のの

Open App
2/4/2023, 2:43:19 PM

お題:Kiss

冬の日の夜中。
僕は冷たくなったドアノブに手をかけていた。

なかなか開ける勇気が出ない。
と言うのもこの家の主である彼女とは、喧嘩の真っ最中なのだった。

ひょんなことからアパートに住めなくなった僕は、彼女の家に泊まることになった。
が、本当にちょっとしたすれ違いによって朝っぱらから喧嘩。

僕はアパートを飛び出して、あろうことか授業もサボり、友人に叱責された挙句ここにいるのだった。

深呼吸をして心を落ち着かせる。
結局どうすればいいかわからずにここにきてしまった。

彼女はきっと怒っているだろう。
僕を責め立てるだろう。
……謝って許してもらえるのだろうか。

考えても答えは出なかった。

でも、覚悟は決めた。

ゆっくりとドアを開ける。
部屋の中は明るかった。

気まずさから声を上げずゆっくりとリビングへ移動する。

彼女は部屋の隅にいた。
膝を抱え小さくなっていた。

その体は、小さく震えていた。

……言葉が出なかった。
体勢の問題があるとはいえ、彼女の姿はとても小さく見えたのだ。

目の前で自分の腕を痛々しいほど掴み、嗚咽を漏らしてる。
部屋には食事の後もない。
……きっと、帰ってからずっとここで……。

ああ。
僕がやったんだな。

そう感じた。

自分の情けなさを認識した途端、体が動くようになった。
彼女に駆け寄り抱きしめる。

ごとん。と彼女の右手から何かが落ちた。
咄嗟にそちらの方を見る。

金色の懐中時計だった。
ガラスは割れて、中の針も歪んでしまっていた。
……動いていなかった。

「……ごめん。」

僕の声は掠れていた。
目の奥が熱かった。

「……我慢したんだ。私、我慢したの。」

彼女はポツリと呟く。
何も言わずに背中を撫でた。

それをきっかけに、彼女は堰を切ったように話し出す。

「また戻したら……っ、全部無くなっちゃうから……。
祐介と向き合うって決めたからっ!
う….うっ……だか……らっ!
我慢……できた……よ!」

彼女は真っ赤に腫れた目で顔を上げた。
口角を無理にあげて。
彼女は笑いながら言ったのだ。

彼女の腕が僕を包む。
その腕に力が入った。

強く抱きしめ合う。
少し痛かった。
きっと彼女もそう感じてると思う。

霞む視界で彼女を捕らえ、唇を合わせる。

ああ、なんて暖かくて。
心地いいんだろう。

落ち着いたら話し合おう。
僕の思ったことをちゃんと話すよ。

……だから、君が思ったことも聞かせて欲しいんだ。





関連:優しさ 溢れる気持ち

2/3/2023, 2:51:10 PM

お題:1000年先も

「佐川。地球ができたのはいつ頃だ?」
「えっ、わからないですよ。」

仕事のお昼休憩の時間。
週初の気だるげな空気の中、おにぎりを頬張った篠崎先輩が言った。

……篠崎先輩はたまによくわからないことを言い出す。

「46億年だそうだ。
アラビア数字になおすと4,600,000,000。」
「はぁ……?」
「そこから先カンブリア時代、古生代、中世代、新生代と時代は移ろっていくわけだ。
その中には様々な生き物が生まれては死に絶えていった。」

なるほど。
そこまで言われてようやく理解する。

篠崎先輩はとあるテレビ番組が好きなのだ。
金曜日の夜7時にやるその番組の名は、
【わくわく、深海生物の謎!】

おそらくその番組にやられたのだろう。

「そして、特に生き物が多かった古生代から新生代、いわゆる顕生代だな。その時代こそ……」
「篠崎さん、この話の結論ってなんですか?」
「……いや、特にない。」

話を切られたのが嫌だったのか、少しむすっとした顔で答えられた。
いや、でも正直興味がない話を永遠と聞きたくはない。

ただ少し申し訳なかったので話を振ってみる。

「正直その規模感の話じゃピンとこないですよ。
私なんて5年前のことさえ曖昧なのに。」
「じゃあ逆に5年先はどうだ?」

5年先……。
正直まったく想像できなかった。

残念ながら私にはこうなりたい、のような理想図があるわけじゃない。

悩んでいると、篠崎さんがにやけながら

「いや、むしろもっと先。1000年後。どうなってると思う?」

と聞いてきた。

「ちなみに1000年前は平安時代だ。せっかんせーじだ。」

平安時代から現代までの時代差。
……進化が凄まじすぎる。
多分私が平安時代の人間でも現在の様子はまったく想像できなかっただろう。

「近未来SFどころじゃなくてなんか……もっと科学技術が発展してむちゃくちゃすごくなってるんじゃないですか?」

悩んで答えたつもりが篠崎さんのツボにハマったらしい。
面白いなと言いながら声を出して笑っている。

答えろと言われたから答えたのに。
こちらが少しムッとしていると、ごめんごめんと謝りながら篠崎さんは言った。

「1000年先も人類がいるなんて、少し希望的観測すぎやしないか?」

2/3/2023, 4:18:16 AM

お題:勿忘草(わすれなぐさ)

学食で食べ終わった食器を戻し、振り返ると雄二が本を読んでいるのが見えた。
いつもは友人と一緒に昼をとってる姿をよく見るのでかなり珍しい。

「何読んでるの?」

声をかけると、本から目を離さずに

「ブレイブストーリー」

と答えた。
当然普段本を読まない僕は聞いたことのないタイトルだ。
ふーん、と上の空で返事をすると

「映画化もしたし、よかったら見てみろよ。」

と顔を上げた。
読書の邪魔をしたというのにその顔はにこやかだ。

ただ、正直見たことない作品を手に取るのは敷居が高い。
適当に話題を逸らそうと手元を見てみると、テーブルに置いてある栞が気になった。

「この栞、おしゃれだね。」

青っぽい小さな花がきれいにラミネートされている、薄いピンクのしおりだった。
いかにも手作り感のあるそのしおりについて、雄二は事も無げに

「元カノにもらった。」

と言う。

ついでのように
別れる時だったかな。
とも付け足した。

元カノにもらった栞か。
正直あまり女性経験のない僕はそれが普通かわからない。
けれど、僕が同じ立場だったら……きっと使わないな。

「こういうちゃんとした栞持ってなくて重宝してんだ。」
「そういうもんなのか……。」

しおりについている小さな花を見つめる。
これを送った人は雄二のことを思って花を摘み、ラミネートしたのだろう。

そう思っているとあることを思い出した。
少しにやけ気味に僕は口を開く。

「そういえば別れる男に花の名前を……みたいな話あったよね。」
「花は毎年咲きますってやつ?でもこの花、俺知らねぇもん。」

知らない花渡しても仕方ないか。
なんかその子も報われないな。

名前も顔も知らぬ女の子に少し同情する。
しかし雄二ほどのコミュ力を持ってる奴がどうして別れるんだろう。

「そういえば、その子とはなんで別れたの?」

その言葉を聞いた途端、雄二は苦虫を噛み潰したような顔になった。

少しの沈黙。

なんだか居た堪れなくなって質問を撤回しようとした時、雄二が口を開いた。

「あー、なんでだっけ?忘れた。」

表情は変わらなかった。

2/1/2023, 1:29:58 PM

お題:ブランコ


「お、公園だ。珍しいな、今時。」

彼女がふと横を向いて言った。

視線をそちらにやると、春の日差しに包まれた小さな公園がそこにはあった。
といってもあるのは小さなブランコと、あたりに咲くたんぽぽの花だけだ。

「珍しいね。最近見なくなったよなぁ。」

なんとはなしに返事をして歩いていると、視界の隅にいた彼女が消えた。
ん?と思って後ろを振り向くと、すでに彼女は公園に足を踏み入れていたのだった。

「え、どうしたの?」
「ちょっと遊んでいこう。」
「えー……、ご飯どうするのさ……。」

まったく、なんのために出かけたんだか。

彼女はずかずかと公園に入り、躊躇いなくブランコに腰掛けた。

「ジーパン。汚れるよ。」
「こんな面白そうなものを前に服の汚れなんて気になるか。」

ただ、小石が尻に当たって痛いな。
とぼやいた。

……僕たち今年で28なんだけどなぁ。
まあ本人が楽しそうならいいかぁ。

彼女はたまにすごく子供っぽいことがある。
なんというか、昔付き合っていた頃より感情豊かになった。

よく笑い、よく不機嫌になる。
笑う時も以前のお淑やかな笑みとは違う、無邪気な笑み。
その顔はきっと、大人になった証だ。

「お、いいこと思いついた!」

彼女は口の端をにっと歪めた。
嫌な予感がする。

「祐介、私の前に立って……いや、違うもう少し手前。そう。おっけー。」

目の前で棒立ちになった僕を見ながら、彼女はイタズラっぽく笑う。
そして地面を蹴った。

彼女を乗せたブランコはゆっくりと動き出す。
彼女が足を動かすたび、ブランコは徐々に大きく揺れていく。

そしてようやく彼女の体が目の前に来た時だった。

彼女の足が僕の腹を直撃する。

「あふっ。」
「あははははっ!」

小気味よい笑い声が遠ざかっていく。

「服汚れちゃっただろ!ご飯どうすんのさ?」
「カップ麺!」

再びこちらにきた足は、今度はちょんと触れる程度だった。

「なんかさ、いいよなぁ。ブランコ。ぶらぶら揺れるー。」

彼女が口ずさむ。

「祐介がー遠ざかるー、祐介がー近づくー。」
「楽しいのか?」
「楽しいよ、なんか昔の私達みたいじゃない?」

近づいて。
遠ざかって。

よっ。
と彼女はブランコを飛び降りた。
僕のすぐ隣に並ぶ。

「あー、こんな気分の時に吸うタバコは美味いだろうなぁ。」
「医者に1日2本までって言われてたでしょ。」
「ちぇっ、後1本かぁ。」

彼女は軽やかな足取りで公園を後にする。
もちろん僕も一緒にだ。

「あ、じゃあ祐介が粉薬飲んでる時に吸うことにするかな。
あの薬飲んでる時の祐介、顔が岩石系モンスターみたいで最高なんだよね。」
「……なんてやつだ。あの薬本当に苦いんだよ……。」

笑いながらきた道を引き返していく。

今日はなんだか、風が一段と暖かく感じた。

1/31/2023, 11:00:35 AM

お題:旅路の果てに

気が狂いそうなほどに時間が経った。

遠い昔の夢を見た。

「死ぬのは怖くないの。でも、たったひとつ。後悔がある。」

青白い顔。
今にも折れそうな体躯。

死人のような彼女は私にそう告げた。
掠れた声だった。

「私の命が潰えるはずのあの時、身代わりとなった彼を、助けたい。」

座るのがやっとのその身体は、しかし大きな意志を持ってベッドに根付いていた。

その顔を見て気づいたのだ。

ああ、きっと私は1番にはなれなかった。
彼女は心のどこかに、罪悪感と一握りの憧れを常に持ち合わせ、その想いを片時も離さずに私と過ごしていたのだ。

左回りに回る懐中時計。
空に還る雨雫。

動かぬ身体の中で目的を思い出した。

彼女の願いを叶えるのだ。
30年の月日をかけ、そのために私はここにいるのだ。

「あなたを愛していました。」

その答えが嘘であっても良い。


「行こう。」


口を動かした。
長らく言葉を発しなかった喉からは何も音は出なかった。

上から降る雨は私の頬を濡らす。

長い長い旅路の果てに。

行こう。

彼女を。
私の伴侶の願いを叶えるために……。





関連:時計の針

Next