奈都

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2/6/2023, 2:19:58 PM

お題「時計の針」



時計屋さんが好きだった。
壁掛け時計、目覚まし時計、腕時計、鳩時計……など、たくさんの時計に包まれ、秒針の音に包まれているのが好きだった。

使うことだけを考えるならソーラー電池の電波時計が断然好きだ。だが、電波時計しか置いていない店は好きではない。

私が好きなのは、好き勝手に自由な時間を刻む時計が溢れた時計屋さんが好きだから。

今日もそんな時計屋さんに足を運ぶ。




「あら、また来てくれたのね」

店に入ると店主のおばちゃんが声をかけてくれた。
そんなに大きな店でもないので、何度も来ていると覚えられてしまうものだ。

「いつも買わないのに入り浸ってすみません」
「いいのよ、学生さんに無理やり買わせたら、天国の旦那に怒られちゃうわ」

店主さんはケラケラと笑う。旦那さんが亡くなったのはずっと前なのだろう、表情も声も、亡くなった旦那さんの話をするにはだいぶ明るい。

「あたしもウィンドウショッピング好きよ。服とか眼鏡とか、見てるだけで楽しいものね。いくらでも見ていってちょうだい」
「ありがとうございます」

店主さんは満足そうに微笑んで、手元に視線をやる。
店主さんは、お客さんの出入りがあった時と声をかけられた時以外は、ずっとこうして本を読んでいる。

レジの横には本がたくさん積んである。前に尋ねたときは「積読ってやつよ」と笑っていたので、たぶんまだ読んでない本なのだろう。
時計のカタログもあるが、最近人気の小説や旅行雑誌など、仕事関係以外のものもある。
新しい情報をキャッチするのが大好きなのだと話していた。

私は店主さんから時計に目を移す。
レトロなデザインなものも、お金持ちの家にありそうな高級感のあるものも様々だ。
そして、どれもこれも好きな時間で動いている。

鳩時計のうさぎバージョンの時計は、5時23分を指している。
その隣にある振り子時計はちょうど6時になって鐘を鳴らし始めた。
向かいにあるローマ数字の時計は3時15分。

いろんなタイミングで、いろんな音が聞こえてくる。
カチカチという秒針の音。動物の鳴き声や音楽、鐘の音。カチン、と長針が動く音。
自由気ままに、時計たちは時間を刻む。

時間なんて、こんな不確かなものなんだ。
気にしたところで疲れるだけだ。
どの子も、自分の中での正確な時間を刻んでいるんだから。

時計の群れの中で、私は安心感に包まれていく。
おまえも好きなように生きなさい、気ままに自分の時間を刻みなさい。時計たちに、そう言われている気がする。好き勝手に生きることを、許される気がする。

私は、時計たちの中から、手頃な価格の手巻きの腕時計を手に取った。
手頃と言っても、この時計たちの中では手頃なだけで、お小遣い制の中で生きている私にとってはまあまあ痛い額だが。

店主さんのところに持っていくと、店主さんは「あら」と目を丸くした。

「買ってくれるの?」
「はい、このためにお小遣い貯めてきたので」
「ありがとね、この子も喜んでるわ」

店主さんは嬉しそうに私の手の中にある時計を撫でる。
私がお金を出すと、店主さんはその半分だけ手に取った。

「この子のために頑張ってくれたんだもの、少しだけまけてあげるわ」
「でも……」
「いいのよ、その分、大切にしてあげてね」

店主さんは腕時計を私につけてくれた。
私はお礼を言って、腕時計に触れる。
ずっと欲しかった時計が、いま私のものとして腕にある。
踊り出したくなる気持ちを抑えて、私は店主さんに小さい声で言った。

「実は私、ここみたいに、自分の部屋を時計でいっぱいにするのが夢なんです」

店主さんは笑って、小さい声で「すごい素敵な夢ね」と言ってくれた。

自由な時計たちに包まれて過ごす生活。
ずっと憧れていたその生活に、今日、私は一歩だけ近づいた。

またお小遣い貯めなきゃ。次はどの子をお迎えしようかな。
小躍りしそうな気分で、私は帰路に着いたのだった。



おわり。

2/5/2023, 3:50:43 PM

お題「溢れる気持ち」



「こちら、お代です」
「毎度どうも」

女は私に金を渡して、店を出ていった。
ぼんやりとした顔をしているが、この店に来た人間は必ず帰る時にそういう顔になっているので気にならない。
受け取った金を金庫にしまっていると、飼い猫のミケが足に擦り寄ってきた。

「おまえはかわいいねぇ」

私はミケを撫でる。すると、視界の隅にオレンジ色のランプが灯る。
ふと、先ほど出ていった客を思い出し、私はため息をついた。ランプが緑色に変わる。

「人間には生きづらい世の中になったよねぇ。私も猫になりたいなぁ」

ミケは何も考えていないように、みゃあとかわいく鳴いた。



物心ついた時から、私の視界には小さなランプが表示されていた。
それは私だけでなく、世の中全ての人に表示されるものだ。
話によると、産まれてすぐにこのランプが表示されるように体にチップが埋め込まれるらしい。

そのランプは、オレンジ、緑、青の3種類に変化するもので、自分の視界の隅だけでなく、視界に入っている全ての人間の頭の上にも表示される。

ランプはその人の心の状態を表す。
ポジティブな感情の時はオレンジ、ネガティブな感情の時は青。その間を揺らいでいるのが緑。

つまり、私たちは三つにカテゴライズされた気持ちを世の中に溢れさせて生きている。そう生きる以外、術がない。

「さっきの人もバリバリ青かったねえ。あ、ミケには見えてないのか」

ソファに座ってミケを撫でながら記憶を遡る。
この店に入ってくる人はみんな青いランプをしている人しかいない。
みんな口を揃えて言う。
「青いランプにならないようにしてください」

先述したとおり、青いランプはネガティブな感情を示す。それは脳波とか血流の乱れとか細胞とか、諸々の動きを測って表示される。
自分だけに見えるのであれば思考の偏りの改善などにも役に立ちそうなものだが、残念ながらこれは他者にも見えてしまう代物だ。というより、それを目的としている。

心の病を発症する人間や自殺する人間が多くなりすぎたことへの、世界の対処方法なのだ。
『人の心を可視化させて、危険状態になるまえに対処しよう』
そんな善意たちが研究に研究を重ねた成果。それが私たちに入っているチップであり、自分と他者の気持ちランプだ。

世の中としては賛否両論ではあったが、一つの国が始めると、それに倣って続々と使用国が増えていった。
今ではどこにいっても誰にあってもランプが見える状態となっている。

そんな中で生きづらくなっているのが、『危険状態』の人間だ。
彼ら彼女らは、すでに心の病を抱えている人やその一歩手前の人、後ろめたいことがある人など、様々ではあるが、誰もが周りに精神状態を見られたくない人たちの集まりである。

政府としては、そういう人間のために埋め込まれたチップなのだから活用するしかない。
街中で青いランプの人間がいればまず間違いなく聞き取り調査が行われ、個人情報を確認され、精神状態の検査が行われる。それは通院生活や入院生活の始まりであり、下手をすれば牢屋生活の始まりである。

そうして治療費が嵩んだり仕事を辞めさせられたり、生活が困窮していく人があとをたたない。
そういう人たちのために作られたものが、そういう人たちを苦しめている。見えるのが医者だけであればよかったのに、と私は思う。難しいことなのだろうが。

だからこそ、そういう人たちは願うのだ。「青ランプが点灯しませんように」と。
「あなたならその治療ができるんですよね」と縋るのだ。

私はその願いを叶える仕事をしている。
大きな声で言えた話ではないが、客の感情をぼかすのだ。薬とカウンセリングで。
カウンセリングという言葉はこの場合使ってはいけないかもしれない。洗脳だ。

さっきの客はどうやら家庭に不和があったようで、夫のことを考えるとすぐに青くなってしまうと言っていた。
だから、夫の嫌なところを挙げてもらって、片っ端から夫を擁護するように、それが嫌なことではないように思考を誘導していく。
さっきの人はそれでは足りなかったので、薬剤の投与も行なった。

だが薬剤によって直していくのは思考ではない。
『感情』を壊していくのだ。

まるで毒が体に回っていくように、自然と、だれも気づかないくらいにゆっくりと、感情を司る脳の部位を壊していく。
客がぼんやりとして帰っていくのは、その薬のせいだ。

だがこの薬は完全に非合法のもので、なんなら私と私の親友が手がけたものである。命の危険もあるので、ここの店でしか投与しないし、高頻度で投与するわけにもいかない。
一応客は、命の危険があることを承知の上で治療を求める。
きっと彼らにとっては、ランプがある状態で生きるくらいなら死んでもいいのだろう。

「やさしさはうまくいかないものだねぇ」

私は膝のミケを撫でる。気持ちよさそうに目を瞑っている彼女に思わず笑みがこぼれる。
そのとき、奥の部屋から男がやってきた。

「大繁盛ですね、この店。街中でここの噂してるご婦人いましたよ」
「それは困ったねぇ……また移転しなきゃかなぁ」

移転する場合、今まで通ってた客には謝罪にいくが、新しい店を教えることはない。
もともとのお客さんがいると心強くはあるが、噂が広まるのが早くなる。
そうなると、グレーゾーンな仕事をしている私たちは仕事ができなくなるどころか、お縄になってしまうだろう。

困ったねえと笑うと、私の親友であるその男は弱々しい声で提案をしてきた。

「次は……すこし南にある街にしませんか? 水も土もいいので、おいしい野菜食べ放題ですよ」
「それはいいねぇ、ミケのご飯もランクが上がるかもねぇ」
「ミケもそうですが、先生もおいしい食事にありつけますよ。僕、料理のレパートリー増やしときますから!」
「それは楽しみだなぁ」

私が笑うと、ミケも可愛らしく鳴く。私の可愛い家族のひとり。
灯りに囚われない、私たちとは違う存在。

「そうと決まれば引越し準備かぁ。シンヤくん手伝ってくれるかい?」
「もちろんです、というより、僕だって先生についていきたいんですから置いてかないでくださいよ」
「君は優しいねぇ。この老いぼれは荷物をまとめるのも一苦労だからねぇ。必要なものは今のうちに買わなきゃね」

私は手近にあった紙を広げて、買い物リストを作る。
猫のケージ、猫の餌の予備、水分多め、食料多め、薬の材料……。

「一番大事なの、抜けてますよ」

私の親友が手渡す。それは、客にも投与している薬だ。私たちも基本的に青色ランプの人間だから、外に出かける時は誤魔化すために服用しなければならない。
ランプは正常になるが、思考能力も下がってしまうため、旅行で使うのは危険な代物だが、仕方ない。

「ありがとう、君もちゃんと持ったかい?」
「もちろんです。明後日には着く予定ではありますが、多めに準備はしています」
「さすが、仕事が早いね」
「先生の助手ですから」
「私からしたら親友なんだけどねぇ。若い子じゃないと親友にはなれないかぁ」
「助手かつ親友なんですよ、そして家族です」

親友はミケを抱きあげる。頬をなめるミケはとても可愛い。だいぶ懐いてくれたようだ。

家族。親も兄弟も青ランプの人間だったため、もう私には血のつながった家族はいない。タイミングは違えど、みんな自死を選ぶことになった。
だからこんな仕事をしているのかと言われると、なんとも微妙などころではあるが。
血のつながりで考えると家族はそんな状況だが、血のつながりはなくても、ずっと一緒に暮らしてきた彼もミケも、私の家族になってくれた大切な人たちだ。

「家族なんだから、ちゃんと私の技術を引き継ぐんだよ。まあ、それがお客さんにとっての救いかどうか判断するのは君だから、技術を得た上で仕事として続けるかは君の自由さ」
「自分はもうおじいちゃんだから、って引き継いだ直後に逃げないでくださいよ」
「逃げるか逃げないかは、私次第さ」

笑いながらソファから立ち上がる。
ここにある仕事道具たちをどうにかまとめて、早めに引越しをしなければ。

こうして引っ越すのはもう何度目かわからない。
だが、引っ越す先々で繁盛してしまうため、この世の中に限界を感じている青ランプの人たちは大勢いるのだろう。

そんな人が少しでも苦しまないように。親友と考案した薬が、頭を壊す薬だった。

やさしさとはなんだろう。救いとはなんだろう。

荷物を整理しながら私は彼を振り返った。


「もしも私があの薬でおかしくなってしまったら、そのときは追加で投与して死を与えるんだよ」

彼は私を振り返らなかった。ミケが小さく鳴く。
荷物整理を進めながら、彼はぼそりと返事をした。

「そんなことに貴重な薬を使えないんで、おかしくなっても生きててください」

私も作業に戻る。
彼は優しい。私がおかしくなってしまったら、きっと彼は私のそばで介護をしてくれるのだろう。辛い思いをしながら、私のことを看取るのだろう。

私はぼんやりと窓の外を見た。
空は明るい。クリームパンのような雲が浮かんでいる。鳥の囀りも聞こえる。子供たちが元気に遊ぶ声も。

新しい場所で、彼には私以上の大切な存在と出会ってほしい。
青春というものをすべて研究に費やしてしまった彼は、色恋というものを全く知らない。
私でさえ恋人の一人や二人いた時代だってあったのに、この時期にそれができないのは少し寂しい。

私みたいな老いぼれを看取るより、まだ見ぬ恋人との仲睦まじい生活のほうを彼には選んでほしい。
恋人でなくても、なんでもいいのだ。私でなければ。


さっき彼が振り返らなかったのは、自分の感情を見せたくなかったからだろう。完全に顔を見えない相手にはランプは映らない仕様になっているのだ。

私も、そのときに彼が振り返らなくてよかったと思った。
私のランプは、これでもかというほど真っ青だった。
ミケは私に近づくと顔をじっと見つめてきた。
心でも透かされている気分になる。私はあわてて作業に戻る。

「まったく、生きづらい世の中だねぇ……」

いつかこのチップを取り除ける日が来ればいいのに。
何度思ったかもうわからなくなってしまった願いを心に閉じ込めて、私たちは黙々と引っ越し作業を進めるのであった。


おわり。

2/4/2023, 3:52:14 PM

お題「Kiss」


「投げキッスを恵んでください」
「嫌です」

私の土下座付きのお願いは、即答で拒否された。
彼は私の恋人。恋人という関係ではあるが、私としては、推しとファンの関係。手の届く場所にいる推しみたいな、そんな存在。

だから本来直接要求をするなんておこがましいのだが、うちわに「ファンサして」とか「あいしてる」とか書いて振ってても無視されるのだ。
だから仕方なく、土下座ということで甘んじている。

「そんなんじゃファンが離れていっちゃいます! いや、でもツンデレ方向にいくならたまに恵んでくれる方がいいかも……それに拒否するコウくんかわいい……」
「先輩に投げキッスのために土下座させてるの見られてる時点で、ファンどころか友達も離れていきますよ……やめてください」
「だって……! そうしないとファンサしてもらえないかなって……!」
「僕はアイドルじゃないんですって……あと、一般人がうちわ振られてるの頭おかしい状態なんでそれもやめてください……」
「困った顔もすてき……」
「話聞け」
「命令口調も良い……」

土下座したまま拝んでいると、目の前からため息が聞こえた。
呆れたような顔。睨め付けるように私を見つめるコウくん。
最高としか言えなかった。

コウくんという幸せに浸っていると、コウくんとは違う声が聞こえてきた。

「まーた桜庭いじめてるんですかー? 先輩」

八重歯を見せて笑う女の子。この子はコウくんと同じクラスの佐藤さん。コウくんとは仲良しのようで、家宝レベルの写真を撮ってきてくれる。
聞いたところ幼馴染のようだ。

「佐藤も言ってやってよ……僕はアイドルじゃないんだって……」

すがるように佐藤さんを見つめるコウくん。最高に可愛い。
捨てられた子犬のようなコウくんを、佐藤さんは容赦無く切り捨てる。

「先輩は私のお得意様なんだから。桜庭側にはつきませんー」
「お得意様って……」
「ところで先輩、新しいの撮れたんですけどいかがです? 150円で」
「買い、だね」
「なに人の写真売買してるの……!?」

私の差し出した小銭を受け取り、佐藤さんは「まいど!」といい笑顔を返す。この子も可愛いけど、私には心に決めた推しがいるから揺らぐことはできなかった。

佐藤さんから封筒を受け取ろうとすると、横から手が伸びてきた。封筒ではなく、私の手首を掴む。
声にならない悲鳴をあげた。

失神しかけているなかで、ぼんやりとコウくんの声が聞こえる。

「僕は! 先輩と! 普通に恋愛したいんです! こんな……お互いの写真を他の人から買ってるのは……普通じゃないんです……!」

そっか、恋人だもんね、そうだよね。
頭の中の冷静な私が目を回しながら言っている。
お互いの写真を買ってるなんて、たしかに恋人とは言えないのかも。と、思ったところで気づく。

「えっと……お互い、ですか?」
「あ」

コウくんは固まった。すぐに目をうろうろさせて、「それは……その……」ともじもじしている。そんな姿も愛らしい。百点満点。

思わず拍手を送ろうとしたところで、佐藤さんが私の肩を掴んできた。

「先輩には内緒だったんだけどねー、実はこいつも先輩の写真、あたしから買ってるんですよ」

によによとした顔が隣にくる。途端にコウくんの顔が熱でも出したかのように真っ赤になった。

「おまっ……、それは言わない約束って……!」
「いま自分で口滑らせたんじゃーん。もう取り返しつかないって」

じゃあお邪魔虫はこれでー。と言って、佐藤さんは教室に戻っていった。

残されたコウくんは真っ赤のまま俯いていた。
私も顔を上げることができなかった。

コウくんが私の写真を買っている……?
裏紙に使うとか……? いや、150円払ってなんでわざわざ光沢紙を裏紙に使うか……?
私と同じ理由なんて都合のいい話はないはずだし、何よりみんなのコウくんが私だけを見てしまったらそれこそ抹殺されてしまうしさすがにないだろうし……
やっぱりいざってときに裏のツテで私を社会的に抹殺……?

色々考えていると、震える声が聞こえてきた。

「先輩のせいですよ……」
「な、なにがでしょうか……?」
「先輩が! どこに出かけても隣を歩いてくれなくて! ツーショットも撮らせてくれなくて! なんなら会話もかしずきながらするから! 先輩との写真欲しくても自分で撮れないから! あいつをたよるしかなかったんです!」

なにか、私に都合の良すぎる文句が飛んできた気がした。これがツンデレを習得したコウくんの力か……。
私は廊下にひれ伏す。
「だからそれやめてってば!」というコウくんの怒声が聞こえる。耳が幸せになる。
幸せすぎて意識が飛びかけていたが、こんなんでもコウくんが恋人と認識してくれているので、私もそれ相応の返事をしなければならない。
いつまで経っても、コウくんに幸せをもらってばかりではいられないのだ。

私は立ち上がってコウくんの前に立った。
恥ずかしさで潤んだ瞳に「かわいい!」とキレかけたが、どうにか抑えた。
深呼吸をして、気合を入れる。

「コウくん」
「はい……」
「一緒に……写真、撮りましょう」

コウくんが目を丸くする。可愛すぎて連写したいくらいだった。もうダメだが、後少し耐えなければ。

「あそこのダンボール、被っていいなら、いくらでも」
「ダメです!」

コウくんが勢い任せに私の頭を叩く。
怒った顔も、自分の力の強さを自覚できてないところも好き……。
意識が遠のく中、私はコウくんへの愛に満たされていた。



気づいたら保健室で寝ていた。
ああ、廊下で倒れたんだっけ。
ぼんやりとした頭で考えて辺りを見回すと、すぐそばにコウくんが座っているのが見えた。
目が合う。
不安気なコウくんも可愛い。
コウくんは、小さな声で言う。

「殴ってすみませんでした……あんなに強くやるつもりはなくて……本当にすみません……」
「ご褒美だったので大丈夫です、むしろありがとうございますというか私が目覚めるまで待ってくれてたとかもう幸せの骨頂すぎて近いうちに死ぬんじゃないかと思うくらいで」
「死なないで! そうやってすぐ僕を持ち上げないで!」

慌てているコウくんもかわいい。
実際に思ってることを言ったりやったりしてるだけなのだが、コウくんは、私がコウくんを持ち上げたくてこんな行動をしていると思っている。
コウくんがみんなから愛されているのは確定事項であるから、コウくんの素晴らしさを私がみんなに伝える必要などないのに。

ちょっぴり、コウくんは自己肯定感が低い。
そんなところもかわいいのだが。

「先輩は……本当に僕のことが好きですか……?」

弱々しい声がした。コウくんは下を向いたままだ。膝に拳が握られている。

「もちろん大好きです。そろそろグッズ作成に取り掛かろうと思ってたくらいで……」
「それは……恋愛感情じゃないですよね?」

コウくんが私をじっと見つめている。
その視線だけで死にそうではあったがどうにか耐えた。

たしかにコウくんは私の推しである。何をするにも全力で応援したいし、ファンサもしてほしい。グッズが出れば買うし、写真集出ないかなとか思っている。

だけど、ちゃんとというのもあれだが、ちゃんと、恋愛感情だって抱えている。
でも、彼は推しだ。神聖な存在だ。私なんかが触れていい存在ではない。それはコウくんへの冒涜だ。

だから逃げるしかない。
コウくんに告白されて、舞い上がって了承してしまったが、恋人になれたといえどコウくんを穢してはいけないのだ。

「恋愛じゃない気持ちもたくさんありますが……恋愛の好きはちゃんとあります」
「じゃあなんで……」
「コウくんを穢してしまうから」

コウくんは目を丸くした。かわいい。と思っているうちに、コウくんの体から怒気が溢れてきた。
こんなに怒ることなんて今までなかった、と喜ぶ反面、怒らせてしまったと不安になる。

コウくんは何か言おうとして口を閉じた。
すう……はあ……。何度か深呼吸をして、私に向き直る。
まっすぐな瞳はとても美しくて、とても格好良かった。写真におさめたい気持ちを押し込んで、コウくんの言葉を待つ。

「穢すのは……先輩が僕に触ってしまうと?」

コウくんの問いかけにとりあえず頷く。
コウくんは椅子から立ち上がり、ベッドに膝を乗せた。
急に距離が近くなる。
固まっていると、コウくんは私の顔にぐっと顔を近づけて囁く。

「なら、僕から先輩に触るのはありですよね?」

答えるまもなく、コウくんの顔が近づいてくる。
思わず目をつむった。唇に柔らかな感触がして、すぐなくなった。

ゆっくり目をあけると、イタズラっぽく笑ったコウくんが私を見下ろしていた。

「どうせなら、投げキッスじゃないキスを要求してくださいよ」

すとん、とコウくんが床に足をつける。

「そろそろ昼休み終わるので、僕は行きますね。帰り、よかったら一緒に帰りましょう」

そそくさと出ていくコウくん。
見たことのないコウくんの顔が、触ったこともないコウくんの唇の感触が、かけられた覚えのない息が私の体に蘇る。
急に体が熱くなってきた。

「格好いいよ……コウくん……好き……」

私は頭を抱えて、布団にうずくまった。



おわり。

2/3/2023, 3:37:13 PM

お題「1000年先も」


時間が経過しても変わらないものなどない。
100年、1000年先も愛してるなんて言ったって、その数分後には別の誰かに愛を囁いているかもしれない。
未来の愛を語るなぞ、無責任以外の何物でもない。

だからオレは言わなかった。
ずっと一緒にいようと言われても、未来のことなんてわからないから答えられないと返した。
あなたと暮らす未来が見えないと言われても、それは未来の話なんだから見えるはずがないと返した。

そしていつからか、相手からはなんの連絡も来なくなった。

「だからフラれるんだよ、おまえは」

向かいの席に座った男が口をへの字に曲げて言った。
つられるようにオレも顔をしかめて言う。

「おまえは逆に誰にも責任を持ってないだろう」
「責任ってなんだよ? 相手はおまえのこと好きになってくれてたのに、それを無下にするのが責任だってか?」
「確定してないことを答えられるわけがない」
「相手は少しでも安心したいの、この人となら生きていけるかもって期待したいの」
「それを裏切る結果になるかもしれないだろう」
「そうならないように頑張ろうねって話なの!」

男は「めんどくせー男だなおまえは」と髪をかきむしる。
そのめんどくささがコミュニケーションというものではないのか。コミュニケーションを怠るとフラれると言っていたのはおまえではないか。
オレは不満に思いながらも、少し落ち込んでいた。

きっと男の言っていたコミュニケーションをオレはできていなかったのだろう。
男の言ったものとオレがそれだと思ったものが違っていたのだろう。

オレはため息をついて天を仰いだ。

「また……恋人を傷つけた……また失った……」
「おまえのせいでな。文句言われんの俺なんだぞわかってんのか」
「すまない」
「誠意のかけらも感じられない」
「彼女が文句を言いにきたら伝えてくれ。……すまなかったと」

再びため息をつくと、男は機嫌の悪そうだった顔を少しだけ緩めた。

「あの子に罪悪感があるならまあよしとするか」
「傷つけてしまったことは申し訳なく思っているが、オレは悪いことをしたとは思っていない」
「反省する気ゼロじゃん」
「当たり前だ、1秒後のことなんて見えないのだから保証なんてできるわけがない」
「おまえなぁ……」

男は注文のベルを押し、店員にコーヒーのお代わりを頼む。オレは紅茶を頼む。
静かな店内には、オレたちの声しか響かない。なんなら、店内にいるのはオレたちと店員くらいだ。
こんなガラガラなカフェでよかった。逆に安心して話せる。

男は届けられたコーヒーに砂糖を3つ入れて、スプーンでくるくると混ぜる。
コーヒーは好きだが甘いのしか飲めないという難儀な人だ。

「おまえさぁ……もしかしてデートの約束とかもしなかったのか? 未来のことはわからんって」
「いや、そういう約束はした。1ヶ月を超えるものはしない主義だ」
「どんな主義よ……旅行とかもおいそれとできないじゃん……」
「二人での旅行は社会人になってからだろう。今約束することはない」
「……まじかよ」

虫でも見るかのような顔をされて、少し不安になる。
恐る恐る尋ねてみた。

「おまえは……旅行したのか?」
「ついこの間、タキちゃんとね」
「……おまえ、何人目の恋人だ」
「4人目かな? みんな許してるよ、なんなら相手の子たちも恋人いるし」
「なんでそんな爛れた関係になるんだ……」
「俺の話なんかもーいいよ、それよりおまえのそれをどうにかしなきゃならん」
「それ?」
「『未来の約束をしない』こと」

オレは断ろうとしたが、男にそれを遮られる。

「俺も何度も言ってるよ、『永遠の愛を誓う』って。でもそんなの、ただの気休めでしかない」
「だから……」
「それでも相手は安心するんだよ。この人はそう言い切れるくらいに自分のことを愛してくれてるんだって。事実、今までの恋人全員それで落としてる」

それはそれで、彼女たちのガードの弱さが心配だが……。
言いたかったが、男は話を続けとしていたのでオレは黙っていた。

「俺が恋人と続いてて、おまえが恋人にフラれる。その違いは、嘘でもずっと愛し続けると言えるかどうかだろ」
「嘘では相手を傷つけるだけだ」


「それはおまえの技量の問題。俺は誰とも拗れてないよ」
「おまえのは彼女じゃなくてセフレとかそういうあれでは……」
「立派に彼女ですー」

とりあえず、と男はコーヒーに口をつけて俺を見る。

「タキちゃん、ユウちゃん、ショウコちゃん、ミチちゃん。次なる恋人候補はこの4人だ」
「また選ぶのか……?」
「こちとらおまえが好きになりそうな子選んでやってんだぞ、文句言うな」

テーブルにパラパラと写真が置かれる。
下に名前が書いてある。この子達から、『恋愛練習相手』を選ぶことになる。

昨今、コミュニケーションというものが敬遠されている世の中で、この男は『恋愛練習相手を貸します』というグレーゾーンな仕事をしている。
恋愛でのトラブルはとても多い。
普通に交際してるつもりがDVに発展したり、すぐに熱がさめてしまったり、ストーカーに成り果てたり。
そんな被害に遭わないために、そんな行為を行わないために、この男は自分の『恋人』と称した女の子たちを雇い、依頼人に貸し出す。
もちろんそれでお互いいいマッチングだったらそのまま男の恋人をやめることもできる。

そんな男に頼るしかなくなった自分は情けないが、ここで借りると、終わった後にこの男から何がいけなかったかのフィードバックがあるのだ。
そのフィードバックを受けて行動を変え、相手の心を傷つけないような恋愛をする。
憧れの人と、自信をもって恋仲になってやる。

そんな目標も知っているから、男は笑って、「シノちゃんはまだ全然遠くだな」なんて言う。

「着実に近づいてはいるだろう」
「まあ、初対面にお前がまず名乗れって言い出したことを考えると断然よくなってるよ」

あとはその頑固さだなぁ。
男は立ち上がる。写真をまとめてカバンに入れる。
一枚だけ、タキちゃんを残して。

「この子、性格の雰囲気はシノちゃんに近いと思うから。あとでついてもらえるように頼んどくよ」
「ありがとう」
「未来の話をされたら真っ先に否定するな、想像しろ。想像した結果を答えるだけでもだいぶ違うから」

じゃ、またな。
男は去っていった。伝票は置きっぱなしなので、オレの奢りになってしまった。
ため息をついてレジに向かうと、あれっという女性の声が聞こえた。
まるで音楽でも聞いているかのような美しい響きに、オレはガバッと顔を上げる。

「し、シノさん……」
「いまシフト入ったところだから気づかなかったよ、もう帰っちゃう? よかったら新しいメニュー試してみない? お金はとらないからさ」

シノさんはかわいい八重歯をみせて笑う。
ああ、シノさんは今日も美しい。
シノさんにだったら、オレも途方もない未来のことを話せるのだろうか。

考えているうちにシノさんはテキパキと準備を始めた。
オレはカウンターの前で、シノさんが働く姿を穏やかな気持ちで眺めていた。

ずっと、見ていたい。
もしかして今までの女の子たちも、そう思ってたから未来の話をしていたのだろうか。
ずっと、一緒にいられるように。

なら、オレはずっと彼女たちを裏切っている。
いつ好きじゃなくなるかわからない女性が、今はいるのだから。
永遠なぞ信用しないが、できることなら永遠を捧げたい相手がいるから。

オレは気づく。
相手がシノさんじゃないから言えないのではないか。
シノさんだったら、言えるのかもしれない。
あなたのそばにずっといさせてほしいって。

「はい、おまちどうさま」

思考を遮るようにテーブルに食事が置かれた。
ハンバーグだ。いつもよりボリュームがありそうだ。

「熱いうちに召し上がれ。話があるならその後聞くから」

優しいシノさんの言葉に頷いて食べ始める。
おいしいで埋め尽くされた脳内は、それまで考えてたことを全てどこかに追いやってしまった。



「今日も恋愛練習?」
「はい、なかなかうまくいかなくて……」
「そっかぁ。でも徐々に進んでるよ、前はこうやって会話さえできなかったんだから」

シノさんは楽しそうに笑う。
恥ずかしくなりながらもオレも笑う。

「いつだかにした約束、覚えてるよ」
「へ?」
「『恋愛うまくできるようになったら告白しにきます』」
「あはは……そのつもりではありますが、まだまだ先になると思います」

目を足下に向けて答えると、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
顔を上げるとシノさんはニカっと笑っている。少し頬が染まっているように見えるのは幻覚だろうか。

「そのキミの姿勢に惚れた、って言ったらどうする?」

試すような、誘うような、甘い声。シノさんってこんな声も出すんだ、と場違いなことを思った。

「練習してる間に誰かのものになっちゃうかもしれないからさ、あたしで練習してよ」
「今のところ相手に泣かせてしかいないんですが……」
「いいねえ気になるじゃん、手始めに明日デートしよう、決定」
「はい!?」
「じゃ、あたしバイト戻るから。バイバーイ」

シノさんはそのまま裏に引きこもってしまった。
お会計を済ませて店を出る。

シノさんと……デート……。
一回きりの思い出になるかもしれないからちゃんと、準備しとかなきゃな。
そう思いながらさっきまで話してた男に電話をかけ、練習は一旦中止にしてもらうことにした。

まずは目の前のデートに集中しなければ。
緊張と不安と喜びをミキサーでかけたような気持ちで、オレは帰路についたのであった。



おわり。

2/3/2023, 6:23:14 AM

お題「勿忘草」


小学生の頃、不思議なことがあったのを覚えている。

当時仲の良かったホナミちゃんという女の子がいた。
ホナミちゃんはあまり裕福な家庭ではなさそうで、服も文房具も古いものが多い。
体もあまり強くないらしく、昼休みもみんなと外で遊ばずに教室か図書室にこもっていた。

わたしも運動が好きではなかったので、よくホナミちゃんと一緒に教室でおしゃべりしたり、本を読んだりしていた。だから仲良くなったんだと思う。

ホナミちゃんはいつも同じ本を見ていた。
植物図鑑だ。いろんな草花の写真を見ては、「これかわいいよね」とか「こんな花あるんだ……」とか楽しそうだった。わたしも一緒になって見て、一緒に笑っていた。

そんなホナミちゃんは、決まって水曜日は8時まで家に帰れなかった。
理由は「おかあさんが家で仕事するから」だった。
その日は家の鍵も持たせてもらえず、学校にいても先生たちに追い出されてしまうので困っていた。
だから毎週水曜日は、わたしの家で遊んで、夕ご飯を食べて、お母さんと一緒にホナミちゃんをおうちに送って行った。


お母さんは、ホナミちゃんのお母さんに何回も話した。

家から追い出すなんて可哀想。
家で仕事だとしても、ホナミちゃんなら別の部屋で静かにしてることだってできる子でしょ。

お母さんが何度言っても、雑な相槌しか返ってこなかったので、お母さんも諦めて、ホナミちゃんに「二つ目のおうちだと思って、いつでもうちに帰っておいで」なんて言っていた。

わたしとしては、ホナミちゃんとたくさん遊べるし、なんならホナミちゃんもうちに住んでくれればいいのにと思っていたので、ホナミちゃんのお母さんがどうであろうと気にしていなかった。


そんなある日のこと。
水曜日なのに、ホナミちゃんと遊ぶことができなかった。
それは、ホナミちゃんのお母さんが、ホナミちゃんの持ってる家の鍵を取り上げなかったからだ。

「今日は帰っていい日なのかもしれないから、ちょっと帰ってみるね」

ホナミちゃんは少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうに笑って帰っていった。
水曜日なのに一人で家に帰るのは、少し寂しかったのを覚えている。


その次の日のことだ。
ホナミちゃんは浮かない顔をしていた。どうしたのか聞くと、傷ついたように顔をしかめた。そして、鞄をあさって、私に何か差し出した。

小さな白い花のシール。

「これ、あげる」
「かわいい! これ、何の花?」
「勿忘草っていうの」
「ワスレナグサ……」
「会えなくなっても、ずっと、友達だよ」
「会えなくなっても? ……ホナミちゃん引っ越すの……?」

わたしの問いかけに、ホナミちゃんは俯いた。
わたしたちはそれ以上、何も話さなかった。



わたしの引っ越しが決まったのは、その次の日だった。
お母さんとお父さんがリコンすることになったのだ。

わたしがお母さんに連れられて家を出ることはすんなり決まったらしい。
なんでリコンするのか聞いてみたけど、「方向性の違い」とつまらなそうにお母さんは答えていた。

色々必要な手続きをして、わたしとお母さんはその町を後にした。




あれからもう10年以上経った今、わたしはカフェでぼんやりと大学の課題をやっている。
今まで、引っ越す前のことなんて思い出すこともしなかったのに。
わたしは昨日の掃除で発掘されたシールを眺めた。
見つかった後に課題のノートに貼り付けたのだ。

小さくて、白い、かわいい花。
ホナミちゃんに似合う花。
頭の中にホナミちゃんの笑顔が浮かぶ。そういえば、このシールをもらったあと、何も話さずに引っ越してしまった。

エスパーだったんだろうか。未来視とか……?

馬鹿げたことを考えて、自嘲した。すぐに課題の参考資料に目を向ける。

「あの……みっちゃんだよね?」

か細い声が聞こえて顔を上げる。
懐かしい呼び方だった。小学生のとき以来そんな呼び方はされていない。

目の前にいたのは、小柄で、肌が白くて、優しい笑顔をした女の子。わたしと同い年くらいの。
記憶の中の子より断然大人びて綺麗になっているが、ほんのりと面影があった。

「えっ、あ、え? もしかしてホナミちゃん?」
「そうだよ、覚えててくれたんだね」

ホナミちゃんは嬉しそうに笑う。わたしも嬉しくなって、見て見て、とノートの表紙を見せる。

「昨日掃除してたら出てきたから貼っちゃった。覚えてる?」
「うん、引っ越す前にみっちゃんにあげた勿忘草」
「そうそう! そっか、勿忘草って言うんだっけね」

シールを優しく撫でるホナミちゃん。ほんの少し、悲しそうな顔をした。

「あのときは……気持ち悪いこと言ってごめんね」
「気持ち悪いこと?」

「会えなくなっても……とか」
「ああ……もしかしてホナミちゃんも引っ越したのかなとか、実はエスパーだったのかなとか色々考えてたよ、分からなかったけど」

わたしは笑う。今はそう言えるが、当時は気味が悪くてホナミちゃんと話せなくなってしまった。
わたしの言葉に、ホナミちゃんは小さく笑う。

「エスパーじゃないけどね、私、みっちゃんがお母さんと引っ越すの知ってたの」
「え……?」
「あの日……私が家の鍵取り上げられなかった日、覚えてる?」

わたしは頷く。
ほんの少し嬉しそうに帰っていったホナミちゃんに、複雑な気持ちを抱えていたのだから。
いまだにそれを覚えているのも、考えものだとは思うが。
ホナミちゃんは目を細めた。悲しんでいるように見えた。

「あれ、おかあさんが取り上げるの忘れてただけだったの。帰ったら……おかあさんと……みっちゃんのお父さんが話してたの」
「え、お父さん?」
「そのとき、聞こえたの。『離婚するから、おまえと一緒になれる日も近い』って。みっちゃんはどうするのかってお母さんが聞いたら、あっちが引き取るから気にしなくていいって……。私、バレないように部屋に逃げたの。あの人は……8時回る前に帰ってった」

8時まで帰ってきてはいけない。そう言われていたのは、不倫をごまかすためだったのか。
お母さんは、その人たちに学童保育として使われていたのか。

何も言えないわたしに、ホナミちゃんは自嘲気味に言う。

「私の今のお父さんは、みっちゃんの前のお父さんなの」

気持ち悪いと思った。
堂々と不倫してたお父さんも、いいようにお母さんを利用したホナミちゃんのお母さんも。

「……なんで、ずっと友達なんて言ったの?」

口から出せた言葉は、ホナミちゃんを悲しませただろう。だが、制御はできなかった。

「ホナミちゃんのおかあさんと不倫してたなら、お父さんをホナミちゃんに取られたって、わたしが思ってもおかしくないよね? それでも友達でいられると思ったの?」

別にお父さんを取られたから嫌だとは思ってはいなかった。当時すでにお父さんは家に帰るのが遅かったし、お母さんと静かに言い争ってるのは知っていたから。
方向性の違いなんて、バンドの解散みたいなことをお母さんは言ってたけど、不倫してたこともきっと知っていたんだろう。

理由なんてどうでも良かった。
でも、わたしだけが知らなかったのは、悔しかった。

「思わなかったよ」

ホナミちゃんはつぶやいた。

「だから、せめてこれを、渡したかったの」

ホナミちゃんはまたシールを撫でた。

「当時の私のいちばんのお気に入り。好きな人に送りたいって、ずっと思ってたシール。好きな人ができるまえに、みっちゃんにあげちゃったけど」

ホナミちゃんは恥ずかしそうに笑った。
わたしは何も言わなかった。言えなかった。

お気に入りだなんて、好きな人にあげたいって思ってたなんて、今まで知らなかった。
なんでそんなものをわたしに。

ホナミちゃんは私のノートとシャーペンをとった。
端っこになにか書いている。

『勿忘草』

「漢字だとこう書くんだよ。忘れることなかれ。忘れるなって意味。花言葉も、『私を忘れないで』なの」
「私を……忘れないで……」
「私はみっちゃんに忘れないでほしかった。友達でいられなくても、お父さんを盗った泥棒として見られても、それでも私は、みっちゃんと遊んだ日々が、大好きだったから。恨まれてでも覚えててほしかった」

不倫のこと黙ってたのも恨まれポイントだったかな。
なんて、苦笑しながら付け加える。

だいぶ愛されてたんだな、わたし。

話を聞いても、わたしだけ知らなかった苛立ちと一部の人への嫌悪しか浮かんでいない。
ホナミちゃんのことを恨む気持ちなど浮かんではこない。
わたしはため息をついた。

「さっきまでは綺麗な思い出だったのに、一気にけがされたよ、まったく」
「ごめんね」
「あの町ってだいぶ遠いけど、今は何してんの?」
「……友達のお父さんがいる家なんて居心地悪すぎるからここら辺で一人暮らししてるよ。同じ大学。何回か見かけてるよ」

ついでに私、ここでバイトしてるの。
ホナミちゃんは悪戯っぽく笑う。
そりゃ声かけられるわけだ。わたしは降参したように両手をあげてひらひらさせた。

「結構通ってたのに気づかなかったなぁ……」
「みっちゃんいる時は裏での作業にしてもらってたから。これからはもう隠れないつもり。店長、それでお願いします」

ホナミちゃんはカウンターにいた店員さんを見る。
店員さんはニコニコしながら、指でオッケーサインをだしていた。
あの人、店長なのか……知らなかった……。
ひっそりと驚いていると、ホナミちゃんは安心したように息をつく。

「お母さん、元気?」
「元気も元気だよ。再婚とかはするつもりないみたい。あ、今から時間あるなら家来ない? お母さん休みだし」
「いや……会っていいのそれ……」
「引っ越すときに『ホナミちゃんは連れていけないかしら……』って言ってたくらいだし大丈夫だよ」
「みっちゃんのお母さん、懐広すぎない……?」

わたしはノートたちをカバンに入れた。
立ち上がって、ホナミちゃんに笑いかける。

「今日は水曜日だから、一緒に帰れるね」

ホナミちゃんも嬉しそうに頷いてくれた。
全然違う町なのに、小学生のときの懐かしさが蘇る。
家ではお母さんがホナミちゃんとわたしのためにお菓子をつくり、3人でゲームをして遊び、夕飯をわいわい食べ。

「今日の夕飯なんだろうねー」
「私、久々にコロッケ食べたいなぁ」
「グリンピース抜き?」
「もう食べられるようになったよ! 子供じゃないんだから!」

そんなことを言いながら、わたしたちは家に帰っていった。



おわり。

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