烏羽美空朗

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11/3/2022, 1:10:22 PM

伸ばしっぱなしの不揃いな黒髪、その隙間から睨みつけてくる虚ろな瞳。男版貞子が白くぼやけた鏡の中にいた。

あぁ、これは、俺か。

髪を掻き上げ、後ろで適当に結ぶと、見慣れた自分が額縁の中に帰ってくる。
何もかもを悟ったかのように凛々しい切れ目に対し、何もかもを恐れているかのように弱々しく下がる太めの眉毛。
鼻は小さくて、唇は薄いが薄すぎない。そして、それらのパーツ総てが何の感情も抱いていないかのように凝り固まっている。

その顔は、綺麗だと言われれば綺麗で、普通だと言われれば普通で、怖いと言われれば怖い。そんな、なんとも言い表し難い顔立ちではあるが、ものすごく美人ではなく、ものすごく不細工でもない、ある意味丁度良いバランスだとは思う。

鏡に映る自分は本当の顔よりも美しく見え、写真の中の自分は本当の顔で映るという話をどこかで聞いたが、俺にはどちらも人形のように無表情な自分が閉じ込められているようにしか見えない。

昔、鏡の中の自分と入れ替わるという都市伝説のような噂が流れていたことをぼんやりと思い出した。
俺が二人もいてたまるか。鏡の中の自分は不満げに眉をひそめる。

まるで、自分こそが本当の俺だと言いたげに、そいつはずっと睨みつけてきた。

静観に飽きた俺が洗面所から離れるまで、ずっと不安げに睨みつけていた。

鏡の中の自分

11/2/2022, 1:46:49 PM

布団の上に仰向けになり、ランプの光が煌々と、木目の天井に揺れているのを感じながら、散歩道の途中にある古本屋で買ったばかりの中原中也詩集を開いていた。

それは全体的に黄ばんでおり、天の部分なんか日に焼けボロボロだ。しかし、一つ開いてみるとシミや汚れや折れなどは全くなく、とても大切に読まれていたことが窺える。それか、全然読まれずに日がよく当たる窓際に放置されていたか。

第1刷は1981年に発行されたと書かれており、この本は第24刷発行のものらしい。つまりは俺よりも年上、ということだ。

広がる自然の描写と酒の匂い、生の中の寂しさと、死への悟りに少しばかりの皮肉。中にはかなり直球な悪口もある。
そんな中でも一番好きな表現は、山羊の歌、サーカスの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」というブランコの揺れを表したものだ。
何だか癖になる響きで、昔見た子供番組でそんな歌が流れていた気もするので、一番印象に残っている。

彼の作品はとても好きだ。しかし、酔った勢いに任せ、他人の家に叫びながら上がり込んだり、ビール瓶で仲間の頭を殴るなどの悪行三昧。そんな凶暴なチワワみたいな彼自身には正直、今この時代に彼が生きていて、なおかつ気軽に会えるとしても会いたくはない。

夜がふける。本を持つ手に力が入らなくなってきたのを感じてきたら潔くそれを閉じてランプの横に置き、そのまま枕元に用意しておいたノートに詩の感想を書く。眠りにつく前の最後の執筆だ。

……筈だったのだが、どこかに転がった鉛筆を探そうと、身体を起こそうとしているのに、その思いと反比例して、ふうぅ……と力が抜けていく。

あぁ、まずい……瞼が重くなってきた。


まだ……中途半端、な……とこ……




眠りにつく前に

11/1/2022, 11:46:01 AM

「永遠」という言葉が、俺はあまり好きではない。

始まりもなく終わりもなく、果てしなく続く意。と辞書に書いてあったのを読んで以来、その言葉がまるで、生まれては消えることが定められている万物総てが触れることも理解することもできない、あまりにも異質な事象であるかのように感じられ、とても恐ろしいのだ。
何故、どうやって、そんな禁忌を人間という種は知ってしまったのだろうか。

しかし、「永遠に貴方を愛する」や「永遠に変わらぬ友情」などといった、貴方への想いは不変である、という劇的で揺るぎない感情を表すときに度々使われる「永遠」は美しいと思うし、俺も文章中では何度か使った記憶がある。

そういった「永遠」は、好きかも知れない。

永遠に

10/31/2022, 1:45:16 PM

白濁のスポーツドリンクを注いだ小さなペットボトルキャップに八匹もののアゲハチョウが群がり、羽根をパタパタとさせながらぎゅうぎゅうと押し合う。
手元の争奪戦から目を背けるように一面ガラス張りの温室を軽く見渡すと、それだけで沢山の色の情報が飛び込んでくる。俺に花や木の知識はないが、春夏秋冬いつでも何かしらの花が咲いているので、植える植物がきちんと考えられていることだけはわかる。

ぶうぅ〜ん……
不意に、聞いたことのある不快な羽音が聞こえた気がして振り返る。すると、すぐ真横にあった扇形の葉っぱから大嫌いなアシナガバチが飛び出してきたので、驚いた俺は慌てて身体を逸らした。

途端に、ぱあっと四方八方に逃げ出す七匹のアゲハチョウ。しかしながら、一匹の図太い個体はなお留まり、ライバルがいなくなったのをチャンスと見たか、堂々と真ん中に居座っていた。その様子を見ていると、俺も少しだけ落ち着きを取り戻してきて、キョロキョロと警戒しながらもスポーツドリンクを注ぎ足した。

ここはとある昆虫館。簡単に言えば沢山の生きた昆虫達と標本が展示されている建物だ。今俺がやっているように温室に放たれた蝶々との触れ合いもできる素晴らしい場所なのだが、いかんせん辺境な上に針葉樹林に隠れており、知っている人間は俺含め極わずかである。
……いや、もしかしたら俺にしか見つけられない場所なのでは、と本気で疑う程に、いつもいつも誰もいない。とても静かだ。

しかし、騒がしくて悪臭のする都市部が好きではない俺にとって、いつも穏やかで花や土の良い匂いがするこの温室は、誇張なしで理想の環境であった。
もっと早く、暗闇の真っ只中にいた頃にこの情景を知れていたら、俺は間違いなく、この場所こそ幸せという感情を知れる、いつかの絵本で見たキラキラの理想郷だと勘違いしていただろう。

ふと、足元の花壇の中、金のダリア一輪の影に隠れた黒い羽根が見えたので、そちらにも餌をやろうと顔を近づける。

それは確かにカラスアゲハだった。しかし、胴体がない。二枚の黒い羽根が脱ぎ捨てられた靴下のように無造作に、土の上に落ちているだけであった。ダリアの葉が陽光を遮り、その黒さを一層深めている。

あぁ、理想郷にも死はあるのか。

何故だか、俺はそんなことを思った。

理想郷

10/30/2022, 12:36:33 PM

「懐かしい」という言葉は、大抵は甘酸っぱい恋だったり、炎天下で共に食べた氷菓だったりといったきらびやかな思い出や、赤点ぎりぎりのテストだったり、雪に落とした肉まんだったりといった少々苦くはあるが笑える思い出に使うことが多いだろう。

正直に言うと、俺にはそんなありきたりだが確実に幸せな青春の「懐かしい」はない。

両親の離婚及び無関心、実質小中高一貫故に最後まで続いたいじめ、挙げ句の果てに、愛する彼女が理不尽に殺害されて。今は少々精神不安定な売れない小説家。
文字に並べると、笑っちまう程に孤独で不幸過ぎる人生に思えてくるが、これは確実に俺自身が歩いてきた道であるのだ。

もちろん、俺にも幸せな記憶はある。
近所の神社に住んでいた烏の雛だったり、追いかけ回されていた白い烏だったり、茶菓子をくれたお爺さんだったり。時間さえあれば更に思い出すことができるだろう。

辛い記憶の方が心に残りやすい。しかし、忘れてしまったように思われる幸せな記憶だって、いつでも思い返してもらえるようにその裏に隠れている。
つまりは辛い記憶を見境なしに捨てていると、知らず知らずのうちにそれに連なる幸せな記憶も捨ててしまうのだ。

幸も不幸も総て「懐かしい」と言える物であり、保存すべき物だと、俺は思う。

懐かしく思うこと

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