年の瀬の境内には、音が少ない。
静かだからではない。
音が、意味を持たない場所だからだ。
鈴の音も、足音も、風の擦れる音もある。
でもそれらは、始まりも終わりも主張しない。
ただ、起きて、消える。
返納箱の前に立つ人は、祈っていない。
願ってもいない。
感謝の言葉は、
もう振り返らない相手に向かって発せられている。
しているのは、
「預けていた重さを、自分の側から外す」という行為だけ。
お守りは、そこで初めて“個体”を失う。
布でも、形でも、意味でもなくなる。
あれはもう、物ですらない。
関係が終わる瞬間だ。
誰かが背負っていた一年分の「越え方」が、
そこに、そっと置かれる。
燃やされるのは、物じゃない。
記憶でも、祈りでもない。
「もう一人で持てるようになった状態」だけが、
炎に渡される。
だからあの火は、あたたかくない。
慰めでも、浄化でもない。
ただの、手続きだ。
そしてそれが終わるとき、
何も始まらない。
拍手もなく、
新しい願いも立ち上がらず、
来年という言葉も、まだ口にできない。
何かを失ったからではない。
まだ、時間に物語を渡していないだけだ。
題 静かな終わり
私は、どこにも焦点を合わせずにいる状態が標準だ。
「黒板を見ろ」と命じてくる人間には、
大変迷惑している。
本当は、理詰めになんかならなくていい。
知らないんだろ。
知識を持ってしまったら、
もう「知らなかった頃の世界」は見えない。
知らなかったからこそ、
揺れていられた感覚を、思い出せるか?
「ぼーっとする」というのは、
怠けじゃない。
世界に主導権を返す行為だ。
その瞬間、
世界の本当の秩序だけが、浮いて見えてくる。
自分にいちばん近い世界は、自分の肉体だ。
血は巡る。
呼吸は続く。
眠気は訪れる。
空腹は正確に知らせる。
それに応じる。
それだけで整う。
世界は、命じない。
風の向きは、いつも正しい。
暖かな光を背に浴びると、内側から熱が湧く。
そこには意味づけなんかない。
でも、確かな一致がある。
自分の内側の流れと、
外側の流れが、
同じ方向を向く。
怪我が治るのも、同じだ。
誰も「治れ」なんて考えていないのに、
勝手に治る。
音楽を聴いて、涙が流れる。
その涙に、何か役に立つ意味があると思うか。
ないよな。
なくていい。
ただ、そこに揺れがあった。
それで充分だ。
生きてることの本質は、
その涙と同じものだ。
意味を持たなきゃいけないという幻想の外に立つ者からすればな、
生きてることに、意味なんかいらねんだよ。
世界は、
「こうなっている」という事実を、
淡々と差し出してくる。
世界は、すでに整っている。
説明はない。
代わりに、正しさが直接“実演”される。
心の旅路は、知識を得ることじゃない。
世界の完璧さを、
忘れずにいられる距離まで戻ることだ。
題 心の旅路
その水面は、灰青の空を一点の歪みもなく映す。
水は息を潜め、世界の気配を抱え込んで、動かない。
石畳の小径も、屋根の端に残る霜も、
枝先の影も静かに反転させる。
遠くの山影は眠るように澄み、
松や椿の緑は冷たい光に凛と立つ。
光も影も、過去も、
今ここにある一瞬も、
すべてが鏡の上に重なる。
静止した水の上に、
世界の輪郭だけが、
凍りかけの冷気を帯びて残る。
水面は微動だにせず、
そこに触れた者の存在を反射し、
記憶の余韻までも宿す。
足音の残像、
過去に咲いた花の色、
凍てついた時間の微かな呼吸。
その鏡の中、果てを見ると、
答えは凍り、思考が沈黙する。
そのなかに自分をみつけるが、
そこから何も掬えない。
題 凍てつく鏡
私が触れているのは、
見たことのない光だ。
あるかどうかを
証明できないまま、
それでも、
暗闇だけではなかったと
まだ言葉には出来ない。
人が「誰も信じられない」と言うとき、
その言葉の奥に、
かつて信じて、
傷ついた夜が
横たわっている気がする。
まだ消えていないものが、
そこにあるから、
そんな言い方をするのだと
思ってしまう。
私は、
誰かに期待を寄せることはしない。
ひとの本質は多面的で、
流動的だと思うから。
ただ、
人柄を静かに見ている時間が、
いつまでも消えずに
残ることはある。
「信じられない」とも、
「信じたい」とも、
言わない。
どちらの言葉も、
夜を
少しだけ照らしすぎる気がして。
私はまだ、
見ていない光のそばにいる。
題 雪明かりの夜
誓いは、破れば「破った」と言える。
それは、未来に杭を打つ行為だ。
祈りは違う。
「そう在れますように」と願いながら、
自分の手を引く態度。
相手を縛る前に、自分を戒めること。
私は、独占欲の杭を持たない。
私が大切にしているものは、
誓いの、手前にある。
私は、因果で測られる関係を、信じていない。
命は、正解を辿ったご褒美じゃない。
肯定が積もり、
関係が熟し、
祈りが臨界を越えたとき、
起きてしまう出来事だと、思っている。
用意された筋書きと、尊重は、別の軸にある。
尊重は、生き方の滲みだ。
相手の身体や人生を、
自分の計画の部品にしていないか。
私は、そこしか見ていない。
管理は、必要なこともある。
でも、管理が人を選別し、
「正しくない宿り」と笑った瞬間、
それは敬意ではなく、傲慢になる。
口づけは、本来、
「触れていい」「触れられていい」という、
相互の許可と信託の象徴だ。
距離が、ゼロになる直前で、
言葉をやめ、
身体で、一瞬だけ示す静止。
それは、欲望の始点ではなく、
承認の終点に、近い。
だから、その先に、
身体的な交わりが含まれるのは、自然だ。
けれど、多くの場合、
誓いのキスは形式に消費され、
交わりは、欲望として切り離される。
ここで、私の心は、断絶する。
触れたいから、触れるのではない。
「あなたを壊さない」という、
沈黙の誓約。
その誓いが、
触れ方にも、
速度にも、
終わり方にも、
残っていてほしい。
でも、それは祈りとして受け取られず、
欲望の、一場面として通り過ぎる。
同じ行為をして、
意味だけが、一方通行になる。
私の側には、
祈りを置いたまま、
回収されない私が、残る。
だから、後で、
勝手に、私だけが、痛む。
題 祈りを捧げて