バイト先の先輩は、夕方が嫌いだ。
随分前に先輩とバイト終わりに歩いていた時、日没の、太陽が夜に溶けていくその様子を、先輩は「虚しくなる」と言っていた。もの悲しい気持ちになるらしい。
何気ない会話だった。その時の私は夕方なぞ気にしたことがなかった。
夏の終わりから秋の季節にかけて、段々と日が暮れるのが早くなってくる。暑苦しいほど輝いていた西日の寿命が近くなる様子は確かに言われてみれば、哀愁を誘うものだと思う。
私は先輩のように風景にこだわりはない。
秋の黄昏に切なさを覚えるようなロマンチストではない。
しかし先輩が「切ない」と言った景色を見ると、先輩を思い出すようになった。私にとって秋の侘しさは、先輩の横顔になったのだ。
昔の人はこの気持ちをタソカレと呼んだのだろうか。
お題/哀愁を誘う
白雪姫の継母に友人はいたのだろうか。
世の中にはたくさんの「自分」で溢れている。
コミュニティによって人は様々なペルソナを使い分けていると言われるが、その仮面を全て集めたらどんな自分になるのだろう。
職場や学校、サークル、家族、友人、恋人、現代ならSNSももう一つの自分の居場所だろう。
「人こそ人の鏡なれ」という『書経』の古い諺がある。
他人の言動は、自分の言動を見直す手本であるということ。
鏡は正直だ。けれど鏡は自分の見えない心の在り方までは映してくれない。
だからこそ、自分の身の回りの人など全てが、自分の在り方の鏡となる。
継母には、もう既に彼女に語りかけ諭してくれる人はいなかったのだろうか。
彼女は、魔法の鏡に映る自分しか信じられなかったのだろうか。
鏡は、常に私たちの隣にいるのに。
お題/鏡の中の自分
つくづく自分は幸せ者だと思う。
あたたかい家があり、くるまれる布団があり、明日が来ることを当然のように眠りにつく。
当たり前の日々を無事締めくくることができたのだと、布団に入った時にしみじみと感じる。こんなに有難いことは他にない。
若い頃、特に幼い頃は夜一人で寝るのが怖かった。
本当に明日が来るか不安だったし、明日が来てしまうことにも恐れていた。自分の人生にどこか定められているものがあるのだと感じていたからだろう。酷く心細かった。
今もその時の恐怖を思い出すけれど、昔ほど寂しく感じることはなくなった。
それはきっと、孤独だと感じていた夜の世界に、あなたが一緒に寝てくれるからかもしれない。
だから眠りにつく前、私は酷く幸せ者だと思うのだ。
お題/眠りにつく前に
永久機関に憧れている。
外部からエネルギーを与えなくても、何らかの仕事をし続ける装置。でも実際は存在しないらしい。
加わるエネルギーなしに動くものはこの世に存在しないという熱力学の基本原理に反しているから、らしい。
詳しいことは素人の私にはよく分からないが、永久機関というかっこいい名だけでなく、存在もどことなく希少価値を感じられてかっこいい。
外からの熱を与えられずとも自分自身の力で動き続ける装置って、どんなものだろう。想像がつかない。ミーハーな心はさらにくすぐられるばかりである。
しかしながらふと思う、熱力学とか小難しい話で決めつけなくても、きっと人間の心にも永久機関があるはずだ、と。
永遠なんてあり得ないと言われるかもしれないけれど、あると思えばあるはずだ。
そう、「ない」なら「ある」になるまで動き続ければ良い。
永久機関が存在しないように永遠の愛も存在しないとは限らない。人間の心には必ず熱がある。
お題/永遠に
想像、妄想、理想、空想、全部私の頭の中。
大体のものは現実に存在しない。
というよりも、現実にないから頭の中で「あったらいいな」を考える。理想郷は私の脳内にある。
「いつか王子様が来てくれたらいいな」も、「クラスのあの子みたいになれたらいいな」も、「将来はあんなふうになりたいな」も、「いやなこと全部なくなっちゃえばいいのに」も、頭の中なら全部実現できる。
そんなご都合主義なことばかり思い浮かぶけど、ひとしきり妄想した後に現実に立ち戻ると、諦めの気持ちと、自分ってかなり幼稚だなという自己嫌悪に苛まれる。理想郷なんて考えたところで良いことなんて大体起こらないのだし、いい加減懲りたらいいのに大人になっても暇さえあれば考えちゃう。私って何やってるんだろう。
けれどもこの間、何かの付き合いで美術館に行ったとき、「楽園」という絵画を見た。世界観はまさに、昔の人が考えた「最強のユートピア」である。
そうか、昔の人も妄想してたんだね。
じゃあ、いっか。
人間、楽しいこと考えて、なんぼだものね。
お題/理想郷