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11/5/2025, 5:56:54 AM

 この頃、街中を歩いていると、ふっといい香りが漂ってくる。あっと思って辺りを見渡すと、キンモクセイの木が近くにある。ちょうど満開の時期らしく、オレンジの小さな花がこぼれんばかりに咲いている。

 小学生の時、近所に大きなキンモクセイの木があった。まるでクリスマスツリーのような形で、花が満開になると、木の周りをぐるりと取り囲むようにオレンジ色の輪っかができた。土の焦げ茶に映えるオレンジが美しく、まるで美しいカーペットのようだった。

 その大きさだから、香りも他のより何倍も強く感じられた。甘く温かみがある芳醇な香り。すっかり魅了されて、この香りをいつも嗅いでいたいと思った。いくつか花を拾って持ち帰った。水を少し入れた小さなガラスの瓶に入れてみる。コルクの蓋を開けると、かすかに香った。あの量じゃないとあの芳醇さは出ないのかなと思った。

 キンモクセイの香りがすると、どこかノスタルジックな気分になる。夏の暑さも、色々な想い出もすべて放出していくかのように漂っている。


「キンモクセイ」

11/4/2025, 6:48:06 AM

 同期との飲み会では、つい気を許してしまう。一緒に働いている先輩の、仕事はよくできるのだけど、自分にも他人にも厳しい人だという話しをしていた。私はいつも迷惑をかけてしまうとも。
 
 それを少し遠いところから聞いていた君が、「なになに? その人」と言いながら、いつもの人懐っこい笑顔で近づいてきた。話してみると、近々会社の行事で先輩と一緒になることがわかった。「その人と会ってみたいなあ」。いつになく真剣な少し厳しい顔をして言う。時々、妙な正義感を発揮することがあるのだ。「まさか、先輩のところに行ったりしないでよ」。「大丈夫」。

 行事の後、先輩が話しかけてきた。「そういえば、君の同期という人に会ったよ。面白いね、あの人」とイタズラっぽい顔をして言う。こんな顔もするんだと思いながら、少しくだけた感じで色々な話ができた。

 次の集まりの時、君に聞いてみた。「何話したの?」。「別に。どんな人か見たかっただけだから。とても優秀な人と聞いてます、って言ったかなあ」。「あれから、少し話しやすくなった気がする」。「そう? じゃあ、ビールおごってもらおうかな」。「何それ?」。呆れながらも、少し感心してその人懐っこい笑顔をながめた。


「行かないでと、願ったのに」

11/3/2025, 7:29:18 AM

 ちょっとした小悩みがある。
 
 小さい頃、虫や蝶をとるのが楽しみだった。捕まえると、その美しい羽や形をじっくりと観察する。そのうち標本というものがあるのを知った。美しい姿をそのまま残せるなんてと標本を作り始めた。上手に作るのは、なかなか大変だけれど夢中になった。

 大人になって、自分で作らなくなっても標本を見るのは好きだった。博物館などで機会があれば、時を忘れて見入った。
 
 でも、仲の良いあの人は虫が苦手だ。秋の枯葉が舞う公園を一緒に散歩している時、トンボが横切っただけでもビクビクしている。
 
 ああ、もっと親しくなって家に来ることがあったら。あの引き出しに、大切な標本がひとつ入っている。あれを見たらなんて言うだろうか。自分のことを嫌いになってしまうのではないか。
 そのことがずっと気がかりなのだ。


「秘密の標本」

11/2/2025, 6:51:42 AM

 手袋を片方よく落とす。凍えるような寒い朝なのにまた落としてしまった。手袋の手に荷物を持ち、片方の手はポケットに入れて歩く。

 冴えた空気の中、日差しは強い。長いコートに大きめの紐履、まるでペンギンのような影ができている。ペンギンがペタペタ歩いている。今日は、会うかな?と思っていると、「おはよう」と声がして、もうひとつ影が並んだ。

 「そんな格好していると、転ぶよ」。「手袋落としたから」。「また? よく落とすよねえ」。何だか自分でも腹ただしくなってきて、思わず足を早めた。すると、隣に伸びる影からすっと手が伸びてきて肘を掴まれた。ポケットから出た手を手袋の手が包む。「特別に今日は手を掴んでいいよ」と言う。

 「貸してくれるんじゃないの?」。「こっちが寒いでしょ」。手袋の手は大きくて、とてもあたたかかった。この人は、時々こんなずるいことをするんだと思いながらも、つい笑ってしまった。


「凍える朝」

11/1/2025, 9:47:38 AM

 あの時君は、その人のことを光のようだと思っていたのではないか。それならば自分は影かななんて。
 
 光には、必ず後ろに影がある。もしかしたら、光のように思っているその人が、君のことを光だと思っているかもしれない。誰かが光で、他の誰かがその人の影なんかではない。
 
 たとえ、どんなに光輝いているかのように見えても、その人の一面でしかない。もしもその時、光が当たっていたとしても、その人の心のうちはわからない。そんな中でも、ずっと自分の影の部分を見つめているのかもしれないのだから。

 みんな光と影の部分でバランスをとっている。それぞれ違う。どれがすごいとか優れているとか、だめだとか、そんなことでもない。
 

「光と影」

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