結城斗永

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「来ないで!」
 煌びやかな王宮の舞踏会場、私は大きな窓から垂れ下がるカーテンで腰から下を隠しながら、大声を張り上げていた。
 目の前では、若くて気品にあふれた王子様がこちらを心配そうに眺めている。彼の目には、私の姿がさぞ滑稽に映っているに違いない……。

 私がこんな状況になっているのも、全部あの魔法使いのせいだ。
『魔法の効力は、時計の針が重なる午前零時まで』
 彼女は確かにそう言った。でも、定刻まであと五分を残して、私の足元のガラスの靴は、ゴムサンダルへと戻り始めた。それどころか、華やかなドレスも、足元の方から徐々に元の姿へと戻ってきていた。

 ――あぁ、王子様。街であなたを一目見たときから、今日のこの日を夢見ていたと言うのに。
 つい先程まで、私は自分自身が単なる灰かぶりであることを忘れていた。魔法が与えてくれたこの美貌で、皆から羨望を集めながら、王子様とフロアを沸かせていた私の姿が今や恥ずかしさとなって押し寄せる。。

 一刻も早く私はこのお城を去らなければならない。あと五分で晒されてしまう私の醜い姿で、ここにいる全員が失望する前に。何より、そんな視線に耐えかねて、自分が潰れてしまわないように。
 
 私がこんなにも焦るのにはもうひとつ理由がある。魔法が完全に解けたあとに現れるのは、齢五十を過ぎた、上下ステテコ姿にゴムサンダルのオッサンだからだ。頭ははげ散らかし、顔面もシミ、シワ、ヒゲに覆われた惨めなオッサン。

 街なかで見かけた王子様。懐かしいあの若い頃の記憶。
 これでも昔はそこそこ美男子で、今よりもずっと裕福な暮らしをしていた。だがいつからか、歳を重ねるにつれてその美しさは崩れていった。
 容姿は変わっても性格というものは変わらない。チヤホヤされたことで身についた、傲慢さと我儘はその後も私の体から抜けなかった。
 だんだんと周囲の反応が変わっていく。周りの取り巻きは一人二人と離れていき、誰も私の言葉に耳を貸さなくなった。気づけば周りから見放され、一人になっていた。

 私は王子様に近づいて、彼の姿を近くで目に焼き付けたかっただけなのだ。昔の思い出にいつまでもしがみついている惨めなオヤジだと思われても仕方がない。
 だけど、内なる衝動は、強い願いとなって、あの魔法使いに届いたらしい。
  
 もし、目の前の王子様が私の本当の姿を目にしたら、きっと眉間にしわを寄せて、私のために伸ばしていた手を早々に引っ込めるに違いない。使用人に命じて私を城から追い出し、一生のトラウマを抱えながら部屋に引きこもるに違いない。
 ――そんなのは、嫌だ。

 ――王子様、あなたには幸せになってもらわなきゃならない。
 
 ヤバい。徐々に腹回りもたるみ、胸と腹の境目が分からなくなってきた。このままでは王子様の面目が丸潰れだ。
 そう思った瞬間、私は居ても立ってもいられず、カーテンを強く引きちぎり、頭からすっぽりとかぶって駆け出した。
「ぬお゙ぉぉぉぉぉぉ!!」
 大声で唸りながら、全力疾走で城の入り口を目指す。もはや清楚さなんて言う表面上のお飾りはかなぐり捨てて、痛む膝に鞭を打ち、たるむ腹を揺らす。
「うわぁ」と驚いたように身を引く王子の側近たちの中、王子だけがしっかりとこちらを見つめている。
 次第に魔法が解けていく私の顔。視力の低下か、流れてくる涙のせいか、視界がだんだんとぼやけていく。

 その時、後ろから王子様の大きな叫び声が聞こえてくる。
「父さん――!」
 私は振り返ることができなかった。
 城の階段にさしかかる頃、背後で午前零時を告げる鐘が鳴った。完全に魔法は解けた。

 ――許せ息子よ。失脚した父のことなどもう忘れるのだ。
 お前はこれからこの国を担う男。私のように傲慢で我儘な君主にだけはなるなよ。
 それだけを願ってひたすらに走り続けた。
 気づけばゴムサンダルは片方だけなかった。どこかで落としたのかもしれない。
 あの息子に二度と会うことはないんだろう。俺はみすぼらしい格好を絢爛豪華なカーテンで覆い隠しながら、深夜の川べりにあるダンボールの我が家へと帰っていく。

#時計の針が重なって
 

9/24/2025, 7:43:20 PM