気持ちとは、難しい。保つことは、大切だ。
でも、時にはその揺らぎがあっても良いと思う。
『完璧である必要は無い。』と、わたしは感じる。
完璧を求めすぎれば、破滅する。
時には、運に身を任すことも大切だ。
望まぬ運命が、不幸とは限らない。
驕り高ぶり、欲に溺れては、やがて、自分を見失う。
足るを知ることも、大切だと思う。
しかし、自分を殺し、型にはめることは、決して無い。
ありのままの自分を受けいれ、たまに厳しく、時には寛容に。
そして、自分の声に耳を傾け、一息つき、整える。
気長に、自分の心が整うまで待つ。
無理に、その場を動くことは無い。
自分を責めなくて良い。
この一時が、大切なのだ。せめて、この時だけは、自分を見つめ、どんなに些細なことでも、認めて褒めてあげて。
気長に待ち、整ったら、自分に『ありがとう』を伝えよう。
以前のようには行かなくとも、ゆっくりと進めば良い。一息つき、整え、そして、また、進めば良い。
それは、昔、まだ身を隠して生きてきた頃の思い出。
ある老夫婦に、お世話になっていた。その年は、いつもより暑い夏で、小さなため池は干上がるほどの暑さだった。
その日は、一段と暑い日で、早朝には暑さで目が覚めた。いつものように、水差しから桶に水を注ぎ、顔を洗い、かたく絞った手ぬぐいで、体を拭いた。
机の上の硬い黒パンをちぎり、口に運ぶ。しかし、いつもの量の3分の1しか喉を通らなかった。
いつものように畑に出て、植物に水をやり、雑草を摘んでいた時だった。
突然、汗が全身から吹き出で止まらなくなり、指先が震え出した。
気がついた時には、ベットで横になっていた。
ベットの横には、老夫婦が居た。「ああ、良かった。本当によかった。目が覚めた。」と、老夫婦は泣きながら、喜んでくれた。
そして、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
それから、間もなくお医者さまが家に来て、診察してくれた。
「数日間、安静に過ごしたら、体調も回復するよ。それと外では、帽子を被るように。そして、こまめに水を飲むようにね。なにか有れば、また呼んで下さい。では、これで失礼します。」と、お医者さまは、帰っていった。
その翌日には、おばあさんが、おじいさんと僕の分の麦わらで帽子を編んでくれた。
麦わらで出来た帽子は、農作業になくては、ならない必需品となった。
今では、もう小さくなって被れないが、これだけは手放せず、手元に残している。
きれいな人に成りたい。
容姿のきれいな人は、それだけで優遇される。
容姿が整っていたら、貧しくともお金持ちの男性と結婚できる。
わたし自身、容姿には自信があった。でも、所詮は井の中の蛙だった。
此処には、わたしより美しく、色っぽい女たちで溢れていた。
美しいと綺麗は、違う。と、此処で思い知らされた。
わたしは、美しくは、成れなかった。
「おまえは、きれいだが、美しくは無い。」と、楼主に、客に、言われた。
わたしには、変えることの出来ない容姿に烙印を押されような、呪いの言葉に思えた。
しかし、わたしの姉様となった人は違うと言った。
「綺麗な容姿とは、それだけで武器だ。
一見すると、その綺麗という武器は 無敵のように思えるかも知れない。
しかし、それは違う。
それだけでは、人を魅了することは出来ない。
それだけでは、美しいとは、言えない。」と、姉様が言った。
「では、美しい方々と綺麗な方々の違いは、何なのでしょう。」と、わたしは
姉様に問うた。
「内面だよ。見かけだけでは、人は魅了することは叶わない。
美しさとは、心に響くものだと思う。
美しい者は、知っているのだろう。
己の心の有り様は、玻璃の鏡のように、周囲の目に、はっきりと映すことを。
だから、美しい者は 芸や容姿だけではなく、学を身につけ、内面を磨く。
見かけだけでは、到底、測ることの出来ない『心』を。」と、姉様は教えてく
れた。
だから、わたしは、内面を磨いた。
『心』が鏡なら、『学』は、絵画だと思う。
自分の『心』の鏡に映したものを、『学』は言葉に表すことで、互いに見せ合い、写しあうものだと、感じた。
光輝く人。
自分自身が望み、選んだ人生とは全く違う生き方をしている人。
其れが、彼だった。
私は、ノース。 彼は、サウス。
昔から、私が月なら、彼は日と喩えられる。
私と彼は、何故か、よく比較される。
人種も違えば、故郷も異なり、価値観や倫理観も違うのに。
長年に渡り、対となる立場だからかも、知れない。
未だに彼の行動には、理解に苦しむ。
何故、あそこまで依頼主の指示を破り、無視するのだろう。
しかし、何故か依頼が絶えないのが不思議なくらいだ。
彼は、なぜ、あそこまで自由に生きられるのだろうか。
彼のように、己に素直に生きられたらな…と、たまに思う。
彼のような人生を歩めたら…と、羨ましく思う時が有った。
かの有名な平家物語の冒頭部分を思い出す。
和多志の仕える主は、この文を日常的によく唱えた。それほどまでに、好んでいたものは、他に無かった。
諸行無常。
一見すると、同じ事の繰り返しのような日常でも、その瞬間、その一時と同じ時は、もう二度と、決して訪れることは無い。
和多志は、そう解釈している。
だからこそ、大切なのだ。あたり前のこの平和な日常が…。
だからこそ、大切なのだ。この日々に、瞬く間に過ぎ去ってしまう時に、感謝することが…。
主は、それを…まだ、幼き頃に知ったのだ。知ってしまったのだ。
この日々は、決してあたり前では無いことを…。親しき者たちが、心から笑い逢い、生きていることの喜びと有り難みを…。