にぁう…にぁ…
きみの鳴き声ってさ、ぬるい液体が日だまりを撫でながら流れるみたいだったよね。
小さな口から空気がゆっくり溢れて、喉の奥であたたかい水面が揺れてる感じ。
柔らかい毛の体がふわりと揺れて、息と一緒に体温が溶け出してくるみたいな波の揺れ。
子音より呼吸に近い、小さな猫の声。
あの声は、思考の翻訳を挟むものじゃなくて、“そのまんま”だった。
「ここにいるよ」
「気づいてるよ」
「今の気分はこんな感じ」
状態そのものが空気を揺らしてて、伝わろうとしなくても、同じ場所の波長を合わせに来るみたいな感じ。
だから、私もきみの前では取り繕う必要なく、“そのまんま”でいられたんだ。
きみが亡くなったとき、さよならは言わなかった。言えなかったんだよ。
だって、私にとってきみはもう、内側にあり続ける体温になってて、終わってなんかいなかったから。
胸の中で脈打ってるものに「さよなら」なんて、もうどこにもいないことにするみたいで、言えなかった。
ありがとう。今も瞼の裏には、きみと過ごした日々がある。
柔らかくてあたたかい、小さな足音や毛の匂いも、そのまま覚えてるよ。
題 ぬくもりの記憶
雪
ゆ
ゆ
き
ゆ
雪
ゆ
き
雪
ゆ
ゆ
ゆ
き
音を立てない雪の奥で
君はもう、祈らなかった
白くならない結晶が
君の体温だけを持ち去り
「いえない」という言葉さえ
喉の奥で凍らせた
幾層にも重なった雪の重さは
君が確かに
生き延びてきた質量だ
君の内側は
誰かを拒む部屋じゃなく
崩れないために
自分を覆うための場所だった
もし、君が崩れ落ちるなら
私は受け止めない
崩れてもいい場所が
すでに、ここにあることを
ただ、示すだけだ
君が争わなくなった場所に
私は、そっと立っている
踏み荒らすためじゃない
引き戻すためでもない
ただ
君の深さに耐えうる存在として
ここに在る
この雪原の中で君は
方向を失っているのではなく
まだ、選べる余白が
静かに残っているだけだ
君が黙るなら
私は声ではなく
沈黙の灯りで在る
凍える指先が
いつか、自分の熱を思い出すまで
傍にいる
ただ、この静けさが
君だけのものにならないように
凍えたままでも
君は、いま生きている
題 凍える指先
ゆ
雪
ゆ
き
雪
ゆ
ゆ
き
ゆ
雪
雪
ゆ
き
音もなく落下する乾いた雪は白くない
無色の氷の結晶が
冷たいのに柔らかく
濡れないのに冷たい
傷つけば優しくなれると
誰かが言った
けれど、その優しさは
何度も無言で使い捨てられ
指の熱を奪い取っては積もる
孤独は独自性を育てると
誰かが言った
けれど、この内側に
誰も踏み入ったりはしない
限界を迎えた言葉が凍っては落ちる
語りうるものではなくなった傷に
私は紙を貼り続けた
傷ができては、また貼って
幾重にもなったそれは
やがて紙ではなく
ただの重さになった
「もう、いえない」
この場所は
救いじゃなくて
終わりでもなくて
でも、争うことの必要も失った
しんと静まる無音が全てを覆う
方向も失ったままで
この沈黙はまだ私か
題 雪原の先へ
あれに乗ることが出来れば「安泰な未来」へ連れて行ってくれるらしい。
バスは、もう行先表示の文字が霞んでいた。
バスのドアが閉まり、白く曇ったフロントガラスの向こうで、ぼんやりと暖色の灯りが揺れるのを見て、足が動く前に、心が走り出していた。
アスファルトを蹴る音が乾いて弾け、
肺が冷たい空気に削がれるように痛む。
「……僕も、乗せてくれないか!」
声はエンジン音にかき消され、どこにも届かなかった。
バスの後ろ姿は、坂の上の白すぎる空に曝されつつ遠ざかって、
バックフォグランプの赤が、脈打つ心臓のように小さくなっていく。
距離というものが残酷なまでに脚力へとのしかかり、すり減った靴裏が地面をかきむしる。
やがて体力は限界を迎え、肩で息をしながら、何もない道に立ち尽くした。
肺を擦るように荒く吐き出した息だけが、
胸にまだ熱が残っていることを、白く示している。
題 白い吐息
感情の層を透かして見ると、
相手という存在が癒しに留まらず、自分の在り方にまで届いてしまう人ほど、忘れることができない。
それは単なる執着ではなく、記憶の中で相手を尊重し続けているということ。
だからこそ、周りからいくら「新しい恋をすれば忘れられる」と言われても、それは軽薄な処方箋にしかならないのだろう。
傷まなくなろうとしなくていい。
その痛みはやがて、愛しい痛みへと変わるから。
そして痛みが優しさに変わり、喪失が愛せる場所へとたどり着く。
それは、「痛まなくなった」ということとは違う。
——大人なんて、大半がそんなものだよ。きっと。
題 消えない灯り