「なんで、また縁を結んだんですか?」
僕は怒りを含んだ声で言った。
夕暮れ時、丁字路の真ん中。目の前には古びた石畳の階段。この上には神社がある。
横を振り向くと、白いワンピースを着た20代後半の女性が微笑みながら立っていた。
今日は、つばの広い白い帽子をかぶっていないが、逆光で口元しかわからない。
「累くん、怒ってるの?」
柔らかな声で言う彼女に僕はさらにイラついた。彼女に悪びれる様子はない。
気づいていないのだろう。自分が最悪なことをしたということを。
「怒ってますよ。わかりませんか?」
「声で何となく。でも、理由がわからないわ」
「本当に? さっきも言いましたが、なぜ、宮永さんと元カレである有田の縁を結んだんですか?」
彼女は小首を傾げ、人差し指を顎にあて、トントンとリズムを刻むように考え出す。その姿さえ、僕は腹が立ってしまう。
「綾さん? 聞いてますか?」
「聞いてるよ? もちろん、累くんの話はぜーんぶ聞いてるよ」
「じゃあ、なんで——」
綾はにっこり笑い、人差し指を僕の唇に当てた。
「だって……、可哀そうじゃない?」
甘ったるい声で言った。
「可哀そう? 誰が?」
「元カレさん」
「はあ?」
一番低い声が出た気がする。眉間や手のこぶしに力がこもった。
「やだー、怖い顔。累くん、怒らないでー」
「……あんたのせいで、宮永さんは襲われたんですよ?」
「そうなの?」
「そうなのって……。あんたが縁を結んだことによって、有田の宮永さんに対する執着が、以前よりも強いものになった! そのせいで、ストーカー行為をして
、彼女を襲ったんです。有田は逃げ、今、宮永さんは外に出られない状態だ」
「そう、悪いことをしたわ。ごめんなさい」
上辺だけの反省の言葉を述べる綾に、僕はため息をつく。怒っても無駄だと思った。
「けど、累くんも悪いと思うの」
「なぜ、僕が悪いと?」
「構ってくれないから。ちょっと、意地悪しちゃった」
「いつも、ここで喋ってますよね?」
「ここじゃなくて、上には来てくれないの?」
彼女の言う上とは、神社のことだろう。小学生の頃はよく遊び場にしていたが、高校生になってからは、一度も行っていない。
「僕は、もう高校生なので。神社では遊びませんよ。それより、今は宮永さんの——」
彼女の顔から笑みが消えた。背筋がぞくっとするような雰囲気を感じる。
さっきまでうるさかった蝉の音さえ、無音に感じた。
「綾さん……」
学ランをただし、彼女の名前を呼ぶ。
「変わってしまったんだね」
その声はさっきの柔らかな声ではなく、棘のある低い声だった。
「そうですね。僕はこれからも、変わっていくと思います。大人になるとはそういうことだから」
「そうやって、私のことも忘れていくんでしょ?」
顔をあげた彼女の瞳は少し寂しげに見えた。
「忘れませんよ。僕は、綾さんの傍にいます」
「なんで、そう言えるの?」
眉間にしわを寄せ、怪訝そうな表情を浮かべる。
「縁がありますから」
「視えないのに?」
「視えないからこそです。それに、綾さんと僕の間に糸が視えていたら、僕は切らなきゃいけなくなる。それが視えないから僕はあなたの傍にいるんです」
そう伝えると彼女は穏やかな表情に戻っていた。
「累くんは、私を喜ばせる天才だね。ごめんね、依頼者さんの縁を結んで。まさか、あれほどの執着になるとは思わなかった」
「いいです。これから、どうするか、考えましょう。もう、あの執着は僕だけでは切れません」
「そうだね」
これは、縁切り屋を営む・兵頭累と縁結び屋を営む・綾の、絆と執着の物語。【糸】
「そろそろ、来るよ!」
メイが、リビングの窓を開け、庭に出る。
それに続き、ケイトも出て、空を見上げた。
シャンシャンシャンと、遠くから鈴の音が聴こえてくる。
夜空から、トナカイが引くソリが、メイの家に降着した。
「メリークリスマス!」
降りてきたのは、赤い服を着た巨漢の老人。
ゴーグルを外し、髭についた雪を払う。
「あー、疲れた。おら、プレゼント」
「あ、ありがとうございます」
ケイトがプレゼントを受け取ると、思ったより重量があり、落としてしまった。
後ろからメイが顔出してそれを興味深く見る。
「おじさん、これ何?」
「あー、肉だよ、肉。うめぇーぞ」
「お肉ー!」
わーいとはしゃぐメイ。その横でケイトは、よろめきながら袋を、家の中に運び入れた。
「とりあえず、家に入ってください。近所の目とかあるので……」
「おう、悪いな。あっと……その前に」
後ろを振り返ると、ソリとトナカイに向かって見えない何かをかけた。
「何をしたんですか?」
「ここらへんは、お前みたいに素質があるヤツが居るみたいだから、見えねえように布をかけたんだ」
「へぇー」
ケイトに布は見えず、ソリとトナカイが見えている状態。しかし、他の人には見えないようになっているようだ。
「ハジメちゃん、お肉貰ったー」
メイが、台所でイブのディナーを作っている、兄のハジメに声をかけた。
「え!本当に?何のお肉だろう?」
前髪にキャラ物の髪留めをつけ、フリフリな白いエプロン姿で現れる。
重量に負けたケイトとは異なり、軽々と肉の入った袋を持ち上げた。
「鹿肉と七面鳥、あとイノシシだな」
ソファーに座ったおじさんが答えると、ハジメの目が嬉しそうに輝く。
「そんなに!これは明日のディナーが楽しみだね」
「ハジメちゃんのご飯、すっごく美味しいもん!期待してる」
肉を冷蔵庫へしまい、熱い緑茶をおじさんに用意した。
「イブなのにお前たちは、こう……青春が足りねえな」
「そうですかね。皆、こんなもんじゃないですか?」
「いやいや。ケイちゃんが枯れてるんだよ」
メイが出来たてのおかずをおじさんへ供する。
クリスマス感のない里芋の煮物だ。それを肴に飲むのは日本酒。
「おじさんこそ、サンタ味がないですね」
ケイトが言うと、大口を開けてガハハと笑った。
「だな!だが、こういう特別な日こそ、いつも通り好きな物を食うのも、悪くないわけよ」
「そうですね」
台所からいい匂いが漂ってくる。今日もまたいつもと変わらない夕食。
だが少し特別な日でもある。
サンタのおじさんと共に、イブの夜がやってきた。
──この二人は私に隠し事をしてる。
幼馴染のユカリとコウスケと下校してる中、ナツミは後ろから二人を見つめながら思った。
あれは一週間前のこと。
放課後に教師に呼ばれ、二人には少しの間教室で待ってもらっていた。
急いで戻ると、ナツミが見た光景は、背伸びをしたユカリがコウスケにキスをしていたところ。
ドキリとしたナツミはすぐにしゃがみこんだ。口手をあて息を殺した。
あいにく、ユカリたちはナツミに気づかずクスクス笑いあっている。
──付き合っていたんだ……。
ナツミの心がズキリと傷んだ。
それからナツミは二人の関係に気づかないふりをした。自分の気持ちさえもなかったことにして。
──だってお姫様と結ばれるのは、いつも王子様なんだから。
昔、仲間だった人間を探している。
くだらない喧嘩で疎遠になったやつだ。
きっと彼は亡くなっているだろう。
人間は他の種族と比べても寿命が短い。その命が僕の10分の1もないんて、知らなかったんだ。
どんな喧嘩をしたのかも、昔のこと過ぎて忘れてしまった。
今日、僕は旅に出ようと思う。きっかけは、彼に貸していた本が必要になったから。
けどその頃には60年ほど時が過ぎていた。
「人間には、十分すぎる時間だね」と先生は言う。
それでも、僕は「行きます」と告げた。
彼が生きている保証はない。僕は間違えてしまった。
彼に会いに行こう。そして遅すぎる「ごめん」を伝えに行こうと思う。
田舎町に大雪が降り、一晩で一面、雪景色に変わった。
町を少し離れた場所、山道に続く開けた道がある。
左右に、田園があり春には、青い色の花畑ができ、夏は緑色の絨毯が広がる。
バートラムは、雪道を走った。あと3分で、鐘が鳴る。
この先に、廃墟になった教会がある。そこで、オーガストが待っている。
―――急がなければ!
雪に足を取られそうになっても、バートラムは走り続けた。その手には一通の手紙が握られている。
仕事を終えたバートラムが、家に帰ると扉の下に、一通の手紙が差し込まれていた。
差出人は、オーガスト。
『バートラム、君は僕に隠し事をしているね? 僕は、すべて知ってしまった。誰かが僕を見張る目。差出人のわからない手紙とプレゼント。僕は怖かったよ。怖くて死んでしまいたくなった。外が怖い。人も怖い。君とであった夜、とても驚いた顔をしていたね。あれは僕を見ていたのに、僕が君の存在を、気づいてしまったから、驚いていたんだね? 僕を見ていたのは君だ。そうだろう? そうとは知らず、君に相談して、守ってくれる優しい君に、僕は恋をした。何度も愛しあった。君が僕を苦しめていた人だとは、知らずに。それだけならよかったのに。僕らは許されない恋をした。バートラム、僕を愛しているなら、鐘が鳴るその前に、廃村近くの教会へ来て』
手紙と同封されていた一枚の写真には、二人の幼い少年が写っていた。
右側に写る少年の口元には、ほくろがある。この子はオーガストだ。
左側に写る少年の顔には、見知ったアザがある。
くしゃりと手紙と写真を握りしめ、教会へ走り出す。
あの写真の少年たちは、自分たちだった。
教会近くの廃村まで、たどり着いた。まだ鐘は鳴っていない。
息を整えて、オーガストを捜す。
廃村ということもあって、そこは崩れた建物が未だに残っている。
その向こうには、一面真っ白な、開けた平地が続いていた。
「……オーガスト」
冷たい冬の空気を肺いっぱいに吸い込み、教会へ走り出す。
ザクザクと雪が音を立てる。鼻が冷たい空気で痛む。
―――ゴーン、ゴーン、ゴーン。
鐘の音が遠くで聞こえる。空気を一気に吸い込み、腹の底から絞り出すように叫ぶ。
「オーガスト!」
パァン!
教会の方から、破裂音がした。バートラムの脳裏に最悪なビジョンがよぎる。
―――オーガスト、オーガスト、オーガスト。
教会に近づくたび、心臓がバクバクと脈打つ。やめてくれと脳が警告する。
どうか、あの破裂音が銃声でありませんように。雪の上に横たわる人が、オーガストではありませんように。
白い雪に鮮血が広がっていく。横たわるのは、口元にほくろのある若い青年。
「はぁ………はぁ……あ、あぁ……」
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
膝から崩れ落ちるように、バートラムは泣き叫んだ。
雪を握りしめ、何度もこぶしで地を殴る。行き場所を失った怒りと悲しみは、澄んだ雪に吸い込まれていく。
くたりと横たわるオーガストを抱きかかえ、頬を軽く叩く。
「お、オーガスト? ……ねぇ、オーガスト。私はここだよ? オーガスト。君に会いに来たんだ」
ぼたぼたと落ちる涙が、オーガストに降る。まだ彼の身体は温かい。けれど閉じられている瞳が開くことはなかった。
それでも、バートラムは、オーガストに話し続ける。
「オーガスト、ごめんね。私は君を苦しめてばかりだ。最低な私を、愛してくれた君といるのが怖くなった。知られたくなかった、見ていたのが私だと。だから手放してしまった」
オーガストを強く抱きしめる。身体は雪に熱を取られ、ぬくもりは感じない。
「逃げたんだ。君がから。けど今でも愛してる。君を誰よりも……。例え私たちが、生き別れた双子だとしても」
オーガストの手に握られていたピストルを手に握る。
「神が私を見放しても、この想いは消すことは出来ない」
にこりと微笑み、オーガストの唇にキスを落とす。
「愛してる。遅くなってごめんね。これからはずっと一緒だ……」
ピストルをこめかみにあて、引き金を引いた。