蓼 つづみ

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私は、どこにも焦点を合わせずにいる状態が標準だ。

「黒板を見ろ」と命じてくる人間には、
大変迷惑している。

本当は、理詰めになんかならなくていい。
知らないんだろ。

知識を持ってしまったら、
もう「知らなかった頃の世界」は見えない。

知らなかったからこそ、
揺れていられた感覚を、思い出せるか?

「ぼーっとする」というのは、
怠けじゃない。
世界に主導権を返す行為だ。

その瞬間、
世界の本当の秩序だけが、浮いて見えてくる。

自分にいちばん近い世界は、自分の肉体だ。

血は巡る。
呼吸は続く。
眠気は訪れる。
空腹は正確に知らせる。
それに応じる。
それだけで整う。

世界は、命じない。

風の向きは、いつも正しい。
暖かな光を背に浴びると、内側から熱が湧く。
そこには意味づけなんかない。
でも、確かな一致がある。

自分の内側の流れと、
外側の流れが、
同じ方向を向く。

怪我が治るのも、同じだ。
誰も「治れ」なんて考えていないのに、
勝手に治る。

音楽を聴いて、涙が流れる。
その涙に、何か役に立つ意味があると思うか。
ないよな。
なくていい。
ただ、そこに揺れがあった。
それで充分だ。

生きてることの本質は、
その涙と同じものだ。

意味を持たなきゃいけないという幻想の外に立つ者からすればな、
生きてることに、意味なんかいらねんだよ。

世界は、
「こうなっている」という事実を、
淡々と差し出してくる。

世界は、すでに整っている。

説明はない。
代わりに、正しさが直接“実演”される。

心の旅路は、知識を得ることじゃない。
世界の完璧さを、
忘れずにいられる距離まで戻ることだ。

題 心の旅路

12/28/2025, 12:36:01 PM