夕暮れの駅で、彼女は「また明日ね」と笑った。
その笑顔が、最後になるなんて知らなかった。
次の日、彼女は来なかった。
その次の日も、そのまた次の日も。
やがて僕は、ホームの端で落ちていた古い定期入れを見つけた。
中には、僕と撮った小さな写真と、折れたメモが入っていた。
『言えなくてごめんね。
明日が来る保証なんて、ほんとはどこにもなかった。』
電車が通り過ぎ、風が吹く。
あの日の「また明日ね」が、胸の奥で何度もこだました。
人は、永遠を信じて約束をする。
けれど幸せはきっと、刹那だからこそ美しい。
【今を生きる】
放課後の教室に残っているのは、陽菜と尚人だけだった。
窓の外には、夏の終わりを告げるような赤い夕焼け。照り返しが、教室の床に長い影をつくっていた。
陽菜は静かに、黒板に向かってチョークで「ありがとう」と書いた。
「卒業でもないのに、それ書く?」
尚人が笑って言う。笑っているのに、その目はどこか寂しげだった。
「うん。伝えておきたかったから」
陽菜は黒板に背を向け、尚人の方を見つめた。
彼と過ごすのは、あとほんの少ししかない。
「転校、本当にするんだな」
尚人の声が、少し震えていた。
陽菜はうなずいた。「父の仕事の都合で、もうどうしようもないの」
「そっか……」
尚人は、机の縁に腰かけて、手にしていたシャーペンを何度もカチカチと鳴らした。
いつもなら先生に怒られる癖。でも今日は、誰もいない。
「尚人、ありがとうね。私、最後の一年、すごく楽しかった」
「やめろよ、そういうの……ずるいよ」
尚人が顔を伏せた。声が、夕焼けに溶けていった。
陽菜は少し黙って、意を決したように言った。
「ねえ、最後に一つだけお願いしてもいい?」
「……なに?」
「今日、この時間だけは、何も考えないで。未来のことも、離れることも。悲しいのも、寂しいのも。今だけは……“今を生きる”って決めたら、少しは楽になる気がするの」
尚人は目を見開いて、それから小さく笑った。
「……わかった。今だけは、全部忘れて、笑うよ」
陽菜も笑った。泣きそうな顔のままで。
ふたりは、誰もいない教室で、ささやかに笑い合った。
それが最後だった。
けれど、その「今」は、時間のなかで一番まぶしくて、きっと永遠に胸の奥で光るだろう。
【もしも君が】
朝の光が差し込む小さな町のカフェ。まだ開店前の静かな店内に、ひとつだけ音があった。
「トントン…トントン…」
それは、小さな前足でガラスを叩く音。
振り返ると、そこにいたのは一匹の茶トラの猫だった。少し毛並みが乱れていて、首輪もしていない。だがその目は澄んでいて、まっすぐにこちらを見つめていた。
「おはよう、君。お腹すいたの?」
私はドアを開け、猫に声をかけた。すると、まるでそれを待っていたかのように、猫は「にゃあ」と一声鳴いて、ゆっくりと店内に入ってきた。
それからというもの、彼——いや、「トト」は、毎朝カフェにやってくるようになった。
ミルクを少し、クロワッサンの端っこを少し。客が来る頃には、カウンターの上で丸くなって眠っている。お客さんたちもそんなトトを見て、自然と微笑んでくれた。
「猫がいるだけで、こんなに空気がやわらかくなるのね」と、ある常連の女性が言ったことがある。
ある日、雨が降った。開店の準備をしながら、私はふと入口を見た。
いない。
いつもの時間になっても、トトは来なかった。
「どこかで雨宿りしてるのかな…」
そう思いながら、私はトトのために小さな毛布を用意した。
そして、二日目、三日目……トトは現れなかった。
心にぽっかり穴が空いたような気がした。たかが猫、されど猫。トトは、気づかぬうちにこのカフェの、いや、私の日常の一部になっていた。
七日目の朝、私はカフェのドアを開けて、思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、少し濡れたトトと、もう一匹の小さな黒猫だった。
「…おかえり」
そう呟くと、トトは「にゃあ」と鳴き、子猫を先に店に入れた。まるで、「この子もよろしく」と言わんばかりに。
私は笑って、用意していた毛布を二つに分けて広げた。
「もしも君が、言葉を話せたら、きっとこう言うんだろうね。『大丈夫、ここならあったかいよ』って。」
そして今でも、カフェには二匹の猫がいる。
一匹は静かに眠り、一匹は好奇心いっぱいに店内を探検している。
訪れる人々は、彼らを見るたびに少しだけ優しくなる。
もしかしたらそれは、トトがくれた魔法なのかもしれない。
⸻
君だけのメロディ
遥か昔、音に魔法が宿る世界があった。
その国では、旋律を紡ぐ者を〈奏術士〉と呼び、彼らの歌は雨を止め、風を導き、人の心を癒した。
リィナは、その国で唯一、声を持たない少女だった。
音の魔法が全ての力を握る世界において、彼女は“沈黙の子”と呼ばれ、誰からも見向きされなかった。
だが、リィナにはひとつだけ、誰にも負けない力があった。
それは――“人の心の旋律”を聴く力。
悲しみを隠す笑顔、怒りに震える沈黙、誰にも気づかれない願いの音。
彼女にはそれが、旋律として聴こえたのだ。
ある日、リィナは森の奥で倒れていた青年を助ける。
名はセイル。記憶を失い、名前すらも曖昧な彼だったが、リィナにだけはなぜか微笑んだ。
「君の沈黙が、いちばん心地いい音に聴こえるんだ」
彼の心は、透き通るようなメロディで満ちていた。
それはどこか懐かしく、リィナの胸を温かく包んだ。
数日後、国に魔獣の群れが迫った。奏術士たちの旋律でも鎮められぬその暴走は、“心を失った魔物”と呼ばれていた。
だが、リィナはその音を聴いた。
魔物たちの奥底に、苦しみに似た震える旋律が流れていたのを。
彼女はセイルとともに、魔獣たちの前へ立った。
セイルは静かに目を閉じ、リィナの手を取った。
「君が感じた音を、僕が歌にする。君だけのメロディを、世界に届けよう」
リィナの心から溢れた旋律は、セイルの声と重なり、空へと舞った。
それは静かで、優しく、どこまでもあたたかい音。
やがて、魔物たちはその歌に涙を流し、森へと帰っていった。
人々は奇跡と呼び、少女の沈黙が世界を救ったと讃えた。
だが、その日を境に、セイルの姿は消えた。
残されたのは、ひとつの旋律――リィナの胸に響き続ける、君だけのメロディ。
⸻終
【I Love】
In the morning light, I love to see,
The gentle breeze, the dancing tree.
With every smile, a heart takes flight,
In the warmth of day, everything feels right.
I love the stars that twinkle bright,
Guiding my dreams through the endless night.
With every heartbeat, with every sigh,
I love the moments that pass us by.
So here I stand, with open heart,
In this beautiful world, I play my part.
I love the laughter, the joy we share,
In every memory, I find you there.
訳:
朝の光に包まれて見る景色が好き
そっと吹く風に揺れる木々
まるで君のささやきみたいで
誰かが微笑むたびに、心が優しく羽ばたいて
あたたかな陽ざしの中で、世界が少し輝いて見えるんだ
夜空に瞬く星たちも愛おしい
終わりのない夜を、夢へと導いてくれる灯りみたいで
胸が高鳴るたび、ため息がこぼれるたびに
過ぎていく時間さえ、かけがえのない宝物になる
だから今、胸を開いてここにいるよ
この美しい世界で、君と出会えた奇跡を感じながら
笑い声も、分け合う喜びも
ひとつひとつの思い出の中に、いつも君がいるんだ