった。
「どうすれば動けるの?」
 タクトが尋ねると、ソラは丸いふわふわの体から小さく指を差し出す。小さな木の扉を指し示す。
「あの鍵穴を通りたい……」
「わかった、やってみる!」
 タクトは手を伸ばし、ソラの体に触れた。
 すると、ソラはタクトを拒むことなく、綿のような体が指の間を抜けて糸のように細く紡がれていく。
「すごい……、こんなの初めてだ」
 タクトは驚きながら、小さな喜びをこぼした。
 糸になったソラは小さな鍵穴に吸い込まれるように流れていく。
 ――ガチャリ。
 鍵の開く音がして、木の扉がギィと軋んだ音を立てた。
「タクト、早く。パパが待っている」
扉の隙間から、冷たさの中にほのかな温かさを含む、強い風が流れ出てきた。
タクトは迷いなく、扉に手をかけた。

  #君と紡ぐ物語
  #風織人のタクト #前編

タイトル【風織人のタクト(後編)】

 タクトは糸のように流れていくソラの後を追い、やがて​切り立った谷にたどり着いた。
「パパはあの先にいる」
 ソラは谷の向こう側に見える石の扉を指し示す。
 眼下にはるか遠く見える谷の底は深い闇に覆われている。ソラが谷を通り抜けようとすると、その細く軽い体は闇に負けるように舞い上がって散ってしまう。
「ボクがもっと大きければ、谷に散らずに向こう側まで行けるのに……」
「君は――布になりたいんだね!」
 タクトは迷わなかった。タクトの頭には、ソラの『なりたい形』がありありと想像できた。
 ソラの細い体を指の間に通し、広がりを支えられるよう大きく編んでいく。やがてソラは大きな布へと姿を変えた。
「タクト、一緒に行こう」
 空が差し伸べた手を取って、タクトはソラの体に飛び乗った。タクトの体がふわりと谷の上に舞う。

 谷の間を抜けながら、タクトはソラに話しかける。
「僕、ソラがどうなりたいか分かってきたよ」
「ボクもタクトになら体を預けられるよ」
 谷を越えたソラはタクトを降ろすと、スルスルとその指の間に滑り込んで、タクトの体を纏うように服へと姿を変えた。
「これでいつでも一緒だよ」
 ソラは嬉しそうに笑った。

 石の扉を抜けた先には、穴を塞ぐようにコンクリートの壁と、『立入禁止』と書かれた鉄の扉が立ち塞がっていた。
「……ソラか……?」
 壁の向こうから小さく野太い声が響いた。
「パパ、助けに来たよ!」
 ソラが叫ぶとタクトの体も大きく揺れた。
「でも……、この扉は固そうだし、鍵穴もないみたい」
 ソラは出会った時のように震えていた。自分のなりたい形が分からずに怯えているようだった。
 タクトは目を閉じ、耳をそばだてる。

 ――手を貸しましょう。

 淡い声が聞こえた。谷から流れてきた風だった。その声はどんどんと数を増し、タクトの周りに溢れ始める。ソラもその声に気づき、大きく身を震わせた。これまでとは違う、温かい震え。

 タクトは風の声にそっと手を伸ばした。
 谷の風が指の間に入り込んでくる。細い糸の風が幾重にも折り重なり、強く太い綱に変わり、再びタクトの指をすり抜けながら、タクトの体よりも大きな手袋の形に編まれていく。
「タクト、すごいよ……」
 ソラがタクトの体をするりと離れ、風の流れに加わった。太い綱の一筋となって、手袋の中に編み込まれていく。

「ありがとう、みんな――」
 手袋の中からソラの声が響いた。
「お安い御用だ」
「助けたくてウズウズしていたぞ」
「ソラが連れて来る人間なら安心だ」
 風で編まれた手袋は、大きく広げられた手のひらでコンクリートの壁をグイグイと押していく。その度にソラの父を助けたいという風の声が、タクトの耳に流れ込んでくる。
「あともうちょっと。せーので押すんだ!」
 ソラの声で、手袋の輪郭がはっきりと浮かび上がる。
「せーの!」
 勢いよく壁を打ち付けると、ピシピシ――と壁に亀裂が走った。タクトは思わず拳を握る。

 その時――、風の手袋がグンッと大きく揺れた。指が握り込まれ、タクトの握った拳のように形を変える。
「僕の……形……」
 タクトはより強く拳を握りしめ、大きく振り被った。
「いけぇぇぇ!」
 風の拳が壁に向かって打ち付けられる。亀裂は大きく壁を裂き、瓦礫が吹き飛んだ。崩れた壁の奥に続く洞窟の奥から強く澄んだ風が流れ出る。
「パパ!」
 ソラが手袋からするりと抜けると、風の塊はふわりとほどけ、ザワザワと喝采に似た音を立てながら自然の中に散っていった。
「ソラ、よくやったな」
 ソラの父が優雅に舞いながら声を響かせた。ソラがタクトに身を寄せ、風を揺らす。
「タクトのおかげだよ」
「風織人か。いい友を見つけたな」
 ソラは父の言葉で恥ずかしそうに笑う。頬を撫でる風がくすぐったくて、タクトも一緒に笑った。

 それからというもの、タクトのそばにはいつもソラの姿があった。風の噂でタクトの功績が広まり、街には多くの迷った風がやってくるようになる。ソラは風の声をタクトに伝え、タクトが風を助けるたび、風もまたタクトを育てていった。
 そんなタクトとソラの姿を、二人の父親の背中が優しく静かに見つめていた。

  #君と紡ぐ物語
  #風織人のタクト #後編

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇

11/30/2025, 2:58:20 AM

※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は実在のものとは一切関係ありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タイトル『響きは遠く薄く』

 私は机に置かれた絵本をリュックに詰めながら、慌ただしく出勤の準備をしていた。
 時間が迫る中、キッチンに立つ母の背中にわずかな違和感を覚える。いつもなら聞こえる鼻歌がなく、包丁の音だけが響いている。
「お母さん、何かあった?」
 振り返った母が「どうして?」と首を傾げる。
「いや、やけに静かだなと思って……」
「寝不足かな……」
 笑顔を見せる母がすこし小さく見えた。
「あまり無理しないでよ」
 声をかけて家を出たものの、胸の奥に小さなざわつきが残った。

 穏やかな土曜日の朝。職場である市立図書館までのバスに揺られながら、リュックから絵本を取り出す。
 トルストイ『七つの星』。日照りの続くロシアの村で、病気の母のために水を探す少女のお話。
 毎週土曜日の読み聞かせ。今日は私がその当番だった。スタッフの持ち回りなので頻度はさほど多くないが、これが意外と緊張するのだ。
 
 ルーティン業務をこなしているうちに、あっという間に読み聞かせの時間がやってくる。
「頑張らなくてもいいけど、頑張ってね」
 先輩からのエールに思わず吹き出しながら、絵本を抱えてキッズスペースに向かう。
 私がスツールに腰かけると、自然と子どもたちが集まってきた。期待に満ちた眼差しにまた緊張が増す。
「この星座、知ってる人!」
 私は本の表紙に描かれた絵を見せながら子どもたちに問いかける。数名の子どもが「知ってる!」「ホクトシチセイ!」と手を挙げる。

「むかしむかし、ロシアの小さな村で――」
 声を整えながら読み始める。
「病気のお母さんのために、ターニャは柄杓をもって水を探しに行きました」
 ――お母さん、大丈夫かな……。 
 ふと今朝の母の背中が頭をよぎった。

 一年中夜空を照らす北斗七星のように、私にとっての母の姿は常に輝いて見えた。
 私が幼い頃、父と離婚してからも、家事も仕事も両立し、それでもずっと笑顔を絶やさない母。
 図書館勤務も意外と体力を使う仕事だけど、一日働いてヘロヘロになっている私からすれば、どこにそんな体力があるんだろうといつも不思議に思う。 
 私はここまでどれだけの恩を受けて生きてきたんだろう。そして、その大きな愛をこの先どうやって返していけるだろう。

 絵本の上の文字を目で追いながら、言葉が口から流れていく。練習のために何度も読み返した本の内容が、薄っぺらい空気になって漂っていく。
 気づくと、最前に座る女の子が心配そうな表情でこちらを見つめていた。手遊びを始める子、キョロキョロ辺りを見渡す子。何となく辺りが落ち着かない。

 ――いけない、集中しなきゃ。
 私は一度呼吸を整えて、絵本の内容に意識を向ける。
「ターニャがお母さんから水を受け取ると、柄杓は金色に変わりました――」
 幼い頃、母が読み聞かせしてくれた時のように、優しく温かい口調を心がけて、一つ一つの言葉に想いを乗せる。すると、子どもたちの表情も少し柔らいだように見えた。

 ――はぁ、全然集中できてなかったな……。
 読み聞かせを終えた私の肩を先輩がポンと叩く。
「緊張してたみたいね。前半ロボットだったよ」
 先輩がおどけてカクカクとロボットのマネをする。
「――でも、後半は良かった」
 笑って励ましてくれる先輩の声に、胸の蟠りが少しだけほぐれた。

 家に帰ると、母が鼻歌を口ずさみながら夕食の支度をしていた。
「ただいま。なんか機嫌いいじゃん」
 私がそう言うと、母は笑顔で振り返る。
「病院行ってきたのよ。更年期障害だって」
「なんでそんな嬉しそうなのよ」
 言葉と表情が噛み合わない母に思わず突っ込むと、母はエプロンで手をぬぐってスマホの画面を見せつけてくる。そこには母と白衣の男性医師が並んで写っていた。
「婦人科の先生、超イケメンだった」
「なにそれ」
 言われてみればどことなく母が好きな歌手に似ている。乙女のような母の顔を見て、私は思わず吹き出す。
「手伝うよ」
 私は母が盛り付けた夕食をテーブルに運ぶ。
 楽しそうに鼻歌を口ずさむ母の姿を見ながらホッとする。
 
「お母さん。今度お給料入ったらご飯行こうよ」
 夕食を食べながら母に声をかける。
「貯金しなさい」優しい口調で小さく笑う。「――まぁ、行くなら駅前のイタリアンがいいわ」
 食卓に二人分の笑みがこぼれる。心の奥で、金色の柄杓が水に満たされていく。
 この母の笑顔をこれからもずっと見ていたい――そう思った。小さくてもいい。母のために恩返しできることを探してみよう。
 冬の透き通る夜空には、今日もいつもと変わらない北斗七星が遠く薄く光っている。

#失われた響き

11/28/2025, 6:21:23 PM

一日遅れですが、11/27お題『心の深呼吸』の掌編小説です。
本日のお題『霜降る朝』は別途改めてnoteに投稿します。
https://note.com/yuuki_toe

※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タイトル『十七音の深呼吸』

久々の休日、掃除の途中で押し入れの奥に小学校の授業で書いた川柳の短冊を見つけた。
 『息吸って 吐いたら見えた 青い空』
サインペンで書かれた幼い文字に懐かしさを覚える。
――そう言えば、最近深呼吸なんてしてないかも。
そう思って深く息を吸ったら、数字とにらめっこのデスクワークで凝り固まった僧帽筋が小さく悲鳴を上げた。
仰け反った体で、ふとテーブルに目をやると、チラシの束に『川柳教室』の文字。なんだか運命を感じて思わず手に取る。講義は第二、第四の日曜日で、一回九十分の全四回。仕事の休みと重なるし、無理せず通えそうな頻度。私はすぐに受講の申請をした。

数日後、私は川柳教室の会場である公民館の団欒室にいた。円形に並べられたパイプ椅子には、私のほかに十名ほどの受講者がおり、三十歳の私がどうやら最年少のようだった。
「みなさん、こんにちは」
先生が全員に向けて明るい声で挨拶を始める。歳は四十代後半くらいだろうか。背筋がピンと伸びた、はつらつとした女性だった。
「では、ひとまず深呼吸から始めましょうか」
先生に促されて深呼吸をする。吸って、止めて、吐く。何度か繰り返すうちに、心なしか肩の力が抜け、気持ちが軽くなっていく気がする。
「川柳には『気づき』が大切です。視野を広げるために、心には余裕をつくっておきましょう」

簡単な講義の説明を受けたあと、私たちは公民館近くの商店街を散策しながら川柳の種を探すことになった。
「普段何気なく見ている景色にも、たくさんの『気づき』が隠れています」
先生の言葉を聞きながら、メモ帳とペンを手に商店街の裏路地を歩く。
「五感をフルに使って、注意深く景色を観察してみましょう」

商店街を歩く途中、どこからか香ばしい匂いが漂ってくる。視界にパン屋の裏で排気口から蒸気が立ち上っているのが見えた。
「いい匂い――」
私が思わずつぶやいた横で、先生が微笑む。
「これも気づきですよ」
「なるほど……」
こんな小さなことでいいのか。言われてみれば、感じることはあってもすぐに通り過ぎてしまいそうな些細なことだった。
『路地裏 パン屋 湯気 甘い香り』
メモ帳に短くメモを取る。

そんな調子で商店街を歩きながら様々なことをメモ帳に書き留めていく。他の受講者とも話をしながら、終始笑顔のたえない散策が続く。
側溝に咲いていた小さな花や、居眠りしてる八百屋のおばちゃんの傍ら、段ボールの上であくびをする猫。
この商店街にはこれまでも度々足を運んでいたはずなのに、今まで気にも留めなかった光景であふれていた。
メモ帳にひとつ言葉が増えるたび、胸の中に小さな幸せを見つけたような喜びが湧いてくる。
三十分ほど散策をした頃には、メモ帳にかなりの量の言『気づき』が集まった。

公民館に戻り、パイプ椅子に腰を下ろした瞬間、思わず「ふぅ」と息が漏れた。
「こんなに歩いたのは久しぶりです」
私が足を擦りながら先生を見ると、彼女は顔色ひとつ変えず「川柳は運動不足の解消にもなるのよ」と冗談めかして笑った。

「川柳の種はたくさん見つかりましたか?」
先生の声に続いて、パイプ椅子の輪の中に、様々な気づきが放たれていく。模型屋に並ぶ懐かしいプラモデル、遠くに見えた建設中の高層ビル、変わった店の名前。
光景が語られるたびに、受講者から感嘆や共感の声が漏れた。
いつしか教室の中は和気あいあいとした雰囲気に包まれ、笑顔であふれていた。

講義の最後、先生が優しく言葉を投げかける。
「川柳を詠む過程は、深呼吸と似ています」
吸って、止めて、吐く。講義のはじめにみんなで行った深呼吸のリズムを思い浮かべる。
「息を吐く前に少し止める時間が大切なように、景色を感じ取ってそれを歌にする前に、いったん心に留めてみて。次回の講義までに、今日見た景色の何に惹かれたのかを掘り下げてみてくださいね」

――何に惹かれたのか……か……。

帰り道、私はメモ帳を読み返しながら、ひとつひとつの言葉について考えを巡らせてみた。
――パン屋の甘い香りに心が満たされた感覚。
――側溝に咲く花の健気な姿を応援したくなった。
――あくびをしてた猫は私の願望なのかな。
考えるほどに、自分も知らなかった内面が見えてくる気がした。立ち止まって一度大きく深呼吸をしてみる。
秋の終わりの澄んだ空気が体に染み入ってくる。
 『深呼吸 吸い込む空は こころ色』
そんな歌がふっと頭に浮かんできた。
次の講義までの時間が楽しみになってくる。
私は、帰り道の小さな発見もメモ帳に残しながら、いつもより長い時間をかけて家路を歩いていった。

#心の深呼吸

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