Ichii

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10/28/2023, 10:56:36 AM

暗がりの中で

いつかの自分にとって、歳をとることは出来ることが増えて世界が広がる事だった。自由にお金を使って、好きなものを買う。友達といろんな所に遊びに行く。自分のペースで日々を過ごす。そうしたささやかな憧憬と共にここまで来た、はずだった。
外回り中にやむを得ず段差を飛び降りた時に足首に痛みがはしって、昔はこれぐらいの段差なら痛みもなく降りれたのに、と愕然とした時に、これまで忘れ去っていたいつかの希望がぶわりと蘇った。
自分は今、何をしてるのだろう。さっきまで仕事の段取りだけを考えていたのが他人事のように、思考はすっかり過去へとすり変わっていた。これまでが夢だったような、不可思議な現実感に苛まれて、急に見知らぬ場所に1人取り残されたような心細さに体が震えだしそうだった。きっと、見ないふりをしていただけだった。もうすっかりやりたい事なんて、いつかへの希望なんて持ち合わせてないことなんか、自分が一番わかっていた。目標もなく生きるのなんて、終わりのないトンネルの中を彷徨うようなものだ。歳とともに確かに出来ることは増えた。けれども、それと同じくらいかそれ以上に失ってきたものもある。失ってきたもののなかには、無くしたくなんてなかったものが、沢山あった。大事に抱え込んできたものを置き去りにしてしまった自分に、やるせなさがある。けれども、それ以上にそれらの犠牲に報いることが出来るほどの人生を歩まなければ、人並み以上にならなければ、捨ててきたもの達に到底顔向けできないとも思ってしまう。私は、いつか許される日が来るのだろうか。自分を許せる日が来るのだろうか。ひとつだけ確かなのは、それまでの自分は、きっと暗がりのなかに居続けるということだけだった。

10/21/2023, 8:44:01 AM

始まりはいつも

「元気?良かったら遊ぼ〜!」

送った連絡に既読がつかないまま一週間ほど。これはいい返事は期待できないな、と見切りをつけてメッセージを取り消した。初めは良好だった関係が所属の違いで疎遠になったり、付き合いが長くなると相手の態度がなあなあになっていったり、価値観や人間性に違和感を感じるようになって自然と話さなくなるたびに交友関係を続ける難しさを感じる。同世代が大所帯で仲良さげな姿を見る度に私もああいった関係を築きたかったなという憧れと、でも結局関係維持に疲れて続かないんだろうなという冷静な自己分析が入って溜息をこぼした。せめて、少数の友人関係は良好でありたい。
奥手な私は自分から初対面に声をかけるのが苦手で、大抵の関係は相手から始まることが多い。それに甘えてきたが、歳を重ねると流石に自立しなければという焦りがでる。だから見様見真似で新たな関係を構築してきたが、どちらかが無理をしている関係は長続きしないものだなという一種の悟りのような考えが脳裏をよぎった。
連絡アプリに新規メッセージがつかなくなってしばらく経つ。誰かから声がかけられることのありがたさに、最近になって気付かされたのだった。

10/18/2023, 4:04:17 AM

忘れたくても忘れられない

「今日の演習、振り返ってどう思った?」
貼り付けた笑顔を携えた教師が私を見下ろす。その姿をみて、これは夢だと確信した。もう何度と見る情景の、再上演だ。かつての現実の私は、この時に自分なりの意見を述べては見たものの、教師にとっては求めていない意見だったらしく、長々と私の不出来を指摘されたことを覚えている。
「...」
夢の中の私は何も言わず、ただじっと時が過ぎるのを待っている。それを斜め後ろから見つめていた。講義室にかけられた時計の秒針は止まったまま。このまま私が何も話さなければ動かないのだろうなと、何となく悟った。
「ーーー!」
夢の中の私が何かしらを話したようだった。ただその声はノイズのように不明瞭で、内容まで声を発したという事実しか理解できなかった。
「あの時の発言の意図は」「ここの内容の根拠」「それでいいと思ってるの」「責任のある行動を」「どうしてそんなことを」
笑顔の教師は一転し、捲し立てるように言葉を放つ。幾重にも重なる声の、そのどれもが耳障りなノイズを孕んでいたが、内容は痛いほど伝わってきた。空気を震わすような異常な声量で放たれたにも関わらず、その正面に経つ私はぴくりとも動かない。見下ろす視点に立った私もその光景をぼんやりみていると、不意に風景がかわった。
今度はどこかのライブ会場のようで、薄暗い室内に多くの人がひしめき合ってるのが見えた。沢山のペンライトが音に合わせて揺れ動き、ひとつの大きな生き物のように脈動している。ステージに目を向けると、そこには昔行ったことのあるライブの時の衣装を纏った推しがいた。途端に空白の感情が歓喜に埋め尽くされて、私は精一杯の声量で推しへと声援を送った。それを見た推しがステージを降りて、私の前へと降り立つ。これが夢であることはわかっていた。だからこれは私の想像の中の都合のいいものでしかないことも理解していたが、それでも喜ぶ気持ちは抑えることが出来なかった。そうして私からも手を伸ばして、推しとハイタッチをしたと思った瞬間、また場面が切り替わる。
今度はどこかの学校の廊下にいるようだ。私はこの後の展開もよく知っていた。この後、教室に入る前に私は中で友人だと思っていた人が心無いことを言っているのを聞いてしまって、来た道を引き返すのだ。かくして、夢は記憶の通り進む。それから幾度も場面が切り替わったが、どれも見覚えのある風景ばかりだった。不意に、意識が浮上する。現実に戻され、目が覚めた私は、暫しぼんやりとベッドの上に横たわっていた。窓からは朝日が差し込んでいる。どうせ記憶を追体験できるなら、いいものばかりを見たいのに、そうはいかないなんてままならないなと、再び布団を頭から被った。

10/17/2023, 3:47:35 AM

やわらかな光

ほとんどの窓がシャッターで閉じられているなかで、唯一遮るもののない窓から穏やかな光が差し込んでいる。部屋の中は薄暗く、それだけが光源であったため、布団の上に横たわる私にとってはそれがかの高名な地獄に一筋垂らされた蜘蛛の糸のように思えた。
しかし私は罪人ではなく、怠惰な生者であるため糸に手を伸ばすことなく微睡みに身を移した。目まぐるしい社会生活に揉まれて、体力のない私は休日をこうして部屋の中で萎れた干物のようにぼんやりと午睡を貪ることが、すっかり習慣となっていた。これが学生の時分であれば、買い物だろうが気晴らしの散歩だろうが、何かしらは体を動かしていたであろう。けれども今はそんな気力もなく、ただじっと布団の住民と化している。自堕落であることは自覚している。けれども、気落ちした中では周りの全てが自分を拒んでいるようで、ここから動くことができなかった。
明日からまた多忙な生活が始まる。
私が何もしなくても、少しづつ今日という時間は明日へとにじり寄って行く。窓から刺す光は西日へと変わっていた。

10/11/2023, 11:54:57 AM

カーテン

「カーテンかぁ」
今日のお題を目にして、自室にかけられたカーテンに目を向けてポつりと呟いた。
そこら辺のホームセンターで購入した、これといった特徴のないカーテン。けれどもある時、このカーテンに思いがけないエピソードが出来てしまったのを思い出した。
私には歳が離れた兄弟がいるのだが、遂にその弟も一人暮らしをし始めるとのことだった。自分の予定との兼ね合いもあって、実際に弟の新居に顔を出したのはある程度家の中が片付いた後のこと。弟の部屋に入って、目に入ったカーテンの柄にあっ、と思わず声をあげた。そこにあったのは、自分の部屋にあるものと色違いなだけの、同じ柄のカーテン。打ち合わせなんてしてないのに、丸かぶりしたそれに気付いて、私だけでなく先に訪れていた両親が耐えきれないといった様子で噴き出した。
「違うし!わざとじゃない!!」
心外!といった様子で焦ったように抗議する弟に、だろうなぁ、と笑いが止まらなかった。弟は私の部屋にあまり来たことがないので、購入時に多分気付かなかったのだろう。だけども、こんな偶然があるのかという奇妙な巡り合わせと、同じものを選んだ感性の近さに、血筋を感じられずにはいられなかった。あれからもう、しばらく経つ。
けれど未だに、家のカーテンをみては思わずくすりと笑ってしまうのであった。

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