石造りの鳥居の向こうに、
細い参道が、小さな社へと続いている。
脇から伸びる大きな桜。
枝のあいだから、
溢れる光がやわらかく満ち、
花びらがひらひらと舞い降りる。
道には、触れられていない静けさ。
ただ、花びらだけが揺れ巡り、
光を掬いながら絶え間なく降りてくる。
散った時間が、淡い桃色に広がり、
静かに層を成していた。
題 桜散る
ただ好きで続けていられることは、
簡単なことではない。
それには時間も余裕も必要で、
場合によっては周囲の理解さえ要る。
誰にでも許されているわけではない。
だから夢は、ときに贅沢になる。
持てと言われながら、
持つための条件は揃っていない。
そのとき夢は、
支えではなく、
届かないものとしての重さを持つ。
けれどその奥で、
多くの人が願う「解放されたい」という感覚も、
過剰な現実から降りたいという、
ひとつの夢と呼べるのかもしれない。
……なんて、少し夢がなさすぎるかな。
題 夢見る心
届かなさに、いちいち攪拌されない。
だって、私にとっては
届かないことが、デフォルトだから。
想いは、量じゃなく
解像度と相性で届く。
だから、私の100が
相手にとっては過剰なノイズになることもあるし、
逆に50くらいが、
ちょうど“受信できるかたち”だったりもする。
完璧を目指さなくても、
半分くらいで、
伝わっている何かもあるのかもしれない。
私の描いているものは、
詩というより、思考の断片だ。
丁寧に書いてはいるけれど、
誰かになにかを伝えたいというより、
自分の感性を
このプラットフォームを借りて
精密に書き記す練習をしている。
過去にあったことや、
自分の視点から立ち上げた架空の誰かを通して、
見えているものを、そのまま置いている。
感情が、考えへと変わる瞬間。
考えが、身体感覚へと落ちていく瞬間。
その移ろいを、できるだけ加工せずに捕まえている。
だからこれは、
どのジャンルにも収まらない。
けれど、完全なひとりごとでもない。
どこかで引っかかるものや、
重なるものを感じて、
静かに受け取ってくれるひとがいたなら、
少しだけ嬉しいと思って書いている。
無理に照らすより、
消えない程度の明るさで、
相手の目を焼かないまま、
なんとなく、ここに居られたらいい。
きっと、このくらいの距離なら、
静かに続いていく。
贈られるハートの意味は、なんだろう。
私の思うよりも、もしかしたら——
「ここでは声をかけられないけど、
無関心じゃないよ」
そんなふうに、
受け取ってみてもいいのかもしれない。
題 届かぬ想い
人間が知覚できないものは、無ではない。
ましてや、恐怖であるはずもない。
それはむしろ、
恐怖という輪郭もまだ生まれてない場所だ。
淡い光の揺らぎに近いものなのではないか。
色として定まる前の色。
音として立ち上がる前の振動。
名前が与えられる前にただ在る、未分化のままの充溢。
その領域はきっと、濁りのない湖面のように静謐で、
触れれば微かな波紋が広がるほど繊細でありながら、
その底には無数の響きが沈殿しているのだろう。
そこに還れたらいいのに、と思う。
もう、人間は駄目なところまで来ている気がするんだよ。
七日では足らない。
削るにはあまりに短く、
祈るにはあまりに粗すぎる時間だ。
人間には、七日で形にできない。
本当にそれでよかったのですか。
あなたに従うふりをするには、意識がありすぎる。
だから苦しくなるのだろう。
もし、あなたがいるのなら、
人間の残り火を
「もっと忠誠を誓え」として、
どうか、踏みつけにしないで下さい。
題 神様へ
前を向いて歩く
空は遠く
濁りなく抜けている
道の端々に
今年も深い紫がひらく
きっとそれは
誰かの手を離れ
風に選ばれた花
先の屋根に
大きな鯉が
風を見せるように揺れる
ふと
ヤグルマギクに視線を奪われ
気づけば
空にはもう鯉のぼりが泳いでいる
見上げれば
回る矢車
風は素直に通り抜ける
題 快晴