君の背中を追って
「待ってよ、兄ちゃん!」
「待っててやるから、早く来いよ!」
僕の兄ちゃんは世界一だ。自慢だった。
夕日に照らされた兄の背中は、小さいのに、やけに広く感じた。
それなのに、兄は消えてしまった。
旅に出たあと、ぱったりと音沙汰がなくなった。
手を伸ば届く距離に居たのに、兄は今や遠くの鬼人たちといる。
「兄さん!」
僕は力いっぱい叫んだ。しかし、兄は睨みつけるだけで、何も答えない。
額から突き出た1本の角。それが物語っていた。兄は鬼落ちしたのだ。
「行かないでくれ! 兄さん、僕が分からないのか!」
闇に消える兄にももう一度叫んだ。こちらを見ることなく、兄は行ってしまった。
昔のように待ってはくれない。
下等の鬼が僕の腹部を蹴り上げた。
血の混じった吐瀉物が口から噴き出す。
村の人間はほとんど殺された。鬼は人を喰う。
きっと僕も喰われて死ぬのだろう。痛いのは嫌いだ。
兄も他の家族も失った。生きる意味がない。
けれど、あれが僕の兄なのなら、止めなくては。
鬼が僕の周りに集まりだした。長い舌で口元を舐めずっている。ケタケタと笑い、人の言語ではない言葉を話していた。
後退りして、鬼との距離をとる。だが、背後に回りこまれうまく、離れられなかった。
地面に落ちていた石や枝を投げるが当たることはなく、両腕を掴まれてしまう。
「ぐっ! うぅ……」
バキっと骨の折れる嫌な音がした。
鬼が笑いながら、何か喋っている。
「……なんだ! 何を、言ってる!」
言語として認識できないせいで、少しも理解できない。
少しでも時間を稼ぐために、僕は血痰を鬼に吐いた。
鬼の頬に血痰がつく。先ほどまで笑っていた鬼の動きが止まる。
血痰を指ですくい、舌で舐めとりにやりと嫌らしく笑う。
その瞬間、鬼の口から大量の血が噴き出した。
腐った動物の臭いとさび鉄の臭いが混じった吐瀉物。
僕は顔をしかめる。その隙に鬼から逃げることができた。
(どういうことだ?)
僕は何が起こったのかわからなかった。
血痰を舐めた鬼が血を噴いて死んだ。
離れた場所にある壊れた納屋の中から、先ほどの鬼たちを確認する。
血痰を舐めた鬼だけではなく、鬼の吐いた血を浴びた鬼たちも次々に血を吐き、倒れ塵となり消滅していた。
納屋の扉を閉め、僕は息を殺しながら目を固く閉じた。
「おー、おー。すげー、惨状だ」
野太い男の声がして、僕ははっと目を覚ます。
どうやらあのまま寝てしまったようだ。
納屋の扉を少し開き、外の様子を見てみる。
腰に刀を差し、同じ南蛮服着た男女が複数人立っていた。
その中でも一際目立つ、無精髭の生えた大柄な男。先ほどの声の主はあの人だろう。
「ん? あれ、生きてる? お前、人間?」
男がこちらに気づいた。すぐに納屋の扉を閉じ、両腕で守る。
ガチャガチャと音がして「おーい、開けろー。怖くねーよ。味方、味方だぞー」という声がする。
少し扉を開けると、ぬっと男の顔が隙間からのぞいた。
「うあぁぁ!」
驚いて、バンっと勢いよく閉める。
「わりーわりー。お前、人間だな。よく生きてたな?」
もう一度扉を開け、僕は外に出る。空には太陽が完全に昇っていた。
「お前、名前と歳は?」
大男が訪ねてくる。隣に立つと、僕よりも一尺以上大きいのがよくわかる。
「……三吉文助。16になりました」
小さな声で答えた。
「じゃあ、文助。昨日あったこと話せるか?」
「まあ、はい」
僕は昨夜あったことを丁寧に話した。
村に鬼が来たこと、その中に兄らしき人がいたこと、そして闇に消えたこと。人が喰われ、逃げるために血痰を鬼に吐いたあとのこと。すべて話した。
「毒血ですか?」
僕の話を近くて聞いていた冷たい目をしたの女性が言った。
「だろうな」
大男は答えた。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「鬼の存在は知っていますが、あなたたちは何なんですか?」
「あれ? 自己紹介まだだった?」
寝癖だらけの頭をボリボリと掻く男。
「はい」
僕は冷ややかに答えた。見かねた女性が咳払いをして話し始めた。
「我々は鬼を滅殺する組織。政府直属の悪鬼滅殺部隊です。私は第三部隊所属冬子と申します」
彼女はハキハキとした声で言い、敬礼する。
「俺は三部隊の隊長をしている善長右衛門だ。よろしく」
善長右衛門はにっと歯を見せ笑った。
「あ、よろしくお願いします」
僕も一礼した。
「ところでよ……お前、腕折れてるだろ?」
「えっ! 大丈夫なの? 見せて!」
善長右衛門の言葉に冬子が驚く。見かけによらず、心配性のようだ。
「ああ、そうですね。忘れてました。どうりで体中が痛いわけだ」
「アドレナリンが出てたんだろうな」
「あどれ………? なんです、それ」
「気にするな。どうだ、冬子」
「これ、かなり重症ですよ! こんなに平然としてるのが不思議。医療部に運びましょう」
こうして、僕は悪鬼滅殺部隊の医療部のお世話になることになった。
僕は夢を見ているのでないかと思ってた。鬼や悪鬼滅殺部隊は夢で兄は旅に何か出ずに、ずっと村で暮らしているのではないか。
子供の頃のように、兄の背を追いかけているのではないか。
目を開けるたび、その希望は儚く消えた。
6/21/2025, 11:28:16 AM