「おまたせ。」
夕暮れ。
日が落ちかけてて、少し暗くなって来た頃。
声の主は、昇降口の方から白い息を吐きながら走ってきた。
『大丈夫だよ、私もさっき来たから。』
「嘘つけ。」
ほっぺを両手で包まれる。
顔が一気に近づいて、心臓がドクンッと跳ねた。
「やっぱり冷えてる。鼻も少し赤いし、結構待ったろ。」
『……10分くらい?』
ドキドキしてるのを悟られたくなくて、目を逸らして答える。
「ちょっと待ってて。」
タタっと先を少し走っていった。
ほっぺたをそっと両手で触る。
温もりがまだ残っていて、ほのかに温かい。
心臓はまだ鳴り止まず、うるさかった。
彼は幼なじみで、見慣れた顔のはずなのに。
手なんて幼い頃に何度も繋いで、お風呂だって一緒に入った事あるのに。
彼が私の名前を呼ぶ度に、心臓がうるさいのはどうしてなんだろう。
彼が触れる度に、顔が熱くなるのはどうしてなんだろう。
こうして一緒に帰っているのも、幼稚園からの腐れ縁で中学生の今でも変わらない習慣となっているだけだ。
お互い用事がある時以外は、一緒に帰る。
時間帯もそんなに変わらないはずなのに、一人で帰る時と景色が変わって見えた。
「ほら。」
考え事をしていると、彼が缶飲料を渡してくる。
そっと受け取ると、思ったより熱く顔をしかめた。
『あつっ』
「熱い?タオル巻く?」
『大丈夫。』
制服の袖を少し伸ばして、手を少し覆った状態で缶を持つ。ちょうどいい温度になりほっとする。
『ありがとう。』
「冷めないうちに飲んどけ。」
お言葉に甘えて飲もうと思い、缶を改めて見る。
『コーンポタージュ……』
「あれ、好きじゃなかったっけ?」
『ううん。好き。……覚えててくれたの?』
「そりゃあ、お前の好きな物は全部知ってるよ。」
そう言ってはにかんで笑う。
夕日に照らされていて、とても綺麗だった。
その顔にまた、心臓が大きく跳ねる。
顔を見るのが恥ずかしくなってしまって、そっぽを向いて缶を開けた。
「ん?どうした?」
『な、なんでもないよ。』
そっぽを向いたまま答えたからか、彼が不思議そうに覗き込んでいるが、意地でも顔を見られ無いように隠す。
そろそろ隠すのも厳しそうだな、と思いながら啜ったコーンポタージュは、いつもより甘く感じた。
#何でもないフリ
『……あれ?』
目が覚める。見慣れた白い天井。私の部屋だ。
それなのに違和感がある。
ムクリと起き上がり、部屋を見渡す。
物が散乱した机、子供の頃から使い古した棚、しっかり閉じた押し入れ。部屋のものは何も変わらない。
気のせいかな、と思い時間を確認しようとした時にやっと違和感の正体に気づく。
普段ある場所に時計がない。
向かい、逆側の壁にかけられている。
『逆さま……になってる。』
よく見てみれば窓の位置も、机の場所も全てあべこべになっていた。
上下までは入れ替わってはいないものの、配置だけ逆になっているとやはり違和感を感じるようだ。
誰がこんなことを……と思いつつ、とりあえず自分の部屋を出ることにした。
階段を降りて、居間の方へ足を運ぶ。
ガチャリと居間と廊下を繋げているドアを開けた瞬間、固まってしまった。
家具、間取り、全ての位置が私の部屋同様逆さまになっていた。
入ってすぐの右側にキッチンに繋がる通路があったはずなのに、左側にキッチンがある。
テレビの位置も向かいにあったソファーと入れ替わっているし、向かって若干左側にあったダイニングテーブルも今は右側にある。
自分の部屋だけでも奇妙なのに、居間までこうだとさすがに気味が悪い。
しかし、庭に繋がる大きな窓の位置は変わっていないところを見ると、無理なあべこべは無いようだ。
だとしても違和感は拭えないが。
「起きたの?」
聞きなれた声がして振り返る。
そこには見慣れた格好をした母がいる。
だが、何かがおかしい。
『あ、おはよう。お母さん、部屋どうしちゃったの。』
違和感を覚えつつも、母に話しかけると、その違和感は確信に変わっていく。
「部屋?何も変わらないでしょ、馬鹿なこと言わないでちょうだい。」
母は私を冷たくあしらい、キッチンに戻っていってしまった。
普段の母からは聞かない低めの声。
いつも優しく笑顔で答えてくれるはずなのに、無表情。
部屋の間取りとか家具の位置とか、そんなのどうでもよくなるくらい、一番の違和感だった。
いつも温厚で優しい母から “馬鹿” と言われたのが割とショックだったようで、ヨロヨロと朝食のあるテーブルに向かう。
朝は洋食が多いのに、今日は和食。
ご飯と味噌汁、お魚。
ここもあべこべなのか……と思い食べようとした時に、最悪の予想が頭をよぎる。
もしご飯もあべこべだとするならば。
母は料理上手で、美味しいご飯を作る。
でも今の母は全て逆さま。
という事は、このご飯……。
恐る恐る、ご飯を口に運ぶ。
美味い。
普通に炊きたてのご飯だった。
#逆さま
ハァー……
空に向かって息を吐いた。
もくもくと白く吐き出されるのを見て、改めて冬が来たのだと実感する。
『寒……。』
身震いしながら、前へと一歩踏み出した。
昼間は太陽が夏と比べて柔らかく、ひなたにいればぽかぽかと心地よくなるが、太陽が上にない朝と夜の時間はとても冷える。
今時刻は朝の四時。
まだ日は昇っておらず暗い。
車も人通りも無く、世界に一人取り残されたような気分。
まだ日が昇らないこの時間を、ゆっくり散歩するのが好きで、外に出る。
キョロキョロと周りを見ながら歩いているので、傍から見れば不審者にしか見えないであろう。
しかし、こうして周りを散策するのが好きなので、やめてと言われても困るのだが。
フラフラと歩いていると、見慣れた明かりが視界に入る。
『あっ、コンビニ……。』
吸い寄せられるように中へ入った。
中は暖かくなっていて、ずっと居てしまいたくなる。
レジの近くを見ると、肉まんが売られている。
『肉まん……』
見た瞬間、お腹から腹の虫の声がする。
私は静かにポケットから財布を取りだした。
『いただきまーす。』
ほかほかの肉まんを頬張る。
(あったか……。)
若干熱い肉まんを、寒い外で頬張るのも冬の風物詩な気がする。
改めて冬のはじまりを実感しつつ、肉まんをペロリと平らげた。
『さ、元気もらったし、帰ろーっと。』
気づけば空が明るくなってきている。
私は温まった体が冷えないうちに、帰路につくことにした。
#冬のはじまり
僕の名前はポチ。
数年前に、仲良くしてくれたおじいちゃんが名付けてくれた。
ある日、公園のダンボールの中で暖をとっていたら、見つけてくれたおじいちゃんが、お家に入れてくれてミルクをもらったんだ。
それから毎日、おじいちゃんは僕のところに来て、お家に連れていってくれたの。
僕が花瓶を割っても、ティッシュを出したりしても、ニコニコ笑って片付けてくれるんだ。
だんだん申し訳なくなって、イタズラはすぐにやめて、おじいちゃんが喜ぶような事をしたくなったの。
お花を取ってきたり、お気に入りのおもちゃを貸したり、毛づくろいしたり。
おじいちゃんは 「ありがとう」 って頭を撫でてくれる。
僕はそんな優しいおじいちゃんが大好きだった。
そんなおじいちゃんと一緒にいる中で、一番好きな時間はお散歩の時間。
晴れてる時、太陽の下を歩くのが最高に気持ちいい。
近くの公園で休憩して、また歩いて、そうして一緒に散歩するのが、僕にとって一番幸せだったの。
だって、おじいちゃんも僕も一番笑ってる時間だったから。
だけどある日、おじいちゃんは僕のいる公園に来なくなった。
おじいちゃんの家のそばに行ったけど、黒い服の人達が多いし、白い大きな看板が立ってたけど、字が読めないから分からなくて。
ただ、おじいちゃんに会えなくなったのだとわかった。
その日から一、二年経った。
僕も動けなくなって、公園のダンボールで過ごすようになった。
お腹も空かなくて、一日中ぼんやりする毎日を送っていた。
ポカポカと日向にあたっていると、おじいちゃん散歩していた時を思い出す。
そうそうこのくらいの温かさだった……。
「ポチ」
いつも聞いた声がする。
声の方をむくと、おじいちゃんがいた。
ずっと会えなかったおじいちゃん。
ずっと会いたかったおじいちゃん。
そこには前と変わらない、笑顔があった。
『おじいちゃん!!』
ワンっと鳴いて、おじいちゃんに駆け寄る。
おじいちゃんは優しく抱きとめてくれた。
「よく、頑張ったなぁ……」
うん、僕頑張ったよ。おじいちゃん。
おじいちゃんの手が、ゆっくりと僕を撫でてくれる。
その手はとても温かくて、太陽の匂いがするんだ。
そして僕は、おじいちゃんの腕の中で眠りについた。
#太陽の下で
『うーん、まだまだ奥かぁ?』
ザクザクと、シャベルで地面を掘っていく。
「子供が埋めたんだから、もう出てきてもいいと思うけどな。」
「誰かに取られてたりしてな笑」
ハハハ、と笑いながら一緒に地面を掘る男二人は、俺の友人。
今日は、子供の頃三人で埋めたタイムカプセルを、大人になった今掘り返しに来たのだ。
『にしても、まさかお前ら結婚してるなんてさぁ。』
地面に視線を向けつつも、友人二人に絡む。
二人とも良縁に恵まれ、昨年結婚したのだ。
仲の良い奴らめ。
「まぁな、良い相手に出会えただけだよ。」
「そうそう、お前だって付き合ってる子いるんだろ?」
二人とも照れくさそうに、俺へと話の矛先を向ける。
『いるんだが、結婚はまだ先かなぁ。』
向けられた矛先をかわしながら、そのまま掘り続けた。
ガギンッ
今までの柔らかい感触から一変、硬い何かが当たったのか、高い音が響く。
『お?』
「これはもしかして……」
シャベルを横に置き、パラパラと土を払うと、銀色が頭を覗かせた。
「やっと見つけた~!!」
三人で周りの土を除いていき、徐々に埋もれていたものが姿を現す。
『は、懐かしいなぁ。』
カシャン、と軽い音を立てながら出てきたのは、銀色のブリキ缶。
蓋には紙が貼ってあって、俺ら三人の名前と「絶対に開けるべからず」の文字。
「早く開けようぜ。」
缶の周りについた土を丁寧に払い、蓋を開けた。
中には、当時好きだったアニメのシールや、0点のテスト、好きだった子に渡せなかった手紙など、子供の時の思い出が沢山詰まっていた。
「お前、0点のテストって……隠すために入れたのかよ笑」
「うるせぇな、お前だってそれ渡せなかったラブレターじゃねぇか。黒歴史缶にする気か?」
ギャーギャーと騒いでる友人二人を横目に、中のものを取り出していく。
よく読んでいた本、玩具のミニカー、友達とお揃いで買ったキーホルダー。どれも、かつての青春を思い出させるものばかり。
『……くだらないものかもしれないけどさ、』
俺の言葉に、友人達がピタリと止まる。
『全部、子供の頃の宝物だよな。』
どれを見ても、昨日の事のように情景が浮かぶ。
他人からすればガラクタに見えるかもしれない、でも、俺らにとっては、キラキラした思い出だ。
「そういえば、何でここにタイムカプセル埋めたんだっけ?」
「確かに、別に思い出の場所でもないよな。」
『あぁ、それはだな……』
横の方を指さすと、その指の方を友人たちは見る。
そこには、地元を一望できる景色と、真っ赤な夕焼けが見えた。
「おぉ、すげぇ……」
『子供の頃、一人で歩いてる時にここ見つけて、同じように夕焼け見てさ……』
親と喧嘩しただか、理由は忘れてしまったけど、とにかく、気分が落ち込んでいる時に見たのがこの夕焼けだった。その時もとても綺麗で、言葉じゃ言い表せないくらい感動したのを覚えている。
一人で見ても美しかったが、やはり、
『お前らにも、この綺麗な夕焼け見せたかった……から。』
夕焼けに当てられているせいか、変に顔が熱くなる。
今まで気にしていなかったが、なんとなく意識すると恥ずかしさが湧いてきた。
友人二人は顔を背けていたが、耳が赤かったのできっと顔も同じだっただろう。
「お、おま、そういうロマンチックなのは、彼女さんにやれよ!!」
「そうだぞ!!だから結婚できねぇんじゃねぇの!?」
『それは今関係ないだろ!?』
ギャーギャーと騒ぎ、取っ組み合いを始める。
昔からある馴れ合いだが、いつもと違ってみんな顔は不思議とにやけていた。
『結婚祝いに、今日はご飯奢ってやるよ。』
「お!!まじで??」
「焼肉?寿司?」
『馬鹿野郎、いつものファミレスだわ。』
ケチくせー、と言う二人を小突きながら笑う。
昔から変わらない時間。
前よりは集まりにくくなるだろうけど、これからも続けていきたい関係だと思う。
だって、俺にとっては、この二人はもちろん、一緒に過ごした時間全てが、大事な大事な “宝物” だから。
#宝物