奈都

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お題「Kiss」


「投げキッスを恵んでください」
「嫌です」

私の土下座付きのお願いは、即答で拒否された。
彼は私の恋人。恋人という関係ではあるが、私としては、推しとファンの関係。手の届く場所にいる推しみたいな、そんな存在。

だから本来直接要求をするなんておこがましいのだが、うちわに「ファンサして」とか「あいしてる」とか書いて振ってても無視されるのだ。
だから仕方なく、土下座ということで甘んじている。

「そんなんじゃファンが離れていっちゃいます! いや、でもツンデレ方向にいくならたまに恵んでくれる方がいいかも……それに拒否するコウくんかわいい……」
「先輩に投げキッスのために土下座させてるの見られてる時点で、ファンどころか友達も離れていきますよ……やめてください」
「だって……! そうしないとファンサしてもらえないかなって……!」
「僕はアイドルじゃないんですって……あと、一般人がうちわ振られてるの頭おかしい状態なんでそれもやめてください……」
「困った顔もすてき……」
「話聞け」
「命令口調も良い……」

土下座したまま拝んでいると、目の前からため息が聞こえた。
呆れたような顔。睨め付けるように私を見つめるコウくん。
最高としか言えなかった。

コウくんという幸せに浸っていると、コウくんとは違う声が聞こえてきた。

「まーた桜庭いじめてるんですかー? 先輩」

八重歯を見せて笑う女の子。この子はコウくんと同じクラスの佐藤さん。コウくんとは仲良しのようで、家宝レベルの写真を撮ってきてくれる。
聞いたところ幼馴染のようだ。

「佐藤も言ってやってよ……僕はアイドルじゃないんだって……」

すがるように佐藤さんを見つめるコウくん。最高に可愛い。
捨てられた子犬のようなコウくんを、佐藤さんは容赦無く切り捨てる。

「先輩は私のお得意様なんだから。桜庭側にはつきませんー」
「お得意様って……」
「ところで先輩、新しいの撮れたんですけどいかがです? 150円で」
「買い、だね」
「なに人の写真売買してるの……!?」

私の差し出した小銭を受け取り、佐藤さんは「まいど!」といい笑顔を返す。この子も可愛いけど、私には心に決めた推しがいるから揺らぐことはできなかった。

佐藤さんから封筒を受け取ろうとすると、横から手が伸びてきた。封筒ではなく、私の手首を掴む。
声にならない悲鳴をあげた。

失神しかけているなかで、ぼんやりとコウくんの声が聞こえる。

「僕は! 先輩と! 普通に恋愛したいんです! こんな……お互いの写真を他の人から買ってるのは……普通じゃないんです……!」

そっか、恋人だもんね、そうだよね。
頭の中の冷静な私が目を回しながら言っている。
お互いの写真を買ってるなんて、たしかに恋人とは言えないのかも。と、思ったところで気づく。

「えっと……お互い、ですか?」
「あ」

コウくんは固まった。すぐに目をうろうろさせて、「それは……その……」ともじもじしている。そんな姿も愛らしい。百点満点。

思わず拍手を送ろうとしたところで、佐藤さんが私の肩を掴んできた。

「先輩には内緒だったんだけどねー、実はこいつも先輩の写真、あたしから買ってるんですよ」

によによとした顔が隣にくる。途端にコウくんの顔が熱でも出したかのように真っ赤になった。

「おまっ……、それは言わない約束って……!」
「いま自分で口滑らせたんじゃーん。もう取り返しつかないって」

じゃあお邪魔虫はこれでー。と言って、佐藤さんは教室に戻っていった。

残されたコウくんは真っ赤のまま俯いていた。
私も顔を上げることができなかった。

コウくんが私の写真を買っている……?
裏紙に使うとか……? いや、150円払ってなんでわざわざ光沢紙を裏紙に使うか……?
私と同じ理由なんて都合のいい話はないはずだし、何よりみんなのコウくんが私だけを見てしまったらそれこそ抹殺されてしまうしさすがにないだろうし……
やっぱりいざってときに裏のツテで私を社会的に抹殺……?

色々考えていると、震える声が聞こえてきた。

「先輩のせいですよ……」
「な、なにがでしょうか……?」
「先輩が! どこに出かけても隣を歩いてくれなくて! ツーショットも撮らせてくれなくて! なんなら会話もかしずきながらするから! 先輩との写真欲しくても自分で撮れないから! あいつをたよるしかなかったんです!」

なにか、私に都合の良すぎる文句が飛んできた気がした。これがツンデレを習得したコウくんの力か……。
私は廊下にひれ伏す。
「だからそれやめてってば!」というコウくんの怒声が聞こえる。耳が幸せになる。
幸せすぎて意識が飛びかけていたが、こんなんでもコウくんが恋人と認識してくれているので、私もそれ相応の返事をしなければならない。
いつまで経っても、コウくんに幸せをもらってばかりではいられないのだ。

私は立ち上がってコウくんの前に立った。
恥ずかしさで潤んだ瞳に「かわいい!」とキレかけたが、どうにか抑えた。
深呼吸をして、気合を入れる。

「コウくん」
「はい……」
「一緒に……写真、撮りましょう」

コウくんが目を丸くする。可愛すぎて連写したいくらいだった。もうダメだが、後少し耐えなければ。

「あそこのダンボール、被っていいなら、いくらでも」
「ダメです!」

コウくんが勢い任せに私の頭を叩く。
怒った顔も、自分の力の強さを自覚できてないところも好き……。
意識が遠のく中、私はコウくんへの愛に満たされていた。



気づいたら保健室で寝ていた。
ああ、廊下で倒れたんだっけ。
ぼんやりとした頭で考えて辺りを見回すと、すぐそばにコウくんが座っているのが見えた。
目が合う。
不安気なコウくんも可愛い。
コウくんは、小さな声で言う。

「殴ってすみませんでした……あんなに強くやるつもりはなくて……本当にすみません……」
「ご褒美だったので大丈夫です、むしろありがとうございますというか私が目覚めるまで待ってくれてたとかもう幸せの骨頂すぎて近いうちに死ぬんじゃないかと思うくらいで」
「死なないで! そうやってすぐ僕を持ち上げないで!」

慌てているコウくんもかわいい。
実際に思ってることを言ったりやったりしてるだけなのだが、コウくんは、私がコウくんを持ち上げたくてこんな行動をしていると思っている。
コウくんがみんなから愛されているのは確定事項であるから、コウくんの素晴らしさを私がみんなに伝える必要などないのに。

ちょっぴり、コウくんは自己肯定感が低い。
そんなところもかわいいのだが。

「先輩は……本当に僕のことが好きですか……?」

弱々しい声がした。コウくんは下を向いたままだ。膝に拳が握られている。

「もちろん大好きです。そろそろグッズ作成に取り掛かろうと思ってたくらいで……」
「それは……恋愛感情じゃないですよね?」

コウくんが私をじっと見つめている。
その視線だけで死にそうではあったがどうにか耐えた。

たしかにコウくんは私の推しである。何をするにも全力で応援したいし、ファンサもしてほしい。グッズが出れば買うし、写真集出ないかなとか思っている。

だけど、ちゃんとというのもあれだが、ちゃんと、恋愛感情だって抱えている。
でも、彼は推しだ。神聖な存在だ。私なんかが触れていい存在ではない。それはコウくんへの冒涜だ。

だから逃げるしかない。
コウくんに告白されて、舞い上がって了承してしまったが、恋人になれたといえどコウくんを穢してはいけないのだ。

「恋愛じゃない気持ちもたくさんありますが……恋愛の好きはちゃんとあります」
「じゃあなんで……」
「コウくんを穢してしまうから」

コウくんは目を丸くした。かわいい。と思っているうちに、コウくんの体から怒気が溢れてきた。
こんなに怒ることなんて今までなかった、と喜ぶ反面、怒らせてしまったと不安になる。

コウくんは何か言おうとして口を閉じた。
すう……はあ……。何度か深呼吸をして、私に向き直る。
まっすぐな瞳はとても美しくて、とても格好良かった。写真におさめたい気持ちを押し込んで、コウくんの言葉を待つ。

「穢すのは……先輩が僕に触ってしまうと?」

コウくんの問いかけにとりあえず頷く。
コウくんは椅子から立ち上がり、ベッドに膝を乗せた。
急に距離が近くなる。
固まっていると、コウくんは私の顔にぐっと顔を近づけて囁く。

「なら、僕から先輩に触るのはありですよね?」

答えるまもなく、コウくんの顔が近づいてくる。
思わず目をつむった。唇に柔らかな感触がして、すぐなくなった。

ゆっくり目をあけると、イタズラっぽく笑ったコウくんが私を見下ろしていた。

「どうせなら、投げキッスじゃないキスを要求してくださいよ」

すとん、とコウくんが床に足をつける。

「そろそろ昼休み終わるので、僕は行きますね。帰り、よかったら一緒に帰りましょう」

そそくさと出ていくコウくん。
見たことのないコウくんの顔が、触ったこともないコウくんの唇の感触が、かけられた覚えのない息が私の体に蘇る。
急に体が熱くなってきた。

「格好いいよ……コウくん……好き……」

私は頭を抱えて、布団にうずくまった。



おわり。

2/4/2023, 3:52:14 PM