長い通路。気紛れな間隔で並ぶ、大きさも形も様々な窓。
ここは、マドノムコウミュージアム。ぼくはここが好きだ。何を考えるでなくぼんやりと、この長い通路を片側ずつを眺めて歩く時間が好きだ。ゆったりと、何に急かされるでもなく。じっくりと、何をためされるでもなく。好きに歩いて、好きに思う。考え事が好きな性質と、とても相性のいい場所だ。
「雨の日の図書館の窓」
タイトルのプレートには、その窓のコンセプトが記してある。窓の近くには椅子がある。弧を描くように並ぶ五つの椅子。同じデザイン、同じ大きさ。見てほしいのは窓だから、こっちは統一しているらしい。窓の向こうを眺める時は、景色を塞がないように、椅子に座るのがここのルール。
僕は窓の一番近くの椅子が好きだ。窓辺に寄り添うように座って、斜めに外の景色を眺める。正面の椅子に誰かが座ると、目が合いそうで少し気まずいのが難点。
窓の真正面に置かれた椅子にも時々座る。あっちはまるで窓が額縁で、外の景色が絵画か映画みたい。
一つ一つの窓辺を味わうと、一日いても足りないくらい。朝のまばゆさも、昼の鮮やかさも、夕暮れの儚さも、夜の味わいも。そのどれもが筆舌に尽くしがたい。
言葉にならない思いが体中を巡って、心に募っていく。それを大切に閉じ込めるように、ぼくはゆっくりと目を閉じる。
〉窓越しに見えるのは
「これは当たり前じゃない。慣れてはいけませんよ」
転職後、初めて単独で仕事を終えた時、柿原さんからかけられた言葉。それはそうだ。人のつながりを絶つなんて真似、当たり前なわけがない。
「純くん、あれ見えますか?あの赤いの」
今回の仕事は先輩のサポート役。ターゲットを待つ徘徊の最中。隣りを歩くこずえさんが視線で示す、その先。一組の男女の姿があった。目を凝らすと、こずえさんが言う「赤いの」は簡単に見つかった。
あたりに人気はないが、万が一にも周囲に怪しまれることのないよう僕らは、ひそめた声を交わし合う。
「わ、あれってもしかして、有名な…?」
「そうそう、それです」
まじまじと見つめるわけにもいかないから、見たのはほんの数秒。それでもふつふつと胸に驚きと感動の入り混じった熱が湧く。
「あれはね、間違っても切っちゃだめですよ」
「ですよね、就業規則にも載ってました」
「試したことはないので、どうなるのかは本社も把握していないんですけど、やっぱり倫理的に」
さすがにあれを切るのは必要性も感じられないし、何より得も言われぬ罪悪感がすごそうだな、と思った。
「ていうか、本当に運命ってあるんですか?」
「うーん……難しいことを聞きますね」
「そもそもあれ、全員に出るわけじゃないんですよね?」
「はい。見る機会はそう多くないですね」
本当に運命があるのなら、あのつながりを切っても二人は結ばれるのかもしれない。でももし、切ったことであの人たちのつながりが失われてしまったら、運命なんてないってことだろうか。それとも僕らは、運命にさえ干渉してしまえるのだろうか。
神にさえ、人の定めの全てはわからないものらしい。だからこそ、いつか出会う大切な人の手を離さずにいられるように、胸を張ってそばにいられるように、今の自分に出来ることをしよう。そんな日々を積み上げよう。
「さ、素敵なものをみたところで、そろそろ時間ですね」
「はい、行きましょう」
人のまばらな道を行く。見えない自分のつながりが、何に届くのか、想像しながら。
〉赤い糸
人のつながりが見えて
干渉するのがお仕事の人たちの話。
昔書いてたオリジナル。
絵の具で豪快に染めたみたいな青と、丁寧に積み重ねたような白。空はいかにも夏という感じの見事な景色。
これ以上ないくらいの爽やかさを背景に、心は裏腹。重たい足を引きずるようにやっと進む。頬を伝ってぬるい水が、アスファルトに落ちた。
夏は嫌いだ。
汗をかくのも嫌だし、日差しが痛いのも嫌だ。
明るさが何でも鮮明に映し出してしまうところも。
小学生の頃、意味もなく家を飛び出して、道もわからないままただ歩いた夏の日。汗ばかりかくからやたらと喉がかわいて、自販機で買った水の残りは荷物になって重かった。
何というわけじゃない。でも何かを探したかった。見つけたかった。なくしてしまった大切なものの代わりに、何で胸を埋めたらいいのか、あの頃はわからなかった。
結局何も得られないまま、汗だくになって帰った。残ったのは飲み残した水と、少しだけ軽くなったお財布。ぐしゃぐしゃの自分。
この気温と日差しとが引き金になって、どうしても思い出してしまうから、夏はやっぱり嫌いだ。
日傘も差さずに歩く。
あの道とは違うけど。
たぶんあの夏の、あの道とあの空は、一生忘れない。忘れられない。
入道雲 22.6.29
茹だるような暑さの中で
やんわり効かせた冷房を無視して
炭酸を注いだコップまでもが汗をかく。
まだ夏と呼ぶには早いような
梅雨との境目の頃に似つかわしくない熱気が満ちる部屋。
四肢を投げ出して、無意味と知りながら目を閉じる。
静かに思い出す。
いつか君と過ごした季節が
また巡り来るんだ。
愛という言葉で片付けてしまうには
上手く説明のつかない僕らの関係。
過去にしてしまうには大切すぎて
まだしまい込めずにいる。
消したようで消せていなかった
はがきの片隅。
あの言葉は本当に僕を向いていたのかな。
答えのない問答。
帰ってこない夏。
それでも季節が巡る度
何度だって思い返す。
〉夏
静かに息を吐く。心許ない照明が、行き交う人に遮られながら幾度も揺れる舞台袖。セリフは入ってる。立ち回りも大丈夫。視線も、表情も、あれほど意見を交わしながらみんなで作り上げてきた。チケットの売れ行きだって悪くない。個別の販売数も以前より伸びてきた。
「大丈夫……」
言い聞かせるように呟く声は震えていた。
思い返すこと数年前。
学生の気楽な身分が終わりを告げて、自分自身に選択肢を与えられないまま、親の決めた道に進んだ。進まされた。本当は夢もあった。他に学びたいこともあった。だけど、地位も金も得た父親は、常に自分の思う正義だけが絶対で、それ以外を認めることは決してしなかった。そして「これが一番の幸せ」だと、自らと同じ道を、我が子に辿らせようとした。それは安易な道ではない。覚悟なくして父と同じ高みへ辿り着けるほど、甘くはない。
毎日、毎日。肉体的にも精神的にも辛くて逃げ出したくて、何度もう嫌だと泣いたんだか覚えてもない。こんな日々を求めたことなんてない。嫌だと言い続けても、誰も聞いてくれなかった。正直どう頑張っても、この道の先に幸せなんて見える気はしなかった。ただただ辛くて苦しい、悲しい。そんな時間でしかなかった。
ある頃から、空想がちになった。今思えば、心を保つための現実逃避だったのだろう。
――もし、違う自分になれたら。
どんなことを学んで、どんな道に進みたいか。どんなに幸せな日々が待っているか。至る理想を果てない空想の中で飛び回る。
人生は一つじゃない。そんな風に思えた。
結局それから数年で、親の敷いたレールからは見事に転げ落ちた。挫折して、即座に勘当された。そのお陰で随分自由になったので、勘当については感謝しかない。
人付き合いが苦にならない性分のおかげか、色んな人の助けもあって、今はあの頃夢にみたような、様々な人生を演じる日々を送っている。
有名と言うわけでもないが、ファンだと言ってくれる人もいたり、時々芸能人と遭遇したり。
逃避の中で思い描いた理想が、この先に待っていることを願って、今また誰かの書いた筋書きを辿る。
現実ではない舞台の上で、今度は転げ落ちないように。
〉ここではないどこかで 22.6.27
親愛なる人の幸せを祈って。
君の日々に光が注ぎますように。