書斎にある、ガクの大きな机。その向こうに、窓がある。ふと顔を上げると、窓枠に一羽の小さな鳥が降り立つ。
「ああ、春だねぇ。」
ガクは、窓をそっと開けて、小鳥に指先を差し出す。不思議そうな小鳥を前に、指先を擦り合わせると、その指先からパラパラとパンくずが出てくる。小鳥は、それを啄むと、チチチと鳴きながら飛び立った。暖かい風が、開けた窓から入ってくる。まだ巣立ったばかりといった頃合の小鳥が親鳥に混じって、チチチっと空を横切る。
「ちょっと!ガク!」
台所の方から、同居している一番弟子のミナミの声がする。
「また摘み食いしたの?!パンが欠けてる!」
おっと。バレてしまった。若鳥が可愛くて、ついつい、パンをあげすぎてしまった。ガクは指先に残ったパンくずをペロリと舐める。うん、美味しい。
「美味しかったよ。」
「まったく。お昼ご飯にするわ。出てきてちょうだい!」
「はいはい。」
ガクは窓を閉め、机の上に読みかけだった本を置いて、ダイニングへ向かう。今の一番弟子のミナミは「式使いになりたい」と、ガクの元にやってきた。もう充分に、式使いとして立派になった今も「恩を返したい」と、この家に一緒に住んでいる。ガクとしても、家事をしてくれるのは、とても助かっているので、ずっと同居している。いくら魔法に長けているからと言って、もう老いぼれの私と一緒に住んでいてくれるミナミには感謝しかない。
「さぁ。今日は、チーズオムレツよ。」
「おお!私の好きなオムレツだ。」
「ガクに嫌いな物なんて無くない?」
「みんな美味しいからね。」
まぁ、気に入らない味があっても、魔法で調節すればいい。そんな事を、若い頃のガクは繰り返していた。幸いにも、ミナミの料理に使ったことは無いが。
「いただきます。」
「召し上がれ。いただきます。」
二人で食卓を囲む。美味しい食事、綺麗な部屋。ミナミには本当に感謝しかない。
「そうだ。」
「どうしたの?」
「昨日読んだ本に、新しい窓磨きの魔法が載っていたから、後で試してみたい。」
「そうね。キッチンの窓は少し汚れたかも。私にも教えてくれる?」
「もちろん!」
そうなれば、のんびり食事をしている場合では
「ガク!」
「なんだい?」
「魔法は逃げないから、よく噛んで食べて。」
ああ、そうか。魔法が好きすぎるあまり、寝食を疎かにする。私の悪い癖だ。
「ああ。そうだね。」
「そうよ。私の作ったオムレツ、味わってね。」
「ああ。分かった。」
いくつも年下で、弟子であるミナミには、こうして助けられてばかりだ。
「ミナミ。」
「なに?」
「本当にありがとう。」
ミナミは、びっくりした顔をして、それからニコリと微笑む。
「いいわよ。その代わり、また新しい魔法を教えてね。」
「ああ。」
私には、たくさんの弟子が居た。その多くが、教えを乞うた魔法が使えるようになると、私の元から巣立っていった。今、私の元に居る弟子は4人。みんな、私を好きで居てくれるようだが、いつかは巣立っていくのだろう。それは、きっと、ミナミも同じだ。だが、今は。今だけは、私と一緒に、同じ時間を過ごしておくれ。いけないことだと分かっていても、そう願わずには居られなかった。
3/10/2025, 1:59:21 AM