「見事に、憚られたな。」
我(わたし)は、左手で目元を覆い、苦笑した。
皆、呆然と立ちすくむ。
それは、あまりにも突然訪れた。
「王弟が謀反を起こし、国が派遣した討伐軍により、敗死した。
謀反に加担したものは、皆、斬死された。」と、いうものだった。
王弟、それは……我ら腹心が忠義を尽くしてきた、主君だった。
主君が謀反を起こそうと考えている事すら、我ら腹心は知らなかった。
我ら腹心から見た主君は、そんな……お方では無かった。
兄君たる王を支えるため、日々、努力を重ねられていた方だった。
政敵など、両手では数え切れない。
しかし、裏で糸を引く人物には、検討がついた。
そして、主君は……その人物の政の手腕で敗れたのだった。
「きれいな顔ね。そして、冷たい目は彼を彷彿とさせる。」
貴女は、私の顔の輪郭を両手で覆い、優しく微笑みながら、
私と一瞬、目を合わせてそう言った。
「こいつで間違えないか?」
鋭い目つきの男は、ぶっきら棒に貴女に問う。
「ええ、彼で間違えない。」
貴女は微笑み、満足そうに青年に答えた。
「金は?」
「いつも通りよ。」
「分かった。」
そういうと、男はこの場を去った。
再度、貴女は私を見て言った。
「今日から貴男は、わたしの夫になるの。」
ふと、目が覚める。
昔の記憶の夢か…。
あの頃は、まだ私の方が背が低かった。
今も変わらぬ、穏やかで美しい、魅惑な貴女。
今日も、貴女は私のとなりにいる。
初めて、貴女様にお会いした時のことは、今でも鮮明に憶えています。
その日は、とても麗らかで、
日陰はまだ肌寒く、日なたはもう暖かい日でした。
そして、貴女様の門出を祝うように、
我が家の庭にある、花蘇芳が見事に咲き誇っていました。
正直、私は不安でありました。
なにせ、私は卑賤の生まれであり、本来の婚約者では無かったからです。
貴女様の兄君の性分を、私自身よく存じて居りましたから、
貴女様の本来の婚約を勝手に破棄し、貴女様の意に添わず、
私と勝手に婚約させたことが、容易に想像できたからです。
当時の婚姻とは家の為にするものでしたから、
こういうことが罷り通る時代でした。
婚姻の儀の後、堅い面持ちの貴女様に、私はお声を掛けました。
「おなごだからと、妻だからと、私に無理に付き従わないで欲しい。
互いに手を取り合い、支え合い、生きて行きたい。」と。
すると、貴女様は涙を流された。
「なにか、貴女様を傷付けることを述べたのなら、申し訳ありません。」
急いで、絹の手ぬぐいを差し出す。
柄にもなく、内心、かなり動揺してしまいました。
貴女様は少し涙ぐみながら、ゆっくりと仰れたのです。
「いいえ、違います。傷付いた訳では、ありません。
兄…いえ、当主からは貴男のことを何も聞かされませんでしたから、
長らく、不安だったのです。
今の貴男の言葉をお聞きして、安心してしまって……。」
「そうだったのですね。それなら、良かった。」
この時から、私は貴女様のことを知りたいと想った。
我は、戦の無いな世を短い期間だが知っている。
戦乱の世から、戦乱の無い世に移ったが民は皆、怯えていた。
むしろ、戦乱の世の方が……活き活きしていたように思う。
しかし、戦の無い世も永くは続かず、この国は民によって滅ぼされた。
そして、今、新しい国が出来ようとしている。
我は、かつて滅びた国の王に仕えていた。
王は、痛みを知っていた。
だから、この戦乱の世を終わらせ、戦乱の無い世を志し、
その不可能と云われた、偉業を成した。
しかし、我らは気が付かなかった。
否、違う。
我らは、民の顔を全く見ていなかった。
民在ってこそ、我らが在ることを忘れていた。
そして、我らは何のために平和な世を望んだか……忘れしまっていた。
民の痛みも苦しみも、これ以上長引かせぬ為だったことを……。
これから先、何百年と戦乱の世を続けない為だったことを……。
だから、我らの国は滅んだのだ。
その事実を新しい王に伝える為、これ以上民を苦しめぬ為、
今日も、我の命を掛け、新しい王の御前に立った。
私には、五人の主君が居る。
一人目は、西の果てにある国の王弟。
二人目は、権謀術数に長けた文官。
三人目は、智と猛を持ち合わせた老将。
四人目は、大王の偉業に最も貢献した名将。
五人目は、海を渡った東の果てにある島国の御子。
皆、もう亡くなった。
一人目の主君は、兄たる大王を支える為にいつも努められていた。
しかし、その将来の有望さから政敵に冤罪をかけられ、
戦地で殺されたそうだ。
まだ齢十七の若さであった。
あの時ほど無力を覚えたことは、生涯……無かった。
二人目の主君は、一人目の主君の、王弟の腹心であり、
兄の主君でもあり、私の才を見い出した方でもあった。
策略で彼の右に出る者を、私は知らない。
今思うに、王弟の死が彼の才を急激に開花させた。
彼は、いつも飄々として冷徹だったが寛容で、
下々の者を決して軽んじなかった。
三人目の主君は、多くの部下に慕われていた老将だった。
病に伏したと聞いていたが、頭脳も身体も衰えを全く感じなかった。
新参者の私を快く受け入れ、軍法から武術まで細かく指導して貰った。
寝台に伏し亡くなる直前まで、よく笑い、よく食べ、よく慕われていた。
四人目の主君は、人間を熟知し、戦の何手先までも見通す方だった。
そして、私が最も長くお仕えした方だった。
どの戦の戦法も隙が無く、何手先までも計算され尽くされ、
的確な指示に、熟練した部下たちの強さ、どこを取っても弱点が無かった。
その中で私は、間者として少しずつ功を重ねた。
やがて、彼のご子息の指南役として仕え、戦場でも仕えるようになった。
彼には、数え切れないほどの経験と恩を受けた。
感謝しても、しきれない。
五人目の主君は、幼き頃から遊び相手として、お側に居た。
本来なら、初めから彼に仕えるはずだった。
しかし、父が勢力争いに敗れ、失脚した。
父と連なる私たち家族は国を追われ、
海を渡った先にあるという、大陸の国に行こうとした。
しかし、生き残ったのは姉と兄と私だけだった。
姉が舞妓となり、兄と私はその店の下働きをさせてもらっていた。
そして、姉はある貴族の青年に身請けされ、
兄と私を養子にしてくれたのだ。
貴族としての一通りの教育を施してもらった。
そこからは先ほど記した通り、一人目の主君に仕えetc……。
四人目の主君が亡った後、私は故郷に海を渡り命がけの帰路に立った。
当時の私の歳は、齢三十。
故郷では、もうすぐ死ぬ年齢だった。
それでも、彼に逢いたかった。
幼き頃に交わした……彼との約束を守りたかった。
ひと目見て、彼だと分かった。
無我夢中で彼のもとに走った。
彼も、私をひと目見て分かったようだった。
互いに抱きしめ合った。
彼は、涙ぐみながら
「よくぞ、生きていた。本当に良かった。」
視界は、もうぼやけて何も見えなかった。
私は、声を絞り出し
「幼き頃、あなたと交わした約束を果たしに参りました。」
そこから、短い期間ではあったが彼に仕えた。
短くとも、本当に濃い時間だった。
そして、彼は死ぬ間際に呟いた。
「貴殿と交わした約束、覚えておるか?」
「勿論でございます。」
『私が死す時は、必ず貴殿がお側に居るのだぞ。』
『はい、必ず貴方様のお側に居ります。』
老人の声のはずなのに、幼子のような声に聞こえた。
彼は、その言葉に安心したようで穏やかな顔をした。
それが、彼の最期だった。
老人の昔話を最後まで、読んでくれたことに感謝する。
最後に言葉を贈ろう。
一生とは過ぎれば、本当にあっという間だ。
時には、生を手放すことだって有りだと思う。
ただ、これだけは忘れないでほしい。
たくさん失敗して良い、たくさん迷惑かけて良い、たくさん逃げて良い、
泥臭くて良い、情けなくて良い、生きてみて。
案外、人生は愉しく……どうにか成るものだから。