言葉はいらない、ただ...
「ただいま〜」
両手に抱えたそこそこの荷物を玄関に置いて久しぶりの実家へと足を踏み入れる。色んなサイズの靴が散らばっているのに懐かしさを感じながら、その中に自分の靴も仲間入りさせる。昔であれば夏休みだとはしゃいで夏を過ごしていたが社会に出てからは連休というのも中々遠い存在で、ようやくまとまった休みが取れたのは八月もそろそろ終わる頃だった。
「にぃに!」
とん、とぶつかる軽い衝動に振り向いて、出迎えた年の離れた妹にハグを返した。
「帰ってきたよ〜、元気にしてた?」
「げんきだよ!にいに、ね、いつまでいるの?」
「四日くらいかなぁ。あれ、身長のびた?」
「のびたよ!にぃにものびた?」
「にぃにはもうのびないかなぁ」
きゃらきゃらまとわりつく妹をいなしながらのんびりと話をする。玄関の荷物を一緒に片付けていた両親は妹に捕まっている自分を微笑ましそうに見守っていた。その顔を見て、実家に帰ってきたという実感が湧き上がって肩から力が抜けていくのを感じた。あるべき場所に帰ってきたような安心感は次第に疲れを自覚させるものとなり、ぐうと小さく腹が空腹を訴えた。
「ねぇ〜、今日のご飯なに?」
「あんたの好きなやつだよ」
「えぇ、好きなの多すぎてどれかわからんて」
持ってきたものを整理しながら話に花を咲かせていれば時間が過ぎるのはあっという間で。気がついた時には夕飯時になっていた。食卓には本当に好きなメニューばかりで、自炊すらサボり始めた自分には久しぶりの真っ当な食べ物というのも合わさって空腹感は最高潮に至った。
「いただきます!!っうまぁ〜」
「あんた、ほんとうに昔から美味しそうに食べるよね」
「だって美味しそうのは事実だし」
「まぁ、口にあったならよかったよ」
「んふふ」
他愛のない話をしながら食事は進む。あれも、これも、テーブルの上にあるのは本当に自分の好物ばかりだった。中には凝り性な両親が突き詰めていった結果、仕込みに一日かかるようになってしまった料理もしれっと紛れ込んでいて、自分のために用意された色々が、何も言わずともここが自分の居場所であることを示していて、目頭が熱くなるのをそっと笑って誤魔化した。
君の奏でる音楽
扉越しに彼女が泣き言を零す声を聴きながら、密かに笑みを浮かべる。彼女の声をBGMに手早く調理を進めながら、気を抜いたら笑い声が漏れそうなのを我慢して、それでも堪えきれなかった愉悦が空気となるのを咳払いで誤魔化した。
傷付きやすくて甘えたな彼女は日頃から優しさを心がけて接するだけで簡単に信頼を寄せるようになり、相談を持ちかけるだけでなく嫌なことがあれば我が家に駆け込むようになった。本日も彼氏に振られてしまったらしい彼女は小動物みたいにか弱い声で鳴きながら、人の布団で布まんじゅうになっている。あらかた話を聞き出して、ずっと泣き続けてるのだからと小腹を満たせるものをと軽食の用意を始めたが、中々いい選択だったのかもしれない。いつもは他に思考を割いて存分に堪能できていなかったが、やっぱり声も可愛い。
加虐趣味なんてなかったはずなんだけどな。
恋は盲目とはいうけれど、泣いてる姿に可哀想よりも可愛いの気持ちが勝ってしまう自分の心情に、我がことながら呆れてしまう。君の声が心地よいとは思っていたけど、鳴き声にまで適応されてしまうなんてなぁ。そんなことを考えてたら、手元の料理もすっかり完成間近。うん、それなりに美味しそう。扉越しのしゃくり上げる声も次第に弱々しく鼻をすする音に変わってきた。ころっと他の女に靡く程度の男のためにこんなに泣いちゃうなんてね。可哀想に、ちゃんと慰めてあげないとね。
終点
コントローラーを握りしめ、勝つ為の最善策を頭で練り上げる。そこそこの時間やり込んできたゲーム、あとは目の前に立ち塞がるラスボスを倒すだけとなった。
地道に敵をしばき倒していたお陰でキャラクター達はそれなり以上に育成されている。あとは体力管理とMP管理にさえ気を付ければ、勝算は充分にある。
ラスボスが繰り出す強力な攻撃をしのぎながら少しづつ体力を削り取っていく。ここまで来た俺たちならこの壁も乗り越えられる。そうだろ、相棒。
少しづつ盤面が進んでいく画面をしかと見据え、次の手を考えながら思考の片隅ではこれまでの旅路がエンドロールみたいに流れていた。
これで最後だ。主人公の放った光の斬撃がラスボスへと叩きつけられる。体力ゲージはついにすっからかんとなった。恨めしげによろめいたラスボスは惜しむように、やがて粒子となって消えていった。
軽快な音楽が流れ出し、見知らぬ誰かの名前が画面を通り過ぎていく。
「終わっちゃったなぁ。」
手の熱の余韻の残るコントローラーを手放し、画面いっぱいに映されたエンディングをぼんやり見つめた。世界はすっかり平和になったようで、これまで各地で出会ってきた人々が笑顔で登場してはフェードアウトしていく。苦楽を共にした仲間たちもそのなかにいて、終わってしまったという実感がじわりと胸を締め付けた。達成感は確かにあった。メインストーリーだけでなくサブクエストも網羅してきたここまでの道のりは長く、それらを乗り越えてきたという、やり遂げたのだという気持ちは大いにあった。
けれども、まだ彼らと旅をしていたかったんだと、俺を置き去りにする画面を前に、ぽつりと呟いた。
上手くいかなくたっていい
張り詰めた自我はある時ぷつりと切れてしまった。
満点に近くて、でも完璧には物足りない解答用紙。平均よりは上だけど、秀でているとは言い難い体力測定の結果。可も不可もなく、そこそこに培われた社会性。主張するほどの自我はなく、周囲を伺いより心象の良い方へ傾く毎日。
嫌われたくなくて、人よりも優れていたくて、誰からも見下されたくなくて。そうして歩んできた僕の人生は、傍から見ればそこそこのものだろう。金にも生活にも困らない、友人にも恵まれた、人並み以上の幸せ。けれども、いつもどうしようもない虚しさがまとわりついて仕方なかった。
頑張らなくてもいいよ。
言葉を額面通りに受け取っていた頃は、その言葉に救われる思いだった。人の在り方を、努力を、認めるような響きの言葉は許しの形をしていた。ありのままでいていいと、自分そのものを受け入れてくれるように錯覚させた。
何度目かの優しさに似たその言葉を吐かれた時に、僕はその目を見てしまった。言葉にしなくても目は雄弁に語るのだ、僕にこれっぽっちも興味が無いことを。その目には僕なんて映ってなんかいなかった。僕を映さない目は、僕よりも劣っているはずの彼奴だけを見つめていた。
悔しさとかやるせなさとか、そんな思いも悪戯に惨めな思いになるだけで見返してやろうだとか、そんな気持ちもすっかり萎んでしまった。
生まれ持った才能には勝てないのだ。世の中、どうにもならないことがある。
それに気付いて、いや、最初から気付いてはいたのだ。ただ、目を逸らしてきた事実を目を背けられないほど眼前に突きつけられてしまって。ちっぽけな見栄の為に保っていた意地は、小さな亀裂からいとも簡単に瓦解した。
上手くいかなくたっていいよ。そんな言葉を聞く度に、呪いのように声が聞こえる。
あなたに期待なんかしてないから。
ーーーー
認められたい人に認められないなら、何もかも無意味に感じるのです。僕は、あなたに認められればよかったのに。
蝶よ花よ
「僕はね、気付いてしまったんだな」
場末の居酒屋に男が二人、そこそこ身綺麗な出で立ちで並び座っていた。時計の針はとうに0時を通り越している。
二人は旧知のなかであり、大人になっても時折連絡を取り合って飲み明かすことがあった。今回の会合も、彼からの呼び掛けから開催されたものだったが最近は二人とも多忙であり、中々都合をつけることが出来なかったため、久しぶりの開催であった。そういう訳で、酒もそこそこに話に花を咲かせていたがお互い酒にそこまで強くもないため、それなりには酔いがまわっていた。そんななかにぼそりと呟かれたそれは、どこか剣呑な雰囲気を漂わせており、男はそれとなく居住まいを正した。
「どうしたんだ、そんな深刻そうに。」
酒が入れば次第に気が緩む。飲み交わす相手が親しい中であれば尚のこと。そうすると口は自然と悩みを零し、飲み会が相談会となることはよくある流れであった。男は慣れたように話の続きを促す。普段であれば流暢に言葉を紡ぐ口は、今回は何かを躊躇うようにもごつかせていた。
「僕らの仲じゃないか、今更何を言われたって突き放しなんかしないさ、なぁ」
しばらく躊躇った後、ようやくゆるゆると話しだした。
「僕は妻のことをとても大事に思っている。僕には勿体ないぐらいの人だ。だからできる限り幸せにする義務があって、僕はそれを全うしてきたつもりだ。」
「君たち夫婦のことはよく知っているよ、君がどれほどあの子を大切にしてるかも。何だい、彼女と喧嘩でもしたのか」
「いや、いや。彼女とはなにも。」
「これは、僕自身の問題なんだ。」
そこから彼の口はせき止めるものがなくなったようにとめどなく言葉を吐き続けた。彼は彼なりに、妻のことを大切に扱ってきたが、それと同じように妻からも愛されている自覚があった。穏やかな愛に浸った生活は幸福で、夢のようであったと。けれど、妻のお腹に子供が出来てからある考えが頭をよぎるようになったという。それは彼の学生時代の記憶に起因している。自分たちの学生時代はインターネットが主流になり始めた頃で、思春期特有の万能感や特別感に飢えた衝動のまま、中身のないハリボテな言葉たちを我がもののように振り回した。そのなかでもよく使っていたのが親ガチャという言葉だった。成績がのびないのも、欲しいものが買えないのも、容姿がいまいち冴えないのも全て生まれのせいにした。そうすれば、自分に非がないと思い込めたから。欲しいものが手に入らないのを自分の力不足ではなく、誰かのせいにできたから。けれども彼は気付いてしまった。大人になった自分たちが、今度はそれを言われる側になることを。大切にしたい誰かに同じだけとはいえなくても、想いを返されない悲しみを知ってしまった。
「嫁の腹はどんどん膨れていく。僕は、本当に親になれるのだろうか。その子にとって、いい親に」
ぽつりぽつりと視線を揺らしながら呟く姿に、男は何も言えなかった。最近彼が多忙にしている理由が仕事だけでなく、妻をサポートするために色々と手を回していたからだというのを思い出しながら、男の脳裏には昔の自分たちの様々な言動がぐるぐると渦を巻いていた。
「生まれなければよかったなんて、言わせたくないし、言われたくないんだ」
とうとう彼の口もそれ以降開くことはなく、二人は重い沈黙に閉ざされてしまった。
夜の街の喧騒が、幕を隔てたように響いていた。