私の小学生時代の初恋の相手は、足が速くて、勉強もそこそこできて、切れ長な奥二重の童顔で、直毛のサッカー部だった。
そして、ゾンビの真似がやたらと上手な男子だった。
あの日も、幼なじみ六人で集まる部屋では、かくれんぼが始まった。
彼はいつも率先して隠れる側に回った。
隠れ方も妙に上手いのに、見つかるとそこからが本番だった。
鬼に見つかるや否や、ゆっくりとした動きでゾンビになりきり、追いかけてくる。
その不格好で徹底したスローさが、怖くて、そして可笑しかった。
年下たちがキャーキャー叫ぶのを見て、彼はどこか楽しそうだった。
その姿はただの悪ふざけじゃなくて、ちゃんと“場を成立させる優しさ”だった。
その愛嬌と、みんなを巻き込んでしまう熱のあるふざけ方が、ずっと好きだった。
その子はロックマンも上手だった。
どこで敵が出るのか、どのタイミングで足場が現れるのか、それを身体で覚えていて、迷いなく進んでいく。
パスワードも暗記していた。
本当は、彼は外を走り回るのが好きな子だった。
けれど、私は身体が弱くて、少し動くだけですぐ喘息が出てしまう。
だから私がいるとき、彼はロックマンをして見せてくれた。
騒がしい遊びの中ではゾンビになりきって場をひっくり返し、
ゲームの前では一転して、静かに精度だけを積み上げていく。
その切り替えの速さも、派手さではなく“慣れ”のように自然だった。
ただコントローラーを握っている時間、何も誇張せずに見せてくれるその手つきが好きだった。
今更、あの日々のことをこんなところでラブレターみたいに書かれているなんて、彼はどう思うだろう。
私は彼に好きだと伝えたことはなかった。
「その言葉には何の意味がある?」
「伝えた先に何が起こる?」
「で、どうするの?」
「毎日一緒に帰る?」
――まだ子供で、人生を背負えるわけでもないのに?
そんなことを考えてしまっていた。
“感情だけを渡す”ことに、どこか宙ぶらりんな感覚があった。
むしろ私は、あの時間に価値を感じていた。
言葉にすると急に俗っぽくなるというか、
分類ラベルみたいになってしまう感覚。
だから言えなかった。
でも今振り返ると、
大人みたいな関係になりたいとかじゃなくても、
「あの時間、凄く大切だったよ」と、あの頃のたくちゃんに渡したかったな。
題 初恋の日
もし、明日世界が終わるとしても、私の行動はきっと派手じゃない。
大切な者が怖がらないように、
自分はできるだけ“いつも通り”でいる。
もし衝撃が来るのなら、ただ抱きしめる。
けれど、その人が別の場所へ向かうのなら、引き止めたりはしない。
どんな危険が予想されるかを話してから、
相手が望む居場所を、静かに尊重して見送る。
そうして隣に誰も残らなかったなら、
無理に何かで埋めようとは思わない。
一人の部屋で、煙草を吸いながら、
音楽に身を預けて、ただぼんやりしている。
ベランダに出れば、少しは現実味が増すのだろうけれど、そうはしない。
外が、もう静かなままではないかもしれないから。
Fenneszの「Endless Summer」でも聴こうか。
格好悪いことに、ふと思い立って、
「過去の誰かから何かが届くかもしれない」なんて、
そんなわずかな可能性を残したくなって、
ブロックしていたものを解除してみたりするんだろう。
期待しているわけじゃない。
ただ、完全に断ち切ることができないだけだ。
連絡したくなる人はいる。
けれど、相手の邪魔になりたくなくて、たぶんしない。
どうせ、回線は混み合って、電話も通じないだろう。
ネットもきっと重い。
興味本位で、普段は観ないテレビでもつけてみるのかもしれない。
抱きしめることも、
手放すことも、
一人でいることも、
誰かを待つことも、
その矛盾ごと抱えたまま、静かに終わりへ向かっていく。
整いきらないまま、荒れることもなく、
そのまま消滅できたなら――それでいい。
けれど、そもそも。
その「終わり」って、誰が予測できるんだろう。
これまでも予言なんて、ほとんど嘘だった。
ならば、その終わりの予報を信じて、そこへ入り込むこと自体が、
一番難しいのかもしれない。
だから結局、どうあれ私は、
“いつも通り”でいるだけなんだ。
それにしても…、
誰もが望む人のもとへ向かおうとするから、
世界は最後まで、きっと静かではいられないね。
題 明日世界が終わるなら……
君と出逢って、
世界は、少しずつ輪郭を持ちはじめた。
それまでの私は、確かに胸の中にある全てを、言葉にできないまま持て余していた。
名前を与えられなくて、
捨てることもできない、そんな感情たち。
君は、それらを勝手に拾い上げて、
「これだろう」とでも言うように鳴らしてみせた。
驚いたよ。
私はひとりではなかったのだと知ったから。
ああ、間違っていなかったのだと、
自分の中にあったものが、確かにここにあるのだと。
君の中には、奇妙な同居がある。
厳密に組み上げられた構造と、
触れた途端にすり抜けてしまいそうな感覚とが、
互いを壊すことなく、同時に息をしている。
規則に従っているはずなのに、どこまでも自由で、
自由に揺れているはずなのに、どこか必然で。
その矛盾に、私は静かに馴染んでいった。
君といると、時間の流れが変わる。
長すぎたはずの夜も、溶けていくし、
逆に、掴めなかったはずの刹那が、
指先に触れるくらいには近づく。
ひとりでいるはずなのに、
完全な孤独にはならなかったのは、
きっと君が、そこに居続けたからだ。
何も言わずとも、
ただ鳴っているだけで、
世界との細い糸を繋いでくれる。
奏、君に出逢って、
私はようやく、
自分の内側と、同じ言語で触れ合えるようになった。
題 君と出逢って、
ある春の朝、登園途中の親子を見かけた。
入園したばかりなのだろう。
真新しい制服を着た年少くらいの男の子が、ママの自転車の後ろに乗りながら、走行音に負けまいと大きな声で何かを叫んでいる。
『パパのママは誰でしょうか?! 』
謎かけのように発していた。
急いでいるママは応じる余裕がなく、
「そんな場合じゃない」という様子でペダルをこいでいた。
大きすぎて、背景に溶ける声だった。
それでも問いだけが、何度も繰り返されていた。
返事はなかった。
『―――正解は、ばあばです!!!』
題 耳を澄ますと
誰もいない夜のコンビニで、 君は髪留めを万引きした。
……わけではない。
誰もいない夜のコンビニで、
君は髪留めを万引きしたみたいな顔をしていた。
……もちろん、そんなわけじゃない。
僕は、 君がその髪留めの会計を済ませたのを見ていた。
透明な飾りのついた、小さな髪留め。
普段の君は、 髪を結ぶことすらほとんどない。
髪はいつも無造作に下ろしたままで、伸びた前髪を鬱陶しそうに払う仕草ばかりしていた。
だから、 その髪留めを手に取ったこと自体、 少し意外だった。
君はレジを離れると、 それをポケットへ滑り込ませた。
その瞬間、 僕と目が合った。
君はなぜか少しだけ慌てた顔をして、 髪留めを取り出し、 そのまま僕の手に握らせた。
「捨てといて」
そう言ったきり、 君は先に店を出る。
僕は、 彼女の指の熱が残ったそれを、 しばらく握ったまま歩いた。
別に、 何も悪いことなんてしていない。
なのに、 夜風の中で、 僕たちだけが少し社会から外れている気がした。
君は前を歩きながら、 振り返りもしない。
「まだ持ってる?」
僕は答えなかった。
代わりに、 「なんで捨てるの?」 と聞いた。
君は少し下を向いて、 「別に」 とだけ言う。
街灯の下で、 透明な飾りだけが、 掌の中でその存在を主張した。
結局、 僕はそれを捨てられなかった。
机の奥、 誰にも見つからない場所にしまったまま、 時々、意味もなく取り出してしまう。
君はもう、 あの髪留めのことなんて忘れているかもしれない。
でも、あれはたぶん、 君が一度だけ、 秘密を僕に預けた夜の形だった。
題 二人だけの秘密