太陽の光で、煌めく瞳。艶やかな髪。幽霊じみた白い肌。左右対称な整った顔。乙女のようなしぐさ。肌寒い風が、あたりを吹き抜けていく。
『大好きだよ。』
中学の頃、彼奴はいきなりそう言った。校舎裏で、屈託のない笑みを浮かべながら。
入道雲が大きくある空。今日は一層暑くて、蝉の鳴き声が五月蝿い日。俺と彼奴は髪や制服のシャツを肌にくっつけ、暑い熱いと言っていた。海沿いの道を通って、これから学校に行く。遠くの方で陽炎が地面を炙り、どこもかしこも暑そうだ。
『あっっっつぅい……!』
彼奴はもう何度目かもわからない言葉を、今さっき初めて言ったように声を上げた。そして、少しでも熱を逃そうと両手で前髪をかき上げた。手を離せばすぐに前髪が落ちてくるからか、彼奴は手で前髪を押さえたまま、歩き続けた。
「おい、前髪上げんじゃねぇ。女子どもが群がるだろうが」
彼奴は顔が良い。それゆえに彼奴のまわりから女が消えることはない。そんな彼奴の貴重なおでこだ。汗や火照った頬で色気ムンムン。そんな色男と俺は、春夏秋冬、小学校から高校生の今の今まで、登校するときはいつも一緒。この時間だけはふたりきりでいられる。
『大丈夫だよぉ…だって態々早めに来てるんだもの。私たち以外誰もいないよ?』
気だるそうに言った彼奴。普段、俺以外(彼奴の親も含め)に向ける格好つけな優男からは想像もつかない程人間らしい。この表情はいつも俺に向けられるもの。
「確かにそうだが……もうちょっとシャキッとできねぇのかよ…」
俺はネクタイを緩め、シャツのボタンを二つ外していく。鎖骨と下に着ていたブカブカの黒いインナーがあらわになり、少しは涼しくなる。だが、まだまだ暑く、腕をまくる。
『ちょ、まって中也鎖骨エロい…インナー見えてるし…汗で張り付いてるせいで余計エロい……抱くよ???』
「死ね」
中也というのは俺の名前。ちなみに彼奴は治って名前。
『非道ぉい!私と心中するって言ったじゃない!死ねだなんて!!私が死んだら中也も死ぬの!!』
治は暑さなんて忘れたかのように手足をジタバタさせ、駄々っ子のようになった。治と心中するなんて言ってない。何故治と死なねばならないのか。
「だぁれが言ったんだよ。ッたく。」
俺は前髪を片手でかきあげた。俺は前髪が長いから手を離してもオールバック状態のままだ。左手で顔を仰ぎながら、俺は右手で肌に張り付いているインナーのフチを持ち、パタパタと肌とインナーの間に風を送る。ちなみにスクールバックはリュックだからな。手ぶらで学校に行ってるわけじゃないからな。
『ちょ、中也乳首見えるッッ!!ヤメテェッ!!』
治は手で顔を覆い、耳を真っ赤にしている。手を離したせいで前髪はぐちゃぐちゃになって降りてきていた。
「手前ェ、色んな女相手してんじゃねぇか。今更男の乳首見て興奮するって……。」
俺は治に少し引きながらも、右手を止めることはなかった。治の方が背が高いので、上から覗き込んでいるような感じなのだろう。治は自棄になったみたいに、叫んだ。
『いや、そんな不埒な関係じゃないし!!女の子とは!!てか僕童貞だからね!?キスすらしたことないからね!?』
「え……?」
嘘だろ……?あまりの衝撃で俺の右手は動きを止めた。というより動かなくなった。肌とインナーは離れていて、治からは乳首が見える状態のまま。
『何その信じられないものを見た目!?僕ヤリチンじゃない!!』
「……そうか。てっきり俺、取っ替え引っ替えに女抱いてるのかと思ってたよ。」
脅し文句でよく抱くぞって言ってるし。
『莫迦なの!?』
彼奴は声が少し裏返り、叫んだ。本当に動揺しているらしい。治は左手で顔を隠しているが、指と指の間から右目がのぞいている。やめろとか言いながらガッツリ見ているのだ。耳まで真っ赤になった治は右手で俺の方を指差しながら、また叫んだ。
『てか早くその乳首隠してくれる!?』
「え?…あぁ、すまん。」
俺はインナーから手を離した。そしたら治は素早くボタンを留め、安心したようにため息をついた。そして治はまだ赤い頬を両手でぐりぐりと揉んだ。そんな治に、俺は純粋な疑問を言った。
「なぁ、童貞だとしても男の乳首だぞ?そんな顔真っ赤にするか?」
すると治は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。その後、少し落ち着いてきていた治の顔が、また赤くなって目を見開いた。
『へっ!?あ、え…と、……うぅ、』
治は顔を両手で隠し、黙ってしまった。乙女かこいつは。
「はぁ。まぁいい。ほら、前髪直せ。」
俺は後ろを指差しながら、治にコームを渡した。治は、俺が指を差した方をチラッと見て、『うげっ、』と声を漏らした。俺が差し出しているコームを手に取り、さっさと前髪をとく。自身の胸ポケットから手鏡を取り出し、前髪を簡単に作っていく。そしたら、汗で濡れてしまっているが、いつもの治に戻った。手鏡で右、左、下と角度をつけて確認し、俺にコームを返した後、ハンカチで口元の汗を拭いた。その後、また手鏡で右、左、下と角度をつけて確認し、『よしっ。』と声を漏らした。そして手鏡を胸ポケットに戻した。
『変じゃない?』
「ああ。大丈夫だ童貞クン。」
『五月蝿いなぁ!ちゅーやはモテないくせに!!』
「あ"?」
そうやって軽口を叩いた後、治は後ろを振り返り、手をあげ、大きく振った。まるで子犬。俺たちの後ろには、女子がいた。治のファンクラブに入っているヤツ。治は女子の方に走っていき、上辺だけの楽しそうな笑みを浮かべた。それに女子は惚れ惚れとして、嬉しそうだった。
「可哀想なやつ。」
俺はポツリと、そう呟いた。今までの、春夏秋冬、小学校から高校生の登校中。今の今まで、その時間だけ、彼奴とふたりきりだった。でも、きっと、もうふたりきりの時間は無くなるのだろう。あの女子から噂は広がって、この時間帯はここに女子が溢れかえる。
中学校の頃、大好きだと言ってくれた彼奴。初心で純粋な彼奴。常に不安定で、すぐに病んでしまう彼奴。自分を隠すのが悲しいほど上手い彼奴。時折見せる、乙女のような彼奴。それを知っているのは、俺だけ。その表情を見せてくれるのは、俺だけ。気を抜いて話すことができるのは、俺だけ。涙を見せてくれるのは、俺だけ。彼奴の好物を知っているのは、俺だけ。どんどんと減っていく彼奴との時間。ついには消えちまった。
俺は足早に学校へ向かった。夏の暑さなんて、これっぽっちも気にならなかった。
その日一日、学校で女子に囲まれる彼奴を眺めていたら、いつの間にか放課後だった。女子に取り囲まれ、疲れ気味な顔をした彼奴。女子どもは彼奴の変化には気付けない。きっと、このまま女子に囲まれていたら、彼奴は明日から一週間ほど、学校を休むだろう。
「すまん。こいつ貰うぞ。」
俺は教室の扉らへんにあった、治を取り囲んだ女子の塊を蹴散らし、治の手を有無を言わさずとった。その後、治の顔なんて見ずに廊下を歩いた。女子どもの困惑した顔が、呆然と残った。俺はここいらで有名な不良。女子とはあんまり関わりなんてなかったし、学校で治と話すこともない。だからこそ、《あそこ、仲良いの……?》という女子の声が聞こえたのだろう。
『ふぇ!?えぁ、ちょ、!?』
治は吃驚したように声を上げ、少し体制を崩す。だがすぐに持ち直し、黙った。そのまま廊下を歩き続けた。だが、治は少し廊下を歩いたところで、段々と速度を落とし、やがて静止した。何事かと、俺は治の方を見ると、嬉しそうに頬を染めている治がいた。夕日が窓からさして、治の艶やかな茶髪を琥珀色に反射させる。澄んだ赤茶色の瞳が、夕日でキラキラと光った。幽霊のような白い肌は少し橙色になっており、頬は薔薇色に染まっている。口元には嬉しそうな笑みが溢れていて、俯きがちに右手で前髪をいじっている。
「……手前ェ、たまに乙女になるよな。」
『ふぇっ!?』
治はなんとも情けない声を上げ、『そ、そう?』と恥ずかしそうに言った。治は耳まで真っ赤になったまま、オロオロと俯いた。俺は治が足を止めた理由が気になっていたので、さっさと聞いてしまう。
「んで、なんで止まったんだ?」
すると治の肩が少し飛び上がり、躊躇っているのか、前髪をいじって、左腕をさすって、俺と繋いでいた手を離し、両手で口を隠した。そして、少し潤んだ、期待を秘めた目で見つめてきた。そして、簡単に風で飛んでいってしまいそうな声で言った。
『さっきの、貰うって、その……』
モジモジと遠慮気味な治の顔は、とても可愛かった。
8/31/2025, 8:33:33 AM