ココロオドル
好きなゲームの最新作が出たというのを知ったのは知り合い経由であった。昔からゲームが好きで、人よりは色んなタイトルをプレイしてきた自負のある自分だが、その分好みというのも強くなり、向いてないなと感じたものはプレイ時間もそこそこに見切りをつけてきた。そんな自分が特に好んでやりこんだシリーズ。幾度と媒体が代わり、共に歩む仲間が変わったとしても寝食を忘れて没頭したそれの、新作とあれば、一も二もなく飛びついたであろう。少し前の自分であれば。今はもう、その感動は色褪せてしまっていた。
発売日を指折り数えた日々、ストーリーが進む事に一喜一憂した感動、レアアイテムの収集に熱心になり、図鑑が埋まっていく楽しみ、友人と協力してクリアした達成感。それらもいつの日か課題の締切であったりテスト期間であったり、レポートであったりと、多忙な日々に自我を殺される中で薄らいでしまった。
自分は何故、こんなにも苦しんでいるのだろう。
時折、ふと我に帰ることがある。自由になりたくて、楽をする為に頑張ってきたはずだった。いい成績をとれば、いい大学に入れば、いい資格をとって就職すれば、自由になれると信じてここまできた。投げ出したい時も、いつかの自由の為ならと身を差し出してきた。けれど、いつまでも苦しいままなのだろう。私は、何時になったら自由になるのだろうか。
勉強も出来ない落ちこぼれと内心嘲笑っていた知り合いが、楽しそうに私にゲームの話をする。これまでは、私の方が詳しかったのに。
吐き気に似た何かが込み上げて、空っぽの口の中にえぐみが広がった。大人になったら好きなだけゲームを買って、好きなだけ時間を費やして、馬鹿みたいに笑いながら遊ぶのを夢見てた。現実は、最新作の発売にも気付かないで、好きでも無いビジネスアプリを使う毎日。いっそ全部諦めて、キャリアを積むだけの人生を選べたら良かったのに。
それでも、それでも。時が止まったままのセーブデータを見る度に、心がざわつくあの感覚を忘れられずにいる。
束の間の休息
気が抜けるとついスマホを開いてしまう。あと10分、何時まで、これが見終わったら。色んな区切りを設けても、結局守られることなんて、滅多にない。
束の間の休息。勤勉さとは程遠い自分にはそんなものは存在し得ないと気づいて、容量が良ければこんなに締切に頭を悩ますこともないのにと溜息をついた。
やらなきゃいけないことはまだ目の前で白紙のまま放置されている。それでもスマホを手に持つ癖はやめられず、休んでいるはずなのに拭えない息苦しさから意識を逸らした。
過ぎた日を想う
幼い時にとある病気にかかって入院をしたことがある。その時に優しく接してくれた看護師さんに憧れて、自分もいつか誰かの為になりたくてここまできた。志望した看護系の大学にも受かってしばらく、ついに実習が始まった。奇しくも実習先の一覧には昔お世話になった病院の名前が連ねてあり、その偶然と、もしかしたらあの時の看護師さんに再会出来るかもしれないと心を浮つかせていた。
ついにその病院で実習が始まった。初日の挨拶をして顔を上げた時、私はあっ、と思わず声を零した。あの人だ。
かつて私に親身にしてくれた看護師さんの姿がそこにはあった。あれから幾分か経つが、直ぐにその人だとわかった。自分の道を決めるきっかけとなった憧れの存在と、形は違うが同じ意味を持つ服を纏って、今度は患者ではなく同じ立場でこの場所に立っていることに感動を覚えた。
看護学生の実習は慌ただしく進む。やらなきゃいけないことも多くて、それでも何とか隙間をみて、憧れに声を掛けた。
言いたいことは沢山あった。入院していたあの時、あなたの優しさに励まされたこと。寄り添ってくれて、嬉しかったこと。あなたに憧れて、看護師を目指したこと。一言でもいいから、伝えたかった。
「あの、すいません...!」
返答はなかった。憧れはこちらを見向きもせずに、パソコンに何かを打ち込み始めた。
「あの、」
ようやくこちらに向けられた目は、驚くほど冷たく刺すようなもので、思ってもみなかった反応に身をすくませた。
「煩いなぁ、邪魔」
吐き捨てるようにかけられた言葉に凍りつく。確かに、これまでの実習でも看護師に邪険に扱われることはそこそこあった。けれども、けれども憧れだけは私を裏切らないと、あの時のまま優しく接してくれると無条件に思っていたのだ。だけど、結局その他と何も変わらなかったことを思い知らされてしまった。
心の支えにしていた存在が幻想であったことを突きつけられて、ここまで何とか耐えてきたしんどさがのしかかり、疲れが一気に噴き出したようだった。
辞めたいな。その思いが思考を埋めつくしたが、けれどもここまでの労力や山積みの課題を越えてきたことが頭をよぎって、結局このまま踏みとどまることしか出来なかった。
再開の感動や、看護師になりたいという熱意はすっかり無くなっていた。
ぎこちない私を置いて、看護師は無言で立ち上がり、ナースステーションを出ていった。
「すいません、でした」
誰にも聞かれることのなかった謝罪は、去って行った看護師への言葉なのか、憧れを壊してしまったことへの過去の自分に対してのものなのか分からなかった。
星座
人は死ぬと星になるんだよ。満点に輝く星たちを見あげながら思い立ったのは、いつの日かの祖母の言葉だった。眠れない夜に宛もなく愛車を走らせて何となく向かった山の展望台には当然だがだれもおらず、深夜であることも相俟って異世界に迷い込んだような妙な静けさが満ちていた。年季の感じる自販機で飲み物を買おうとして、集る虫の多さに踵を返しす。手持ち無沙汰に何となく頭上を見上げれば、そこには街中ではお目にかかれない、何の光源にも遮られない自然そのものの輝きがあった。その美しさに、口からは自然に息が吐き出されていく。そうしてしばし夜の独特な雰囲気と非日常感にぼんやりと身を浸していて、ふと星の話が頭をよぎったのだ。
今も昔も、そんな与太話信じるような可愛げのある子供ではなく、大抵の話に可愛くもない返答ばかりをしていたが、何故かこの話だけは反抗する気も起きなかったのを未だに覚えている。
祖母が亡くなってもう暫く経つ。葬式で散々泣いて、もう二度と人を罵るにしても死ね、だなんて軽く言わないと誓ったのは遠い過去。今では気に触ればいとも容易く人の不幸を口に出して願った。
こんなしょうもない自分じゃあ、きっとあの星々のように綺麗に輝くことなんて出来ない。なれても良くて五等星以下か。なんて考えてふと、祖母も生前大概、いやかなり口が悪かったのを思い出した。なら祖母も、星になれたとしても主役級にはなれないな、なんて考えたら自然に笑みが零れていた。
もういい時間だしそろそろ帰ろうと、ゆっくりと車の方へと足を向ける。途中で足を止めて、これで最後ともう一度空を見上げた。星々たちが変わらず輝いてるのを見納めながら、街中では見えなくなってしまう星々は、しかし変わらずそこに存在しているのだと妙な感傷がよぎる。そこに自分のやるせなさだのを重ねようとして、野暮だなと思考を振り払った。結局、なるようになるさ。
踊りませんか?
彼女は不利なことがあると首を傾げてこちらをちらりと伺う癖がある。それに気付いたのは何度目かの彼女の"やらかし"の時のこと。すこしドジなところがある彼女は元来のマイペースな性格と相俟って、時折そこそこのことをやらかす。わざとでは無いことはわかっているが、それに付き合わされる此方の身としては文句の幾ばくかは言いたくなるもので。初めは苦笑いですませていたが次第に小言をこぼすようになった。
今回も彼女は仕出かしてくれた。帰宅していつも一番に出迎えてくれる彼女の姿はなく、怪訝に思いながらリビングの扉を開くと、やってしまったという表情の彼女と床に散らばる無惨な欠片とかしたお揃いで買い揃えた猫とぺんぎんのマグカップ。幸い何も注いでいなかったのか、液体の飛び散った痕はなかった。
「おかえりぃ...」
決まりの悪そうな彼女に見たところ怪我がないのを確認してから、今度はそうきたかと思わず溜息をつく。それを見て彼女は慌てふためき出した。こちらに向かおうとして、しかし破片がまだ片付けられてないから近寄れず、ぱたぱたと身振り手振りで釈明をし始めた。悪気がないのはわかっている。しかしあわあわと狼狽える姿が小動物のようで愛らしいのと、開幕言い訳から始まったことへの罰も含めてすこし様子を見ることにした。暫し彼女の弁明はつづいたが、そのさえずりは少しずつこちらを絆すものへと変わっていった。
「また一緒に買いに行こ?ね、今度の土日二人とも休みだし。デートしよ?」
またお揃いにしようね、なんて。眉を下げて許しを乞う顔と首を傾げて此方の機嫌を伺う様子に、脱力感と共にほんとに仕方がないやつだという惚れた弱みが白旗をあげる。
そういうことすれば許されると思うだなんて、仕方の無いやつめ。
敢えて踊らせれてるんだ、なんて考えてるけどきっとこれも彼女の手のひらの上のこと。きっと、一生踊り続けるんだろうな。