私は、落ちこぼれだった。
兄のような聡明さも、弟のような天賦の才も、双子の弟のような優れた五感も、私は、持ち合わせて居なかった。
でも、それでも、良かった。
母たちは、よくこう言ってくれたから。
「貴方には、忍耐力がある。その才能は、目に見えた結果を出しにくい。
でも、時を経て成熟すれば、誰にも負けぬ武器と成るから。そんなに、自分を卑下しないのよ。」と。
でも、時は待ってくれなかった。
ある日、父が暗殺された。母たちは、私たち兄弟を追手から逃すために亡くなった。逃げる最中、兄と双子の弟は、夭折した。
逃げ続ける以外、当時は何も出来なかった。
弟を安心させるために、よく微笑むようにした。かつてのように…。
家族を思い出し、安心させるために。
本当に…其れしか、出来なかった。何も出来なかった。
『これ以上は、守り切れない。』そう感じた。
だから、此処より幾度も遠い、南西に向かう船に乗せた。行き着く先の国は、どんな国かも分からない。此処よりはマシだと…、祈ることしか、私には出来なかった。今生の別れだと…、諦めるしか無かった。
八百万の神よ、先祖よ、弟をお守り下さい。どうか、少しでも、弟の人生に幸と、安らぎが訪れますように。
「嗚呼………、なんで…。
あなたの代わりを…、わたしが…。
なんで……、あなたが……わたしより…、早く…。
あなたは……、なんで……。
なんで……、なんで……、どうして……。
答えて…、応えて…、嘘だと…、冗談だと…。
いつもの…、あなたみたいに…。
嗚呼……、嗚呼…、噫々…、ああ……。
あの頃のわたしが…、もっと、あなたを理解していれば……。
わたしが……、あなたのことを…もっと…、もっと……、
あなたの、深く、深く、深くまで…。
あなたの…、感情を掬いとっていれば…。
ああ……、もっと…、あの時に………、努めていれば……。
嗚呼…、なんであの時に……、なんで…、なんで…。
あの時…、伝えられなかったのだろう…………。
あなたへ、届けられなかったのだろう…。
感謝の意を…。たった、その一言を…。
あなたのことを…、友のように…、姉のように…、母のように…、
思っていたことを…。
…何故、あの日……、あの時……、伝えなかったのだろうか。」
今日は、晴れ。
辺りは、もう暗く、まだ空の片隅は、西日の名残りがある。淡い朱色から、徐々に淡い藍色に変わっていた。
俗に云う、黄昏時である。
ちょうど今のような時から、私たちの仕事は始まる。
喪服に革靴、そして、白手袋をつける。最後は、入念に姿見を確認する。
私たちの仕事は、決して葬儀屋や火葬屋では無く、暗殺された死体を処理と後始末である。
遺体の状態に、部屋の状態などを細かく記憶し、主(上司)に伝えることまで私たちの役目だ。(資料には、決して残せないため)
先ほど述べた状態は、暗殺者の腕によって大きく異なる。
今回の現場は、『ウェスト』…西の死神と呼ばれる方の後始末だった。
此の方の特徴は、首の皮一枚だけ残し、斬首することだった。
そして、いつも遺体は穏やかな表情で、身体に傷跡などの抵抗した痕跡などは残されていない。
百を超える暗殺後の現場に立ち会ってきたが、ここまで遺体が美しい方は、他には…居なかった。
器物の破損や紛失などは無く、僅かしか散っていない血飛沫を、拭き取とり、消毒して、清掃は終了。色移りも無かった。
できるだけ、生前の彼らの暮らした家の状態に近づけることも、私たちの役目だった。
最後は、それぞれの遺体を棺桶に…。霊柩車で火葬場まで運び、其処からは別の役職の方々に繋ぐ。
それまでが、私たちの仕事。
世間的に、誉められる仕事では無い。
それでも…私からすると、自慢の誇れる仕事だった。
かつて、純白だった色は黄みがかり、艷やかだった光沢は失われた。
色鮮やかだった刺繍は、色褪せて不鮮明になった。
でも、これは最愛の妻から、初めての贈り物だった。
遠き故郷の私の母に逢うために、彼女自ら赴き、初めて教わった刺繍だった。
時を重ねた繊細で美しい刺繍を施されたハンカチは、真新しいものとも違う良さがあった。
そのハンカチには、華やかさは無い。ただ、洗練された品の良さが在った。
もう使うことは難しいが、今でもクローゼットで大切に保管している。
明るい港。街には、多くの明かりが灯る。多くの人々が着飾り、馬車に乗りこの街に集まる。みな、年に一度どの祭りを楽しみにしていた。
この時期は、身分関係なく、多くの人々で賑わう。
ある者が広場で、音を奏でる。すると、また、ある者は踊り出す。また、ある者は、その音に合わせ、また別の旋律を奏で出した。また、ある者は、その演奏と踊りを見て、楽しんだ。
夜が更けるにつれ、広場には多くの人々が音を奏で、多くの人が踊り、多くの人々が見て、楽しんだ。
その周囲には、人々が集い、酒や串焼きなどの露店を楽しんでいた。
この街は、かつて、無法地帯だった。
出自によっての貧富の差が大きく、生活の質が雲泥ほど開いていた。
ある貴族の青年が武功を挙げ、王から褒美として、公爵の爵位と街の統治権を与えられた。
それから、この街は大きく変わった。
貧しいの人々に職と家を与え、裕福な人々に貧しい人々を支援できる仕組みを作り、貧しい人々の施し方を教えた。
全ての街の住人に無償で、質の高い学を習えるようにするなど、無謀と云われた数々の政策を実行した。
いつしか、その青年は、年に一度、祭りを開くようになる。その祭りを通じ、青年と街の人々につながりが出来るようになった。
それをきっかけに彼は、街の住人から愛されるように成っていった。
普段の彼は、寡黙で多くは語らず、常に堅い表情だったと云う。
彼の死後に、彼の奥方様たちはこう語った。
「祭りのことだけは、街の人々との思い出を語るときだけは、いつも笑みを溢していたの。
わたしたち家族と、他愛のない話しをする時より、嬉しそうだったのよ。」と、彼女たちも嬉しそうに微笑み、口を揃えた。