永身未来

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10/4/2025, 10:29:58 AM

あれは、とてもきれいだった。かみさまみたいだった。あわいふんいきで、あまりにももろかった。
 秋が訪れた頃、あたりを吹き抜ける風は少し肌寒かった。赤く色づいた落ち葉が風によって運ばれ、落ち葉の渦を作る。私は一人、道を歩いていた。君のいない道を。いつもなら、隣にいて、犬みたいにキャンキャン吠えて付き纏ってくるのに、今日はいない。今日もいない。冷たい風に吹かれ、心が少し流された気がする。風だけはもう冬だ。
「さむぅい。今年もこの季節が来てしまったね。」
私は誰かに話すかのように言った。それは、帰ってくるはずのない返事を、期待していたから。
「……。」
毎度、毎日。期待しては勝手に虚しくなる。まだ、彼がいたあの幸せな空間を、忘れられずにいる。彼の声も、顔も、言葉も、温もりも、表情も、全てミリ単位で覚えているのに。君の死に顔も、冷たい肌も、ガサついた髪も、昨日のことのように思い出してしまうのに。彼のいる日常を、彼のいない日常を、どっちも知っているのに。私は、彼が死んだことも、彼が生きていたことも、全て否定したくなる。
「……さむい。さむいよ。どうしてこんなにさむいんだろうね。」
私は右手を見つめた。彼がいなくなってから、右手だけ、手袋をつけ忘れる。それは、彼がいつも右手にいたからだろうか。
「……もう、冬か。」
私は空を見上げた。雲一つない晴天で、元気な子供たちの声が聞こえる。鳥のさえずりも、車の走り去る音も、枯れ葉が舞い上がる音も、全て聞こえる。なのに、彼の声だけ、聞こえない。いつも、下から聞こえていた、耳障りな彼の声。低くて、優しくて、温かい、あの、癪に触る声。それが、ちっとも聞こえない。頭の中で反響して、消えるだけ。外から聞こえることは、もうない。彼の新しい言葉を聞くことも、もうない。ふと、右下を見る。私の隣は空いたままだ。もう、彼はいない。そんなわかりきったことを、私はやっと理解した。涙は溢れ、腫れた目尻がヒリヒリする。彼がいなくなってから、何も悲しいことなんてないのに、涙が出てくる時があった。それは、私の意識の及ばないところで、彼が死んだ事実に気付き始めていたからだろうか。その時に流れていた涙のせいで、私の目尻は常に腫れていた。それのせいで、涙が流れるごとに、ものすごく痛い。だが、涙は止まらず、私は顔を歪めてくしゃくしゃにして、うずくまってしまった。声を上げて泣いた。人目を気にせず泣いた。ここで泣かないと、いよいよ人間ではなくなる気がして。泣いた。私は泣いた。何かに謝るようにうずくまり、泣いた。私の頭の中には、走馬灯のように、彼との幸せな空間が広がっていた。もう顔も声も言葉も、温もりも、表情も何もかも忘れてしまった彼との幸せな空間。曖昧な空間。だが、私はそれに頼るしかなかった。それしか、思い出せなかった。あれは、とても綺麗だった。神様みたいだった。淡い雰囲気で、あまりにも脆かった。
 私は後に、路上でうずくまり、泣きじゃくっていたところを後輩に見つかった。そして介抱された。その時は酷い顔だっただろう。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、しゃくり上げて息を吸い、痺れておぼつかない足取り。なんて頼りない先輩だ。私は後輩の肩を借り、会社の医務室に寝かされた。
「太宰さん、大丈夫ですかね?」
後輩は医務室にいる専属医に問うた。
「中原がいなくなってから、記憶喪失になったり、急に泣き出したり。情緒も不安定だしねぇ。」
後輩は心配そうに寝台に寝転がる彼を見た。
 私は今日も想いをはせる。もう誰かもわからない彼を想って。名前も、顔も性格も、全て忘れてしまったけれど。彼を想うたび、胸が熱くなって、幸せな気持ちになる。かすかに思い出せる彼との幸せな空間を夢にまで見て、私はかつての恋人であった誰かを想う。

9/21/2025, 12:28:05 PM

「なんで……」
そう呟いた私の顔は酷いものだっただろう。何十件とたまるメッセージ。目の前の伏せられた液晶でどんどんとたまっていく。そして、ある時ぴたりと止んだ。私はそこで覚悟を決める。送り主は、私のカノジョ。内容は、とてもじゃないが、言えない。恐る恐る覗くロック画面。まとめられたプッシュ通知に隠れる、私とカノジョの幸せそうなツーショット。山の頂上の花畑。雲一つない快晴に優しい風が吹き、無数の花びらが舞い上がる。その中央に手を繋ぎ、身を寄せ、照れ臭そうに笑うカノジョと私。そこに来ていた、他の人に撮ってもらった写真。奇跡の一枚。私の宝物。
まとめられたプッシュ通知を押して、一つ一つバラバラにする。そこに、恐ろしい文字が並ぶ。連続で同じ言葉が並んだと思えば、自暴自棄になる文字。私は震える手でそれのうち一つを押す。パスワードを打ち、すぐに切り替わる画面。手の震えが止まらない。表示されたトーク画面。そこには短い言葉が何個も重ねられている。最初は可愛い発言だったのに、既読がつかないからかだんだんと不穏になっていき、最終的には同じ言葉を何度も重ねている。私は恐怖と好奇心の入り混じった目で文字列を追っていく。恐怖で溢れかえっていく液晶画面。私はそれを一つ一つ読み、背中に冷や汗がつたう。最後、送られてきていたメッセージに、私は腰を抜かした。
"まってていまいく"
それをちょうど読み終わった時、インターホンが鳴った。手汗が吹き出し、こめかみから頬にかけて力が入る。私は汗でびしょびしょになり、指一本動かなくなった。暫く、妙な静けさが私を包む。そろそろ帰っただろうかと、玄関を見に行こうと動こうとする。だが、ちょうどその時、玄関の方からカチャリと音がした。それから玄関の扉が開き、誰かが入ってくる。トテトテと可愛らしい音を立ててくるカノジョ。私は布団に潜り、来ないでくれと祈るばかり。だが、そんな祈りを無視して、カノジョは一直線に私のいる部屋の扉を開けた。そして私の潜っている布団をひっぺがし、その拍子に無防備に仰向けになってしまった私に馬乗りになり、叫ぼうと口を開いたところに、カノジョはキスをした。舌が私の歯茎をいやらしくなぞり、口内を犯される。なんとか抜け出そうと体を捻り、顔を動かしたが、カノジョは腕で私の頭を固定し、酸欠からか、体の動きも鈍くなり、やがて私の動きは停止した。それを確認した後、カノジョは唇を離し、ぼうっとしている私を見て微笑んだ。
「なぁんだ、いるじゃねぇか。心配して損したぜ?ダァリン。」
私は過呼吸気味に、カノジョの名前を口にする。
『ちゅ、や…、』
中也。私のカノジョの名前。
「なんで未読無視するんだ?俺結構心配してたんだぞ?」
首をコテンと傾け、眉毛をハの字に下げる。カノジョはそのゴツゴツとした手で私の唇に触れ、割れ物を扱うかのように頭を撫でてきた。
『あ"、、ご、ごめ、ぁう"』
目尻に涙がたまる。顔が熱くなるのがわかる。
「ふはっ、そんな可愛い顔すんなよ。」
そう言って、カノジョはいっそう愛を含んだ目でこちらを見た。そして嬉しそうに顔を歪め、笑っている。そして、優しく私の頭を撫でていた手が、急に髪の毛を鷲掴みにして、カノジョの方へ引き寄せられる。カノジョも私の顔に顔を近づけ、少し動けばキスができそうな距離になる。カノジョは私の目を見つめてきた。そして、低い、唸るような声で、こう言った。
「何無視してんだよ。謝罪なんて求めてねぇんだよ。どういうつもりで俺のこと無視したんだ?」
『あ"……あぅ、ご、ごめ、なさ、…ちが、ちょっと、目を、離してた……だけでっ、』
私は目を瞑りながら必死に答えた。すると、数秒後、私の髪を鷲掴みにしていた手は離れ、私はベットに倒れ込む。そしてカノジョは安心したように笑い、私の頭を撫でた。
「ははっ、そうかよ。わざとじゃなかったんだな?じゃぁ、まぁいい。次はちゃんと返事してくれよ?」
そう言って、カノジョは私の上から退き、私の横に寝転んだ。
「せっかくきたんだし、泊まってくわ。」
カノジョは可愛らしい笑顔をしていた。

9/14/2025, 1:04:29 PM

 どー…ん、パラパラ。どー……ん、パラパララ。打ち上げられる夜の花。それは薄く夜を照らし、私たちの心を浄化する。そして、色鮮やかに輝いては、闇に消えてゆく。その鮮やかさと儚さを、人間は綺麗と言った。その【綺麗】の下で幾つもの物語が生まれてきた。友情や恋情、愛情、沢山の感情が渦巻くステキな物語。それは、魅力的な花。だが、私はその空に咲く輝く花には、これっぽっちも綺麗とは思えなかった。川がサラサラと流れ、開けた河川敷。堤防の上で、舗装されていない土の地面の上に、レジャーシートを敷いて座る。チラチラ生えた雑草は暗くくすんでいて、鬱陶しい。レジャーシートはその河川敷に無数にあって、人も沢山いた。その中で私は、隣に座る彼女を見ていた。空に浮かぶ花___すなわち花火に夢中になり、目をキラキラと見開いている。いつもは見えないうなじに汗が伝って色っぽい。ピンクに染まる頬、結い上げられた髪、赤色の浴衣。全てが"彼"を印象付け、儚い雰囲気が漂う。私は、花火が終わるまで彼の横顔を見つめていた。正確には、目が離せなかった。あまりにも【綺麗】だったから。
 花火が終わり、辺りは自然の音に包まれていた。川はサラサラと流れ、虫の声が戻ってくる。木々の葉と葉が擦れる音、風が辺りを吹き抜け、なびく草の音。そんな自然の中に、私と彼はポツンと座り込んでいた。河川敷には、もう人一人もいない。花火が終わった途端に、他の人間はさっさと退散してしまった。だから、今、ここには私と彼の二人しかいない。彼は相変わらず空を見上げ、私は彼の肩にもたれかかる。すると、彼は私の方を見て、言った。
「なんだよ。」
少し面倒そうな顔をして、こちらをジトリと見つめてくる。そんな彼が愛おしくて、私はフッと微笑んだ。少し湿気の含んだ心地よい風が、私の髪をフワフワと揺らす。
『いやぁ…ね?なんだか、幸せだなぁって。』
私はその胸から溢れ出てくる温かい何かを噛み締めながら言った。そうすると、彼は目を少し見開き、瞬きを二、三回した。その後、彼は優しい笑みを浮かべ、私の頭を撫でてくれた。温かくて、優しい手。その手は、先の私の発言に共感しているような、幸せが滲み出ていた。私は、暫くそのまま、川に映る月を見ていた。胸に集まる幸せを感じながら。
 数分間、そんな時間が続いた。会話はなく、だが二人は満足そうな表情を浮かべていた。そんな中、静寂を破ったのは彼だった。
「今夜は月が綺麗だなァ。」
彼は月を見上げ、ウットリとしていた。見てみると、今夜は大きな満月だった。眩い光が夜を包む。
『私と見てるからだよ。』
私は彼の膝の上に頭をおき、目をつむる。彼は気にすることなく、月を見上げていた。
『馬ァ鹿。手前ェがいなくても月は綺麗だよ。』
そう言ってケラケラ笑う彼。私は片目を開け、彼を見上げた。下から見る彼と、真っ暗な空。自然と、彼の方に目がいく。すると彼は私を見下ろして、ニカっと笑った。
『まぁでも?手前ェがいた方が幾分か綺麗だなぁ。』
そんな照れ隠しな彼の発言に心を打たれる。私はもう片方の目も開け、両目で彼を見た。そして彼の頬に手を添え、微笑んだ。
「素直じゃないねぇ。」
私は起き上がり、彼と向かい合わせに座って、そのまま接吻をした。そして、おでこをくっつけ、お互いの手を握って、密かに永遠を誓う。
彼と見上げた月は、花火の後の静寂を守り続け、私と彼の愛を見守り続ける。

8/31/2025, 8:33:33 AM

太陽の光で、煌めく瞳。艶やかな髪。幽霊じみた白い肌。左右対称な整った顔。乙女のようなしぐさ。肌寒い風が、あたりを吹き抜けていく。
『大好きだよ。』
中学の頃、彼奴はいきなりそう言った。校舎裏で、屈託のない笑みを浮かべながら。

 入道雲が大きくある空。今日は一層暑くて、蝉の鳴き声が五月蝿い日。俺と彼奴は髪や制服のシャツを肌にくっつけ、暑い熱いと言っていた。海沿いの道を通って、これから学校に行く。遠くの方で陽炎が地面を炙り、どこもかしこも暑そうだ。
『あっっっつぅい……!』
彼奴はもう何度目かもわからない言葉を、今さっき初めて言ったように声を上げた。そして、少しでも熱を逃そうと両手で前髪をかき上げた。手を離せばすぐに前髪が落ちてくるからか、彼奴は手で前髪を押さえたまま、歩き続けた。
「おい、前髪上げんじゃねぇ。女子どもが群がるだろうが」
彼奴は顔が良い。それゆえに彼奴のまわりから女が消えることはない。そんな彼奴の貴重なおでこだ。汗や火照った頬で色気ムンムン。そんな色男と俺は、春夏秋冬、小学校から高校生の今の今まで、登校するときはいつも一緒。この時間だけはふたりきりでいられる。
『大丈夫だよぉ…だって態々早めに来てるんだもの。私たち以外誰もいないよ?』
気だるそうに言った彼奴。普段、俺以外(彼奴の親も含め)に向ける格好つけな優男からは想像もつかない程人間らしい。この表情はいつも俺に向けられるもの。
「確かにそうだが……もうちょっとシャキッとできねぇのかよ…」
俺はネクタイを緩め、シャツのボタンを二つ外していく。鎖骨と下に着ていたブカブカの黒いインナーがあらわになり、少しは涼しくなる。だが、まだまだ暑く、腕をまくる。
『ちょ、まって中也鎖骨エロい…インナー見えてるし…汗で張り付いてるせいで余計エロい……抱くよ???』
「死ね」
中也というのは俺の名前。ちなみに彼奴は治って名前。
『非道ぉい!私と心中するって言ったじゃない!死ねだなんて!!私が死んだら中也も死ぬの!!』
治は暑さなんて忘れたかのように手足をジタバタさせ、駄々っ子のようになった。治と心中するなんて言ってない。何故治と死なねばならないのか。
「だぁれが言ったんだよ。ッたく。」
俺は前髪を片手でかきあげた。俺は前髪が長いから手を離してもオールバック状態のままだ。左手で顔を仰ぎながら、俺は右手で肌に張り付いているインナーのフチを持ち、パタパタと肌とインナーの間に風を送る。ちなみにスクールバックはリュックだからな。手ぶらで学校に行ってるわけじゃないからな。
『ちょ、中也乳首見えるッッ!!ヤメテェッ!!』
治は手で顔を覆い、耳を真っ赤にしている。手を離したせいで前髪はぐちゃぐちゃになって降りてきていた。
「手前ェ、色んな女相手してんじゃねぇか。今更男の乳首見て興奮するって……。」
俺は治に少し引きながらも、右手を止めることはなかった。治の方が背が高いので、上から覗き込んでいるような感じなのだろう。治は自棄になったみたいに、叫んだ。
『いや、そんな不埒な関係じゃないし!!女の子とは!!てか僕童貞だからね!?キスすらしたことないからね!?』
「え……?」
嘘だろ……?あまりの衝撃で俺の右手は動きを止めた。というより動かなくなった。肌とインナーは離れていて、治からは乳首が見える状態のまま。
『何その信じられないものを見た目!?僕ヤリチンじゃない!!』
「……そうか。てっきり俺、取っ替え引っ替えに女抱いてるのかと思ってたよ。」
脅し文句でよく抱くぞって言ってるし。
『莫迦なの!?』
彼奴は声が少し裏返り、叫んだ。本当に動揺しているらしい。治は左手で顔を隠しているが、指と指の間から右目がのぞいている。やめろとか言いながらガッツリ見ているのだ。耳まで真っ赤になった治は右手で俺の方を指差しながら、また叫んだ。
『てか早くその乳首隠してくれる!?』
「え?…あぁ、すまん。」
俺はインナーから手を離した。そしたら治は素早くボタンを留め、安心したようにため息をついた。そして治はまだ赤い頬を両手でぐりぐりと揉んだ。そんな治に、俺は純粋な疑問を言った。
「なぁ、童貞だとしても男の乳首だぞ?そんな顔真っ赤にするか?」
すると治は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。その後、少し落ち着いてきていた治の顔が、また赤くなって目を見開いた。
『へっ!?あ、え…と、……うぅ、』
治は顔を両手で隠し、黙ってしまった。乙女かこいつは。
「はぁ。まぁいい。ほら、前髪直せ。」
俺は後ろを指差しながら、治にコームを渡した。治は、俺が指を差した方をチラッと見て、『うげっ、』と声を漏らした。俺が差し出しているコームを手に取り、さっさと前髪をとく。自身の胸ポケットから手鏡を取り出し、前髪を簡単に作っていく。そしたら、汗で濡れてしまっているが、いつもの治に戻った。手鏡で右、左、下と角度をつけて確認し、俺にコームを返した後、ハンカチで口元の汗を拭いた。その後、また手鏡で右、左、下と角度をつけて確認し、『よしっ。』と声を漏らした。そして手鏡を胸ポケットに戻した。
『変じゃない?』
「ああ。大丈夫だ童貞クン。」
『五月蝿いなぁ!ちゅーやはモテないくせに!!』
「あ"?」
そうやって軽口を叩いた後、治は後ろを振り返り、手をあげ、大きく振った。まるで子犬。俺たちの後ろには、女子がいた。治のファンクラブに入っているヤツ。治は女子の方に走っていき、上辺だけの楽しそうな笑みを浮かべた。それに女子は惚れ惚れとして、嬉しそうだった。
「可哀想なやつ。」
俺はポツリと、そう呟いた。今までの、春夏秋冬、小学校から高校生の登校中。今の今まで、その時間だけ、彼奴とふたりきりだった。でも、きっと、もうふたりきりの時間は無くなるのだろう。あの女子から噂は広がって、この時間帯はここに女子が溢れかえる。
 中学校の頃、大好きだと言ってくれた彼奴。初心で純粋な彼奴。常に不安定で、すぐに病んでしまう彼奴。自分を隠すのが悲しいほど上手い彼奴。時折見せる、乙女のような彼奴。それを知っているのは、俺だけ。その表情を見せてくれるのは、俺だけ。気を抜いて話すことができるのは、俺だけ。涙を見せてくれるのは、俺だけ。彼奴の好物を知っているのは、俺だけ。どんどんと減っていく彼奴との時間。ついには消えちまった。
 俺は足早に学校へ向かった。夏の暑さなんて、これっぽっちも気にならなかった。


その日一日、学校で女子に囲まれる彼奴を眺めていたら、いつの間にか放課後だった。女子に取り囲まれ、疲れ気味な顔をした彼奴。女子どもは彼奴の変化には気付けない。きっと、このまま女子に囲まれていたら、彼奴は明日から一週間ほど、学校を休むだろう。
「すまん。こいつ貰うぞ。」
俺は教室の扉らへんにあった、治を取り囲んだ女子の塊を蹴散らし、治の手を有無を言わさずとった。その後、治の顔なんて見ずに廊下を歩いた。女子どもの困惑した顔が、呆然と残った。俺はここいらで有名な不良。女子とはあんまり関わりなんてなかったし、学校で治と話すこともない。だからこそ、《あそこ、仲良いの……?》という女子の声が聞こえたのだろう。
『ふぇ!?えぁ、ちょ、!?』
治は吃驚したように声を上げ、少し体制を崩す。だがすぐに持ち直し、黙った。そのまま廊下を歩き続けた。だが、治は少し廊下を歩いたところで、段々と速度を落とし、やがて静止した。何事かと、俺は治の方を見ると、嬉しそうに頬を染めている治がいた。夕日が窓からさして、治の艶やかな茶髪を琥珀色に反射させる。澄んだ赤茶色の瞳が、夕日でキラキラと光った。幽霊のような白い肌は少し橙色になっており、頬は薔薇色に染まっている。口元には嬉しそうな笑みが溢れていて、俯きがちに右手で前髪をいじっている。
「……手前ェ、たまに乙女になるよな。」
『ふぇっ!?』
治はなんとも情けない声を上げ、『そ、そう?』と恥ずかしそうに言った。治は耳まで真っ赤になったまま、オロオロと俯いた。俺は治が足を止めた理由が気になっていたので、さっさと聞いてしまう。
「んで、なんで止まったんだ?」
すると治の肩が少し飛び上がり、躊躇っているのか、前髪をいじって、左腕をさすって、俺と繋いでいた手を離し、両手で口を隠した。そして、少し潤んだ、期待を秘めた目で見つめてきた。そして、簡単に風で飛んでいってしまいそうな声で言った。
『さっきの、貰うって、その……』
モジモジと遠慮気味な治の顔は、とても可愛かった。

7/30/2025, 9:05:49 AM

僕の青は何時迄もくすんでいる。ぐちゃぐちゃになったテストの解答用紙は、僕の机に乱雑に散らばっていた。机の上には、開きっぱなしの参考書やノート、辞典、椅子から手に取りやすい位置に転がっている文房具。その上に投げつけたかのようにぐちゃぐちゃのテストの解答用紙が落ちていた。時刻は夜中の二時。村のみんなが寝静まり、家の明かり一つもない。ただ、月明かりが眩しく、満月なのが一層、月明かりを強くする。僕のベットの上には脱ぎ捨てられた、しわくちゃな制服。学ランの金色のボタンが、月明かりに反射して星のように光る。制服の下の毛布はボロボロで、長いこと洗われず使われた事が見てとれる。枕は、頭の形に中央ら辺が黄ばみ、汚ならしい枕と、洗れていないのがわかるほどくちゃくちゃなシワだらけの毛布、脱ぎ捨てられた制服が、清潔感をなくす。部屋の入り口付近には本棚があり、参考書や問題集、単語集などなど、勉学に関するものが地面から天井まである本棚にビッシリと並べられている。照明をつけず、薄暗い部屋に1人。僕は窓を開け、外の景色を見ていた。深い青に月の光がじわりと滲む。時々、何かを伝えるかのように光っては消える光の点。それは僕の家の近くの山に落ちては消える。それは流星群だ。僕を絶え間なく吹き付けるそよ風が心地良い。カーテンがその風によって不規則に揺れる。それと同時にカーテンの影も、揺れるカーテンに追いつこうと必死に揺れる。そのタイミングは、ずれる事などあるハズがなかった。僕はふと、机の上のぐちゃぐちゃになったテストの解答用紙を見た。悲しいほど静かなこの部屋に、僕の形をした影がひっそりと佇んでいた。それは語るでもなく、動くでもなく、まるで目を、口を、耳を、失ったかのようで、ただ無感情に佇んでいた。影の中に見えづらくなった僕の部屋の一部は、ただ淋しげな、何も感じないような、そんな雰囲気をしていた。僕はまた、窓の方へと視線を戻し、月をただひたすらに見ていた。大きな、窓縁からはみ出るほどのデカい月を、その全体を捉えようと窓から身を乗り出し上を向く。月は闇夜に溶けるように淡く、儚げだった。その優しく冷たい月光が、夜を支配し、僕の部屋をも支配する。だが、月夜に滲む僕の瞳は、そよ風が慰めてくれるらしい。そして、月夜に吹くそよ風は、僕の部屋をほのかに照らしてくれるらしい。そよ風は冷たいが、僕という障害物に阻まれ、僕のすぐ後ろに行くはずの風が、僕に体当たりをする。そしてそのまま、僕を包み込んで、そのひんやりとしたまばゆい風が、視界の歪みを正していく。静寂に包まれた僕の部屋に、ヒタヒタと、窓のすぐ下の地面におつる音。それは僕の頬に光の線を描き、黒色に染まって落ちる。目尻に溜まったそれは、仕切りに月の光を反射させる。まるで月に照らされた湖のよう。だが、僕はそれに気付かないフリをして、しきりに、月を見た。白くて、黄色みがかった、大きな満月。その輪郭の周りには光の粒子が漂う。雲一つない星がよく見える夜。僕はただ、流星群を見ていた。

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