最初から決まっていた
ショーケースに並べられたケーキたちをじっと見つめ、どれにするかをしかと吟味する。別に特別な日では無いが深夜にスイーツ特集なんて見てしまってからどうしても甘いものが食べたい衝動が止められなかった。
久しぶりに立ち寄ったケーキ屋は記憶の中にあるよりもきらきらと煌めいており、何でもない日を特別なものへと変える不思議な力を感じさせた。
チョコレートにしようか、季節のフルーツをあしらったケーキも魅力的だ、いっそチーズケーキとか、王道のショートケーキも悪くない。見れば見るほどどれも最高に美味しそうでひとつだけを選ぶのなんて到底無理なことに思えた。
うんうんと頭を抱え、ふと気づく。
何となく、ケーキはひとつだけしか買えないという思い込みをしていたが、自分にはそんな縛りがないことに思い至ったのだ。幼い頃の自分も今と同じようにケーキ屋に来てはどれにしようか何時までも悩み、両親に急かされたものだった。
あの時は親からケーキはひとつだけね、という言いつけに従うしか無かった。しかし今、自分は好きなだけケーキを買い、食べる権利がある。
そこからの自分の行動は早く、店を後にした自分の手にはそこそこの重みのあるケーキの箱が握られていた。
大人になるのも悪くない。
随分と軽くなった財布からは目を逸らし、ケーキの入った箱を抱え直し、家へと足を進めた。
太陽
申し上げます。申し上げます。
僕は心の底からお慕いしておりました、あの人のことを。
あの人はとても素晴らしい御方だ。誰にでも平等で、公正で、無欲な、美徳の持ち主なのだ。教室の片隅で寝たフリをして時間をやり過ごす僕のことを見つけてくれた、神様のような人なのだ。あの人は他の凡庸な奴らとは違う。自分が気持ちよくなりたいだけの偽善者達の自己満足の優しさではなく、心から僕と共にあってくれたのだ。あの日、僕と目を合わせ、僕の話を笑わずに真剣に聞いて、笑みを返してくれた時から、僕はこの人に心からの親しみと、信頼を置こうと決めたのだ。
あなたも、きっと同じ気持ちでいると信じていたのです。だって、あなたが僕に向ける顔は有象無象に向けるものとは違っていたから。僕にだけだよ、と言っていた全ては嘘だったのですか。僕は、あなたが隠したいことは墓にだって持っていく覚悟だったのに。そんな簡単に打ち明けられるものなのですか。それとも、僕はあなたの隠し事の金庫ではなく、ごみ箱でしかなかったのですか。あなたの共犯者足り得なかったのですか。
僕は信じていたのに、それなのに、あぁ、思い出すのも反吐が出る。
僕とあなたは対等なようで、どうしようもない壁が立ちはだかっていた事は自覚していました。
僕にはあなたしかいないけれど、あなたは他にも沢山の人間に囲まれていたから。僕にとって唯一の友人で、心の寄辺であったあなたの事を盲信していました。そして、沢山の有象無象のなかから僕だけを見てくれるのが、僕があなたにとってどれだけ特別な存在であるかを感じ、優越感に浸る日々であったか、あなたはきっと存じ上げないことでしょう。
あなたの隣にいたあいつは誰ですか。なぜそんなに顔を赤らめているのですか。どうして、周囲の無能共はそんな二人に柔らかな視線を向けるだけなのですか。
こんなの、あんまりだ。あなたの隣は僕ではなかったのですか。なぜ僕ではないのですか。なぜ、僕には何も話してくれないのですか。僕は、何も知らない。
あなたが許せない。酷い人です、僕はあなたの事を心から尊敬し、慕っていたというのに。裏切りだなんて、あんまりな仕打ちだ。周囲もそうだ、僕があの人と共にあることなんて当たり前のことだったのに、あの盗人を見過ごしているなんて。
神様、神様。あの日から僕の神様の形はあの人そのものでしたが今だけは恥を忍んで他の神様を拝みます。
どうか、正しい姿に。僕の慕っていたあの人を返してください。太陽のようなあの人に恋焦がれたのです。誰のものでもなく、けれど僕を優しく照らしてくれたあの人に。あの人は今、ひとに、凡人に成り下がろうとしている。そんなの、許せるわけが無いのです。どうか、どうか。
僕は、斜陽を迎えたくない。
鐘の音
鞄に忍ばせた銀色の輪っか。
それがきちんと納められているかを確認して、深く息を吸い込んだ。俺は今日、一世一代の大勝負に挑む。
一目惚れしてから交際に至るまで二年、付き合って三年。色んなことがこれまであったが、概ね円満に過ごせてきた筈だ。このまま穏やかな生活を続けるのも悪くないが、そろそろ次の段階へと進むべきだと考えたのだ。
勝算は大いにある、はず。
何度もシュミレーションを繰り返した。めちゃくちゃいい雰囲気を作って、タイミングを見計らって指輪を差し出す。決め台詞はもう決めてある。それをビシっとかっこよく、スマートに告げたら彼女は笑って受け取る。そうしたら愛しさを込めて抱きしめるのだ。我ながら完璧なプラン。惚れ惚れしてしまうような光景に、上がった口角を慌てて引き締めた。
危ない危ない、彼女にはクールなかっこいい彼氏だと思われていたいのだ。
「おまたせ〜」
待ち合わせの五分前。いつもよりおめかしした姿の彼女がちょこちょこと駆け寄る。淡い赤色のワンピースがひらめく。最高に可愛い。彼女お気に入りのしっぽのアクセサリーは今日は鞄につけられ、彼女の歩みに合わせてゆらゆら揺れていた。いつもと違うなかにいつも通りのそれをみつめてから、改めて彼女に向き合った。
事前に計画したデートプランは無事完遂。あとは折を見て指輪を渡すだけだ。不自然にならないように、会話の流れが向くのを虎視眈々と待つ。
不意に会話がとまり、彼女と目が合った。
今だ。俺は何度も脳内で練習した言葉を、彼女の目を見てしかと口に出すと共に指輪の入った箱を掲げた。
...全てを言い切っても彼女は目を見開き、幾度か瞬きをするばかりで互いに無言の空間がしばし続く。どもってしまったかもしれない、断られたらどうしよう、嫌な想像がぐるぐる巡ったが、それでも意地で目線は彼女から外さなかった。
引き伸ばされたように感じた沈黙の中で見つめ合うと、彼女はふっと花開くように破顔した。と、同時に肯定する言葉。
勝ったな。
瞬間、脳内に鳴り響くファンファーレ。
ウェディングドレス姿の彼女を抱き上げ、バージンロードを駆け抜ける光景が頭をよぎった。そして思い付く限りのこれ以上ないほどの幸福な二人のこれからの光景がひと通り脳内を駆け巡っていく。
万感の想いが胸に詰まって、いても立ってもいられなくなった。今ならなんだって出来る気がする。彼女を世界で一番幸せにして、どんな困難も二人なら何とかなりそうな甘い予感に思考がゆだりそうだった。
「しゅき...」
俺、幸せになります!!
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推しカプよ、幸せであれ。
つまらないことでも
教養は、人生を豊かにするという。
物事を様々な視点から捉えられることで視野が広がり、心が豊かになることで小さな変化にも気付けて物事の違いを受け入れられるようになるだとか、何だとか。
心の豊かさ、か。違う何かを受け入れられることが、認められることが素晴らしい人間性の要素なのだとすれば、私は酷くつまらない人間なのだろうと思う。
例えば悪し様に人を罵る時。容姿、性格、仕草、言動、趣味嗜好、傷つける言葉は幾らでも頭に浮かんだ。
誰かを褒めようとしても、同じようにはいかない。
賞賛の言葉を伝えようとしたって思考が立ち止まってしまうのだ。素敵なイラストですね、あなたの書く文章がまた読みたいです、あなたの作品がとても好きです。応援してます。
感想を送ろうとして、結局何も打ち込まずに閉じる日々。
自分の言葉に意味を見いだせなかった。自分が送った言葉が負担になってないだろうか、頑張れの追い打ちをかけていないか、作者の意図しない感想であったらどうしようか。
凡庸な言葉ばかりしか思いつかない自分が嫌になる。もっと鮮明に、気の利いた言葉を伝えたかった。素晴らしい作品に見合う言葉を贈りたかった。そんなことばかり考えてしまって、仕様がなかった。
手を彷徨わせ、一つ「いいね」をタップする。
どうか、この「好き」が届きますように。
目が覚めるまでに
アプリを開いて一番上にピン留めされた君の名前をタップする。最後のトークから半年以上たっている。当たり障りのない会話で終わっているそれを暫し見つめ、結局新たに文字を打ち込むこともなく画面を閉じた。
リアルで会えなくても定期的に連絡を取ろう、どちらが言い出したかわからない約束はいつの間にか立ち消えて、僕たちの間を繋ぐものはこれだけになってしまった。
他称、自称共に親友と呼びあった僕ら。たった一年前のことなのにいつかの思い出たちが遠く昔のことのように、色褪せた絵葉書みたいに脳裏を掠めていった。
毎年行っていた近所の祭り、今年も開催されることを知っていて、誘うことをためらったのはお互い地元を離れた場所でそれぞれの人生を歩み始めたことで生活のペースも変わってしまったからで。慣れない生活の中で僕が声を掛けてしまったことで手間を掛けさせてしまうのではないか、君が断りを入れることで気まずい思いをしないか、声をかけられない理由は様々浮かんだが、一番恐れていたのは返事すらも返ってこないことだった。
元々人見知りの気質が強く、長く一番の関係を築いてきた君と離れることに抵抗感と不安のあった僕ですら、新しいコミュニティにはこの数ヶ月ですっかりと馴染んでいた。いっそ、拍子抜けするぐらいに。
事実、君のことを日々の中で思い出すことすら減っていた。
それが少し恐ろしかった。変わっていくことが、忘れることが。そして、僕も同じように過去の存在として忘れられることが。
目を閉じれば記憶の中で、君が笑っている。それに僕は同じだけ笑い返して、当たり前のように君の隣に並び立つ。
何度も脳裏で再上映される情景は、思いの外短くてすぐに現実に戻されてしまう。
あの日々は、今思い返せばまるで夢のようであったと、どうしょうもなく胸が痛んだ。