お題:もしもタイムマシンがあったなら
就業時刻をとっくに終えたオフィスには、私以外誰もいない。
節電のため照明を抑えた薄暗いオフィスでは、私を照らすPCの光がやけに眩しく感じる。
「自業自得、かぁ。」
終わりの見えない残業の原因は自分にあることは承知の上。
それでも誰かに手伝って欲しかった。
人の気配のないオフィスに1人いるだけで泣きそうになる。
……こんな時、先輩がいればなぁ。
産休中の先輩を思いながら隣の席を見る。
席の主……篠崎先輩には会社に入ってから幾度となく助けられてきたのだった。
ああ、そう言えば。
同じような状況になった後、先輩と飲みに行ったっけ。
*
「もう無理です……。私は人が当たり前にできることさえできない、使えないダメ人間なんですぅ……。」
遅い時間までやっている大衆居酒屋。
その個室で私はカルーアミルクをちびちび飲みながら言った。
ざわざわ聞こえる話し声や、忙しくなく動くスタッフ。
それらを見聞きしていると、自分がどれだけできない人間か思い知らされるようだった。
「死ぬのはダメだぞ、佐川。お前は何かあるとすぐ死にたがるからな。」
目の前の篠崎さんの声に私は顔を起こす。
少し赤い顔をした彼女の前のジョッキは、すでに空だった。
「死んじゃダメならどうすりゃいいってんですかぁ。失敗失敗失敗。今日の件も先月の件も全部私のせいじゃないですか。」
「だから全部が全部佐川のせいじゃないって。私や松井さんの問題もある。話しただろう?」
何度も聞いた。
でも何度聞いても自分のせいとしか思えなかった。
「こんな大人になるなんて……子供の頃は思ってなかっただろうなぁ。」
ため息をつきながら呟く。
戻りたい。あの頃に戻りたい。
何も考えなくて済む、楽しかったあの頃に。
そんな話に篠崎さんは少し真剣な顔で答えた。
「その理由でのタイムトラベルか。私は賛同できないな。」
「なんでですか?過去に戻れたら全てうまくいくんですよ?」
「その根拠のない自信はどこから出てくるんだ……。子供のころだって覚えてないだけで大変だったこともあるんじゃないか?」
「それは……そうかもしれないですけど。」
でも今よりはよっぽどマシだと思えるけどなぁ。
そんな私の内心を見透かしたのか、枝豆を食べながら篠崎さんは言う。
「それにだ。100歩譲ってうまく行ったとして、私とは会えないだろう?
会ったことや、2人で体験したこと。佐川しか覚えてないことになる。
……それは悲しいな。」
「先輩……。」
「佐川もそれは悲しいだろう?」
枝豆の皮を弄びながらこちらを見る。
思い出かぁ。
「……。正直、子供に戻れるならやむなし、ですかね?」
「ははっ、正直なやつめ。」
笑いながら篠崎さんは枝豆の皮を捨てた。
「ともかくだ。今回の責任は私と松井さんでとる。失敗したっていいんだ。そこから次に活かせばいい。」
「いやでも活かせる気がしないんですよ……。」
失敗続きだし。
一向に収束する気配なし。
「大丈夫。私はな、実はお前を買ってるんだ。打たれ弱いけど責任感も根性もあるしな。」
「……買い被りすぎですよ。」
重くのしかかる期待はつらい。
応えなきゃいけないと思うから。
……でも、この人に認められていると思うと不思議と悪い気分じゃない。
「明日休みだろ?今夜は飲めるだけ飲んで記憶も飛ばそう。」
「……そうですね。飲みます!飲んでなきゃやってらんないですからね!」
「そうだそうだ!」
ケラケラ笑いながら篠崎さんはビールを頼む。
そこで唐突に思い出した。
「篠崎さんはタイムトラベルしたくないんですか?なんかさっき理由がどうとかって。」
「ああ、その話か。タイムトラベルに賛同できる動機みたいなものだよ。もしタイムトラベルが許されるとしたら……。」
好きな人の命を救うくらいかな。
*
ハッとして時計を見る。
PCの画面下に表示された時刻は21:00を回るところだった。
……物思いに耽りすぎた。
少し伸びをして隣の席をもう一度見る。
しばらく人が座っていないその席には、めんだこのぬいぐるみが鎮座していた。
少しは先輩に近づけてるかな。
めんだこは、何も答えなかった。
お題:愛と平和
それは先輩と飲みにいった帰り道だった。
街灯が少ない裏通りは普段歩くには怖かったが、隣に先輩がいるだけで不思議と怖くない。
……まあその先輩も女の人なんだけど。
篠崎海鈴という名のその先輩は、仕事のできなくて死のうとしていた私を助けてくれたのだった。
そしてかれこれ1年近くになる。
なんだか遠い昔のことのように思えて、思わずそのことを話そうと篠崎さんの方を向くと、その横顔は能面でも貼り付けたかのような正気のない顔だった。
ギョッとする。
さっきまで酔いに任せて千鳥足のまま、We Are The Worldをほにゃほにゃ歌ってたじゃないか。
それが今や死んだような顔つきで、足だけせかせかと動かしている。
まるでロボットのようだった。
「どうしたんですか?」
早歩きの篠崎さんに追いつきながら問いかけると
「いや、嫌な思い出を思い出して。」
「……?何の思い出ですか?」
問いかけると篠崎さんはぴたっと立ち止まった。
あたりは明かりで満ちている。
いつのまにか駅の改札前階段まで着いていたようだった。
「思い出。どんな思い出なんですか?」
「んー。怖いやつ。」
ざっくりとした返答だった。
明かりの近くまで来て落ち着いたのか、篠崎さんの表情は少し柔らかくなっている。
「世の中平和だなぁってさ。」
酔っ払いのOLに戻った篠崎さんは歌うように言う。
「唐突ですね……。
でも平和って言っても世界はまだまだそうじゃなくないですか?
飢餓や貧困の解消のために作られた歌だってあるんですよ。」
「へぇ、今度教えてよ。」
あなたが歌ってた歌ですよ。
「と言うかね、そんな壮大な話はしてないわけよ。
世界なんてどうでもいいの。
私と私の周りが全て。
あいあむざわーーるどー」
「……。」
篠崎さんがバキバキに折れた鉄芯のような音程で歌う。
篠崎さんもここ最近明るくなった気がする。
……もし、その要因の一つに私も入れたなら、嬉しいと思った。
横の篠崎さんを見る。
普段仕事のかっこいい篠崎さんは鳴りを潜め、少し間の抜けた横顔。
彼女は上機嫌に歌う。
「わたしのーまわりはーっあいでーみちていふー♪」
「ちょっ、うるさいですよ、さすがに!」
お題:今日にさよなら
そこは暖かな陽の光が降り注ぐ河川敷だった。
不思議と軽やかな足取りで、私は綺麗な川辺に駆け寄る。
後ろでは呆れたような、それでいて物珍しいものを見るような笑顔の少年がいた。
「あまりはしゃぐと転んじゃうよ。」
「転ばないわよ。そうだ、ここで踊ってみせるわ。」
昔バレエを習っていたのよ。
本当に昔のことだから、もう何も覚えてないけれど。
記憶を掘り起こして姿勢を正す。
軽やかにピルエットを回ろうとして水の中に倒れ込んだ。
「ふふ」
思わず笑みが溢れる。
なぜか水は冷たくはなかった。
「全く、おばさんいくつなの?」
「48よ。
そういうあなたは?
……あれ?あなたどこかで……?」
その言葉に少年が笑う。
「そろそろ帰らないといけないんじゃない?
おばさんの大切な人が、待ってるよ。」
どこに帰ればよいかは、私にはわからなかった。
でも大切な人と言われてハッとした。
雄一さんがいない。
「まって。それってどういうことかしら……?」
問いただすために手を川底につこうとした。
視線を下に向けると、なぜか川は薄く汚れている。
ハッとして前を見ると、少年がどんどん離れていった。
私は川に飲み込まれ、どんどん対岸に流される。
「まって、あなた、誰なの……っ!?」
伸ばした私の手を見た少年は、笑顔のまま何も語らない。
ただ、その目は優しく私を見送っているように感じられた。
飲まれていく。
必死に伸ばした手は届かない。
……掠れていく意識の中で、少年と以前会ったことを。
血生臭いあの思い出を思い出した。
目が覚めた。
病室のベッドの上。
もう動かすことのできない体に帰ってきた。
今日も生きていた。
もう何日なのかもわからない今日を迎えることができた。
……でももう何のために生きているかもわからなくなっていた。
夢の中に出てきた少年。
なぜ忘れていたのだろう。
あれは私を庇って死んでいった、男の子だった。
きっとすぐに私もそこにいくのだろう……。
目頭が熱い。
そんなぼやけた視界の隅に花束が見えた。
ガーベラの花束。
ああ。
意味はなくとも、私はまだ生きている。
目を閉じて、今日に別れを告げる。
明日も目を開けられますように。
……そして、願わくば彼に。
雄一さんに会えますように。
関連:この場所で、花束、時計の針、旅時の果てに
お題:お気に入り
それは先輩が落としたぬいぐるみを貰ってから1ヶ月ほどしたある日のことだった。
私の机の上には未だにそのぬいぐるみが置いてある。
残業中で静かな事務所の中でぼんやりとそれを眺めていた。
そのぬいぐるみはめんだこという生き物を模したものらしく、実物よりかなり可愛くなっている。
そしてなぜか底面にマジックテープが貼ってあり、くっつくようになっている。
正直私の好みではない。
が、世の中こういう可愛いものをみて癒される人が多いのだとか。
……手が出せないバッグとかを眺めてるほうが幸せなんだよねぇ。
仕事をほっといて物思いに耽っていると、ドアが開く音がした。
びくっとして、仕事をするふりをする。
と思ったらPCがロック画面になってることに気づいた。
まずい。
咄嗟の判断で今まさに席を立った体で椅子から立ち上がると、ドアを開けた主が見えた。
「あ、よかった。佐川、ちょっといいか?」
「篠崎さん?あれ?今日直帰じゃ……?」
少し顔が赤い。
走ってきたのかとも思ったが、走ってきたにしては息は整っていた。
「いや、用事があってな。
その……ぬいぐるみ、やっぱり返してもらってもいいか……?」
かなり早口だった。
顔も不安げだ。
そんなに大切なものならあげなければいいのに。
いつもは真面目な先輩がこんなもののために私と2人になるタイミングを見計ってたことを考えると少し微笑ましかった。
「これですか?いいですよ。」
手渡した瞬間、安心し切ったような緩んだ顔を私は見逃さなかった。
関連:伝えたい
お題:10年後の私から届いた手紙
「手紙?」
「うん、10年後の私から届いた手紙。」
「そう書いてあったの?」
彼女が頷きながら手紙を出す。
中身は見ていたらしく、既に封が切られている。
……何が書いてあるのか。
彼女の方をチラッと見ると無言で頷かれる。
よし。
僕は中身を抜き取った。
……果たして中身は。
10年前の私へ
私は今入院しています。
ああ、こんなことなら医療保険に入っておけばよかった。
若いうちに入っておけば保険料は安くなります。
しかも何と〇〇保険なら、月々の支払いも××円におさまります。
どの保険よりも安い!
チャンスです。
10年後の入院に備えて今からにでも〇〇保険に電話して。
その文章の後には保険会社の名前、電話番号、住所が記載されていた。
……新手の詐欺なのだろうか。
「保険、入ったほうがいいのかな?」
「えっ、本気?」
保険を入るにしてもここはまずいのでは……?
慌てた僕を見て彼女は声を抑えるように笑った。
「祐介って面白い。」
「からかわないでよ……。」
「ふふ、ごめん。もちろん入らないよ。怪しいし。」
そう言うと彼女は手紙をぐちゃぐちゃっと丸めてゴミ箱に放り投げた。