結城斗永

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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は実在のものとは一切関係ありません。
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タイトル『オリオンの背中』

あの空で輝くこいぬ座は、オリオンの背中を見ながら何を思っていたんだろう。そして、おおいぬ座はどちらを見ているんだろうか。
雪山にあるコテージの軒先で、俺は吹雪にかき消されていく夜空の大三角を見上げながら物思いに耽っていた。

コテージの中に戻ると、後輩の小野(おの)が机に向かい訓練レポートをまとめていた。
「成瀬(なるせ)先輩、お疲れ様です!」
「今夜いっぱい吹雪きそうだな……」
ぼそりと呟いた俺の声を、小野が拾う。
「明日の訓練、どうなりますかね」
山岳救助訓練合宿の二日目。俺には小野の焦りが手に取るように分かった。小野の視線の先にはいつも折田(おりた)先輩の姿がある。
「先輩、どうしたら折田先輩みたいになれますか」
あまりに無邪気で悪意のない質問に、俺は行き場のない憤りをぐっと押し殺す。
「お前、いきなり高い山に登ろうとしてるな――」
口から出た言葉の冷たさに自分でもハッとする。
「無謀……ですかね」
小野が頭を掻きながら笑う。
折田先輩は多くの隊員から尊敬を集めていた。俺も先輩の背中を追い続けて五年が経つが、未だに小野と同じ場所から抜け出せないでいる。
「俺たちがすべきは後方支援だ――」
その言葉に少しの皮肉もなかったと言えば嘘になる。

「成瀬、小野。救護要請だ。まずは状況を整理するぞ」
覇気のある声がコテージに響いた。先輩が奥の部屋から現れ、机の上に地図を広げる。
「山頂付近のロッヂで登山者が立ち往生してるらしい。俺と成瀬は先行隊として、救護班が来るまでの間、彼らの保護にあたる。小野はここに待機して救護班からの連絡に備えてくれ」
経験値の浅い小野を現場に連れて行くのはリスクが高い。賢明な判断だった。
「……はい。分かりました」
短く答える小野の顔にしゅんと影が落ちた。

小野をコテージに残し、俺と先輩はロッヂに向けて歩き出した。雪山を進むほどに、吹雪はより一段と勢いを増す。
先輩の橙色の救護服が、白に覆われた世界で唯一の道標だった。その先に間違いはないという安心感と、見失った時の恐怖が交互に頭をよぎる。
「急ぐぞ。風が強まってきた」
先輩の声にも緊張が交じる。積もる雪に足を取られながら一歩ずつ確実に、向かい風の中を突き進む。

吹雪く夜空に星は見られなかった。見る余裕などないというのが正しいのかもしれない。
吹雪の前、夜空に光る冬の大三角の中で、俺はおおいぬ座の星に自分自身を重ねていた。
川を越えられない仔犬を置き去りにしたオリオンの気持ちもよく分かる。そして、オリオンの背中を見つめる仔犬の気もちも――。
――俺自身はどちらを向いていけばいいんだろうか。

「成瀬、小屋が見えてきたぞ」
先輩の声で我に返る。吹き荒ぶ雪の向こうに薄灰色のロッヂがぼんやりと浮かぶ。
俺はコテージで待機している小野に無線を入れた。
「避難小屋に到着した。そちらの状況は?」
『救護班、三十分で到着するそうです』
淡々としたやり取りの中で、小野の口調に戸惑いは見えなかった。

避難小屋にたどり着くと、中では二人の登山者が縮こまり、ほとんど動けない様子だった。
「俺は周辺の状況を確認する。成瀬は二人の救護に当たってくれ」
先輩の指示で、風を避けられる位置へ二人を寄せ、毛布で暖を確保する。
救護班の到着を待つ間、俺は登山者のそばに寄り添い、二人の意識状態を観察しながら、時折声を掛ける。
小屋の薄暗がりの中で、登山者の呼吸音が浅く響く。
程なくしてやってきた救護隊に状態を引き継ぎ、俺たちは小屋へ戻る道を歩き始めた。吹雪は少し弱まり、空には澄んだ星空が戻りかけていた。

「先輩、お疲れ様です!」
コテージに戻った俺たちを小野は大げさな敬礼で迎えた。
「いまコーヒー淹れますね」
俺たちが返事をする前に、小野はそそくさとキッチンに消えた。
「どうしたんだ、あいつ?」
先輩が俺に尋ねるが、当然心当たりはなく、「さぁ」と首を傾げるしかなかった。
その後、先輩は休んでくると言い残して、奥の部屋へと消えた。

しばらくして小野が先輩の部屋にコーヒーを届けたあとで俺の方へとやってくる。
「先輩、どうぞ」
差し出されたコーヒーカップを受け取る。
「やけに気が利くな……」
敢えて冗談っぽく言葉をかけると、小野はふっと笑みを見せた。
「後方支援、ですから――。先輩が言ったんですよ」
そういう小野は仔犬のように純真な目をしていた。
「俺、まずは成瀬先輩を目指します」
「まずってなんだよ……」
思わず突っ込んだが、自分の口角が上がってるのが分かって少し恥ずかしくなる。

コテージの外に出ると、吹雪はすっかり収まっていた。
夜空にはオリオンと二匹の犬が大きな三角形を描いていた。互いに近からず遠からず、あるべき場所に留まりながら、強く深く結びついていた。

#凍てつく星空

12/2/2025, 9:38:07 AM