『こうして、終わり、また初まる、人生。』
最終行を読み終わり、ユウヒは、パタンと本を閉じる。古典的なことば使いのこの本を、読むのは既に三回目。より沢山の書物を読み漁りたいユウヒにとって、複数回、しかも三回目以上読むのは、極めて稀である。それほど、お気に入りの本だった。
ユウヒは、無くなってしまったコーヒーを淹れるために台所へ向かう。すると、チチチっと鳴き声を出しながら、使い魔のハツカネズミ、ソワレが近寄ってくる。
「ソワレ。」
ユウヒが片手を差し出すと、ソワレはタタタっとユウヒの肩まで駆け上がる。
『今日は、珍しく集中してたね。』
「ああ、うん。雨だからな。」
『お客さん来ないね。』
「そうだな。」
雨の降る夜。見落としそうに細い路地の奥、小さなユウヒの店に訪れる客など、居やしない。
「今日は、もう閉めるか。」
時間は22時。今日は、もう客も来ないだろう。ポットで沸かしたお湯で、コーヒーを落としながら、ユウヒは、今夜の飯について考える。
「ソワレ、夕飯、何が食べたい?」
『私はナッツでいいけど、ユウヒはお肉食べた方がいいわよ。』
「あー。一昨日買ったのが、あるかな?」
ユウヒは、お湯を注ぎながら、魔法で冷蔵庫を開け、中の肉を取り出し、手元へ引き寄せる。
「うん。期限も大丈夫だろ。」
期限は昨日で切れているけど?ソワレは思ったが、口にはしない。いつもの事だから。
「さて、看板を片付けるかな。」
コーヒーを落とし終わったユウヒは、指をパチンと鳴らす。コンロにフライパンが飛んできて、肉は包みから飛び出し、油と一緒に、そこへ飛び込む。ジューっと肉が焼ける音を聞きながら、ユウヒは玄関に向かい、看板を仕舞った。濡れてしまった看板に手を翳し、風魔法で乾かす。
『ユウヒ!』
「なに?」
『また顔に出ちゃうわよ!』
「……ああ、そうか。」
ぼーっとしていたユウヒは、今度は意識して、腕に魔法陣を浮かび上がらせながら、焼けた肉を皿に移し、冷蔵庫の野菜を切って添える魔法を使った。ユウヒは自分に呪いをかけている。呪いのお陰で、杖も陣も、祝詞さえも不要で魔法が使えるのだ。その代わり、自身の身体に、魔法陣が痣となって浮かび上がる。痣だらけのユウヒは、街で浮いた存在だ。当の本人は気にして居ないのだが、顔に痣を作ると、さらに客足が遠のく。
「さて、飯にするか。」
ユウヒはテーブルにつくと、ナイフとフォークを呼び出す。小皿を出して、ソワレのナッツも忘れずに。
「いただきます。」
『いただきます。』
しばらく、一人と一匹が食事をする音だけがする。この静かな家で、ユウヒの一日は、今日も過ぎていく。
今日の私は、浮ついた気持ちで、南棟の階段を上がっている。今日の天文学の授業は、日が暮れた後、南棟の屋上から星を探す実習。そして、私の通う、このムガルズム魔法学校の「冬の特別開放授業」の日でもある。南棟の階段は、学校の生徒だけでなく卒業生や他の魔法使い、近所の人までやってきて、人が溢れかえっている。やっと広い屋上へ出て、さっそく人探し。……まだ来てないみたい。
「ユキちゃん!」
「キタくん!」
階段の方から声がして、私が探していた人が、やってくる。キタくんは、私と同い年の魔法使い。まだ二人とも見習いだけど。今年の「春の特別開放授業」で知り合って、それから。
「久しぶり……だね。」
「うん。でも、お手紙は貰ってるから。」
「秋の時よりは久しぶりな感じしないかも。」
「うん。」
この間、と言っても3ヶ月くらい前だけど、「秋の特別開放授業」の時から、キタくんと私は文通をしている。えっと、多分、お付き合いしてる、よね?キタくんの「好き」が、どんなものか、ちゃんと聞けてないけど……。
「あ、文通といえば、ね。」
「うん。どうしたの?」
「フクロウ郵便って高額でしょ?普通郵便もお金はかかるし。」
「あ、うん。」
フクロウ郵便は、確実に相手にだけ手紙を届けてくれる郵便で、普通の郵便より少し高い。でも、一人暮らしのキタくんと違って、学校の寮生活の私の所へは、普通郵便だと迷子になってしまいがちだし……。
「もしかして、文通やめたい?」
「えっ!」
私もフクロウ郵便を使う事はあるけど、普通郵便で出してしまうこともある。逆に、キタくんにはフクロウ郵便しか選択肢が無いし。少し落ち込んだ私の顔を見て、キタくんはブンブン音が出そうなくらい首を横に振る。
「違うんだ!あの、兄弟子のニシさんって人に相談して。いや、ユキちゃんに送ってるとは言ってないんだけど。」
「うん。」
「その、えっと、ちょっと手間がかかっちゃうんだけど、これ。」
キタくんが肩にかけた鞄から出したのは、綺麗に折りたたんだ紙が一枚。
「これは?」
「魔法陣なんだ。これに手紙を載せると、頭に浮かべてる人の所に届くんだって。ただ、受け取る側も同じインクで書かれた魔法陣を持ってなきゃいけないらしくて。」
はい。と言って差し出された紙。そっと開くと、複雑な魔法陣が書いてある。
「2、3回は使えるらしいんだけど、もっと送りたければ、複製していいって言われたんだ。それで、えっと。」
キタくんは、困った顔をしながら、鞄から小さなインク瓶を取り出した。
「一応なんだけど、このインクも受け取って欲しくて。」
手を差し出すと、そっとインク瓶が載せられる。中のインクが、ゆらりと揺れた。
「僕も何枚か書いてみたんだけど、結構複雑で大変なんだ。ユキちゃんが、魔法陣書くの苦手って言ってたから、どうしようか迷って。僕が書いて同封するつもりでは居るんだけど、どうしてもユキちゃんが送りたい時は、これで書いて貰えれば」
「ううん。要らない。」
「……え?」
インク瓶を見ていた私が顔を上げると、キタくんが、びっくりした顔で固まっていて、今度は私が大慌て。
「ちがう!違うの。要らないのは、魔法陣……えっと、キタくんが書いた魔法陣は入れないで大丈夫。私も頑張って書いてみたいから。」
「……そう?」
「うん。私も頑張ってみる。」
「……そっか。よかった。」
ホッとしたのか、キタくんは、ふわりと笑顔になる。私、その顔、大好きなの。
「文通もいいけどさ。」
「うん?」
「こうして、直接会えるのは、やっぱり嬉しいね。」
「うん!」
キタくんが、手を伸ばして、そっと私の手を取る。私がギュッと握ると、嬉しそうに握り返してくれる。ざわざわと、沢山の人で賑わう屋上で、ここだけは二人の世界かも。
「はい!皆さん!授業を始めますよ!」
その時、先生の声が響いて、同時にパッと手を離す。二人で顔を見合わせて、ふふふっと笑った。
この後、いつものように、星の位置が全然分からない私に、キタくんは丁寧に場所を教えてくれた。それから、先生が見回っている待ち時間に、キタくんの兄弟子さんの話を聞かせてもらう。その人は、この学校の卒業生でマント魔法が得意なんだって。
「瞬間移動の魔法が使えたら、もっと沢山ユキちゃんに会えるのに。」
「……もっと、沢山会いたいの?」
「もちろん!文通も楽しいけど、こうやって一緒に話せるのは、すごく嬉しいから。」
「私も。」
「ニシさんに瞬間移動の魔法も教えてもらおうと思ったんだけど、『恋人との距離感は大切にしろよ』って言われて。」
「恋人?」
「あっ!違っ、えっと、僕は直接言ってないんだけど、何でかバレてて。」
「私たち、恋人なの?」
「……え?」
「ち、違うの。私、すごく嬉しい!」
「そっか。良かった。僕もユキちゃんと恋人になれて、嬉しいよ。」
良かった。私たち、恋人なんだ。
「ふふふ。」
「キタくん?どうしたの?」
キタくんは、優しく笑う。
「僕たち『違う違う』が口癖みたいになっちゃったね。」
「確かに、そうかも。」
「でも、すれ違えるのも、会話してる感じがして嬉しいな。僕、もっと色んな魔法を勉強しようと思う。」
「私も!」
魔法が苦手だから、なんて引き篭っていてはダメなんだ。こんなに沢山考えてくれているキタくんに負けないくらい勉強しなきゃ。魔法使いの弟子になる道を選んだキタくんは、ただ学校に通っているだけの私より、ずっとずっと二人のこれからを考えてくれている。まずは、魔法陣が書けるように、たくさん練習しよう。キタくんに貰ったインクは本番用に取っておかなきゃ。
「あのさ、早速なんだけど。」
「うん?」
「帰ったら、魔法陣でインク瓶を送ってもいい?僕の家に、まだインクあるから。」
「え?」
「ユキちゃんも書きたいって言うとは思ってなくて。文通の魔法陣用に、大きなインク瓶買っちゃって、まだ沢山あるんだ。」
そう言うと、キタくんは恥ずかしそうに頬をかく。そっか。キタくんが書いて送ってくれるつもりだったんだもんね。
「うん。机の上に広げておくね。」
「うん。電車で帰るから、明日の昼間になっちゃうんだけど、必ず送るから。」
「分かった。キタくん、ありがとう。」
「こちらこそ!」
今度は、私から手を取る。キタくんもギュッと握り返してくれて。やっぱり、直接会えるのって、すごく嬉しい!その時だった。私とキタくんの前で、流れ星が光る。
「「あっ!」」
「すごーい!流れ星だぁ!」
「わー!きれーい!」
沢山の流れ星が流れて、屋上がざわめく。
「今日は、ダチャボタ流星群の日です!みんな、お願いごとをどうぞ!」
先生の声が響く。
「すごい!ダチャボタ流星群は50年に一度の流星群なんだ。こんなにちゃんと見れるとは、思ってなかった。」
隣で呟くキタくんの瞳に、流れる星が映る。星は次から次へと沢山流れて来て。
「ねぇ、ユキちゃん。」
「ん?」
「次のダチャボタ流星群も一緒に見れるように、お願いしてもいいかな?」
「えっ!?」
そう言うと、キタくんは目を閉じて、星に祈りだす。私も慌てて、目を閉じて、星に祈る。
『どうか、次の流星群も一緒に見れますように。』
50年後。遠い未来。まだ一緒に居ても、もし離れてしまっていても。同じ流星群を、また、こうして隣で見れますように。
台所で皿洗いをしているキタは、足元に居るファキュラに話しかける。
「ファキュラは何かお願いごとはある?」
「おねがいごと?」
「そう。明日は、年に1回、お星様がお願いごとを叶えてくれるんだよ。」
「そうなんですね!えっとぉ、えっとぉ。」
ファキュラは悩み始める。おやつが、もっとたくさん食べれますように?苦手なお野菜が食べれるようになりますように?
「キタくんは?何をおねがいするんですか?」
「僕?僕はねぇ、『立派な星読みになれますように』。」
「りっぱな、ほしよみ?」
「そう。夜空の星を見て、人の役に立つ情報を集める仕事だよ。僕の目標。」
「すごいです!」
「ふふふ。」
洗い終わった皿をカゴに立てていく。今日は、ガク師匠の家に、収穫の手伝いに来ている。偶然、仕事が忙しいニシさんによって預けられた、使い魔のファキュラが居て、こうして相手をしている所だ。
「ファキュラはねぇ、おおきくなりたいです!」
「大きくなるの?」
「そうしたら、ニシさんの、おてつだいができます!」
「そうか。偉いね。」
「えへへ。」
ファキュラは使い魔だ。しかも、愛玩用だと聞いている。元の主人は亡くなっていて、ニシさんは引き取っただけだと言うし、身体を大きくするのは難しいかもしれない。何より、二足歩行とは言え、手足は猫のように、指が短くて肉球が付いてるし。物が上手く持てないかも。
「ファキュラの、いちばんのおねがいは、ね。」
「うん?」
「ニシさんと、ずっといっしょに、いることです!」
「そっか。じゃあ、ニシさんの事、大好きで居てあげてね。」
「うん!」
皿を洗い終わったキタは、タオルで手を拭くと、ファキュラの手を取る。
「じゃあ、向こうで、お願いごと書こうか。」
「おねがいごと、かくんですか?」
「そう。神様が見えやすいように、高い木の上に結ぶんだよ。あとで、ミナミさんに結んでもらおう。」
「はい!ファキュラ、じぶんで、かけますよ!」
細長く切った紙に、キタとファキュラは願い事を書く。一番のお願いか。もしも、願いがひとつしか叶わないなら、自分は何を願うんだろう。キタは自問自答する。
「キタくん。あのね。」
「どうしたの?」
「もっとお願いごとしていい?」
「きっと大丈夫だよ。新しい紙に書く?」
「うん!」
別に、神様への願い事は、ひとつじゃ無くても、きっと大丈夫。キタも新しい紙を手に取る。
「おいしい、やさいが、ふえます、ように。」
「ふふふ。」
「キタくんは?なんて書いたの?」
「内緒。」
「ないしょ?」
「そう。お願いごとは、秘密だよ。」
「ふふふ。ひみつです。ファキュラのも、ないしょですよ!」
「そうなの?」
「おいしくないのも、がまんして、たべます!」
「えらいね。」
「ニシさんに、おしえてもらいました。」
それから、二人は、たくさんの願い事を書いた。すぐに叶いそうな願い事から、人生の目標まで。二人が書いた紙を見て、ミナミさんがため息をつくくらい、たくさん。
「ちょっと、キタも手伝ってよ。いっぺんに持てないわ。」
「僕、ちょっと高いところが……。」
「大丈夫。『高いところも大丈夫になりますように』。これで完璧よ。後ろに乗って?」
「なんで、ミナミさんが僕のお願い書くんですか!」
「いいから、乗ってよ。片手は箒に掴まってていいから。」
「両手で掴まりたい。」
紙を半分持たされて、仕方なく、ミナミさんの箒にまたがる。
「ミナミさん、キタくん。おねがい、かなうといいね!」
「一番高い所に、結んで来るわ。待っててね。」
「はい!」
「うわっ!」
ミナミはキタを乗せて、高く飛び上がり、庭で一番高い木に、お願いごとを括り付ける。
「ミナミさん!まだですか!」
「あんた達が沢山書くからでしょ。もうちょっと我慢。ほら、貸して。」
「うぅ。」
キタは、ぎゅっと目を閉じたまま、しばらく箒に掴まっていた。
書斎にある、ガクの大きな机。その向こうに、窓がある。ふと顔を上げると、窓枠に一羽の小さな鳥が降り立つ。
「ああ、春だねぇ。」
ガクは、窓をそっと開けて、小鳥に指先を差し出す。不思議そうな小鳥を前に、指先を擦り合わせると、その指先からパラパラとパンくずが出てくる。小鳥は、それを啄むと、チチチと鳴きながら飛び立った。暖かい風が、開けた窓から入ってくる。まだ巣立ったばかりといった頃合の小鳥が親鳥に混じって、チチチっと空を横切る。
「ちょっと!ガク!」
台所の方から、同居している一番弟子のミナミの声がする。
「また摘み食いしたの?!パンが欠けてる!」
おっと。バレてしまった。若鳥が可愛くて、ついつい、パンをあげすぎてしまった。ガクは指先に残ったパンくずをペロリと舐める。うん、美味しい。
「美味しかったよ。」
「まったく。お昼ご飯にするわ。出てきてちょうだい!」
「はいはい。」
ガクは窓を閉め、机の上に読みかけだった本を置いて、ダイニングへ向かう。今の一番弟子のミナミは「式使いになりたい」と、ガクの元にやってきた。もう充分に、式使いとして立派になった今も「恩を返したい」と、この家に一緒に住んでいる。ガクとしても、家事をしてくれるのは、とても助かっているので、ずっと同居している。いくら魔法に長けているからと言って、もう老いぼれの私と一緒に住んでいてくれるミナミには感謝しかない。
「さぁ。今日は、チーズオムレツよ。」
「おお!私の好きなオムレツだ。」
「ガクに嫌いな物なんて無くない?」
「みんな美味しいからね。」
まぁ、気に入らない味があっても、魔法で調節すればいい。そんな事を、若い頃のガクは繰り返していた。幸いにも、ミナミの料理に使ったことは無いが。
「いただきます。」
「召し上がれ。いただきます。」
二人で食卓を囲む。美味しい食事、綺麗な部屋。ミナミには本当に感謝しかない。
「そうだ。」
「どうしたの?」
「昨日読んだ本に、新しい窓磨きの魔法が載っていたから、後で試してみたい。」
「そうね。キッチンの窓は少し汚れたかも。私にも教えてくれる?」
「もちろん!」
そうなれば、のんびり食事をしている場合では
「ガク!」
「なんだい?」
「魔法は逃げないから、よく噛んで食べて。」
ああ、そうか。魔法が好きすぎるあまり、寝食を疎かにする。私の悪い癖だ。
「ああ。そうだね。」
「そうよ。私の作ったオムレツ、味わってね。」
「ああ。分かった。」
いくつも年下で、弟子であるミナミには、こうして助けられてばかりだ。
「ミナミ。」
「なに?」
「本当にありがとう。」
ミナミは、びっくりした顔をして、それからニコリと微笑む。
「いいわよ。その代わり、また新しい魔法を教えてね。」
「ああ。」
私には、たくさんの弟子が居た。その多くが、教えを乞うた魔法が使えるようになると、私の元から巣立っていった。今、私の元に居る弟子は4人。みんな、私を好きで居てくれるようだが、いつかは巣立っていくのだろう。それは、きっと、ミナミも同じだ。だが、今は。今だけは、私と一緒に、同じ時間を過ごしておくれ。いけないことだと分かっていても、そう願わずには居られなかった。
-ねぇ、この学校に誰にも開けられない教室があるんだって。
なんて噂が流れているが、旧校舎の13階北の端に、その教室はある。その部屋で、ユウヒは今日も本を読んでいた。寝転んで読めるように、大きなクッションを持ち込み、床は掃除魔法で定期的に掃除している。部屋には結界魔法を三重にかけ、物理的に錠もかけているが、そもそも扉が見つからないように、廊下を短く見せる魔法もかけてある。こうすれば、その先に教室がある事自体を隠せる。まぁ、旧校舎、しかも寒い北側に用事のある奴なんかほぼ居ない。ユウヒはここで一人の読書タイムを毎日楽しんでいる。
今日の本は、街で買った恋愛小説。何がいいのか分からなかったが、この世の本をひとつ残らず読み切りたいユウヒにとっては避けられない本だった。
コンコン
その時、誰にも見つからないはずの扉から音がする。
『ユウヒ〜?』
声の主は、同級生のニシだった。ニシは、ある日、図書館に居たユウヒに声をかけてきた、変わり者である。変わり者だと、ユウヒは思っているが、同じクラスで授業を受ければ、何でもそつなく熟す優等生。そんな優等生が、何の用だ。そもそも、どうして此処が分かった?ユウヒは息を潜める。
『困ったなぁ。ソワレ、本当にココ?』
「ソワレ!」
ユウヒは、大事な使い魔ソワレの名前を聞いて、慌ててドアを開ける。無理やり情報を聞き出すために、酷い扱いを受けているかもしれないと思ったが、ソワレは、ニシの肩に何事も無く乗っていた。
「やぁ、ユウヒ。探したよ。」
「てめぇ!ソワレに何しやがった!!」
ユウヒは、ニシの胸ぐらを掴む。
「道案内をお願いしただけだよ。ソワレならユウヒの場所が分かるって聞いたから。」
「ソワレ?」
『そうなの。ユウヒを探して、寮の部屋まで来てくれたから。』
ソワレは、トトトっとユウヒの腕を登って、ニシの肩からユウヒの肩へ。
「この本、返したくて。君の私物だろ?」
ニシが取り出したのは、分厚い魔導書。瞬間移動魔法の原理を分析解説した本だ。瞬間移動についての本は無いかと聞かれ、教えてやった本の一冊。
「寮に置いときゃ良かっただろ!」
「まぁ、ソワレに会っちゃったから。ね。」
『ね。』
ニシは、いつの間にか、意思疎通魔法を使ったらしく、ソワレと仲良さそうに会話している。ユウヒは、大きくため息をついた。
「それにしても、すごい部屋だね。」
ニシは、教室の中を覗き込む。そこは内装の決められた寮の部屋よりも、よほど自由で過ごしやすそうな空間だ。大きな敷物にソファーサイズのクッション、お菓子とお茶が置かれた棚に、冷蔵庫、お湯を湧かせる簡易キッチンまである。
「うるせぇ。用が済んだなら帰れ。」
「お邪魔します。」
「ちょ!勝手に入るなよ!」
「ちゃんと、お邪魔しますって言ったろ?」
「許可してねぇ!」
『どうぞ。狭いところですが。』
「ソワレ?」
「狭くなんか無いよ。充分、広い。お茶を入れても?」
「勝手に触んな!」
『わたし、ミルクがいいわ。』
「あー、冷蔵庫にあるかな?」
「ソワレ!」
ユウヒの肩に乗ったソワレは、ユウヒの顔に手をつく。
『いいじゃない。友達は、居た方がいいもの。ニシは良い人よ。私が保証する。』
「……。」
冷蔵庫を勝手に覗いていた、ニシが顔を上げる。
「ミルクは切れてるみたい。待って、俺の部屋にあるかも。」
そう言うと、ニシは祝詞を唱え、マントの中からミルクの入った瓶を取り出す。
『わぁ!どうやったの?』
「あー、俺、ズボラだから。どこに居ても取り出せるように、冷蔵庫を魔法棚に改良してて。」
魔法棚とは、魔法陣を書いた棚の事。魔法陣の上に乗せた物をマントで自由自在に、取り出したり戻したり出来る。難易度高めの魔法を使うニシを見て、ユウヒはやっと肩の力を抜く。
「お前、マント魔法『だけ』は得意だよな。」
「あはは。まぁね。ついでだから、僕らもミルクティーにしよう。ユウヒも飲めるだろ?」
「……。」
ユウヒは、こくりと頷く。むしろ、ミルクティーは好きな方だ。仕方ない。念の為、錠を閉めて、結界を張り直す。部屋の温度が少し上がって、紅茶のいい匂いが漂い始めた。まぁ、今日だけだ。紅茶を飲み終わったら、即刻退場願おう。
「さぁ、出来たよ。机と椅子は、これでいっか。」
教室の隅に積み上げられた、学習机と椅子を下ろして、掃除魔法をかけているニシ。時に強引なこの男と友達になんかなれるかよ。そんな気持ちで、ユウヒは席に着く。ニシの淹れたミルクティーは、とても美味しかった。まぁ、今回の件のお詫び位にはなるか。二人と一匹は、ティータイムを楽しむ。
マント魔法の得意なニシが、瞬間移動魔法で、この後、何度もこの教室にやって来る事を、ユウヒは、まだ知らない。