年の瀬の境内には、音が少ない。
静かだからではない。
音が、意味を持たない場所だからだ。
鈴の音も、足音も、風の擦れる音もある。
でもそれらは、始まりも終わりも主張しない。
ただ、起きて、消える。
返納箱の前に立つ人は、祈っていない。
願ってもいない。
感謝の言葉は、
もう振り返らない相手に向かって発せられている。
しているのは、
「預けていた重さを、自分の側から外す」という行為だけ。
お守りは、そこで初めて“個体”を失う。
布でも、形でも、意味でもなくなる。
あれはもう、物ですらない。
関係が終わる瞬間だ。
誰かが背負っていた一年分の「越え方」が、
そこに、そっと置かれる。
燃やされるのは、物じゃない。
記憶でも、祈りでもない。
「もう一人で持てるようになった状態」だけが、
炎に渡される。
だからあの火は、あたたかくない。
慰めでも、浄化でもない。
ただの、手続きだ。
そしてそれが終わるとき、
何も始まらない。
拍手もなく、
新しい願いも立ち上がらず、
来年という言葉も、まだ口にできない。
何かを失ったからではない。
まだ、時間に物語を渡していないだけだ。
題 静かな終わり
12/29/2025, 4:05:34 PM