親には大きく分けて二種類、小さく分けて四種類ある。
大きく分けると、子供を愛せる親、子供を愛せない親。
小さく分けると、
子供を愛し育てられる親、
子供を愛しながらも育てられない親、
子供は愛せないが育てられる親、
子供は愛せず育てられない親。
私が知り得る限り、親子の関係は千差万別だが、
親の種類は、このくらいだと思う。
まあ、これは私の主観なのだから構えず聞いて欲しい。
『人々は雨という知識から身を守る為、傘という肯定する道具を発明した。』
私が今、たった数秒で思い付いた言葉だが、
それ也に的を得ていると思う。
因みだが、私は子供を愛せず子供を育てられない親だ。
こればかりは、生まれ見なくては分からないのだから仕方ない。
開き直り、そう思うようにしている。
親として如何なものかと思うが、どうしても子供を愛せないのである。
子供と同じ家には住めば、心身の不調により倒れた。
子供を見れば、明確な嫌悪感を憶え、
子供に触れるとなると、恐怖から鳥肌が立ち、
子供特有の匂いともなれば、吐き気を催す。
そんな状態になれば、当然の如く、
仕事効率が著しく低下して、日常生活に支障を来した。
もう諦めて、子育ては妻に任せている。
それが難しいなら、養子に出したり、養護施設に預けたり、
風当たりは強いかもしれないが、そうすれば良いと思う。
無理なものは、無理なのだ。
私も月に一度だけ子供に会うのが精一杯だ。
子供に会う時、必ず意識する事がある。
表情を出来るだけ歪ませず、子供を慮り、敬意を持って接するのだ。
出来るだけ子供を一人前の人間として扱い、
出来るだけ子供の紡ぐ言葉を聞き入れ、
出来るだけ子供の成長を褒めるのだ。
私に出来るのは、精々このくらいなのだ。
私のように親なのに子供を好かない事は、
恐らく、彼らは言語化しないが気付いている。
だから、彼らを侮るな。
彼らの無垢ゆえの直感は、恐ろしいほどに感じ取れる。
言語化は出来ないからといって、大人などより、ずっと受け取っている。
例え、私たちのような親であっても気に病む事は無い。
理想的とは言えないが、現実的だと言えると思う。
どんな形の親子関係であれ、どんな形の人間関係であれ、
皆、誰しも相手には良くも悪くも複雑な感情を抱くものだ。
関係を持つなら、互いに理解し合えなくとも尊重し合える方がずっと良い。
だから、私はこう思う。
『人々は雨という知識から身を守る為、傘という肯定する道具を発明した。』
と、私は思う。
6/2/2025, 2:51:08 PM