奈都

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お題「溢れる気持ち」



「こちら、お代です」
「毎度どうも」

女は私に金を渡して、店を出ていった。
ぼんやりとした顔をしているが、この店に来た人間は必ず帰る時にそういう顔になっているので気にならない。
受け取った金を金庫にしまっていると、飼い猫のミケが足に擦り寄ってきた。

「おまえはかわいいねぇ」

私はミケを撫でる。すると、視界の隅にオレンジ色のランプが灯る。
ふと、先ほど出ていった客を思い出し、私はため息をついた。ランプが緑色に変わる。

「人間には生きづらい世の中になったよねぇ。私も猫になりたいなぁ」

ミケは何も考えていないように、みゃあとかわいく鳴いた。



物心ついた時から、私の視界には小さなランプが表示されていた。
それは私だけでなく、世の中全ての人に表示されるものだ。
話によると、産まれてすぐにこのランプが表示されるように体にチップが埋め込まれるらしい。

そのランプは、オレンジ、緑、青の3種類に変化するもので、自分の視界の隅だけでなく、視界に入っている全ての人間の頭の上にも表示される。

ランプはその人の心の状態を表す。
ポジティブな感情の時はオレンジ、ネガティブな感情の時は青。その間を揺らいでいるのが緑。

つまり、私たちは三つにカテゴライズされた気持ちを世の中に溢れさせて生きている。そう生きる以外、術がない。

「さっきの人もバリバリ青かったねえ。あ、ミケには見えてないのか」

ソファに座ってミケを撫でながら記憶を遡る。
この店に入ってくる人はみんな青いランプをしている人しかいない。
みんな口を揃えて言う。
「青いランプにならないようにしてください」

先述したとおり、青いランプはネガティブな感情を示す。それは脳波とか血流の乱れとか細胞とか、諸々の動きを測って表示される。
自分だけに見えるのであれば思考の偏りの改善などにも役に立ちそうなものだが、残念ながらこれは他者にも見えてしまう代物だ。というより、それを目的としている。

心の病を発症する人間や自殺する人間が多くなりすぎたことへの、世界の対処方法なのだ。
『人の心を可視化させて、危険状態になるまえに対処しよう』
そんな善意たちが研究に研究を重ねた成果。それが私たちに入っているチップであり、自分と他者の気持ちランプだ。

世の中としては賛否両論ではあったが、一つの国が始めると、それに倣って続々と使用国が増えていった。
今ではどこにいっても誰にあってもランプが見える状態となっている。

そんな中で生きづらくなっているのが、『危険状態』の人間だ。
彼ら彼女らは、すでに心の病を抱えている人やその一歩手前の人、後ろめたいことがある人など、様々ではあるが、誰もが周りに精神状態を見られたくない人たちの集まりである。

政府としては、そういう人間のために埋め込まれたチップなのだから活用するしかない。
街中で青いランプの人間がいればまず間違いなく聞き取り調査が行われ、個人情報を確認され、精神状態の検査が行われる。それは通院生活や入院生活の始まりであり、下手をすれば牢屋生活の始まりである。

そうして治療費が嵩んだり仕事を辞めさせられたり、生活が困窮していく人があとをたたない。
そういう人たちのために作られたものが、そういう人たちを苦しめている。見えるのが医者だけであればよかったのに、と私は思う。難しいことなのだろうが。

だからこそ、そういう人たちは願うのだ。「青ランプが点灯しませんように」と。
「あなたならその治療ができるんですよね」と縋るのだ。

私はその願いを叶える仕事をしている。
大きな声で言えた話ではないが、客の感情をぼかすのだ。薬とカウンセリングで。
カウンセリングという言葉はこの場合使ってはいけないかもしれない。洗脳だ。

さっきの客はどうやら家庭に不和があったようで、夫のことを考えるとすぐに青くなってしまうと言っていた。
だから、夫の嫌なところを挙げてもらって、片っ端から夫を擁護するように、それが嫌なことではないように思考を誘導していく。
さっきの人はそれでは足りなかったので、薬剤の投与も行なった。

だが薬剤によって直していくのは思考ではない。
『感情』を壊していくのだ。

まるで毒が体に回っていくように、自然と、だれも気づかないくらいにゆっくりと、感情を司る脳の部位を壊していく。
客がぼんやりとして帰っていくのは、その薬のせいだ。

だがこの薬は完全に非合法のもので、なんなら私と私の親友が手がけたものである。命の危険もあるので、ここの店でしか投与しないし、高頻度で投与するわけにもいかない。
一応客は、命の危険があることを承知の上で治療を求める。
きっと彼らにとっては、ランプがある状態で生きるくらいなら死んでもいいのだろう。

「やさしさはうまくいかないものだねぇ」

私は膝のミケを撫でる。気持ちよさそうに目を瞑っている彼女に思わず笑みがこぼれる。
そのとき、奥の部屋から男がやってきた。

「大繁盛ですね、この店。街中でここの噂してるご婦人いましたよ」
「それは困ったねぇ……また移転しなきゃかなぁ」

移転する場合、今まで通ってた客には謝罪にいくが、新しい店を教えることはない。
もともとのお客さんがいると心強くはあるが、噂が広まるのが早くなる。
そうなると、グレーゾーンな仕事をしている私たちは仕事ができなくなるどころか、お縄になってしまうだろう。

困ったねえと笑うと、私の親友であるその男は弱々しい声で提案をしてきた。

「次は……すこし南にある街にしませんか? 水も土もいいので、おいしい野菜食べ放題ですよ」
「それはいいねぇ、ミケのご飯もランクが上がるかもねぇ」
「ミケもそうですが、先生もおいしい食事にありつけますよ。僕、料理のレパートリー増やしときますから!」
「それは楽しみだなぁ」

私が笑うと、ミケも可愛らしく鳴く。私の可愛い家族のひとり。
灯りに囚われない、私たちとは違う存在。

「そうと決まれば引越し準備かぁ。シンヤくん手伝ってくれるかい?」
「もちろんです、というより、僕だって先生についていきたいんですから置いてかないでくださいよ」
「君は優しいねぇ。この老いぼれは荷物をまとめるのも一苦労だからねぇ。必要なものは今のうちに買わなきゃね」

私は手近にあった紙を広げて、買い物リストを作る。
猫のケージ、猫の餌の予備、水分多め、食料多め、薬の材料……。

「一番大事なの、抜けてますよ」

私の親友が手渡す。それは、客にも投与している薬だ。私たちも基本的に青色ランプの人間だから、外に出かける時は誤魔化すために服用しなければならない。
ランプは正常になるが、思考能力も下がってしまうため、旅行で使うのは危険な代物だが、仕方ない。

「ありがとう、君もちゃんと持ったかい?」
「もちろんです。明後日には着く予定ではありますが、多めに準備はしています」
「さすが、仕事が早いね」
「先生の助手ですから」
「私からしたら親友なんだけどねぇ。若い子じゃないと親友にはなれないかぁ」
「助手かつ親友なんですよ、そして家族です」

親友はミケを抱きあげる。頬をなめるミケはとても可愛い。だいぶ懐いてくれたようだ。

家族。親も兄弟も青ランプの人間だったため、もう私には血のつながった家族はいない。タイミングは違えど、みんな自死を選ぶことになった。
だからこんな仕事をしているのかと言われると、なんとも微妙などころではあるが。
血のつながりで考えると家族はそんな状況だが、血のつながりはなくても、ずっと一緒に暮らしてきた彼もミケも、私の家族になってくれた大切な人たちだ。

「家族なんだから、ちゃんと私の技術を引き継ぐんだよ。まあ、それがお客さんにとっての救いかどうか判断するのは君だから、技術を得た上で仕事として続けるかは君の自由さ」
「自分はもうおじいちゃんだから、って引き継いだ直後に逃げないでくださいよ」
「逃げるか逃げないかは、私次第さ」

笑いながらソファから立ち上がる。
ここにある仕事道具たちをどうにかまとめて、早めに引越しをしなければ。

こうして引っ越すのはもう何度目かわからない。
だが、引っ越す先々で繁盛してしまうため、この世の中に限界を感じている青ランプの人たちは大勢いるのだろう。

そんな人が少しでも苦しまないように。親友と考案した薬が、頭を壊す薬だった。

やさしさとはなんだろう。救いとはなんだろう。

荷物を整理しながら私は彼を振り返った。


「もしも私があの薬でおかしくなってしまったら、そのときは追加で投与して死を与えるんだよ」

彼は私を振り返らなかった。ミケが小さく鳴く。
荷物整理を進めながら、彼はぼそりと返事をした。

「そんなことに貴重な薬を使えないんで、おかしくなっても生きててください」

私も作業に戻る。
彼は優しい。私がおかしくなってしまったら、きっと彼は私のそばで介護をしてくれるのだろう。辛い思いをしながら、私のことを看取るのだろう。

私はぼんやりと窓の外を見た。
空は明るい。クリームパンのような雲が浮かんでいる。鳥の囀りも聞こえる。子供たちが元気に遊ぶ声も。

新しい場所で、彼には私以上の大切な存在と出会ってほしい。
青春というものをすべて研究に費やしてしまった彼は、色恋というものを全く知らない。
私でさえ恋人の一人や二人いた時代だってあったのに、この時期にそれができないのは少し寂しい。

私みたいな老いぼれを看取るより、まだ見ぬ恋人との仲睦まじい生活のほうを彼には選んでほしい。
恋人でなくても、なんでもいいのだ。私でなければ。


さっき彼が振り返らなかったのは、自分の感情を見せたくなかったからだろう。完全に顔を見えない相手にはランプは映らない仕様になっているのだ。

私も、そのときに彼が振り返らなくてよかったと思った。
私のランプは、これでもかというほど真っ青だった。
ミケは私に近づくと顔をじっと見つめてきた。
心でも透かされている気分になる。私はあわてて作業に戻る。

「まったく、生きづらい世の中だねぇ……」

いつかこのチップを取り除ける日が来ればいいのに。
何度思ったかもうわからなくなってしまった願いを心に閉じ込めて、私たちは黙々と引っ越し作業を進めるのであった。


おわり。

2/5/2023, 3:50:43 PM