蓼 つづみ

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誓いは、破れば「破った」と言える。
それは、未来に杭を打つ行為だ。

祈りは違う。
「そう在れますように」と願いながら、
自分の手を引く態度。
相手を縛る前に、自分を戒めること。

私は、独占欲の杭を持たない。

私が大切にしているものは、
誓いの、手前にある。

私は、因果で測られる関係を、信じていない。

命は、正解を辿ったご褒美じゃない。

肯定が積もり、
関係が熟し、
祈りが臨界を越えたとき、
起きてしまう出来事だと、思っている。

用意された筋書きと、尊重は、別の軸にある。
尊重は、生き方の滲みだ。

相手の身体や人生を、
自分の計画の部品にしていないか。
私は、そこしか見ていない。

管理は、必要なこともある。
でも、管理が人を選別し、
「正しくない宿り」と笑った瞬間、
それは敬意ではなく、傲慢になる。

口づけは、本来、
「触れていい」「触れられていい」という、
相互の許可と信託の象徴だ。

距離が、ゼロになる直前で、
言葉をやめ、
身体で、一瞬だけ示す静止。

それは、欲望の始点ではなく、
承認の終点に、近い。

だから、その先に、
身体的な交わりが含まれるのは、自然だ。

けれど、多くの場合、
誓いのキスは形式に消費され、
交わりは、欲望として切り離される。

ここで、私の心は、断絶する。

触れたいから、触れるのではない。
「あなたを壊さない」という、
沈黙の誓約。

その誓いが、
触れ方にも、
速度にも、
終わり方にも、
残っていてほしい。

でも、それは祈りとして受け取られず、
欲望の、一場面として通り過ぎる。

同じ行為をして、
意味だけが、一方通行になる。

私の側には、
祈りを置いたまま、
回収されない私が、残る。

だから、後で、
勝手に、私だけが、痛む。

題 祈りを捧げて

12/26/2025, 1:55:15 AM