岐路
き‐ろ【岐路】 の解説
1 道が分かれる所。分かれ道。
2 将来が決まるような重大な場面。「人生の—に立つ」
3 本筋ではなく、わきにそれた道。
人生において、運命の分かれ目とは不意にやってくるものだと実感している。時には、それが岐路だとその時に気付けないものも多くあるのだろう。
頭でどれだけ考え、思い悩もうとも他人にとって行動に移し、言葉にしなければ何もなしていないのと同じだと悟ったのは実はそう昔のことでは無い。私は昔から頭で物事を考え込んでしまう癖があった。脳内では常にラジオのように音楽が流れ、誰の声とも知らない音で無秩序に空想が泳いでいる。そうしたことが私にとっての当たり前であったから、私はその騒音に後押しをされて、または思考する分だけ現実でも存在を主張し続けているとある種の勘違いをしていた。しかしある時不意に脳に響いていた空想たちが私にだけしか聞こえず、現実の私は欠片も体を動かずにいることに気付いてしまった。音が途切れた世界は無機質で、途端に傍にあったはずのものがなくなってしまった空虚さで肌寒さまでも感じたが、これが本来の現実で、そして、私は現実に生きていることを突きつけられたような心地だった。
人生は綱渡りのようなものだと思っている。今まではそれを漠然と肯定していたが、幻想という綱の下に広がる深淵を覆い隠すものが霧散してしまった今では、より強くそれが真実であると感じている。言葉ひとつ、行動ひとつで世界は変わらないが、それが綱を揺るがすような、いつどんな形で返ってくるのかはわからないというような疑いだけが確信をもっていた。
今日も私は現実という外の世界で私という役割を果たしている。もしかしたら、外の世界に向けた私という役割があることに気付いてしまったことが、私にとっての岐路だったのかもしれない。だからこそ、これから訪れるであろう岐路が、どうか私を揺るがすものではないことだけを祈り続けている。
夢と現実
絶えず通知音が薄暗い部屋に鳴り響いている。暫しそれをぼんやりと眺め、けれども手に取る気力もなく億劫そうに瞼を閉じた。大方、連絡の内容は先日の口喧嘩のことだろう。
今回の喧嘩だってあっちが予定を突然ドタキャンしてきたから、それに物申しただけなのに。きっと、謝りもせずに言い訳ばかりを並べて、最後には逆ギレを噛ますのだろう。最近の流れはこればっかだ。うんざりだ。けれど、けれども。喧嘩が絶えなくなる前の楽しかった思い出や、あんなやつでもいい所あるしな、なんて馬鹿らしい考えが頭を鈍らせるから仕様がない。理性では、さっさと見切りをつけることが最善であるとわかっている。だけど、どこかで以前の関係に戻れるのではないかと期待を拭えないのも確かで。
あんなやつのどこがいいのか。いや、でもああ見えて可愛いところもあるし。それでも、許せないことは多くあって。思考は堂々巡りを続ける。
けれども、完全に切り捨てられずにいるのも自分で。
今日も貴方という夢から逃げるために睡眠薬に手を伸ばした。
意味がないこと
幼い頃から長い髪に憧れてから、ずっと肩から少し伸びた位の髪の長さを維持している。幸い髪のくせが少ないため、どうしようもないくらい絡まってしまったり跳ねてしまうなんてことはあまり無かったが、代わりと言わんばかりに髪に結び目が出来ることが多かった。それが幼い私には気に食わなずに、いつも髪を根元から引き抜いていた。それを見かねた母に言われた言葉が今でも記憶に残っている。髪に結び目が出来るのは、神様や妖精さんの悪戯なんだよ、って。それを聞いた私は何故か少し嬉しくて、髪に結び目が出来てしまうのは嫌な出来事だけど、悪戯なら仕方ないとこれまでの不満が嘘のようにすとんと腑に落ちたのだった。
時は流れて大学生のグループワークの時のこと。四人グループであったが、どうやら私以外は交流があったらしく、少し居心地の悪さを味わいながら、それでも場に馴染もうと会話に勤しんだ。
「最近髪が絡まりやすくてさぁ〜」
「まじぃ?めちゃやじゃんw」
居ないもののように扱われつつも、髪が絡まるという悩みには私も乗れる話題だ、とふと思い出した髪を結ぶ妖精の話をした。
不意にこれまで此方を一瞥もしなかった三人の目線が私に集まり、値踏みするように視線を投げかれたかと思えば、ぶ、と可笑しなものを目にしたように噴き出した。
「なにそれぇ、きいたことなぁいw」
「妖精さんてw」
「ちょっとぉー、妖精さんに悪戯されたらしいよぉ」
けらけらと三人で身を寄せて笑う姿は、此方を明確に揶揄するもので、場に馴染もうとした自分の努力は徒労であったことを悟った。馬鹿にされている。不調のないはずの心臓に針が刺さったような感覚があったが、それよりも、何だか大切な宝物を踏みにじられてしまったような、やりきれなさにすぐさま目の前の人のかたちによく似たバケモノたちから逃げ出したくなった。
一筋の光
穏やかな日差しの指す世界にいる限り、その一筋に気付くことはないのだろう。
哀愁をそそる
「___だからね、わかった?」
「...はい」
ふと、何か行動を起こす時に一度、それが自分の中で許される行いなのか、誤った判断であるのかを思考する癖があることに気付いた。これまで無意識に行ってきたそれの意味を自分なりに解釈しようなんて七面倒臭いことはするつもりもなかったが、その起源となるであろう出来事に、心当たりが出来てしまった。今回はその事について、自分語りに付き合わせてしまうことになり申し訳ないが、今後の私自身の教訓とするためにも書き記していこうとおもう。
まず前提として、私はそこそこにやんちゃな子供時代を送ってきた。気性が荒く、我も強いため人とはよく衝突し、好奇心から後先考えない行動も多いため怪我は絶えず、お呼び出しを食らったことも数え切れない。その度に親はがみがみと私を叱りつけ、拳が飛んできたことも何度もある。怒られたその場ではしおらしさを見せつけはしたが、やはり親心というのは子供には伝わらず、私は性懲りもない粗相を繰り返してきた。しかしそんな悪童時代は私が何を血迷ったのか、文学なんてものに手を出してからはある意味でより質の悪いものへと変わる。今でこそ論破厨なる言葉があるが、それに近しい、言葉によって人に干渉することの愉しさに私は取り憑かれていた。悪餓鬼が悪知恵を手に入れた末路なんて、語るに及ばないだろう。私は放つ言葉の重みや責任を理解することなく、得たばかりの力を思うがままに振り回した。そこに思春期なんてものが重なってしまえば、後の出来事は必然でもあった。私は、超えてはいけないラインを犯してしまった。
人を傷つけてはいけませんよ。そんなの今どき道徳の教科書にだって載ってないだろう。だって、他人を無闇に傷付けるのなんて、後に何があるかわからない。それが社会的地位を失うことなのか、自己の理念に背くことなのか、金銭的な問題なのかはさておき、下手を打てば自分が不利になることは明白だ。なら、その損得が発生しない、或いは発生したとしてもある程度の温情を与えられる相手であるならばどうか。答えは簡単、害することへの躊躇いが曖昧になる。もっと身近な言葉で表現するとすれば、甘え、が生じるということだろう。今でも後悔してる、といえば安っぽいドラマか何かの独白のようで言葉の軽さに辟易するが、それでも私の人生に後を引くようなものであることは確かだ。
今思い返しても、出来事のきっかけだとか、細かい内容は思い出せない。それでも的確に人の嫌がることを口にすることだけは達者な私が、その時も的確に相手の心を抉ってしまった事だけは明確だ。私は、私の口走った言葉で、親を泣かせてしまったことがある。
だって、思いもしなかったのだ。自分の言葉には意味もなく、重みもまたなく。誰かを傷付けるような力なんて、本当はないんだと思い込んでいたのだ。ただ、目の当たりにされたくない事実を突きつけられた愚か者が、勝手に事実を受け入れなくて悲劇ぶっているだけだと、自分はそう嘲笑ってきたのだ。けれど、あの時の親を傷付けたのは、確かに私の言葉によるものだった。私にとってある意味神に等しい、絶対的な存在である親が、私の手によって揺るがされることなどないと、盲目的に信じていた。それがすっかりと崩れてしまった。ただ、親もただ1人の人間にすぎなかったことだけが、事実から目を逸らしてきた罪のように付きまとう。あの時の聞いた事のない悲痛な声と小さな姿を、一生忘れることはなく生きていくのだろう。