視界の前方に下がる『異世界線交流会』の垂れ幕。
会場となった小ホールには、すでに多くの『俺』が集まっていた。
服装や髪色は様々だが、ここにいるのは全員紛れもなく『俺』だった。
「本日はお日柄もよく、秋らしい心地に包まれました――」
垂れ幕の下で声を張り上げる司会者の『俺』の話は、誰もまともに聞いていなかった。
いくつかの小さな『俺』たちのかたまりが、各々に談笑しているのが目に入る。
ここにいるのは、俺がこれまで避けてきた『選択』を恐れなかった『俺』たちだった。
ひとつのことに打ち込み続けた俺、積極的に他者と繋がろうとした俺、夢を持ち、諦めなかった俺……。
見れば見るほど、彼らは俺よりも『いい人生』を送っているように見えた。
少なくとも、三十代半ばにして仕事もせず、目的もなく生きている俺よりは輝いて見える。
なんだかとても場違いな場所に来てしまったような気がして気が引ける。
とりあえず一番手近なテーブルに身を寄せると、すぐに横から声がする。
「みんな、それぞれに夢を叶えていて羨ましいですよね」
そこにいたのは、飾り気のないシンプルな格好をした俺だった。聞けば、大学卒業とともに結婚し、現在は家で専業主夫をしている二児の父親だという。
結婚して子育てもしているというだけで、それでも俺には夢をかなえているように見えたが、彼にとってみれば社会に出て自分の夢に向かっている彼らの芝生が青く見えるのだろう。
「はじめまして」
会場の雰囲気に馴染めずにいた俺に声をかけてきたのは、上下ビシッとしたスーツに身を包んだ清潔感のある『俺』だった。
差し出された名刺の名前に、冠のように乗っかった『営業部第一営業課課長』の文字に俺は委縮する。
紛れもなく社会の荒波を生きてきた俺だ。
「すみません、名刺なんて持ってなくて……」
頭を下げる俺に、彼は爽やかな笑顔で返す。
一言二言話したところで彼のスマホが震え、申し訳なさそうに電話に出た彼は、ぺこぺこと虚空に頭を下げながらそそくさと去っていく。今まさに社会の荒波に揉まれている俺だ。
「せっかくなんだから、みんなと話をしてみたらどうです?」
会場の隅で縮こまるように腰掛けていた俺に、一人の『俺』が声をかけてきた。ラフな服装の節々に丁寧な暮らしが滲む真面目そうな風貌をしていた。
「自信をもって話せることなんて何もなくて……」
伏し目がちに答えた俺に、彼は静かに告げる。
「自分の人生に自信を持ってる人なんて、案外少ないんじゃないかな」
俺はその言葉に、思わず彼の視線を追った。会場で談笑する『俺』たちを見つめる彼が言葉を続ける。
「みんな、傍からは輝いて見えるけど、内心どこかで苦労を抱えている。どんな未来を選択したとしても、そこには悲喜交々あるものだよ」
彼の口調は落ち着いていて優しかった。俺は何も返せず俯く。彼は俺の膝に言葉を置くように続ける。
「キミは、他のキミよりちょっと慎重すぎる世界線にいるのかもね」
慎重すぎる――それは優しすぎる言い換えだった。
「ただ、選択すること――それ自体を恐れる必要はないんだ。人間は所詮、選ぶことでしか未来を作れないし、選んだ先でしか生きられない。まずは小さな一歩からだよ」
彼の言葉が胸に一滴を落とすように深く染み入っていく。
「三十七番でお待ちの方~、いらっしゃいませんか?」
手元の札と同じ番号が呼ばれて顔を上げる。
ハローワークの待合室。待っている間に眠ってしまっていたようだ。
――選ぶことでしか未来は作れない。
あれは夢だったのかは分からないが、その言葉を胸にカウンターへの一歩を踏み出した俺の心からは、僅かに不安が薄れていた。
#パラレルワールド
「来ないで!」
煌びやかな王宮の舞踏会場、私は大きな窓から垂れ下がるカーテンで腰から下を隠しながら、大声を張り上げていた。
目の前では、若くて気品にあふれた王子様がこちらを心配そうに眺めている。彼の目には、私の姿がさぞ滑稽に映っているに違いない……。
私がこんな状況になっているのも、全部あの魔法使いのせいだ。
『魔法の効力は、時計の針が重なる午前零時まで』
彼女は確かにそう言った。でも、定刻まであと五分を残して、私の足元のガラスの靴は、ゴムサンダルへと戻り始めた。それどころか、華やかなドレスも、足元の方から徐々に元の姿へと戻ってきていた。
――あぁ、王子様。街であなたを一目見たときから、今日のこの日を夢見ていたと言うのに。
つい先程まで、私は自分自身が単なる灰かぶりであることを忘れていた。魔法が与えてくれたこの美貌で、皆から羨望を集めながら、王子様とフロアを沸かせていた私の姿が今や恥ずかしさとなって押し寄せる。。
一刻も早く私はこのお城を去らなければならない。あと五分で晒されてしまう私の醜い姿で、ここにいる全員が失望する前に。何より、そんな視線に耐えかねて、自分が潰れてしまわないように。
私がこんなにも焦るのにはもうひとつ理由がある。魔法が完全に解けたあとに現れるのは、齢五十を過ぎた、上下ステテコ姿にゴムサンダルのオッサンだからだ。頭ははげ散らかし、顔面もシミ、シワ、ヒゲに覆われた惨めなオッサン。
街なかで見かけた王子様。懐かしいあの若い頃の記憶。
これでも昔はそこそこ美男子で、今よりもずっと裕福な暮らしをしていた。だがいつからか、歳を重ねるにつれてその美しさは崩れていった。
容姿は変わっても性格というものは変わらない。チヤホヤされたことで身についた、傲慢さと我儘はその後も私の体から抜けなかった。
だんだんと周囲の反応が変わっていく。周りの取り巻きは一人二人と離れていき、誰も私の言葉に耳を貸さなくなった。気づけば周りから見放され、一人になっていた。
私は王子様に近づいて、彼の姿を近くで目に焼き付けたかっただけなのだ。昔の思い出にいつまでもしがみついている惨めなオヤジだと思われても仕方がない。
だけど、内なる衝動は、強い願いとなって、あの魔法使いに届いたらしい。
もし、目の前の王子様が私の本当の姿を目にしたら、きっと眉間にしわを寄せて、私のために伸ばしていた手を早々に引っ込めるに違いない。使用人に命じて私を城から追い出し、一生のトラウマを抱えながら部屋に引きこもるに違いない。
――そんなのは、嫌だ。
――王子様、あなたには幸せになってもらわなきゃならない。
ヤバい。徐々に腹回りもたるみ、胸と腹の境目が分からなくなってきた。このままでは王子様の面目が丸潰れだ。
そう思った瞬間、私は居ても立ってもいられず、カーテンを強く引きちぎり、頭からすっぽりとかぶって駆け出した。
「ぬお゙ぉぉぉぉぉぉ!!」
大声で唸りながら、全力疾走で城の入り口を目指す。もはや清楚さなんて言う表面上のお飾りはかなぐり捨てて、痛む膝に鞭を打ち、たるむ腹を揺らす。
「うわぁ」と驚いたように身を引く王子の側近たちの中、王子だけがしっかりとこちらを見つめている。
次第に魔法が解けていく私の顔。視力の低下か、流れてくる涙のせいか、視界がだんだんとぼやけていく。
その時、後ろから王子様の大きな叫び声が聞こえてくる。
「父さん――!」
私は振り返ることができなかった。
城の階段にさしかかる頃、背後で午前零時を告げる鐘が鳴った。完全に魔法は解けた。
――許せ息子よ。失脚した父のことなどもう忘れるのだ。
お前はこれからこの国を担う男。私のように傲慢で我儘な君主にだけはなるなよ。
それだけを願ってひたすらに走り続けた。
気づけばゴムサンダルは片方だけなかった。どこかで落としたのかもしれない。
あの息子に二度と会うことはないんだろう。俺はみすぼらしい格好を絢爛豪華なカーテンで覆い隠しながら、深夜の川べりにあるダンボールの我が家へと帰っていく。
#時計の針が重なって
「君の小説を原作にして、あの灯台で映画を撮りたいんだ」
夜の海風の中、僕は防波堤に並んで座る彼女に声をかけた。
岬の先に立つ古びた灯台は、彼女の掌編小説にたびたび登場する象徴的なモチーフだ。かつて遠くの海を照らしていた灯台は、老朽化により光を失い、今や過去の遺産となってただそこに聳えていた。
「私の短い小説が映画になんてなるのかしら」
淡々とした声で答える彼女の視線は、灯台よりも更に奥にある深い闇へと向かっているようだった。
長くて二千字以内で完結する彼女の小説は、その読みやすさと共感性の高さから、一部の若者から支持されていた。巷では、わずか数十秒のショート動画が大量生産・消費され、流行りに乗る音楽も年々短くなっていく。エンタメは短ければ短いほど喜ばれる時代。僕はどこかでそんな流れに憂いを感じていた。
「最近は『タイパ』なんて言葉が台頭してるけど、君が書く短い物語には、人の心に刺さる深みを持ってる。僕はそれをもっと深く掘り下げて長編映画にしたいと思ってるんだ」
「長編か……、憧れるなぁ」彼女の視線が夜の闇に吸い込まれるように溶けていく。「何度か書こうとしたんだけど、どうしても結末を急いでしまうの。きっとそういう性分なのね。結実しない状態が不安で、どうしても落ち着かない」
彼女はそう言って小さく微笑み、視線を遠く灯台の方へと飛ばす。
「――小説を書き始めたころね、夜の海で遥か遠くを照らす灯台になるのが夢だったの。暗闇の海を行きかう船が迷わないように道を照らしたい。それが私自身の存在を示す光にもなるんだって信じてた。――だけど、物語を書き進めるほどにいつも不安になるの。私の光はちゃんと誰かに届いているのか。照らす方向を間違えてるんじゃないのかって。このまま光は衰えていって、あの灯台のように、ただ闇に聳えるだけの存在になるんじゃないかって」
次第にか弱くなっていく彼女の声をすくい上げるように、僕は声を強めた。
「君の物語は確実に人々の心に届いてる。それは誇るべきことだよ。それに――僕は君と一緒なら、結末までの行間を映像で繋いでいける自信がある。ラストシーンはあの灯台のアップからカメラが引いて、満天の星空を映し出すんだ。それは君が届けてきた無数の光の象徴さ」
彼女が目に涙を溜めながら「ありがとう」と短く言う。僕は一度呼吸を整え、静かに言葉を紡ぎだす。
「僕が撮りたいのは君の小説だけじゃない。君の人生を、ずっと君の隣で撮り続けていたいんだ――」
言ってしまってから自分の熱に頬が赤くなるのを感じた。視線を砂浜に落としながら、ほとんど呟くように言葉を足す。
「――つ、つまり、死ぬまでずっと僕と一緒にいてほしい……」
しばしの沈黙に耐えきれなくなって、ちらりと彼女の顔を見る。彼女も顔を赤らめて俯いていた。
「うれしい……」沈黙を破る彼女の声の明るさに反して、表情には陰りが見える。「でも、途中で早く結末を知りたくなってしまうのが怖い」
「そのときは、僕が未来への伏線を用意するよ。人生の最後で回収されるとっておきの伏線さ。道に迷ったときはその都度プロットを書き直せばいい……」
彼女がコクリと頷いて、僕の肩へ頭を預ける。僕は彼女の体をぐっと引き寄せる。それからしばらくの間、夜の闇に浮かぶ灯台を二人一緒に眺めていた。
#僕と一緒に
境目のない雲が空一面を覆っていた。
黒くも白くもない、単純な灰色でもない曖昧な雲。
少し待てば晴れ間も見えそうな――でも、少し突付けば大粒の雨を落としそうな雲。
いつもの喫茶店。騒がしくも静かでもない、適度なノイズが心地いい。
私は、四人掛けのソファ席から窓の外を眺めながら、少し湯気の落ち着いたコーヒーを一口すする。
豆の種類も、煎り方も、抽出方法すらも知らない。でもそれでいい。はっきりとした輪郭も持たず、味の主張をすることもない。
店主のこだわりなども特になく、ブレンドと名前がついただけの、この万人受けしそうなありふれたブレンドコーヒーが私の好みである。
ドアベルが鳴り、ほんの少しの間をおいて、彼が静かな足音を立てて近づいてくる。
彼はいつものように無言で私の向かいの席に座り、水を持ってきた店員にその場でブレンドコーヒーを注文する。私は視線を窓の外に向けたまま、彼が発する音に耳を傾ける。ショルダーバッグのファスナーが開く音、文庫本のページがめくれる音。
程なくして彼が低く渋い声で呟く。
「最近、毎日こんな空模様だね」
視界の先にある曇り空は、相変わらずどちらに転ぶかわからない不安定さを抱きながら、それでいて落ち着いていた。
「私は嫌いじゃないわ」
「僕もだよ」
特に待ち合わせをするでもなく、入店時に互いを認識すれば、こうして同じ席について話をする。単にそれだけの関係。
どちらの口からも、この関係に名前を付けるような話は出てこない。会って話をするのはこの場だけ。外で会うこともないし、互いに深く干渉することもしない。
そんな不安定だけど曖昧な関係は、私にとって別に苦ではなかった。
コーヒーに手を伸ばしながら、ちらりと目にした彼のブックカバーに、エッジの効いた黒猫のシルエットが映える。
「ブックカバ―変えたのね」
確か、前回ここで会ったときに本を覆っていたのはモネの絵画だった。
「君はこういう変化によく気づくよね」
「意外だなって思っただけ」
生成りの綿麻で織られた立ち襟のシャツに、細い縁の丸メガネ。彼の佇まいには、なんとなくモネが似合っていた。
「娘からの贈り物なんだ。父の日の――」
彼がそう言って小さく息を漏らすように笑う。
「へぇ、結婚してたんだ」
「言ってなかったっけ――」
そうして今日もまたひとつ、二人の間に新しい情報が更新される。そこに嫉妬や妬みのような感情は微塵もない。
――ただ、ブックカバーの変化になんて気が付かなければよかったという後悔が頭を巡る。彼についてひとつ何かを知る度に、私たちの関係性が名前を持ってしまいそうになるのが不安だった。
しばらく互いに干渉しない時間が続く。
沈黙の中で見上げた雲が風を受けてわずかに動きを早める。
「雨、降らなければいいけど――」
思わず口にした言葉が、私の本音の端から端を振り子のように行き来する。いっそ雨が降ってくれたら、少なくとも雨が止むまでは、この時間が続くだろうか――なんてことを考えてしまう。
「コーヒーもう一杯頼むかい?」
彼がほとんど空になった私のカップを視線で示しながら言う。
「そうね。もう一杯だけ」
私は底に残しておいた最後の一口を飲み干す。舌の上に残った微かな滓は、しばらくのあいだ曇天のように、ぼんやりとした苦みを漂わせ続けていた。
#cloudy
夢見る高校生を応援する就活マガジン『夢のチカラ』
◆巻頭インタビュー『仕事の裏側教えてください!』
王国の都市をつなぐ『虹の橋』は、人々の暮らしに欠かせないライフライン。その裏で、橋を生み出し支える専門職「虹の橋梁技士」が日々活躍しています。
今回は、主任技士のグレイ・エルデンさんにお話を伺いました。
インタビュアー(以下I):本日はありがとうございます。まず、『虹の橋梁技士』というお仕事について、簡単に教えていただけますか?
グレイ氏(以下G):こちらこそよろしくお願いします。『虹の橋』は、人々が渡っても崩れないだけの強度を持っていなければなりません。しかし、自然に現れるだけでは不安定なんです。なので、我々橋梁技士は、『精霊との契約』によって七色の魔力を束ね、安定した橋を建設しているのです。言わば、『虹を支える』力と言ってもいいでしょう。
I:なるほど。高校生の読者には『虹を支える』という響きにとても夢がありますね。
G:ええ。特に若い世代は、とても澄んだ心を持っています。そうした力が、橋を作るうえではとても重要なんですよ。
I:では、グレイさんが技士を目指したきっかけは?
G:子どものころ、虹の橋を渡りながら、人々が安心に満ちた表情をしていることに気づきました。そして、それを支えているのが、この虹の橋だと感じたんです。あの人々の笑顔を守るために、自分がその支えの一員になれる。そんなすばらしい職業だと言う確信があったんだと思います。
I:人々の支えになれる素敵なお仕事ですね。では実際に橋を作る際、どんな手順があるのでしょうか?
G:空気中を漂う『水精粒子』に『聖なる光』がぶつかることで虹が出来上がるのですが、それだけでは安定せず、人が足をかけた途端に虹は消えてしまいます。安定した『橋』にするためには、まず光の精霊との契約が必要です。精霊は、新鮮な命のきらめきを力の源にしていますので、私たちはそのきらめきを捧げることで、聖霊の魔力を貸していただくんです。
I:新鮮な命のきらめき……まさに高校生たちが溢れるほど持っているパワーですね。
G:(微笑み)そう、君たちが持っている心のきらめきはまっすぐで、濁りがない。その純粋な心こそが、強く美しく橋をつくるんです。君たちがこの都市のインフラの担い手として最も適した存在なんです。
I:やりがいを感じる瞬間は?
G:やはり、虹の橋を渡る人々の笑顔を見るときですね。大変なことも多い仕事ですが、自分のすべてを捧げて得られる対価としては、それに勝る喜びがあります。
I:最後に、読者である高校生にメッセージをお願いします。
G:虹の橋梁技士は未来を築く仕事です。もし少しでも興味を持ったなら、ぜひ養成校の説明会に足を運んでください。高校生の今こそ、もっとも輝く時期。君のきらめきが、きっと将来虹の橋を支えることになるでしょう。
I:本日はありがとうございました。
G:こちらこそ。いい記事になることを祈っています。
◆インターン生の声
※実際に職場体験を行った高校生の声をお届けする予定でしたが、事情により、掲載を見合わせていただきます。
◆編集後記
今回は、虹の橋梁技士の裏側を取材しました!
未来のインフラを支える大切なお仕事。
王国は若い力を必要としています。
未経験でも大丈夫。光の精霊に気に入っていただけるよう、専任技士がしっかりサポートします。
気になった高校生諸君は、ぜひ職場体験に応募してみましょう。
#虹の架け橋