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2/9/2023, 1:58:41 PM

お題:花束

その日は土砂降りだった。
歩くたびに濡れたスーツは肌に張り付いて、それが不快だったのを覚えている。

首に面会証を下げ、音のない廊下を歩く。
しばらくすると目的の扉が見えてくる。
素っ気ないその扉の脇には
「伊藤 海鈴」
とこれまた簡素に書いてあるのだった。

ノックをして扉を開ける。
部屋の中、窓の外を見上げていた妻がこちらを向いた。

「こんにちは。」
「……こんにちは。」

ふふ、と彼女がしずかに笑う。
そして私の持つ花束を見て言った。

「そんな毎度いいのに。雄一さんも律儀ね。」

そんなことを言いつつも、花束を受け取った彼女は少しはにかんだ。

ガーベラの花束だ。

花は正直詳しくなかった。
花屋の店員のおすすめを馬鹿みたいに毎日渡した。

その度に彼女は笑って受け取ってくれた。

病院側も迷惑だったのだろう。
前の日の花は、翌日には置いていなかった。
ただ、私はお構いなしに花束を渡した。

……果たして迷惑だったのは、彼女も同じなのだろうか。

「今日は、少し元気かい?」
「元気よ。雨の音って落ち着くわね。」

外はゴーゴーと雨が降っている。
風が窓ガラスを揺らした。

「雄一さんはお仕事は終わり?」
「……いや、家に帰ったら少し残りを。」
「いつまで経っても仕事人間なんだから。
寂しかったの、わかってるのかしら。」

彼女はぷいっと顔を背ける。
胸が痛くなった。

「……すまない。」

俯いて謝ると、前から笑い声が聞こえた。

「冗談よ。少しからかい過ぎたかしら。」

彼女はにこやかだ。
……その笑顔は私を責めているようだった。

嫌な考えを振り払うように、一度彼女の手を握る。
また少し小さくなっている気がした。

「今日はもう帰るよ。
今度の日曜日に弟がこっちの方に来るそうだ。
よかったら連れてこようと思う。」

手を足の上に乗せた後、彼女に背を向け外に歩き始める。

「ええ、ありがとう。
是非来てほしいわ。
それと……。」

彼女は一瞬躊躇したようだったが、少し俯き気味に口を開いた。

「毎日は来れなくても、私は平気よ。
……雄一さんの負担になりたくないの。」

少し震えた声だった。

家に帰らず仕事に詰めていた日々の、
彼女を追い詰めた日々の、
その結果をはっきりと意識させるに足る声だった。

「……また来るよ。」

背中を向けたまま、私は病室を後にした。





関連:旅路の果てに

2/8/2023, 1:07:48 PM

お題:スマイル

夏の海。
水着の群集を背に、僕たちは岩場の上にいた。

「笑ってー。」

パシャリ。
シャッターが切られる。

彼女は撮った写真を確認してしかめっ面をした。
きっと仏頂面の僕を見たことによってだろう。

彼女の誕生日プレゼントにデジカメを買ったのが1週間ほど前。
そのカメラを本人はいたく気に入っており、買ってから初めての土曜日ということで海に写真を撮りにきたのだった。

「うーん、笑顔が足りない。」
「そんなこと言われてもなぁ。」

写真は正直苦手だった。
あまり好きじゃない顔が、写真になると更に嫌いになる。
見返したくもなかった。

「スマイルー。」

気の抜けた声と共にまたシャッターが切られる。

「うーん……角度の問題かな。」

角度の問題というよりは僕の問題な気がする。
気恥ずかしさ、とは違うと思うが僕は笑いたくなった。
一種の当てつけかもしれない。

彼女が角度を変えるため移動した時だった。

「痛っ。」

彼女が体勢を崩した。
カメラを落とさないように片手をついて体を支える。

「大丈夫!?」

駆け寄ろうとする僕を彼女が手で制する。

「大丈夫。ほら、続き!笑顔ー。」

その顔は歪んで見えた。
カメラを構える彼女を無視して彼女に近寄る。

「そんなに近いと撮れないよ。」

少し困った声を出す彼女。
ビーチサンダルから見える5本の指。
その親指からは血が出ていた。

「大丈夫?痛む?」

彼女を見上げると、顔を歪ませたまま笑顔を浮かべた。

「へへ。ごめん。ちょっと痛い。」

でも、撮らせて。
と言って、彼女はカメラを構えようとする。

手当てしてから、と説得したがダメだった。
どうして?と問う。
すると彼女は

「祐介の笑顔の写真、まだ一回も撮れてないから撮りたいの。」

と、痛みに耐えながら言うのだった。

2/7/2023, 10:50:43 PM

お題:どこにも書けないこと


「最近、日記書いてるんですよ。」

暖簾がかかった飲み屋の個室。
私の言葉にお猪口の日本酒をあおった篠崎さんが答える。

「佐川、お前案外乙女なんだな。」

乙女なのだろうか。
日記は男女問わず書いてそうだが。

「男の人も書きますよ、きっと。
ほら、男もすなる日記といふもの〜って言うじゃないですか。」
「土佐日記か。でも日記書いてる男見たことないし。」

まあ私もなかった。
でも異性に話さないだけだと思ってた。

「しかし日記か。面白いな。どんなこと書いてるんだ?」

篠崎さんは意外に興味津々だ。
でも、書いてることは……言いたくない。
日記を書こうと思ったのは自分の感情の発散のような意味合いが強かった。

「いや、大したこと書いてないですよ。」
「大したことじゃなくても気になるよ。私日記書いたことないし。」
「今までに一度もですか?」

お猪口に日本酒を注ぎながら篠崎さんが頷く。
誰しもどこかのタイミングで一度は書いてみるものだと思っていたので驚いた。
小学校の課題で絵日記とかなかったのだろうか。

「日記って日々の出来事や思ったことを書くんだろ?
正直それを見返すのが怖い。」

書きたくないことが多すぎるんだ。
篠崎さんは酒に口をつける。

篠崎さんも悩みとかあるんだな。
と、なんだか他人事のように思った。

でもきっと、私は日記を振り返ることはしないだろう。
過去のことを振り返るほど、今に余裕はない。
いつもいつも辛い現実に負けそうになってる。

若干俯いていたのがバレたのか、篠崎さんがこちらを見てニヤッと笑った。

「その代わり、今日も付き合ってもらうぞ。
酒で記憶が飛べば、ここで話したことは実質無かったことになる。
どこにも書けないことはここで発散させてもらおう。」

そして私のカシオレを指差し、ほら飲め飲め。と言うのだった。

2/6/2023, 1:52:37 PM

お題:時計の針









※グロテスクな描写、暴力を示唆する表現があります。
苦手な方は飛ばしていただけると幸いです。


※また読んでいただいている方、ありがとうございます。
続き物の話ではありますが、1話でも楽しめるようにと思い書いているため是非読んでいただければ嬉しいです。









うつらうつらしていた頭に、真っ赤な鮮血がフラッシュバックする。
ハンマーに殴られたかのような衝撃が胸に来て、バクバクする心臓を押さえながら体を丸めた。

昨日からずっと同じことの繰り返しだった。
昨日の夜、刃物に刺された少年を見てから。

不審者の持ってる刃がサクッと体に飲み込まれる光景。
蹴り飛ばされた少年の、壊れた弦楽器のような悲鳴。
何度も刺されるたび、骨と刃物がぎりぎりとぶつかって不快な音を立てる。
肺がダメになったのか、もう死んでしまったのか、いつのまにか聞こえなくなった少年の音。
突き刺されるたびに、だらんと垂れた腕が小刻みに動いていた。

「うっ……」

口を押さえトイレに駆け込む。
体がだるくトイレまで行くのだけでしんどかった。

昨日の夜から何も食べていない胃の中からは胃液しか出てこない。
その不快感で脱力してトイレに寄りかかる。
口元を拭く気力さえなかった。

「海鈴。いつまで寝てるの?ピアノ教室も行けないの?」

1階から母の呼ぶ声が聞こえる。

そうだった。
17:00からピアノだったんだった。
行かないと。

そう思って手を動かそうとしても、動かない。
声も出せなかった。

「はぁ……。
1日でも休むと、元に戻るのに3日はかかるわよ。」

それっきり足音は遠ざかっていった。

トイレットペーパーで口元を拭い、トイレを流す。

動けない自分の体が悔しくて涙が出てくる。
きっと自分が弱いからこうなってるんだろう。

……強くならなくちゃ。
そう思った。






次の日は学校に向かおうとした。

着替えに袖を通し、朝ごはんを食べて、吐いた。

歩きながら座って授業を受ける自分を想像して、気分が悪くなった。

道端に座り込む。
道ゆく人は奇怪なものを見る目をしながら横を歩いていく。

誰も助けてくれない。
当然か。
もし自分が同じ立場でも助けない。

座っていると、あの時の光景がフラッシュバックする。

とにかく、動いていたい。

ふらふらとあてどなく走ることしかできなかった。




いつのまにか河川敷についていた。
風が気持ちよく、少し座っていても平気だった。

呼吸を整えながら伸びをする。
ずいぶん長いこと伸ばしていなかった身体はバキバキ音を立てた。

その音で一瞬思い出しそうになった光景も、風が運んでくれる。
落ち着く場所だった。

突然、怒声が聞こえた。
近くに不良がいるらしい。
驚いて少し後ずさろうとした時、コートのポケットが重いことに気がついた。

何度も失敗しながらようやくポケットの中に手を入れて重い何かを掴み出す。

金色の懐中時計だった。
リューズを押してみる。
綺麗な装飾を施したそれは、律儀に針を進めている。

思い出した。

あの夜、必死に走り続けた道の先で、おじいさんにもらったのだった。

80過ぎくらいのヨボヨボのおじいさんだった。
赤いマフラーを巻いているのが特徴的だった。

街灯の下で、私を待っていたかのようにこれを手に握らせた。

そして掠れた声で言ったのだ。

「リューズを引け。
時間が戻る。」

そしておじいさんは一度だけ私を抱きしめると、ふらふらとどこかへ消えたのだった。

そんな時計が今、私の手元にある。

リューズをひく。
時間が戻る。

正直本当だとは思っていない。
でも引いたらきっと何かが起こる。
それは怖かった。

リューズに手をかける。
……手が震える。
リューズをつまんだその手は、ぴくりとも動かなかった。

そうだ。
一旦おじいさんに話を聞こう。
そうすればきっと、何かわかるはず。

……一昨日の晩の場所に、もう一回行こう。

覚悟を決めて立ち上がった時だった。

「ちっ。あのジジイ、なんも持ってなかったっすね。」

左前方の方で声が聞こえた。

「……うるせぇ。
今日中に10万揃えられなかったら、どうなるか分かってんだろうな。」
「……すんません。」

声が遠ざかっていく。

風がざわざわと頬を撫でる。
背中が冷たくなった。

関係ない。
頭ではそう思っていても最悪の想像が頭から離れない。

震える足を動かしてゆっくりと男たちがいた場所へ歩いていく。

橋の下。
川の流れも穏やかで、ほぼ無音と言って差し支えないその場所はかえって不気味だった。

ゆっくりと覗き込む。


……人が倒れていた。

一目ですぐわかった。
赤いマフラーが見えたのだ。

足や腕は肌が露出してところどころ内出血で青くなっていた。
身体は服で隠れて見えなかったが、この服の乱れを見ると何度殴られたかわからない。

そして、顔は歪んでいた。
右側の上唇がめくれて、歯が見えていた。
頭蓋骨が一部歪んで、顔の形が歪に見える。

吐き気が込み上げてくる。

必死で耐えた。
外だから。トイレがないから。
路上で吐くわけにはいかないと思って我慢した。

涙が溢れてきた。
私が何をしただろう。
……もしも天罰だというのなら、私の犯した罪を教えてほしい。

もう散々だ。
何かが変わるなら、なんでもいい。
私は乱暴にコートから懐中時計を引っこ抜き、リューズに手をかける。

そして思いっきりひいた。

【カチリ】

途端に音が消えた。

そしてさっきまでの吐き気が、嫌悪感が、悲しみが、怒りが、嘘のように消え去った。

時計の針が左向きに回り出す。

カチリ、カチリと1秒ずつ。
ゆっくりと時を戻すのだ。

……本当に戻っている。
驚きもあったが何故かとても冷静だった。

私も少しずつさっきまで座っていた場所に戻っていく。
歩いていないのに不思議な感覚だ。

そして。
不良たちが後ろ歩きに橋の下まで戻っていく。

……助けるべきだ。

真っ先に思った。

でも、あの不良たちには敵わない。
きっと行っても共々殺される。

それにあの人が襲われる前に逃しても、ホームレスなら帰る場所がない。
どこにも逃すことができない。

私は目を閉じて、橋に背を向けた。

なら、もう1人の方を。
刺されたあの少年は、高校の制服を着ていた。

きっと帰る家がある。

あの子が助けに来る前に、あの道を通らないようにすれば。

きっと私たちは助かる。

「逃げてっ。」

そう言った少年の声が想起される。

助けてくれてありがとう。
今度は私が、あなたを助けるから。

カチリ。
カチリ。

時計はゆっくりと動き続ける。

……橋はどんどん、遠ざかっていった。





関連:旅路の果てに こんな夢を見た

2/5/2023, 1:21:07 PM

お題:溢れる気持ち

隙間から覗き込む太陽の光で目が覚めた。
まだ見慣れない天井が目の前に広がっている。

僕は今、一人暮らししていたアパートにヘリが墜落するという未だに夢か現実かわからない境遇に置かれている。
そのため、彼女の家に住み着いているのだった。

寝ぼけ眼を擦りながら普段着に着替え、リビングに行く。
と、ごとんっ!とすごい音がした。
どうも向こうも僕が住んでいることに慣れてないのか、ドアが開いた音に驚いたらしい。

「大丈夫?」

と聞くと、慌てた表情で彼女が言った。

「カメラが……。」

見ると彼女の足元にデジカメが落ちている。
彼女はばっと拾い上げると電源を入れようとした。

「……つかない。どうしよ……!ねぇ!」

珍しく彼女が動揺している。
その姿が妙におかしくて少しにやけてしまう。

「あー、新しいの買う?
最近のは性能上がってるらしいから、そんなのより綺麗なの撮れると思うよ。
……それよりそんな慌てるなんて珍しいね。」

最後まで言い終えて彼女の方を向いた時に、初めて彼女がこちらを睨んでいることに気がついた。

唖然としていると大股でこちらに近づく。

「そんなの……?
祐介にとってはどうでもいいのかもしれないけど、私にとっては……っ!」

すごい剣幕だった。
こんなこと今までになかった。

「でも、そのカメラ最近あんまり使ってなかったし……」

混乱した僕が必死に言い訳をすると、彼女は黙って僕を睨んだ。

「……なんなんだよ。
カメラ壊したのは海鈴でしょ!
なんで僕が責められるんだ!」

訳がわからなかった。
そもそもそのカメラがなんなのかなんて覚えてなかった。
なんかのタイミングで買っただけのカメラを、新しいの買うか、と提案しただけでなんで責められなきゃいけないんだ。

彼女に背を向け、玄関に向けて走り出す。
丁寧に並んでいる2足の靴のうち、僕の方を乱暴に履こうとする。

……上手く履けない。

「ああ、もう!」

自然と声が出た。
僕自身も、僕のこの溢れる気持ちがなんなのかよくわからなかった。

踵を潰して立ち上がる。
そして乱暴に玄関を開け放つと、全力で走り出したのだった。





関連:優しさ Kiss 逆光

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