永身未来

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あれは、とてもきれいだった。かみさまみたいだった。あわいふんいきで、あまりにももろかった。
 秋が訪れた頃、あたりを吹き抜ける風は少し肌寒かった。赤く色づいた落ち葉が風によって運ばれ、落ち葉の渦を作る。私は一人、道を歩いていた。君のいない道を。いつもなら、隣にいて、犬みたいにキャンキャン吠えて付き纏ってくるのに、今日はいない。今日もいない。冷たい風に吹かれ、心が少し流された気がする。風だけはもう冬だ。
「さむぅい。今年もこの季節が来てしまったね。」
私は誰かに話すかのように言った。それは、帰ってくるはずのない返事を、期待していたから。
「……。」
毎度、毎日。期待しては勝手に虚しくなる。まだ、彼がいたあの幸せな空間を、忘れられずにいる。彼の声も、顔も、言葉も、温もりも、表情も、全てミリ単位で覚えているのに。君の死に顔も、冷たい肌も、ガサついた髪も、昨日のことのように思い出してしまうのに。彼のいる日常を、彼のいない日常を、どっちも知っているのに。私は、彼が死んだことも、彼が生きていたことも、全て否定したくなる。
「……さむい。さむいよ。どうしてこんなにさむいんだろうね。」
私は右手を見つめた。彼がいなくなってから、右手だけ、手袋をつけ忘れる。それは、彼がいつも右手にいたからだろうか。
「……もう、冬か。」
私は空を見上げた。雲一つない晴天で、元気な子供たちの声が聞こえる。鳥のさえずりも、車の走り去る音も、枯れ葉が舞い上がる音も、全て聞こえる。なのに、彼の声だけ、聞こえない。いつも、下から聞こえていた、耳障りな彼の声。低くて、優しくて、温かい、あの、癪に触る声。それが、ちっとも聞こえない。頭の中で反響して、消えるだけ。外から聞こえることは、もうない。彼の新しい言葉を聞くことも、もうない。ふと、右下を見る。私の隣は空いたままだ。もう、彼はいない。そんなわかりきったことを、私はやっと理解した。涙は溢れ、腫れた目尻がヒリヒリする。彼がいなくなってから、何も悲しいことなんてないのに、涙が出てくる時があった。それは、私の意識の及ばないところで、彼が死んだ事実に気付き始めていたからだろうか。その時に流れていた涙のせいで、私の目尻は常に腫れていた。それのせいで、涙が流れるごとに、ものすごく痛い。だが、涙は止まらず、私は顔を歪めてくしゃくしゃにして、うずくまってしまった。声を上げて泣いた。人目を気にせず泣いた。ここで泣かないと、いよいよ人間ではなくなる気がして。泣いた。私は泣いた。何かに謝るようにうずくまり、泣いた。私の頭の中には、走馬灯のように、彼との幸せな空間が広がっていた。もう顔も声も言葉も、温もりも、表情も何もかも忘れてしまった彼との幸せな空間。曖昧な空間。だが、私はそれに頼るしかなかった。それしか、思い出せなかった。あれは、とても綺麗だった。神様みたいだった。淡い雰囲気で、あまりにも脆かった。
 私は後に、路上でうずくまり、泣きじゃくっていたところを後輩に見つかった。そして介抱された。その時は酷い顔だっただろう。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、しゃくり上げて息を吸い、痺れておぼつかない足取り。なんて頼りない先輩だ。私は後輩の肩を借り、会社の医務室に寝かされた。
「太宰さん、大丈夫ですかね?」
後輩は医務室にいる専属医に問うた。
「中原がいなくなってから、記憶喪失になったり、急に泣き出したり。情緒も不安定だしねぇ。」
後輩は心配そうに寝台に寝転がる彼を見た。
 私は今日も想いをはせる。もう誰かもわからない彼を想って。名前も、顔も性格も、全て忘れてしまったけれど。彼を想うたび、胸が熱くなって、幸せな気持ちになる。かすかに思い出せる彼との幸せな空間を夢にまで見て、私はかつての恋人であった誰かを想う。

10/4/2025, 10:29:58 AM