家のドアを静かに開ける。
開けた瞬間目の前に見えるのはただ暗い景色だ。
明かりをつけると一気に自分の家に帰ってきたと感じる。
一応こまめに掃除はしていて
整理整頓はきちんとしているつもりだ。
もう1つのドアを開けるとすぐに明かりをつけ
ソファに横になる。
そのままスマホを付けるが何も通知は入っていなかった。
さっきまであんなに幸せだと感じていたのに
急に今はひとりなんだという現実が突きつけてくる。
過去の出来事になっていくのが、悔しい。
「…寂しいなぁ」
ゆっくりと目を閉じる。
あの唇の感触。
大好きな人の味がまだ口に仄かにしているような気がする。
私…彼女なったんだなと…実感する。
だがその彼の手の温もりは確実に無くなっていき
その口の中に残る微かな味さえも失われていく…
それはまるで『幻』のような気がして
私はただ夢を見ていただけなのかもしれないと
途端に怖さを感じて現実から背けるようにその目を閉じ続けていた。
その瞬間音楽がスマホから鳴る。
すぐに目を開けるとそこにはLINEが1件入っていた。
「…離れたくない」
たったそれだけでさえ、目元が優しく微笑む。
私は小さな温かいものを手に入れたのかもしれない。
まだ今はほんの小さなものでも、続けば続くほどそれは次第に大きくなりもう二度と失う事もないものになるのかもしれない。
その送られてきたLINEをきちんと考えながら
一つ一つの言葉をタップしていく。
「私も寂しい…離れたくなかったよ」
episode 『小さな幸せ』
ただ静かな空間だ。
聞こえてくるのは音楽だけで、
その歌詞の一つ一つが鮮明に聞こえてくる。
お互いが何も言わず
ただその車内から見える景色をずっと見つめているだけだった
「はぁ…」とその空間に一つの大きな声が聞こえる。
「…帰りたくない?」
その景色をまた見るといつも見ているその街の風景だった。
出来ることなら…もし叶うのなら
今日をもう一度最初からやり直せたら…と思ってしまう。
あの花を受け取ったあの瞬間に戻れたらと考えてしまう。
「…俺だって帰りたくない」
「出来ることならもうこのままずっと一緒にいたいけど…明日から仕事だろ?」
その言葉を聞くと尚更肩を落とす。
仕事…か。
今まで自分の為だと思って頑張ってきたその仕事も
今は彼といたいから…離れたくないから
行きたくないとさえ思えてしまう。
「…彩芽?行きたくないなんて思っちゃダメだよ」
「えっ!?」
「図星だろ。ちゃんとお金稼がないと」
その言葉に下をまた向く。
「…将来2人で暮らしてく為に、少しでも貯めておかないとな」
「えっ!?」
彼が笑顔を見せながらずっと握られ続けているその手を見る。
「俺さ、夢出来た」
「夢?」
「まずは2人で沢山デートしたいな、旅行とかも行きたいし…将来結婚もしたい。いつかは俺たちの子供も欲しいし。で、彩芽がデザインした家で暮らす。家族で旅行にも行って…」
「待って待って!」
彼女が笑いながら朔の話を止める。
「どれだけあるの?」
「沢山」
「まるで…七色のクレヨンみたいね」
「え?七色のクレヨン?」
「お家に帰ったら調べてみて?」
彼が少し首を傾げる。
「…私のデザインした家に家族で住みたいか…」
「俺彩芽のデザインした家好きなんだ」
「だからさ、仕事行きたくないって思わないで?最高の家建てれるようにデザインの腕磨いてよ?」
そのままゆっくりと車が停止する。
横を見るとそこは彼女のマンションの前だった。
顔がお互いに近づくと自然と口が重なり合う。
「……また明日、会おう。だから仕事頑張っておいで、な?」
彼の車から降りると優しい笑顔で手を振りながら
その車はゆっくりと前へ進んで行った。
episode 『七色』
「うえーん…」
「まーた泣いてるよ、こいつ」
「おもしれぇよな、ちょっと虐めればすぐ泣くんだから」
男数人に囲まれその真ん中には
小さなワンピースを着た女の子が泣きながらしゃがんでいる。
「いつもアイツと一緒にいるからな」
「お前アイツいないと弱いから今のうち…」
「おい!!何やってんだよ!!」
そこに1人の男の子が立つ。
「女の子虐めて何楽しんだよ!!」
彼女がふふっと笑う。
「何?」
「もうほんとに泣かせない?」
「なんだよ、急に」
「昔の事思い出しちゃった。朔が助けに来てくれたあの時の事」
「……ん?俺、彩芽助けに行きすぎていつの事か覚えてないんだけど…」
「そんなに助けに来てくれたっけ?」
「おう!お前は泣き虫だからな!いってぇ!」
彼が笑いながら言うと彼女が彼の腕を抓る。
「ごめんね、泣き虫で?」
「でもだからこそ助けてやりたいって心から思うのかもな」
「え?そうかな?」
「だって好きな女泣かせたくないじゃん?
昔から俺はずっと彩芽の事好きだったから」
episode 『記憶』
さっきからずっと視線を感じる。
それは睨みつけるような感じではなく
優しい感じで見られているようなそんな視線だが…
ずっとずっと小さい頃からひとつの夢があった。
よく親にも言ってた。
「俺さ、将来お嫁さんにする人がいるんだ!」って。
その度に「なれるといいわねー」と笑われていた。
俺の親と彼女の親は仲が良くて、昔から親交もあった。
ずっとずっとただ好きだ、それしか思ってなかったけど
今はそんな視線を送ってくる隣に座るのが俺のひとつの夢の相手だった。
何も言わず手を差し出すと、その手に感触が伝わる。
俺の彼女…
ずっと一生いたいと思っていた女が俺と付き合ってくれた。
俺でいいのか?と思う反面…
彼女がどれだけ苦労してきたのかも知ってる。
彼女が仕事で悩み、沢山泣いてきたのも知ってる。
だからこそもう二度と…
「…泣かせないから」
「え?」
「お前今まで沢山悩んで泣いてきたことあっただろ?もう俺絶対お前の事泣かせないから」
「……」
「ずっと笑顔見せてよ、俺笑顔好きなんだ」
「んじゃあずっと笑わせててよ?」
信号が赤になると車が止まる。
その瞬間ぐっと頭を掴むとその口が重なり合う。
「大丈夫だよ」
「俺の横にいたらもう二度と泣くなんて事させないから」
episode 『もう二度と…』
「あれ?なーんか天気悪くなってきちゃった?」
その声にハッとすぐに後ろを振り向くと
そこには両手にドリンクと何か袋を持った彼がいた。
「良かったぁ……」
「ん?どーしたんだよ?あ、わかった!!さては俺が離したって思ったんだろ!」
「……」
「バッカだなー?ほら、コーヒー」
はい、と手渡されると暖かい温もりが一気に伝わる。
「あったかい……」
彼が横に座るとそのまま片手で袋から何かを取り出す。
「あんまいいの無くてさ、悩んじゃって…ほら」
「なんでアップルパイ?」
「あれ?昔アップルパイ好きだって言ってなかった?」
「……好きだけど」
「ほら!俺の記憶力の良さ!素晴らしくねぇ?」
「あはは!でも天気も良かったら最高だったのに」
2人が上を見るとその雲は少し灰色にも見える。
「なんか雨降りそうだな…」
「雨降ったら濡れちゃうね…」
彼が彼女の服を見る。
そこには彼女なりの俺への気持ちなのかワンピース姿だった。
「……せっかく可愛い格好してきてくれたんだ」
「彼氏らしい事してあげたいけど濡れちゃったら風邪引いちゃうからさ…車に戻って食べようよ、沢山話しながらさ?」
彼が立ち上がると彼女の手を掴みそのまま砂浜を歩き出した。
episode 『曇り』