のの

Open App

お題:どこにも書けないこと


「最近、日記書いてるんですよ。」

暖簾がかかった飲み屋の個室。
私の言葉にお猪口の日本酒をあおった篠崎さんが答える。

「佐川、お前案外乙女なんだな。」

乙女なのだろうか。
日記は男女問わず書いてそうだが。

「男の人も書きますよ、きっと。
ほら、男もすなる日記といふもの〜って言うじゃないですか。」
「土佐日記か。でも日記書いてる男見たことないし。」

まあ私もなかった。
でも異性に話さないだけだと思ってた。

「しかし日記か。面白いな。どんなこと書いてるんだ?」

篠崎さんは意外に興味津々だ。
でも、書いてることは……言いたくない。
日記を書こうと思ったのは自分の感情の発散のような意味合いが強かった。

「いや、大したこと書いてないですよ。」
「大したことじゃなくても気になるよ。私日記書いたことないし。」
「今までに一度もですか?」

お猪口に日本酒を注ぎながら篠崎さんが頷く。
誰しもどこかのタイミングで一度は書いてみるものだと思っていたので驚いた。
小学校の課題で絵日記とかなかったのだろうか。

「日記って日々の出来事や思ったことを書くんだろ?
正直それを見返すのが怖い。」

書きたくないことが多すぎるんだ。
篠崎さんは酒に口をつける。

篠崎さんも悩みとかあるんだな。
と、なんだか他人事のように思った。

でもきっと、私は日記を振り返ることはしないだろう。
過去のことを振り返るほど、今に余裕はない。
いつもいつも辛い現実に負けそうになってる。

若干俯いていたのがバレたのか、篠崎さんがこちらを見てニヤッと笑った。

「その代わり、今日も付き合ってもらうぞ。
酒で記憶が飛べば、ここで話したことは実質無かったことになる。
どこにも書けないことはここで発散させてもらおう。」

そして私のカシオレを指差し、ほら飲め飲め。と言うのだった。

2/7/2023, 10:50:43 PM