水上

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6/15/2022, 1:44:06 PM

不在がちな両親を持って、小学生の頃から気付けば家に一人のことが多かった。あの頃は、妙に響いて聞こえる時計の秒針の音がすごく苦手だった。何かに急かされてるような、圧というか、とにかく妙に緊張したのを覚えている。それが嫌で、両親に頼んでリビングの掛け時計を買い替えてもらった。この最新モデルがとにかくすごいんだって店員さんは言っていたけど、僕にとって大事なのはオシャレさでも不可思議なギミックでもなくて、静かであること。それだけだった。最新の割りに値段も安いらしく、両親はさして悩むことなくその時計を購入した。

月曜日。カチカチとせわしない音が消えて、今日からは少し平和に過ごせる。そう思っていつもより上機嫌で帰宅した。手を洗いながら、宿題が終わったら何をしようか考える。戸棚の中から今日のおやつを選んで、テーブルの上にお茶と宿題も並べた。さて、と宿題のプリントに向き合う。名前を書いて問題を読んでいると、どこからかチクタクと音が聞こえた気がした。思わず新しい掛け時計を見る。静音もバッチリと店員さんは言い切っていたけど結構安かったみたいだし、もしかして不良品?座っていた椅子を掛け時計の真下に引きずりながら、そんなことを思っていた。椅子の上に立って耳をそばだてる。何も聞こえない。こころなしか秒針の音が少し遠退いた気さえする。
「じゃあどこだ?」
一部屋に時計が一つとは限らない。他にもあるのかもしれない。僕は注意深く辺りを見渡しながらリビングをぐるりと一周することにした。なるべく音を立てないように、そーっと歩く。すると、ある位置で秒針の音がはっきりと聞こえた。
「うそ、僕の部屋?」
音は確かにその扉の向こうから聞こえた。でもおかしい。僕の部屋にあるのは目覚まし時計一つだけ。それの秒針はなめらかに滑っていくタイプだからチクタクなんて音はしない。今までに一度もアラーム以外の音は聞いたことがない。不思議に思いながら、寝る時くらいしか入らない部屋の扉をそっと開く。昨日の夜に読みかけのまま、ページを開いて伏せていた本が机の上に置きっぱなしだった。やばい、ママに見つかったら怒られる。慌てて本を手に取り閉じようとしたところで気付く。
「本から聞こえる……?」
確信を抱くより先に、絵本の中のうさぎと目が合った。
「ほら、君も!早く行かないと遅刻しちゃう!」
絵本の中からオシャレなうさぎが僕に言う。
「どういうこと?」
聞き返すとふっと眩しさに包まれて思わず目を閉じる。
「あぁ、大変だ!このままじゃ遅刻してしまう!」
聞き慣れない声に目を開くと、目の前には絵本で見たうさぎの背中。二足歩行で(というよりは跳ねながら)慌てた様子で遠ざかって行く。呆気にとられているうちに、その後ろ姿は見えなくなった。
「……は?」
わけが分からない。たぶんさっき持ってた絵本の世界だ。あのうさぎはそのうちに水色のエプロンドレスを来た女の子に追いかけられるんだろう。
「いやいやいや、ゆめ?なに?」
混乱して頭を抱えそうになる。そこでやっと、自分が絵本を手に持っていることに気が付いた。何の気無しにページをめくると、辺りの景色も端から切り替わっていく。
「おぉ、変わった」
最早これ以上悩む気力も驚く体力もない。切り替わった場面では女の子が小さな扉をくぐる方法を探していた。
「わ!これ、食べてみたかったやつだ」
瓶入りのクッキーを見つけてテンションが上がる。食べてみたい気持ちでいっぱいだけど、不安の方が勝ったのでやめておいた。絵本のページをペラペラとめくる。その度シーンが切り替わる。慌てるトランプも、真っ赤な女王も、ペラペラと通り過ぎる。アニメーションを倍速再生してる気分。最後のページまで行って、パタンと閉じる。するとまた、目を開けていられないようなまぶしさに見舞われた。
「戻れますように」
小さく呟いて、必死な思いで祈った。


そんなことがあった日から三年が経ち、僕は無事に小学校を卒業した。あの不思議な現象について、親に話したことはない。上手く説明出来る気がしなくて。でも何となく、二人は知っているような気もする。
あれから色々検証して分かったのは、本に入れるのは一人で家にいる時だけってこと。本を開いて呼びかけられた時に返事を返すと行く、無言で閉じると行かない、という選択になること。入ってから出るには本を閉じる必要があること。ページは進めるけど、戻れないこと。何をどうしてもお話の大筋は変えられないこと。あとは、アリスの食べたクッキーは僕の好みではないこと。少し甘すぎた。


本はまるで、色んな世界を冒険したり、旅行したりするためのいわばチケットのようなものだとママは昔言っていた。それは確かにそうかもしれないけど、まさか本当の意味で旅をすることが出来るとは思わなかった。両親が良かれと思って買い揃えてくれた様々な本の背表紙を見つめ、僕は今日も旅の行き先に迷っている。


『好きな本を旅する』


〉好きな本 22.6.15

6/14/2022, 10:19:07 AM

いつもより早く目が覚めた朝。

明日、雨天中止で。

学校行事であれば嬉しいお知らせだったであろう真夜中の通知を、何度も目でなぞる。体育祭も、遠足も、基本外で行われるようなものは、体力を要するから昔からあんまり好きじゃない。

サイドボードに置かれた卓上カレンダー。今日の日付けに貼られた浮かれたシールが、空気も読まずに笑ってる。窓の外は何とも言えない空模様。時計の針はいつもよりゆっくりに見えた。まるで、降り出すのを待ってるみたい。

雨天中止と連絡が来るあたり、この思いの行方はこの空以上に暗雲が立ち込めているのだろう。それでも私は残された可能性にかけて、精一杯準備をする。


〉あいまいな空 22.6.14

6/13/2022, 11:27:12 AM

彼女はその季節になると、何度も何度もシャッターを切り続けた。場所を変え、角度を変え、絞りを変え、光を変え、レンズを変えて、とにかく撮り続けた。そんな姿を、ただずっと見ていた。夢中だった。
「ねぇ見て!いい感じに撮れた!」
楽しそうにこちらを振り返る笑顔は、眩しくて、愛しかった。


「今年もそろそろ撮りに行く?」
時期になると率先して計画を立て、準備をしていたのに、今年はそんな素振りがない。たずねてみても、反応はぱっとしなかった。肯定とも否定ともつかない、曖昧な返事。4月に異動になってから、残業やら出張やら何かと忙しくしていたから、疲れが出ているのかもしれない。家にいても、以前に比べて静かになった印象がある。前はいつもにこにこして、僕にあれやこれやとその日にあったことを何でも話したがっていたのに。
「最近、疲れてる?大丈夫?」
「うん、平気。ありがと」
声を掛けても、返事はあれどほとんど目が合わない。そんなことが、気になり始めていた。


君があの花に見向きもしなくなって、いや。僕を伴って撮影に行かなくなって、二度目の梅雨入り。最低限の会話ばかりが残された日々に、仕事以外の気力は全て奪われた。気力だけじゃない。もう僕には何も残っていない。テーブルの上に広げた封筒の中身は真っ黒だった。彼女は今日も出張らしい。コップに水を注ごうすると、なんだか余計なものまで降ってくる。顔を上げて目元を拭うと、ふと壁に掛けられたいつかの写真が目に入る。君が嬉しそうに見せてくれた渾身の一枚。この花がグラデーションがかった色合いになるのは、根付いた土壌の性質が花びらの色に影響するからだとか。そんな見た目に影響されて、花言葉もあまり良い印象のものではない。
「あぁ、そうか」
君は憧れに近付きたかったんだね。なんだか妙に腑に落ちて、思わず笑ってしまう。相変わらず頬は冷たい。
「仕方無い、大好きだもんね」
いつか君は言っていた。あの花は、鮮やかに咲く瞬間だけが美しいんじゃない、褪せて朽ちていくその姿まで美しい、と。
「それなら、」
視界の端で、鈍色のそれがきらめいた気がした。もう全てどうでもいい。君が憧れを求めるなら、憧れに近付いた君も、きっと。他の誰が何て言おうと、僕ならどんな瞬間の君も美しいと思える。だって、本当に、大好きだから。


〉あじさい 22.6.13

『移り気な花は朽ちる瞬間まで美しい』

6/12/2022, 10:24:49 AM

視界がふわっと色付くような、世界が一瞬で開かれていくような、そんな瞬間を君も知っているだろうか。

部屋の片隅に置かれた小さな鉢。光を求めて伸びゆく茎と葉。膨らんだつぼみはあと幾日かで綻ぶのだろう。
――ガーベラの花が一番好きなの。

君がいつか手塩にかけて育てたピンクのガーベラは美しく咲いたね。嬉しそうに何枚も写真を撮って、何が違うのか分からないそれを、毎日送って来たよね。
――だけど、もっと好きなのは。

うっすら桃色のにじむそのつぼみのすぐ下に、ハサミの刃をあてる。そういえば昔何かで花も動揺するような話を見たことがある。嘘発見器の整合性に関する立証実験だったか。花は、火を近づけられると人間で言うところの、冷や汗をかくに近い反応をするとかしないとか。正直記憶も曖昧だけど。この花も、今この瞬間終わりを恐れていたりするだろうか。
「まぁ、どうでもいいけど」
パチン、と無機質な音。静かにつぼみは落ちる。ハサミのひんやりとした温度が、妙に心地良かった。
「咲かないで。つぼみのままでいて」


〉好き嫌い 22.6.12

6/11/2022, 11:43:20 AM

目を覚ますと、窓の向こうにお気に入りの街並み。太陽の様子から察するにまだ明けて間もない。少しだけ街の色が違う気がすると思ったら、今日から暦の上では秋だった。
「どうりで」
色付いた葉が少しずつ木々を彩る。そんな景色を横目に、パネルから朝食をオーダーして着替えを済ませる。聞き飽きた音とともにいつも通りの朝食が壁の向こう側から受け取り口に届いた。ひんやりしたパウチを取り出してキャップを外す。朝は基本さっぱり済ませたいからフルーツ系。今日はグレープフルーツ味にした。パウチの中身を流し込み、空になったそれを先程の受け取り口に戻す。底の部分が一瞬開いて、あっという間にどこかへ消えた。
「さて」
包み込むようなフォルムの椅子に座って顔認証を済ませると、目の前には情報の羅列が浮かぶ。手元には操作パネル。今出来る作業を確認して、リスト化する。生活の保証を得るための対価。それが労働。決められた時間量を、決められた活動にあてる。何が割り振られるかは個々の性格や性質によって国家が決める。七日間で三十五時間の労働。それ以上は精神衛生上良くないらしく、時間の管理は厳しい。もちろん足りないのもダメだしサボっても時間カウントがされない。規定の量に足りないと、食事の選択肢が極端に減ったり、使用できる施設も制限がかかる。リストを作り終えたところで画面に通知が流れ込んだ。約束のリマインドだった。
「あぁ、そういえば」
前に会った相手から、フレンド申請と交流の申し出があった。その約束の日付が今日だったようだ。久し振りに出会えた古いもの好き仲間。また話が出来ると思うと顔がにやけた。リアル世代ならきっと、一緒に街に出掛けて遊んだりする良き友人になれたことだろう。まぁ、リアル世代に生まれていたら出会えていない可能性の方が高い。そう考えると、現代の人間で良かったと思う。多くが電子化された今、娯楽はオンラインアバターによって行われている。ゲーム、スポーツ、交流。実際に誰かと会って交流をする、リアル世代のようなことはまずない。電子機器とネットワークの発達によって、機械が何事をもこなしてくれる現代社会。何かしらの機械が壊れても、スペアが起動して、その間にそれを直す機械が作動する。らしい。実際のところは知らない。外の世界、なんてものはデータでしか知らない。壁一面にデザインされた大きな窓は単なるモニターで、映し出される町並みは自分で選んだ風景。暦と連動して少しずつ風景が変わる。天気も変わる。時間の経過でも。窓の外の景色は鮮やかに日が差し、風がそよぎ、木や花は揺れる。向こうには歩道という、人が歩くための道路も見える。リアル世代が生きた頃の街並み。人工のものではない、自然の風を受け、自らの足で歩く街というのは、一体どんな感じなのだろうか。実際に誰かがそばにいるというのは、どんな感じだろうか。
とあるパンデミックを期に少しずつ世界は変化し、対面の交流なしでも生活出来るシステムが少しずつ作り上げられた。そこが始まり。それからまだ一世紀も経っていない。今を生きるアフター世代の生活をリアル世代は想像出来ただろうか。生活も命も管理される現状を見たら、きっと驚くだろう。そんなことを考えながら、データでしか見たことのない、かつては人でごった返していた賑やかな街に、今日も一人思いを馳せる。


〉街 22.6.11

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