田舎町に大雪が降り、一晩で一面、雪景色に変わった。
町を少し離れた場所、山道に続く開けた道がある。
左右に、田園があり春には、青い色の花畑ができ、夏は緑色の絨毯が広がる。
バートラムは、雪道を走った。あと3分で、鐘が鳴る。
この先に、廃墟になった教会がある。そこで、オーガストが待っている。
―――急がなければ!
雪に足を取られそうになっても、バートラムは走り続けた。その手には一通の手紙が握られている。
仕事を終えたバートラムが、家に帰ると扉の下に、一通の手紙が差し込まれていた。
差出人は、オーガスト。
『バートラム、君は僕に隠し事をしているね? 僕は、すべて知ってしまった。誰かが僕を見張る目。差出人のわからない手紙とプレゼント。僕は怖かったよ。怖くて死んでしまいたくなった。外が怖い。人も怖い。君とであった夜、とても驚いた顔をしていたね。あれは僕を見ていたのに、僕が君の存在を、気づいてしまったから、驚いていたんだね? 僕を見ていたのは君だ。そうだろう? そうとは知らず、君に相談して、守ってくれる優しい君に、僕は恋をした。何度も愛しあった。君が僕を苦しめていた人だとは、知らずに。それだけならよかったのに。僕らは許されない恋をした。バートラム、僕を愛しているなら、鐘が鳴るその前に、廃村近くの教会へ来て』
手紙と同封されていた一枚の写真には、二人の幼い少年が写っていた。
右側に写る少年の口元には、ほくろがある。この子はオーガストだ。
左側に写る少年の顔には、見知ったアザがある。
くしゃりと手紙と写真を握りしめ、教会へ走り出す。
あの写真の少年たちは、自分たちだった。
教会近くの廃村まで、たどり着いた。まだ鐘は鳴っていない。
息を整えて、オーガストを捜す。
廃村ということもあって、そこは崩れた建物が未だに残っている。
その向こうには、一面真っ白な、開けた平地が続いていた。
「……オーガスト」
冷たい冬の空気を肺いっぱいに吸い込み、教会へ走り出す。
ザクザクと雪が音を立てる。鼻が冷たい空気で痛む。
―――ゴーン、ゴーン、ゴーン。
鐘の音が遠くで聞こえる。空気を一気に吸い込み、腹の底から絞り出すように叫ぶ。
「オーガスト!」
パァン!
教会の方から、破裂音がした。バートラムの脳裏に最悪なビジョンがよぎる。
―――オーガスト、オーガスト、オーガスト。
教会に近づくたび、心臓がバクバクと脈打つ。やめてくれと脳が警告する。
どうか、あの破裂音が銃声でありませんように。雪の上に横たわる人が、オーガストではありませんように。
白い雪に鮮血が広がっていく。横たわるのは、口元にほくろのある若い青年。
「はぁ………はぁ……あ、あぁ……」
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
膝から崩れ落ちるように、バートラムは泣き叫んだ。
雪を握りしめ、何度もこぶしで地を殴る。行き場所を失った怒りと悲しみは、澄んだ雪に吸い込まれていく。
くたりと横たわるオーガストを抱きかかえ、頬を軽く叩く。
「お、オーガスト? ……ねぇ、オーガスト。私はここだよ? オーガスト。君に会いに来たんだ」
ぼたぼたと落ちる涙が、オーガストに降る。まだ彼の身体は温かい。けれど閉じられている瞳が開くことはなかった。
それでも、バートラムは、オーガストに話し続ける。
「オーガスト、ごめんね。私は君を苦しめてばかりだ。最低な私を、愛してくれた君といるのが怖くなった。知られたくなかった、見ていたのが私だと。だから手放してしまった」
オーガストを強く抱きしめる。身体は雪に熱を取られ、ぬくもりは感じない。
「逃げたんだ。君がから。けど今でも愛してる。君を誰よりも……。例え私たちが、生き別れた双子だとしても」
オーガストの手に握られていたピストルを手に握る。
「神が私を見放しても、この想いは消すことは出来ない」
にこりと微笑み、オーガストの唇にキスを落とす。
「愛してる。遅くなってごめんね。これからはずっと一緒だ……」
ピストルをこめかみにあて、引き金を引いた。
始まりはいつも───誰かの死から。
一周目は、親兄弟。内戦に巻き込まれ死亡。
自分だけが生き残った。
二週目は、友人を。冒険にでた道中で、魔物に襲われ死亡した。
三週目は、師匠を。自分の修行が終えると、大岩の上に腰掛けたまま亡くなっていた。
四週目は、自分だった。仲間の裏切りによって死亡。
最後に見た仲間は泣きながら「ごめん」と言った。
そして五度目の人生。立川学として日本に生まれ落ちた。
またしても、神は学に優しくない。
五週目の始まりも、人の死から始まった。
突如、都内中心部に空いた、謎の大穴の中で両親が死亡。
学はまだ4歳だった。人の死を理解できるか微妙な年頃。
父親の妹である真紀は、学に寄り添い、両親の死を教えてくれた。
その時、断片的に前世の記憶が蘇る。
学は、瞳を閉じた
───これから、立川学の人生が始まる。
両親の死から───十一年が過ぎ、学は高校生になった。
私立曙(あけぼの)高校、特攻科に入学。
この学校で、学業と共に、戦闘術や魔法を学ぶことになる。
今から、5年前───学が10歳の頃に大穴の探索に成功。
そこは現代日本とは違う、別世界に繋がっていた。
既存の動植物とは、かけ離れた姿かたちをしている生物。
魔法と思わしき力を扱える人類。
見た目も様々。二足歩行する人型の獣。耳の尖った人型の美女。
ニュースでは、写真と共に、探索を行なった人が事細かく説明していた。
そのニュースで、学の感情を大きく揺さぶったのは、一枚の資料写真。
四週目の人生で、学を裏切り魔族側に寝返った、元仲間の写真だった。
その姿は、魔族の様で。黒く牛のような大きな角。魔族の特徴である黄色い瞳をしていた。
そこで、学は彼に会いに行くことを決心。
育ての親になってくれた伯母の真紀に伝え、探索成功から2年後に設立された学校───私立曙高校特攻科に入学を決意した。
探索成功を機に、急ピッチで研究が行われていた。
現代人にとって魔法は空想のものだったが、別の世界の技術により、魔力を持つためのワクチンを開発。曙高校が設立すると同時に、魔法を扱える現代人が増えた。
12歳の学もワクチンを打ちに病院へ訪れるが、15歳からという年齢制限により拒否を受ける。
そして、入学当日。特攻科、最初の授業はワクチンを打ち、適正属性を知るといもの。
今年の特攻科は、かなりの希望者により、倍率も高く受かるのも、ひと握りだと言われていた。
ちらほら見知った顔がいる。
剣道日本一になった、天城剛健(あまぎごうけん)。
お嬢様学校で有名な泉田女子中学校出身のインフルエンサー如月夢美(きさらぎゆめみ)。
推薦入学者でモデル業をしている谷田まもる(やだまもる)。
入試試験一位合格者の新田霞(にったかすみ)。
新入生たちで校舎前は人でごった返していた。
「おうおう、どこの誰かと思えば、電波くんじゃねぇか」
後ろから声をかけてきたのは、同じ中学出身の屋井夏哉(やいなつや)。大柄な体に横暴な性格の男子生徒だ。
彼の後ろには見知らぬ男子生徒が二人立っている。
中学のころと変わらず取り巻きをすでに作ったようだ。
「屋井くん、卒業式ぶりだね」
「まさか、お前もあけ高に入学してるとはなぁ」
ゲラゲラと三人は下品に高笑いする。
「まあね……。それより、クラス分け、君は見たの?」
「あぁ、俺様は一組。こいつらは二組だった」
「そっか。……じゃあ僕も見てくるよ。まだなんだ」
「おい、待てよぉ。でーんーぱーくーん?」
ぽんと肩に手を置かれる
「ん?」
「お前……退学しろよ?」
「あー」
学は一瞬悩むふりをした。にこりと笑い屋井を見る。
彼はニヤニヤしていた。
体も大きいが、顔も一般男性の二倍はある。分厚い唇から除く、歯にはのりが挟まっていた。
気持ち悪いなぁと学は心の中でつぶやく。
肩から彼の腕をどけ「気が向いたらね」といい、その場を離れた。
「おはよう。新入生、諸君。私が1年、特攻科の指導員───小金井飛鳥だ」
180cmはありそうな高身長の女性。黒のタンクトップに迷彩柄のつなぎを腰で縛って着ていた。
「これから、君たちには血液検査を受けてもらう」
「え? ワクチンだけじゃないんですか?」
「もちろんだ。君たちの、事前健康診断の資料はすでに確認済みだ。ここで確認するのは、適正ワクチンを調べる。適性がないワクチンを打つと、重篤なアレルギー反応を引き起こしたり、魔力暴走により死亡する。そのための血液検査だ。わかったなら、クラスごと男女別に名前順で並べ!」
はいっ! とみんなが一斉に声を上げ、学は3組の列に並び検査室に向かう。
ひとまず生徒は、無機質な白い大部屋に待機することになった。
左右に扉があり、左の男、右に女と紙に大きく太字で書かれてある。
「3組の諸君、全員いるな? よし、今から男女5名ずつ名を呼ぶ。返事をしたあと、扉の奥に進み血液検査を受けろ。数秒で検査結果が出る。結果の紙を受け取り、戻ってきたらワクチン摂取の部屋に案内する。わかったな」
はいっと生徒が一斉に返事をする。
小金井が、男女ともに前から5名の名前を呼びぞろぞろと中に入っていく。
待機中の生徒は、自分の適正属性を予想する話に花を咲かせていた。
「立川。立川学」
「はい」
小金井が男側の扉を親指で指し、学は中に進む。
中は先程の大部屋と同じく、無機質で白い。
5つのテーブルが横に並び、それぞれパーテンションが仕切られていた。
「立川くーん」
女性の甘ったるい声がする。
二番と書かれた旗を振る看護師が、ニコニコしながら呼んでいた。
「こんにちわぁ」
「あ、こんにちわ。立川です。よろしくお願いします」
そう言い、袖をまくり右腕を差し出す。
「うん、うん。いい腕だね。太くてぇ、男らしいう、で」
バンドで上腕部を縛り、つんつんと血管を探す。
「手を握っててねぇ。わぁ、血が取りやすそうな血管だぁ」
看護師はうっとりと学の血管を観察していた。
「あの……」
「あ、ごめんねぇ。今取るね。ちくっとするよぉ」
針が入り、血を採取していく。これは現代日本でよく見る医療のまま。
「採取完了。ちょっと待ってねぇ。すぐ結果出るからぁ」
卓上冷蔵庫のような機械に採血した容器を入れ、ボタンを押した数秒後、ビーッと長い紙が上から印刷される。
「結果出たよぉ。どれどれぇ……───ッ!」
看護師の目の色が変わる。学の顔を一度見ると、胸ポケットに入れていたPHSを操作しどこかに連絡を入れた。
その人物はすぐに現れた。小金井だ。
2人はひそひそと話し合い。小金井が学に向き直る。
「立川、正直に答えてくれ。君はワクチンを摂取したことがあるのか?」
数人がこちらに顔を向け、室内にいる人間がざわつく。
「いいえ。12歳の頃に受けようと病院に行きましたが、年齢の関係で断られたっきり、ワクチンは入学のあと決めていましたから。……ぼくの結果になにかありましたか?」
小金井と看護師は顔を見合わせ、眉間にしわを寄せる小金井は、結果の書かれた紙を差し出した。
「……ここを見ろ」
小金井が指す場所には、ワクチン非対象。魔力レベルが書かれていた。
「魔力レベル∞(カンスト)異常な数値……いやこれを数値と言っていいべきか。まだ設立して間もない組織ではあるが、君のような人間は初めてだ。本当にワクチンを打っていないのだな?」
「はい。打ってません」
小金井は納得いっていないような表情だが、二度頷き「わかった。信じよう」といい、学を退出させた。
───やっぱりな。
魔力があるのではないか、という予感は中学生の頃には感じていた。
幾度となく、感じる違和感。ふと見えるビジョンは予知の前触れ。
手のひらや体が熱くなるのは、火属性の前兆。
水を欲し一日に二L以上の水分を摂るのは、水属性の前兆。
髪の毛が逆立ち、静電気を感じるのは、雷属性の前兆。
頻繁にめまいを起こしたり、地の底からエネルギーを感じるのは、土属性の前兆。
くしゃみをしたときつむじ風ができたり、突風が歌に聞こえるのは、風属性の前兆。
草花にエネルギーを感じたり、傷や病気が治りやすいのは、草属性の前兆。
夢で暗闇の中にいる自分を、客観的に眺めていたり、他人からにじみ出る瘴気を感じるのは、闇属性の前兆。
人から一緒にいると楽になると言われたり、空の上から声が聞こえたりするのは、光属性の前兆。
予知も光属性の前兆である。
この違和感に覚えがあった。
三週目の人生のとき、修行中に感じたものと似ている。
あのときは魔法というものは存在しなかったが、それに近しい力が存在した。
火、水、地、草、風。それらの力を体内に宿し強くなるというもの。
火吹き山に何年もこもり、火を体に宿す。
氷結の滝に何年も打たれ、水を体に宿す。
地下の巣窟に何年も潜り、地を体に宿す。
永遠の森林に何年も住み、草を体に宿す。
恐山の旋風村の何年も通い、風を体に宿す。
体に力が宿るとき変化が訪れる。
火を熱いと感じなくなったり、体温が上昇したり、水と自分の境目がわからなくなったり、各力によって感じ方はまちまちだが、中学生の頃に感じたもの類似していた。
だが、困ったことが一つある。
魔力をコントロールできても、魔法が一切使えない。
魔力の使い方がわからない。ポンコツである。
それは四週目の人生でも同じだった。
魔力はあれど、使い方がわからない。
そのため、敵や魔物を倒すときは剣を使っていた。
魔導師の素質があり、魔力の経験値が上がりやすいため、魔法が使えないのに魔力だけが上がり続けていく。
その魔力が五度目の人生にそのまま移行されたのだろう。
採血後に配られた初心者の魔法書という教科書に目を通しても、魔力の使い方がわからなかった。
貴族同士の政略結婚。よくある話だ。
地位、権力、名声、富それらすべてを欲しがる輩はたくさんいる。
この女もその1人だろう。
蝶よ花よと育てられた娘には酷な場所。
戦場と化したこの国を捨て逃げ出すに決まっている。
もしくは怯え、家に閉じこもり死んでゆくのだと思っていた。
「なんです? その顔は」
目の前にいるのは先日婚礼の義をあげた女、ケイシーだ。
白い細身のドレスに身を着飾っていたあの日とは違い、戦士と同じく鎧を身にまとって剣を振っている。
「ぼさっとしていますと、死にますよ。アロイシウス様」
彼女の声に我に返り、敵を斬っていく。
「なぜ、君がいる」
「なぜと、言われましても。当然のことですよ」
「なに?」
クスクスと笑いながら、敵をなぎ倒して行く彼女はまさしく戦場の修羅そのもの。
「幼い頃から戦闘のすべてを叩き込まれ、嫁ぐ際には、命がけで国を守れ、と言われておりますゆえ、私が戦うのは必然かと」
剣についた血を払い、振り返る彼女はドレスを着飾ったときよりも美しかった。
「繊細な花だと、思いましたか?」
薄藤色の瞳がアロイシウスをとられる。
「蝶のように自由に舞い、花のように咲き誇り、最後には踏みにじられる。そんな女に見えましたか?」
「あぁ、見えた。君は最初から美しかった。だからこそ、このような場所に嫁いでいいはずのない。そして俺はたくさんの人を殺し、いつかは戦場で死にゆく人間だ。君との婚姻もすぐに解消するつもりだった」
「けど、手放したくなくなった?」
「そのとおりだ。ケイシー」
ケイシーの頬をひと撫でし、唇に口づけをする。
「ムードの欠片もない口づけですね」
ふっと笑った彼女。言うとおり周りは敵国の死体が散乱している戦場。
それでもこの思いは伝えておきたいと思った。
「ケイシー、愛している。全力で君を守ろう」
「いいえ、アロイシウス様。そこは共に戦おうと言ってください」
彼女は微笑み言い、アロイシウスの手の甲に口付けた。
「私は貴方と共に戦うためにここに嫁いだのです」
「君の言うとおりだなケイシー。共に戦い、そしていつかこの国が平和であるように生きよう」
2人は手を繋ぎ戦場を後にする。
息をするたび 喉に詰まる感覚がある。
水の中みたいに苦しい。
誰かと過ごすわけでもなく 教室の隅で本を読んでいた。
密かに 君を見ていると 胸が高鳴る。
何もいらない 何もいらない 何もいらない。
君は君のままで生きて その様を僕の手で書きたい。
飾らない君が好き。等身大の君がいい。
深海に射した光のように眩しく 僕の手で壊したい。
光に群がる蛾のように 愛に飢えている君。
学校では擬態している。まるでタコのよう。
息苦しいだろう 息苦しいだろう 息苦しいだろう。
君は上手く隠しているつもりでも 僕は知っている。
君の中にある 深海を僕は書きたい。
君は等身大でもきれいだ。そのままでも魅力だ。
だから中心にいる 君を僕は殺したい。
僕は何もいらなから 君にあげる。
その代わり君は僕の主役(ヒロイン)だ。
物語を紡ぐ 君だけの酸素(ラブレター)を。
飾らないで 等身大でいて そのままでも魅力だ。
僕は君を書く 君は僕の前で演じる。
最高の主役(ヒロイン)を。
君以外は何もいらない。
『もしも、未来が見れるなら?』
そんな広告を見かけた。
俺は、隣に座る親友のタクミに聞いてみた。
「もしさ、未来が見れたらどうするよ?」
「えー……、見ない、かなぁ……?」
スマホから目を話すことなく雑に答える。
「はぁ? マジ?」
「マジ、マジ! そういうお前は見るの?」
笑いながら、持っていたスマホで俺を指す。
「見る! どんな大人になってるかーとか、彼女いるのかーとか、大学に仕事、いろいろ見てみたいな。」
「へぇー」
「興味ないだろ、お前!」
軽く体当たりするとタクミは「うげー」と言ってケラケラ笑った。
変哲のない平凡な日常の会話だった。
それが最後になるなんて、俺は思いもしなかった。
突如として現れた“獣”によって人々は襲われ、喰われ、死んでいった。
タクミも、その1人だ。
学校から避難する際に、また獣が現れた。
次々に襲われていく人をかきわけて、俺とタクミは逃げた。
もうすぐ、シェルターに着くというところでタクミは───喰われた。
その後のことは、よく覚えていない。
シェルターから戦闘服を身にまとった人が、数名飛び出してくて煙玉を投げ俺を救出してくれた。
俺は叫んでいた。俺じゃなくてタクミを。親友を助けてくれと……。
俺の両親も、タクミの両親も、俺を気遣って責めることはない。むしろタクミの両親は、「ホタルくんだけでも、無事で良かったよ」と言った。
その言葉が心に刺さって──痛い。
傷口から黒いどろどろとした自責の念が、溢れ流れ俺を染めた。
簡易的な療養部屋で、数週間過ごすことになった。
俺は、親友の死を受け入れることが出来ず、ただ壁を見つめて過ごしていた。
時にパニックを起こし、暴れ、部屋にあるものを壊す。
しばらくするとまた人形のように壁を見つめ、爪で腕をえぐる。
自傷行為は無意識でおこなっていた。頭をぶつける、腕をえぐる、つねる、自分を殴る、首を絞める。
親友の死は俺のせい。生きていることが許せなかったからだ。
そんな俺を見兼ねた殲滅部隊の大将、ツバキさんは言った。
「自分を責める前にやることがあるだろう? 親友は死んだ。他の人間も。今生きている人間も死ぬ。だが獣によって死ぬ人間を減らすことはできる。その方法は──君は気づいているはずだ」
その言葉で俺は、殲滅部隊に入ること決めた。
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私が執務室に戻ると、そこには直属の部下である中将がいた。
「これでいいのか?」
私は聞いた。
すると中将は笑いながらこちらを向いた。
「流石ですねー、ツバキさん。女の中の女って感じで、かっこよかったですよー」
「馬鹿にしているのか? 貴様は」
「いやいや、そんなわけー。本心です! 本心」
ヘラヘラと笑い、何かと読めない男である。
そんな男が連れてくるといった少年は、今精神的に不安定であり、壊れはじめている。
様子を見ていた精神科医も心配するほどに、憔悴しきっていた。
だが、この男は弱っていく少年を見て楽しそうに笑っていた。むしろ、弱れば弱るほど喜び、興奮している。実に不愉快だった。
ある朝、私の執務室を訪ねてきた中将が言った。
「彼に入隊するよう促してください」
この時ばかりは、真剣な表情で、いつものような無礼な態度ではなく部下らしい立ち振舞をしていた。
私は何も言うことなく、その懇願に承諾をし少年に会いに行ったというわけだ。
だから疑問に思っていることを、私は中将に聞いてみることにした。
「何故、私に頼んだ? 貴様が行けば済むことだろう?」
中将はふっと笑った。
「わかっているくせに、イジワルですねー」
「わからないから、聞いているんだ」
中将は、んーと唸るだけだった。
「貴様が行けば、あの少年はあそこまで憔悴することはなかった。悲しみを背負い、自分を責め、自傷行為をするまで苦しむ必要はなかったはずだ!」
私は少し怒気をこめ言った。
しかし、この男に効くことはない。今もヘラヘラと笑っている。
「わー、怖ーい。ツバキさん美人だから、怒ると怖いんですよー」
「はぐらかすな!」
中将は、あはっと笑い「そうですねー」と濁すようブラインドをいじる。
「貴様は、あの少年で何を企んでいる?」
「全ては、世界のためですよ」
中将は言った。
その目は真剣であり、若干の冷たさも帯びていた。
「俺はただ、獣を殺せる適正者を見つけただけ。それが彼だった」
中将は続ける。
「覚醒したものは皆、何らかの強い感情や感覚を抱く。ツバキさんは怒り、俺は痛みで。適正者だとわかったとき、俺は2つの感情が湧いた。1つは希望。もう1つは絶望。あいつは優しんですよ。誰にでも。だから特別がない」
未だに痛むのか左肩を異様に擦る中将。その声は少し掠れ震えている気がした。
「覚醒には強い感情か感覚を感じなければならない。今のままでは、彼は覚醒することなく死にます。だから必要な過程だったんですよ。苦しみも悲しみも、自責の念も。俺個人で企みなんかありませんよー」
「本音か?」
私は自然と訪ねていた。
この男の言うことを、全て否定するわけではないが、本音とも思えなかったからだ。
そして中将はにっこりと変態じみた笑顔を浮かべ「鋭いですねー」と言った。
「誰にでも優しい彼が、誰か1人を想い泣き、暴れ、弱る姿は、控えめに言って──甘美。とても興奮する。むしろ愛しいと感じるほどに」
その表情は恋に落ちた少女のように、うっとりとしていた。はっきり言って──
「気持ちが悪いな」
「酷いなー」
中将はまたヘラヘラと笑い出す。
私はため息を吐き、中将に向き直る。
「貴様がしていることを、私は咎めることはない。業務の一環としての行動だと黙認している。だが、時と場合を考え、行動するように。……こんな役目は、もう、ごめんだからな」
「はーい! 肝に銘じまーす」
「ちゃんと返事をしろ!」
「それじゃあ、医務室に戻りまーす」と言い、中将はドアノブに手をかけた。
「あー、そうそう」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
中将は少し目を伏せ、苦笑いを浮かべている。
「いや、ね……。少しは悪いとは思っているんですよ。俺はこんな性格だし、基本悪いとは思わないんですけど」
「だろうな」
私は頷いた。
「えー、そこは否定してくださいよー」
「無理だな。貴様をクズ、クソ、サイコパスで変態だと思っているからな」
「え、シンプルに酷っ」
中将はゴホンと咳払いをして続きを話し始めた。
「まあ、俺の性格は置いといて。俺はどんな手を使ってでも適応者を見つける。それが仕事だから。嫌われようと罵られようと俺はそいつを利用します」
「それが親友であってもか?」
「そうですね。その関係性だからこそ利用価値がある……と言いたいところですけど罪悪感って俺のもあったんですねー」
中将は「びっくりー」っと言っていつもの締りの悪い表情に戻っていた。
「じゃあ、一発少年に殴られればいいんじゃないか?」
「そうですねー。俺の部下になったら殴られますかねー」
「……合格するとは限らないぞ」
「───しますよ」
中将が言った。
「はあ?」
「だから、合格しますよ。ホタルは」
「根拠は」
「勘です」
私はため息をつき、目頭を揉む。
「勘か」
「勘ですね」
「そうか」
この男の勘は、外れたことがない。
だから何も言えないのだ。
「それじゃあ、今度こそ行きますねー。痛み止め切れちゃって痛いんですよー」
「さっさと行け!」
「はーい」と言い、中将は執務室から出ていった。
疲れからため息を吐き、胸の内ポケットからシガーケースを取り出した。
煙草に火をつけ、ぷかりと煙を吐く。
この煙草は、亡き夫が吸っていた銘柄だ。
あの少年を見ていると、夫を思い出し、獣の瘴気で昏睡状態となった娘を重ね、
似た境遇に私自身も重ねている。
少年に言った言葉は、全て私への言葉だ。
机の上には夫のオミと8歳のツミキがうつる写真が飾ってある。
私はその写真を見て、煙草を消し業務に戻ることにした。
デスクの上に中将の用意した資料がおいてある。先程居た理由はこれを持ってきたためだろう。
パラパラと捲り目を通していく。
彼が集めた適応者のリストだ。
今回は30人ほど集まったが適応があるからと言って入隊できるわけではない。
それなりの覚悟と才がなければ不可能だ。戦うものが違う分しっかりとしたテストが必要ということ。
そのリストの中には、少年の情報が記された資料もあった。
実に一般的な家庭の長男といった情報だ。
サラリーマンの父親、パートの母親、2つ歳の離れた中学生の妹がいる、15歳の少年。学力も運動神経も平均的で特別な記録はない。
朝何時に起きて、朝食をとり、ゆっくりと登校。学校での授業態度、成績表、テストの点数から寝るまでのことまで事細かく記されていた。
特に気になったのは風呂に入った際どこから洗うかなどの個人的な内容も含まれていた。
やはり、あいつは危険人物だな。
同時に少年を哀れに思う。
私は彼の行動を咎めない。上司としても人としても。それがあの男の業務であり命令だからだ。
すなわち私に少年を助けることはできないというわけだ。
あの男と出会わなければ、今のように苦しむことも、悲しみを知ることはなかった。失う辛さを知ることもなかった。
だが出会ってしまった。それが最大の不運だろう。
これから少年は、あの男によって今よりも辛い目に合うことがわかっている。
だが私は助けない。助けられない。
少年自身がどう生きるかで決まる。
それが今の世の中だ。
ふと思い出す。とある広告の言葉だ。
『もしも、未来が見れるなら?』
昔の私なら見ないと答えただろう。
だが、今は見れていたらと考えることがある。
未来が分かれば今のような現状を少しでも変えられたのではないか。
全てを防げなくとも、家族だけは守れたのではないかと……。
愛する夫は獣に殺され、娘は瘴気で昏睡状態で面会も禁じられている。
私はこの世界に怒りを抱いている。
だから大将になるまで努力した。
もう、私のように苦しまぬように。
後悔しないように。
♙♙♙