あたしの飼い主は、とても高貴な人だ。
華やかな異国情緒漂う、美しい顔立ち。
艶やかな長い黒髪に、大きな栗色の眼をしていた。
蜜のように甘い声で、あたしを呼ぶの。
「マロン、あなたは本当に可愛いわね。」
いつも、飼い主はあたしにそう言うの。
だから、いつも、あたしは言うの。
「ニャ。(ありがと)」って。
そう言うと、いつも、とても喜んでくれるの。
「名前は?」
「朝久だよ、よろしく。」
「奏斗、よろしく。」
彼らの年なら、まだ走り回ることが好きなはず。
しかし、彼らはその姿を見るだけ。
決して親に言われているのでは無く、唯々走り回ることが性に合わない。
それだけ、しかし、大きい共通点を持つ二人の少年は意気投合した。
「朝久、」
「申し訳ありません。朝顔の君、どうか、息子のご無礼をお許し下さい。」
話かける前に、父さんは僕の頭を押さえて、父さんも頭を下げた。
「誰しも、人間なら一度は間違うものです。どうか、お気になさらず。
今後、お気を付け下さい。」
先ほどとは全く異なる、大人びた洗練された言葉で彼は応えてた。
「ご寛大な心遣い、感謝申し上げます。それでは、失礼します。」
父さんは、急いでこの場を後にした。
「良いか、あの方は皇族では無いが、皇族の血を引いている御方だ。
我らの家格では尊称は呼ぶことは許されても、名は呼んではならない。」
「すみませんでした、以後気を付けます。」
僕は、素直で良い子を装う。その方が、説教はすぐ終わるからだ。
公の面前とは、色々面倒くさいものだ。
私の家は、所詮格のない羊皮紙の貴人だと言うのに。
朝久と目が合った。
朝久は、急いで僕に駆け寄ってきた。
「さっきのことは、気にしなくていい。普通に朝久って呼んでいいから。」
「僕も、気にせず呼ぼうと思ってた。」
両者ともに見せないが、安堵していた。
互いの聡さと、立ち回ることの出来る賢さに。
子どもの頃を思い出すと、身分とは如何に容易く乗り越えられる、
曖昧なものかと、思い知らされる。
「朝久、久しぶり。」
「久しぶり、奏斗。」
「朝久、またな。」
「またな、奏斗。」
何度、この会話を繰り返した事だろう。
「奏斗、また会おう。これからも。」
私は、勇気を出して始めに言ってみる。
「もちろん。また会おう、朝久。」
奏斗は、嬉しそうに微笑んだ。
かつて、私は落ちこぼれだった。
生まれながらに身体は弱く、
武の才覚は全くと言って良い程に無かった。
此の家の嫡流にして長子でありながら、嫡子の候補では無かった。
日々、弟たちや妹たちは修練を積むことが出来る身体が羨ましく、
日々、武術が上達するさまを見ては、兄として、長子として、
その役目を目に見えて担えていない事に、自分の存在意義を問うていた。
そんな時期もあった。
しかし、先の事とは分らぬもので、皆の推薦で私は此の家の当主と成った。
あまり前例の無い、非常に稀有なことであった。
先代と弟たち妹たちが盤上一致で、私を当主へ推薦してくれた事に、
私は涙が溢れた。
これまで、私に出来ることを少しずつ努めてきた。
『出来ぬからと、為せぬからと、負い目を覚えることは無い。
今、出来ることを少しずつ努めれば良い。』
両親から贈られた、私の礎となった大切な言葉。
だから、私は落ちこぼれであったが、落ちぶれることは居なかった。
今日まで支えてくれた、両親・弟たち・妹たち、
その姿をずっと見守ってくれていた、親しき人々には感謝しかない。
本当にありがとう。
これからは此の家の当主として、私に出来る役目を果たして行きます。
『意味がない』とは、何と定義すれば良いのだろうか。
私は、未だに『意味がない』という意味を理解出来ない。
何故、そのような境地に至るのかも解らない。
私は、何事にも『意味がない』などということは全く無いように思う。
『意味がない』、その言葉を何故発することが出来るのだろう。
私の生涯に置いて、『意味が無い』などという言葉は、
挑戦する者を見下し嘲笑するための虚構に過ぎないように、私は思う。
挑戦しないからといって、悪では無い。
寧ろ、保守的な現実主義は世界の秩序を守り、
平和を保つためには、必要不可欠だと思う。
しかし、だからと云って挑戦する者を見下し嘲笑するのは、
違うように思えた。
纏めると、思考が偏るのは前提として、公平に扱い、尊重し合い、
互いに意識し、共存することを認め合うことが大切だと、私は思った。
「父上、何故ですか。何故、シモンを……。
私から、何故……シモンを奪ったのですか。」
まだ、うら若き青年は感情の波を抑えながら、父に必死に抗議する。
父と呼ばれた、厳格な雰囲気を纏う男性は鋭い眼差しを青年に向ける。
「解らないか。」
突き離したように、冷たく男性は問う。
「理解出来ません。」
青年は、はっきりと鋭い眼差しで父に屈せぬよう宣言する。
「そうか、ならば…考えてみよ。
何れ、其の問の解が解るようになる日まで。」
冷静に簡潔に確実に、男性は父としての役目を果たす。
「どういうことですか。」
青年は、冷静になるよう己に言い聞かせながら、必死に訴える。
「連れて行け。」
男性は、側近に命じた。
「承知しました。」
側近は、従順に命を遂行する。
「何故ですか。父上!」
青年は納得出来ず、必死に抵抗する。
「もう、お前に言う事は無い。」
男性は、青年に冷たく言い放つ。
野生の獣のような眼差しを青年は、父に向ける。
男性は鼻で笑い、青年を書斎から退室させた。