鏡に映る自分が嫌いだった。
なんだか醜くて、汚くて。
鏡を見るのが嫌だった。
鏡を見れないせいで、オシャレなんてできない。
洋服も毎日似たような物を選ぶだけだった。
そんな風な生活をしているから、通う大学では気味悪がられている。
でもいい、“そう思われている”と分かっていれば、何ともない。思っても無いことを言われるから、ショックを受けるんだ。
それに、世の中見た目なのだから、見た目に気を遣わない私がどうこう言われるのは仕方がないのだろう。
そうやって、周りに期待せずに過ごしてきたある日。
「こんにちは。」
学食でお昼を食べていた時、急に話しかけられた。
声の方を向くと、ふわふわに巻かれた茶色い髪。
可愛く着こなされた服。綺麗に整えられた顔。
誰が見ても美人だと言うだろう、そんな人が目の前に立っている。
『えっと……。』
「ねぇ、いきなりなんだけどさ。」
人に面と向かって声をかけられるのなんて久しぶりだ。
いつも影でコソコソと言われてきたから慣れていない。
どんなことを言われるのだろう、と心臓がバクバク鳴り続ける。
目をギュッと瞑り、これから言われるであろう罵詈雑言に備えた。
「今日この後、私の家に来ない?」
『……へ。』
思ったような悪口が降ってこず、素っ頓狂な声が出る。
家?私が?この人の家に?……何故??
頭の中は疑問で埋め尽くされていて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思う。
「あ、ごめんね。私の名前は真帆(まほ)。住吉(すみよし)真帆。あなたにお願いがあるんだ。」
いや、名前とかはどうでも良くて、あ、どうでも良くはないんだが……いやそうじゃなくて……と、頭の中がぐるぐるする。
頭をぐるぐると悩ませていると、彼女は再び口を開いた。
「あなたを着飾らせて欲しいの!!」
『……は、い?』
目的を聞いてもなお、頭の中の疑問は消えてくれなかった。
『…………。』
結局言われるがままついてきてしまい、彼女の部屋へと案内された。
中はとてもシンプルだったが、メイク道具や掛けてある洋服、全身鏡といかにもオシャレが好きそうな子の部屋だった。
そんな彼女は、目の前で服を選んでいる。
「んー。やっぱり綺麗めがいいのかな……いや、それとも可愛い系か……」
洋服とにらめっこをしながら、ブツブツとなにか唱えている。呪文か?
「ねぇ。」
急に彼女が振り返り、話しかけてくる。
唐突のことで上手く反応できず、ワタワタと焦りながら返事をする。
『は、はい、』
「普段ワンピースしか着ないの?」
『服は、これしか着ない……から、』
「ふーん。」
彼女はそう言うと、再び洋服の方に視線を戻した。
一通り洋服を見たあと、うん、と頷いてこちらにやってきた。
「よし、方向性は決まった。とりあえずこれ着て。」
そうして出されたのは、普段履かないパンツスタイルの洋服。
『え、あ、あの……。』
「じゃあ部屋出てるから、終わったら声掛けて。」
すると彼女はスタスタと部屋を出ていってしまった。
ここまで来たら、さすがに着ない訳には行かず、もそもそと着替え始めた。
『着替えました……』
ドアに向かって声をかけると、間髪入れずにガチャリと開いた。
彼女は上から下までジーッと睨む。
睨まれているせいか、似合っていないんじゃないかと思ってしまい、何故か罪悪感まで湧いてくる。
『あ、あの…、』
「うん!やっぱりすっごい似合ってる!!」
さっきの睨んでいた顔とは打って変わって、にっこりと笑顔になった。
先程とのテンションの差についていけない。
「やっぱり似合うと思ったんだよねパンツスタイル!!いやぁ……私の目に狂いはなかった……」
ウンウンと頷きながら、ペラペラと語っている。
どうやら似合っていたようだ。
ほっと安心しているのもつかの間、気づけば目の前まで彼女の顔が迫っていた。
『えっ!?わっ、』
「あなた名前は?」
『え、あ、二宮 栞(にのみや しおり)、です。』
「しおりはどうしてこういう服着ないの??」
どうして。
単純に似合わないと思っているから、だけども……。
そう言ったら卑屈だと思われるだろうか……。
言葉を選んでいると、彼女はハッとして、
「あっもしかして色々余裕ないとか!?あ、えと、ごめん、あの……」
さっきまで強気だった彼女が急に慌てだす。
『へ、あ、違、そういう訳じゃなくて、あの。』
慌てる彼女の手を思わず掴んでしまう。
理由を問うてくる彼女の瞳に吸い込まれ、ポツポツと自分の言葉を紡ぎ始めた。
『その、私、容姿に自信が無いから。こんな素敵な服を着ても、似合わないんじゃないか、って。』
きっかけは、本当に些細なことだったと思う。
もう覚えていない。
でも、“私は醜い” そう思って生きてきたから。
だから綺麗な服を着るのは、私なんかじゃなくてもっと綺麗な人。
そう思ったら、着飾ろうとすることも自然となくなっていた。
考えていくとどんどん暗い気持ちになり、視線が徐々に下がっていく。
気まずくなってどうしようかと思っていると、今度口を開いたのは彼女だった。
「それは、キチンとおしゃれしてないからよ。」
ほっぺを掴まれ、下に向いた顔を上へ向かせられる。
自然と彼女と目が合う。
彼女の瞳はキラキラと輝いていた。
「一回でも試してみなきゃ。」
彼女は、カバンくらいの大きさのポーチから、メイク道具を取り出す。
「私が、しおりを可愛くしてあげる!!」
そう宣言してから早かった。
瞬く間に、化粧を済ませヘアアレンジもテキパキと進めていく。
目の前に胸の部分まで見える鏡があり、ふと自分の姿を見ると、今まででは見た事ないくらい綺麗な自分がいた。
『え、これ、私?』
「ふふ、もっと綺麗になっていくからねぇ。」
そう言いながらヘアアイロンを髪に当てていく。
そんな彼女、真帆の顔はとても楽しそうに見えた。
「はい!!完成!!」
全身鏡で改めて自分の姿を見る。
そこには、普段大学で見かけるような、オシャレな自分の姿。ほっぺや頭をチョンっと触らないと自分だと気づかない程、見違えていた。
『す、すごい……』
「絶対しおりは化けると思ったの!!……やっぱり素敵!!」
真帆は肩にポンと、両手を置いて一緒に鏡の私を見つめる。
「どう?これでも自分の容姿に自信ない?しおりは綺麗なんだよ。少し魔法をかけてあげれば、こんなに輝くんだから。」
『魔法……』
再び、鏡の中の自分を見る。
そもそも、こうして自分の姿を見れるようになっただけでも進歩だ。
醜いと思っていたあの顔から、ここまで変わったのだ。
ある意味魔法なのかもしれない。
『真帆は……魔法使いなんだね。』
「ふふ、そうだね……。さて、行きますか!!」
『え?どこに?』
「洋服買いに行こ!!それ以外にも絶対しおりに似合うやつあるから!!」
真帆に急かされ、部屋を出ていこうとした時、ふと鏡が見える。
そこに映る私は、とても幸せそうだった。
『……魔法、かぁ。』
その日から、私は鏡の自分を醜く見えなくなった。
#鏡の中の自分
スタスタと広い廊下を歩き、大きな扉の前でピタリと止まる。
扉を大きくノックすると、中から小さな声がした。
『失礼致します。』
声をかけてから、ガチャリと扉を開ける。
部屋は真っ暗なはずなのにベッドのそばのライトがついている。
あかりのそばに寄ると、主人が布団から顔を出してこちらを見ていた。
『お呼びですか、お嬢様。』
優しく声をかけると、ムスッとした顔で彼女は答える。
「どうして早く来ないのよ。あなたが来ないと眠れないじゃない。」
『代わりにメイドがホットミルクを持っていったと思うのですが……。』
「あんなのじゃ、眠れないわ。」
布団の中で、そばにあるぬいぐるみをぎゅうっとしながら主張する。ちなみに、彼女は来年から高校生だ。
『お言葉ですが、お嬢様も来年には高校生。そろそろおひとりで眠ることが出来ないと、厳しいのではないでしょうかね。』
彼女が小さい時から、ずっと寝かしつけてきた。
今日は忙しかったのでほかのメイドに頼んでしまったが、そろそろ大人になってもらいたい。
一人で眠るくらい、小学生でも出来る子はいる。
優しく諭すように伝えると、お嬢様は目を伏せた。
少し無言が続く。
やはり怒っているのだろうか。
彼女の反応を待っていると、ボソリと声がする。
「………………よ。」
『はい?』
「大人でもきっと、一人は寂しいものよ。」
そう言った彼女の瞳はどこか虚ろだった。
お嬢様は、一昨年に旦那様と奥様……お父様とお母様を亡くされている。
きっと、傷がまだ癒えないのだろう。
それが余計に寂しさを倍増させているのかもしれない。
今は旦那様の弟君が会社を経営なさっているが、そこからはお嬢様が会社の跡を継ぐそう。
そのために、普段の学業とは別に会社の勉強もされているそうだ。本当にすごいお方なのだ。
普段こうして大人っぽく過ごしているからこそ、こういう時は子供に戻りたいのかもしれない。
色々考えた結果、一息ついてお嬢様のベッドに腰かけた。
『今から昔話をしますから、聞いたら寝るんですよ。』
お嬢様は目をきらきらさせ、布団をかけ直して聞く準備を整えた。
俺はそんな彼女の頭を撫でながら、昔話を話し始める。
子供の頃に祖母から聞いた話を、ゆっくりと話していく。彼女が眠れない時はいつも、この話をするのがお決まりだった。
話し終わる頃には、彼女のスースーと寝息が聞こえてくる。
『まったく……敵わないな。』
気持ちよさそうに寝ているほっぺをふにっと掴むと、ペシペシと叩かれたが、また幸せそうな顔に戻る。
一体どんな夢を見ているのやら。
まぁでも、この笑顔が見れるのはある意味役得なのかもしれないな、とも思う。
旦那様や奥様がいない今、この笑顔を守れるのは俺ら使用人達しかいない。
絶対に守り通そうと、改めて決意を固めた。
ゆっくりベッドから離れ、ライトを消す。
真っ暗だが、何年も続けてきたため扉までは簡単にたどりつけた。
起こさぬように扉のノブを回す。
振り返るとベッドでモゾモゾしている彼女が、廊下からの明かりでほのかに見える。
『おやすみなさいませ、良い夢を。』
俺は静かに扉を閉めた。
#眠りにつく前に
「うっ……ふぅ」
泣き声と荒い息が聞こえてくる。
大好きな人の声だ。
いつもだったら外でしか聞こえないその声。
でも今は家の中で聞こえる。
なんて幸せなんだろう。
少し顔をのぞかせる。
私の姿に気づいたのか、ビクッと体を揺らし怯えた表情になる。
体はガタガタ震えつつも私を睨みつけていて、まるで子犬のようだった。
かっこいい顔は涙でぐしゃぐしゃだし、普段はスラッと背が高くて大きく見える彼が、手足を縛られ体育座りをしているせいか、小さく見える。
「お、まえ、誰、だよ。」
恐怖のあまり、声が出ないのだろう。
かろうじて聞き取れる程の声で必死に伺ってくる。
『ふふ、あなたのフィアンセだよ。』
頭を優しく撫でると、体をまたビクつかせて後ろへ下がる。
その姿がとても愛おしい。
『そうだ。お腹すいたよね。どれ食べたい?』
持っていたビニール袋を見せる。
『おにぎりだったらツナマヨと鮭、昆布も買ったんだぁ。サンドイッチもあるし、念の為お弁当も買ったよ、幕の内弁当。』
彼は状況が飲み込めないのかカタカタと震え、怯えているだけ。
『あ、でもぉ、一昨日食べてたよねぇ、おにぎり。具は鮭と昆布だったから、今日はツナマヨがいい?あ、夜ご飯も幕の内弁当だったか。じゃあこれは私食べちゃうね。』
彼の顔がサァ…っと青くなる。
君のことならなぁんでも、知ってるよ♡
『あ、そうだぁ。』
カバンをガサゴソと漁り、一つ紙袋に包まれた物を取り出す。
『じゃーん!!どお?可愛いでしょぉ。』
手に取ったのは首輪。
『これを……はい。』
首輪を彼の首に装着して、付属の鎖をジャラジャラと壁に固定する。
『ふふ、これで……ずぅっと一緒だね♡』
彼の怯えた瞳がさらにハイライトを失っていく。
きっと彼にとっては絶望的だろう。
知らない女、知らない場所、手足を縛られ自由を奪われている。最初は口も塞いでいたが、それだと可哀想だと思い外した。
彼の手足が目に入る。
痣や擦り傷、きっとここに来るタイミングで出来たのだろう。
優しく傷を撫でる。
『ごめんね……連れてくる時に怪我させちゃったんだね。傷つけないようにしろとは言ったんだけど……。』
さすがに自分より背が高い相手、しかも男を女一人で捕まえることは出来ないだろうと思い、親しい友人(男)に頼んだ。
『あいつ……後で仕置だな。』
私の低い声に彼がまたビクリと体を震わせる。
『ふふ、大丈夫、もう怖い目には合わせないから……』
震えている体を抱きしめ、優しく頭を撫でる。
怖い状態なのには変わりないが、優しく接せられているせいか、彼の震えが少し収まった。
『あ、でもぉ、』
彼の体から少し離れ、首輪の鎖をジャラリと引く。
視線を無理やりにでも合わせた事により、彼の顔が強ばる。
『逃げようとか、ここから消えようとした時は、君にもお、仕、置、き♡』
ニコリと微笑むが、彼にはとても怖い顔に見えたのだろう、再び体をカタカタと震わせている。
あぁ、可愛い……。
絶対に離すものか。
永遠に……一緒だよ。
#永遠に
「おはよ。」
低音の心地良い声が聞こえてくる。
目を覚ますと不思議な色の天井。
シーツと枕は白い。
布団の中はとってもあたたかい。
寝返りを打つと、整った顔の男。
男はニコリと微笑みながら私を見つめる。
「よく眠れた?」
男は優しく頭を撫でる。
コクリと頷くと「良かった、」と言いながら目を細めた。
「俺もよく眠れたよ……ありがとうね。」
そう言いながら抱きしめられる。
なんだか不思議な感覚だ。
別に私は相手と恋人関係という訳では無い。
ただ、寂しくなった時に慰め合う。そんな繋がり。
でも私にとってはそんな繋がりが、有難かった。
ふと時計を見ると、時計の針は十時を指していた。
男も私につられて時計を見ると、焦った顔をする。
「やっべ、もう出なきゃ。」
バタバタとお互い準備をしてその部屋を出た。
外に出ると、空は快晴。
空気はほんのり冷たくて、私はその空気は嫌いじゃなかった。
「じゃあ、俺はこれで!!」
男が手を挙げながら走り去る。
それに返すようにゆっくり手を振った。
男が見えなくなった辺りでクルリと振り返り、男は違う方へ足を進める。
平日だからか、スーツの人が多い気がする。
それでも休みなのか、カップルも数人いる。
ふと、とある人が頭に浮かんだ。
「君って八方美人だよね。」
その人はいつも頭の中に現れては、そう切捨てて、去っていく。
かつて、私が愛した人。
こんな私を作った人。
きっと過去にも、これからもここまで愛する人はいないと思う。
そう、きっと私は 彼 に囚われたまま___。
吐き気がすると同時に、ポッケに入ってたスマホを取り出す。
連絡先をスクロールしていくと、そこには今日一緒にいた以外の男の連絡先がたくさん入ってる。
ここの人達は、私と同じように寂しい人達。
誰をどう愛そうと関係ない人達。
私が何をしても咎められない。
理想の世界の住人なのだ。
とある連絡先の通話ボタンを押す。
コール音が何回か鳴ると、「もしもし」という声が聞こえてくる。
『今日、この後会えない?』
こうして私はまた、誰かと夜を共にするのだ。
#理想郷
そのお客さんは、いつも良い香りをさせて私のカフェにやってくる。
「こんにちは。」
『いらっしゃいませ!!』
カランカランと扉を開けたのは、背の高い細身のお兄さん。私より二つほど年上でとても優しい人で、うちの常連さんだ。
『そちらの席にどうぞ〜』
「ありがとう。」
彼はお礼を言うと、軽く会釈をして案内した席へと座った。
私の前を通ったため、彼のまとっている匂いがほんのり香る。
『いい香り……。』
「え?」
席に座った彼が素っ頓狂な声を上げる。
しまった、心の声が漏れてしまっていたようだ。
『あ、す、すみません……。お客様いい香りだなって思いまして。』
もごもごとしながら白状すると、彼はフフっと笑う。
「すみません。さっきまでお店にいたものだから、体に匂いが移っちゃったんですね。」
スンスンと自分の腕の匂いを嗅ぎながら、困ったように謝られる。
『お店、ですか?』
「はい。私、紅茶屋を営んでおりまして。」
『……!紅茶屋、ですか。』
なるほど、今までさせてた香りは紅茶の香りだったのか。
どこかで嗅いだことあるような気がしていたのは、そういう事だったのかと納得した。
彼は胸ポケットを探ると、小さな袋を取りだした。
「こちらをよければどうぞ。」
差し出された袋を咄嗟に受け取る。
中には緑の茶葉が入っているようだった。
『えっ、これ。』
「差し上げます、最近入荷したので。良かったら味の感想も頂けると嬉しいです。」
『いいんですか?』
「是非、寝る前に飲むと睡眠効果もありますよ。」
確かにここ最近あまり眠れていない。
だが、紅茶は以前睡眠に効くと聞いて試したが、あまり眠れずに終わった。
せっかくの頂き物だし、効能とかは気にせず美味しく飲ませてもらおう。
ありがとうございます、と深くお辞儀をして、お冷を持ってくるために厨房へ引っ込んだ。
『ふぁ……疲れたぁ。』
ドサッと近くのソファーに腰を下ろした。
有難い事に、私のカフェには毎日数十人お客様が来てくれる。これを一人で回しているため、終わる頃には体がぐったりしている。
『これ以上増えたら、さすがに誰か雇わなくちゃなぁ……』
ぼんやりと考えながら呟く。
だが考えれば考えるほど頭が痛くなる。
お客が来ているとはいえ、十分に人件費に割けるほどそこまで裕福じゃない。
んー、と悩んでいると、昼間に貰った紅茶の袋が目に入る。
『とりあえずひと休憩しようかな、』
ゆっくりと立ちあがり、紅茶を入れに行った。
フワリ……
ティーバッグをマグカップに入れお湯を注ぐと、爽やかな香りでいっぱいになった。
『あ、これハーブティーか。』
少し蒸らし、ティーバッグを取り出すと、綺麗な薄い緑に色づいていた。
いただきます、と小さな声で言った後、ひと口啜る。
『おいしい……。』
ホッとする。
お風呂から上がって少し冷えた体に、ポカポカとまた温かさをくれた。
味もとても飲みやすく、以前飲んだ紅茶よりも早く空にしてしまった。
さすが、紅茶屋さんがおすすめしてくれただけある。
飲み終えてすぐ、布団の中へ入る。
普段ならお店の改善点を書き出したり、頭の中で色々と考えているところだが、体がポカポカしているせいかどこか眠たい。
『明日は、お休み、だし……ゆっくりして、も……』
気づけば意識を手放していた。
鳥のチュンチュン、という声で目が覚める。
時計は朝の九時。
いつもならお店の開店準備をしている頃だ。
休みの日でもお店に行って試作をしているので、ここまでぐっすり眠ったのは本当に久しぶり。
ゆっくり起き上がって、彼から貰った袋を見る。
すると、袋の中に小さなメモ紙を見つけた。
『何だろう……?』
カサリ、とメモを開くと小さめの文字で数行綴られている。
「こちらは “リンデン” という茶葉になります。
ほかのハーブティーに比べると飲みやすいんです。
それからカモミールも少しだけ混ぜてますが、リンデン自体も安眠効果に長けている紅茶なので、睡眠効果にとっても期待できると思います。」
『だからこんなに眠れたのね…』
ペラっと裏面を見ると、そこにも文字が。
「クマが酷いように見えます。同じく店を営む者として少しお節介やかせてもらいました。あまり無理はしないで。」
彼らしいとても柔らかい文章。
睡眠不足の悩みは誰にも言ったことはなかったが、どうやらバレていたようだ。
きっと、昨日元々このハーブティーを渡すつもりでお店に来てくれたのだろう。
本当に優しい方だ。
私のお店やコーヒーを好きできてくれるお客さんは沢山いる。その人たちのために、もっといい店にしようと今までずっと奔走し続けていたが、私が倒れてしまっては元も子も無い。
大事な事に気づかせてもらった気がする。
部屋の窓を開け、少し換気する。
風が入り、少し空気が冷たい。
こんな風を感じたのはいつ以来だろう。
最後に青空をしっかり見たのはいつだったか。
『今日は好きな事をしようかな。』
今はゆっくり休む。また明日から頑張るために。
そう誓って、窓を閉めた。
#紅茶の香り