ひとつ、またひとつ。
ひとつ、またひとつ。
ひとつ、をずっと積み重ねて、小さな目が無数に編み込まれていった先に、それは完成する。
時間と、手間と、思いをかけて、編みあげ、形づくられていく。
なんだか愛みたいだ、と思った。
〉セーター
触れた指先の温み、緩んだ口元、柔らかく垂れる目尻。
そのすべてが夢のような今を、現実たらしめる。
あぁ、まるで。
その笑顔は底なし沼みたいだ、と思いながら、呼吸を忘れてしまいそうなこの瞬間を味わって、飲まれるように落ちていく。どこまで沈んだってかまわない。
〉落ちていく
交わした契りも、積み重ねた時間も、全て。
「きっと……最初から、何もなかった」
そこには空虚しかない。そのことに気付いた時にはもう全てが手遅れだった。感覚の麻痺した体、のしかかる瓦礫、1人取り残された奈落。晴れた空が遠く、滲んだ。
違和感を感じたのは馬車に乗り込む数日前。新婚旅行へ出発する前日に挨拶を、とシスターが訪ねてきた時のこと。孤児だった夫が育った教会で、とてもお世話になったいわば母親代わりのような存在だと聞いていた。
夫が、少し話しをしてくると言ってシスターと家を出るのを「はぁい」とゆるい返事ひとつでいつも通り、送り出した。直後、ふとこの前たくさんもらった果物をシスターにも食べてほしくて、帰る前に寄ってほしいと声をかけに行こうと思い立った。
家を出て、2人の姿を探す。家から少し離れた路地に、それはあった。何故こんなところで、と思いつつ近付くと、シスターは夫に何か小さな袋を手渡した。その瞬間こちらに気付いたシスターの表情が一瞬ひどく張り詰めた。それに気付いてかこちらに背を向けていた夫も勢いよく振り返る。私を見付けて、とても驚いた顔をした。
「えっと……どうした?」
「ごめんなさい、話の邪魔をして。この前、果物をたくさんいただいて、シスターにもぜひ食べてほしいと思って、その……家に置いていても悪くなっちゃうし、教会のみなさんで、良ければと」
何となく都合が悪い感じがして、どこか言い訳するような気持ちで答える。
「そうですか、わざわざありがとうございます」
そう言ったシスターはいつも通りの笑顔だった。さっき一瞬見たあれは、見間違いだったのかもしれない。そこから当たり障りのない話を少しばかりして、私は1人で家に果物を包みに戻った。
次の日には何事もなかったように、予定通り新婚旅行に出掛けた。貸切の馬車に荷物を積んで、御者さんが目的地まで馬車を走らせてくれる。きれいな景色を見て、おいしいものを食べて、夜には宿で休んで、旅行を楽しんだ。
その次の日は、朝早くから出立した。なんでも朝にしか見られない秘境の絶景があると、御者さんが教えてくれたのだ。私たちは2人でそれを見に行くことにした。
辿り着いたのは、さっぱり人の気配のない寂しい場所だった。切り立った崖に、頼りなく揺れる橋。何も根付くことのなさそうな枯れた土。
「なん、で……」
そんな場所で、私は永遠を誓ったばかりの相手に毒を盛られ、馬車もろとも絶壁から捨てられたのだ。
〉夫婦
22.11.28 〉愛情 の続き。
「4月1日です、みなさんおはようございます。早速ですが速報です。地球にいまだかつて無い大きさの隕石が迫っており、世界各国は協力して対応を急いでいます。今のところ到着推定時刻は明日の――」
あした世界が終わるなら、ゆっくり深呼吸をして。
あした世界が終わるなら、この世界を目に焼き付けて。
あした世界が終わるなら、今から何をしちゃおうか。
バイトにも行かなかったけど別に連絡も来ないし、たぶんみんなそれどころじゃないよね。
お砂糖入りのカフェラテ片手に、チョコレートを探す。もうダイエットとかどうでもいいし。
なんか外騒がしいね、みんなちょっとやばい感じ?やだなぁ最後くらい楽しく過ごそうよ。平和がいちばんでしょう?
あぁ、全然平和じゃないから終わるのか。
あした世界が終わるから、ゆっくり深呼吸をして。
あした世界が終わるから、この世界を目に焼き付けて。
あした世界が終わるから、ただここにいる。
「この突如として現れた隕石に果たしてこの星は対応出来るんでしょうか?なぜこんなに接近するまで何のレーダーにもかからなかったのか!本当に、これがエイプリルフールの嘘であればどれほど良かったかと――」
あした世界が終わるから、ゆっくり今を生きよう。
〉エイプリルフール
王国の守りの要たる聖女は死んだ。秘密裏に処刑された。何もかも滅べばいいと世界を呪いながら。
彼女を殺したのは国だった。国民からの支持も富も権力も、全てを欲した国の王や重臣たちだった。
どんな命も分け隔てなく慈しむ聖女は、多くの支持を得、後ろ盾を持ち、富を集めた。彼女がそれを望まずとも。
聖女の命が潰えてまもなく、王国の各地には不審火が続いた。人気の無い森や、住宅街、貴族の別荘、牧場、ありとあらゆる場所で様々が燃えた。
不思議なことに、その火は何をしても消えない。そして気が付くと、世界は火の海と化した。王宮も、王さえも燃やして灰ばかりが残ると、火は全て消えた。
灰になった世界で、人ならざるものは呟く。
「生きるべきはあなた」
数え切れない命を犠牲に、世界に一筋の光が降る。刹那、灰の中に一人の女性が立った。彼女は何もない世界に驚き、辺りを見回す。そして、空に立つ姿を見つけて微笑んだ。
〉ハッピーエンド