Ichii

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過ぎた日を想う

幼い時にとある病気にかかって入院をしたことがある。その時に優しく接してくれた看護師さんに憧れて、自分もいつか誰かの為になりたくてここまできた。志望した看護系の大学にも受かってしばらく、ついに実習が始まった。奇しくも実習先の一覧には昔お世話になった病院の名前が連ねてあり、その偶然と、もしかしたらあの時の看護師さんに再会出来るかもしれないと心を浮つかせていた。
ついにその病院で実習が始まった。初日の挨拶をして顔を上げた時、私はあっ、と思わず声を零した。あの人だ。
かつて私に親身にしてくれた看護師さんの姿がそこにはあった。あれから幾分か経つが、直ぐにその人だとわかった。自分の道を決めるきっかけとなった憧れの存在と、形は違うが同じ意味を持つ服を纏って、今度は患者ではなく同じ立場でこの場所に立っていることに感動を覚えた。
看護学生の実習は慌ただしく進む。やらなきゃいけないことも多くて、それでも何とか隙間をみて、憧れに声を掛けた。
言いたいことは沢山あった。入院していたあの時、あなたの優しさに励まされたこと。寄り添ってくれて、嬉しかったこと。あなたに憧れて、看護師を目指したこと。一言でもいいから、伝えたかった。
「あの、すいません...!」
返答はなかった。憧れはこちらを見向きもせずに、パソコンに何かを打ち込み始めた。
「あの、」
ようやくこちらに向けられた目は、驚くほど冷たく刺すようなもので、思ってもみなかった反応に身をすくませた。
「煩いなぁ、邪魔」
吐き捨てるようにかけられた言葉に凍りつく。確かに、これまでの実習でも看護師に邪険に扱われることはそこそこあった。けれども、けれども憧れだけは私を裏切らないと、あの時のまま優しく接してくれると無条件に思っていたのだ。だけど、結局その他と何も変わらなかったことを思い知らされてしまった。
心の支えにしていた存在が幻想であったことを突きつけられて、ここまで何とか耐えてきたしんどさがのしかかり、疲れが一気に噴き出したようだった。
辞めたいな。その思いが思考を埋めつくしたが、けれどもここまでの労力や山積みの課題を越えてきたことが頭をよぎって、結局このまま踏みとどまることしか出来なかった。
再開の感動や、看護師になりたいという熱意はすっかり無くなっていた。
ぎこちない私を置いて、看護師は無言で立ち上がり、ナースステーションを出ていった。
「すいません、でした」
誰にも聞かれることのなかった謝罪は、去って行った看護師への言葉なのか、憧れを壊してしまったことへの過去の自分に対してのものなのか分からなかった。

10/7/2023, 4:44:41 AM